8 シオンが君を見ているよ
舞踏会で最初に誰と踊るかは、お目付役である母に決められている。
女性はダンスカードを持っていて、曲ごとに誰と踊るか、名前を記入しておくのだ。
当日を迎える前にある程度、予約で埋まることもあるし、当日、いくつもの誘いを受けることもある。
でも、最初の数曲は、あらかじめ約束した人と踊るのが普通だった。
母は、あたしの踊りが、シオン・レトヴィースの目に留まるよう、踊りのうまい従兄弟を、最初の相手に選んでいた。
主賓の王弟と、女主人のレトヴィース公爵夫人が進み出ると、オーケストラが1曲目の演奏を始める。
リズミカルな曲が終わると「みなさん、ワルツを踊りましょう」と呼びかけられ、いっせいに踊りがスタートした。
色とりどりの花が咲き誇るように、勢をこらしたドレスが広間をあっという間に埋めつくす。
あたしは、そばかすの浮いた従兄弟と踊りながら、気分が高揚するのを感じた。
あの口の悪いイベリスが褒めたのだから、アルストロメリアは確かに踊りがうまいのだろうと思っていたが、軽やかにステップを踏み、従兄弟のリードに合わせてくるくると回る動きはとても滑らかだった。
前世でも、体育は得意で、通知票が1と2ばかりななかで、燦然と輝く5を獲得していたほどだ。
ましてや、前世よりも栄養のある食事をしているアルストロメリアの体は、いくらでも踊りつづけていられるのではないかと思うほど、しなやかな力強さがあった。
「見てごらん、シオンが君を見ているよ」
ダンスの合間に、息を弾ませて従兄弟が言った。
見てごらんって言うなら、回転のスピードをゆるめてよ!
そう思いながら、あたりに視線を巡らせてみたけど、シオンは見つけられず、目が回っただけだった。
従兄弟の言葉が本当だったことがわかったのは、数回のダンスを経て、母のもとに戻ったときのこと。
母に視線で促され、見上げると、そこにシオンが立っていたのだ。
シオンは体を優雅に曲げてお辞儀すると、あたしを見つめて、うやうやしく言った。
「私に、あなたと一緒に踊る喜びを与えていただけますか?」
もち! もち! もち!
やばい、最高すぎる。
喜びが爆発して、顔面が崩壊しそうになるのをこらえていると、
『喜んで』
とアルストロメリアが品よく言った。
ありがとう、自動回答。
シオンは嬉しそうに微笑むと、あたしのカードに名前を置き、丁寧にお辞儀すると去っていった。
「よくやったわ。こんなにすぐに声をかけてくださるなんて、あなたのことがよっぽど気になったのよ」
母は、満足げに言った。
あたしはそわそわとして、シオンと踊る番になるまで、トイレに行ったり、身だしなみを整えたり、喉を潤したりと、落ち着きなく過ごした。
そして、順番が来ると、シオンが迎えにきてくれ、エスコートのもと、広間の中央に進み出た。
みんなの好奇な目がいっせいに注がれるのを感じる。
ああ、もし可能なら、今、母がくれたハートストーンを握りしめたい。
あたしがガチガチに緊張しているのを見ると、シオンは気を紛らわせるように言った。
「素敵なドレスだね」
「ありがとうございます。シオン様も素敵な……」
お召し物ですねと言いかけて、男性の場合、ほとんど見分けのつかない燕尾服であることに気づいた。
口ごもったあたしを、肝心なときに自動回答は助けてくれず、軽くパニックになって、
「お顔ですね」
と誤って脳内をぶちまけてしまった。
言った瞬間、あたしは真っ赤になって、シオンは口の端をふるふる震わせてしばらく堪えていたが、やがて耐えきれなくなって、ぷっと吹き出した。
「失礼っ……その、ストレートに言われることはあまりないもので」
笑いすぎて、ちょっと涙目になりながら、シオンは言った。
「あなたは、とてもユニークですね」
その言葉には親しみと好感があって、穴があったら入りたいような気持ちになっていたあたしは、ちょっと救われる。
最初にやらかしすぎて、かえって緊張がほどけたのか、曲が始まってステップを踏み始めると、シオンの上手なリードのもと、気持ちよく踊ることができた。
「今年デビューされたばかりだと伺いましたが、ずいぶんと踊りがお上手です」
「ありがとうございます。でもそれは、シオン様のリードがお上手だからですわ」
アルストロメリアの口調をまねて言う。
あたしたちの踊りは、実際、群を抜いていて、広間の誰もがあたしたちを見ていた。
それらの視線が、しだいに気持ちよくなっていき、「見ないで」から「あたしを見て」に変わっていく。
シオンの腕の中で、さなぎから蝶になるように、あたしはみじめに生きてきた前世の殻を突きやぶり、アルストロメリアとして、あでやかな翅を広げた。
シオンはその変化に目をみはり、
「君って、本当にユニークだ」
と耳もとでささやく。
甘い吐息が耳朶にかかって、心臓の音がうるさい。
でも、最高の気分。
楽しくて楽しくて、もっと、ずっとこうしていたい。
踊りおえてしまうのが、惜しかった。
しかし、音楽は終わり、あたしとシオンは肩で息をして向かいあった。
シオンは汗ばんでいて、オールバックにしていた前髪がはらりと落ちて、額に影をつくる。
それがとてつもなく色っぽかった。
あたしは、シオンが「もう1曲踊りませんか」と言い出してくれるのを期待して待っていた。
シオンもあたしのことを意味ありげに見つめていたけれど、あたしが汲み取れないでいるうちに「席までお送りしましょう」と手を差し出された。
あたしはどうやら、選ばれなかった……。
選ばれなかった。
選ばれなかった!
お読みいただき、ありがとうございます。
予約投稿に失敗し、更新が遅くなりすみませんでした。
9話目の投稿は、2021年9月28日19時頃を予定しています。
よろしくお願いいたします。