9 あなた、うまく自分を売ったわね
あたしが、シオン・レトヴィースに2回目のダンスを誘われなかったことに打ちひしがれて席に戻ると、意外なことに、母は今日イチの上機嫌だった。
「あなた、うまく自分を売ったわね。最高よ! 見てなさい。今に男性から踊りの依頼が殺到するから」
あたしは、ぽかんとした。
「なんで……? 2回目を誘ってもらえなかったのに」
言いながら、じわっと涙がこみあげる。
母はあっけにとられた顔であたしを見ると、けたたましく笑って、抱きしめた。
「馬鹿な子! この会場にシオン様との踊りを望まない子女が、今夜いると思って? 紹介が殺到して、全部引き受けないまでも、彼の予定はいっぱいよ。だから、最後のワルツを誰と踊るか、楽しみに待つことね」
言われてみれば、そのとおりだ!
え、なーんだ! よかった!
にわかに気持ちが晴れ晴れとしていく。
母は、そんな百面相のあたしを、面白そうに眺める。
「軽食をつまみたいなら、今のうちに行ったほうがいいわ。ここにいたら、あなたもしばらく休めなくてよ」
しかし、軽食が用意された別室でも、人々はあたしに群がって、賛辞や男性の紹介、踊りの申し込みがひっきりなしに舞いこんできた。
最初は浮かれていたあたしも、やがて疲れきって、調子の戻った自動回答に会話を任せて、サンドイッチやビスケットをつまんだ。
そうして、広間に戻ると、いささか余裕ができていて、全体を見渡すことができた。
中心で楽しそうに踊りに興じる人々、席に座って会話を楽しむ人々……そして壁の花。
紳士から踊りに誘われず、壁際で待機している令嬢たちだ。
人見知りだったり、踊りが下手だったり、オールドミスだったり……。
あたしと目が合うと、みんな妬ましそうにして、中にはあからさまに顔を背ける人もいた。
わかる。わかるよ。
あたしも前世はずっとそっちだったんだから。ていうか、舞踏会に呼ばれてすらいないはず。
クラスのほとんどが招待された、ある女の子の誕生日会に、あたしだけ呼ばれなかったように。
でも今夜に限っては、あたしは選ばれる側に回ったようだった。
そのことを感慨深く思っていると、壁の花の中に、信じられない顔が混ざっているのを見つけた。
白ブタ!!!
中学3年生で同じクラスになった男子生徒だった。
不名誉なことに、あたしが女子代表のいじめられっ子だとしたら、あいつは男子代表。
白ブタのでっぷりとした体は、採寸されて作られたはずの燕尾服からはみだし、ドレスシャツの飾りボタンが、今にも弾けて飛びそうだ。
よりによって、なんであいつがここに?
しかも、白ブタは、白ブタのくせに、なんと金髪碧眼の持ち主になっていた。
イベリスよりもどちらも淡い色で、その組み合わせだけ見れば、まるで天使だった。
これまで出会った人々ーー峯岸先生、母、母の彼氏、大家さん、そして風見くんーーの髪色や瞳の色から、勝手に容姿のいい人ほど、前世からかけ離れた色になると思っていたから(ちなみに風見くんの黒髪にブルーグレーの瞳は、あたし的に最上位なのでやっぱり別格だ)、自前の栗色の髪に甘んじていたあたしは、とっても理不尽な気がした。
それにーーこれまで出会った人々は、たしかに前世のあたしとつながりが深かった。
……よきにせよ、悪きにせよ。
でも、白ブタなんて……あたしはバイ菌と呼ばれようと、白ブタよりポジションはマシだと思っていたし、白ブタが男子にズボンを脱がされたり、気絶させられたり、壮絶ないじめを受けているのを見るたび、あいつよりみじめではないと思ってた。
まあ、目くそ鼻くそを笑うレベルの低次元の争いであることは認めるけど。
ともかく! あんなやつとは、前世でも関わりがなかったし、こちらでも関わるつもりはない。
顔を見ただけでテンションだだ下がりで、気分が悪かった。
だいたい、なんであいつは、男のくせに壁の花に混ざってるんだ?
ちょっと考えて、考える必要もないことにすぐ気がついた。
白ブタだからだ。
女性に自分から声をかけることなど、できやしないのだ。
あたしは心の中で、あざわらった。
ーーあとから思えば、あたしはこのとき、白ブタのことを見つめすぎたのだ。
そのことが、全ての客がこの夜を楽しんでいるかを気にかけ、とりわけ注意深く、壁の花を観察していた家の主人の関心を引いた。
「アルストロメリア嬢」
気がつくと後ろに立っていたレトヴィース伯爵に声をかけられる。
「先ほどはシオンと踊っていただき、ありがとうございました。素晴らしいレディーと踊ることができて、さぞ喜んでいることでしょう。よかったら、こちらの紳士とも踊っていただけませんか? 私の友人、マライコデス公爵のご長男で、プリムラ・マライコデスさんとおっしゃいます」
一般的に、女性は紹介されたら、よほどの理由がないかぎり、断ってはいけないことになっている。
そのうえ、これほど丁寧に頼まれては、主催者の顔を立てないわけにもいかず、アルストロメリアは礼を失さないよう、快く受け入れた。
あたしは自動回答ほど、ものわかりはよくなかったので、内心では、白ブタをにらみつけていたが、こいつと踊ることしかないのも、わかっていた。
白ブタは、何を考えているのかさっぱりわからない、まるでこのやりとりが、自分のために行われていることを知らないかのような顔でいた。
あー、このぼんやりとした感じ、まじ苦手。
白ブタがダンスカードに名前を書き入れると、あたしはそそくさと席に戻った。
それからの数時間は、さまざまな人と踊ったり、おしゃべりしたりするうちに、あっという間に過ぎていった。
何人かには、踊ったあと立て続けに2回目を申し込まれたが、いつシオンが来てくれてもいいように、できるだけ枠を空けておきたかったし、特別な期待を持たせたくはなかったので、やんわりと断った。
そしてーーついに白ブタと踊る番が来てしまった。
シオンとパートナーになったときとは、また別のざわめきが起こる。
それもそうだ。
「美女と野獣」というほど、うぬぼれてはいないが、少なくとも今夜のあたしは、白ブタにとってはまさに「豚に真珠」。
こんなに不釣り合いな相手もいないだろう。
身長はあたしより頭ひとつ分高いが、横幅はあたしふたり分くらいある。
おそらく体重は100キロ近くあるんじゃないだろうか。
目鼻立ちは、顔の肉に埋もれて、どんな形をしているのかもよくわからない。
そして白ブタは、踊る前から手に大量の汗をかいていて、それがなんとグローブをも濡らし、手を握られるとなんとも気持ちの悪い感触だった。
踊るのも下手くそで、「公爵家の長男」という超有望株のくせに壁の花になっていたのもうなずける。
その足取りといったら、豚を通り越して、べろんべろんに酔っぱらった象が、タップダンスを踊っているかのようだった。ワルツなのに!
あたしはもはや踊りどころではなく、不自然でない程度に距離をとって、踏みつけられないように必死だった。
しかし、あたしの耳は異音を捉えた。
ビリビリビリ‼︎
白ブタが、あたしのドレスの裾を思いきり踏みつけ、華麗なドレスは、ウエストの切り替え部分から、大きく裂けてしまった!
鯨骨でできたペチコートは、変な力が加わったせいで、たわんで外に飛びだし、ドレスに縫いつけられた真珠はぱらぱらと床に散ってしまった。
あたしは、紳士淑女の前で、ドロワーズをさらして倒れこむ羽目となり、怒りと屈辱にわなわなと震えた。
白ブタ、言っておくけど、教室で自習中にあんたのズボンをおろしたのはあたしじゃない。
あたしは、目の前にさらされたあんたのくそダサい「きかんしゃトーマス」の柄のブリーフを、見て見ぬふりしてあげたのに、転生先でこんなにひどい目にあわせるなんて!
オーケストラの音楽は止み、踊りをやめた人々が、いっせいにあたしを見る。
何が起きたかを察すると、慎みある紳士は目をそらし、淑女も扇でさりげなく顔を隠したが、この思いがけない珍事に、野次馬的好奇心を抑えられないようだった。
悪夢でもこんなにひどいことは、そうそう起きない。
涙をこらえきれなくて、しゃくりあげそうになったとき、あたしの上にふわりと上着がかけられた。
上着をかけてくれた人は、あたしの背にそっと手を添えると、しゃがみこんで目線を合わせた。
ブルーグレーの優しい瞳。シオンだ。
「……立てますか?」
あたしは、ひと粒の涙をぽろりとこぼして、こくんとうなずいた。
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