3 今日の君の役割はわかっているね?
朝日が降り注ぐダイニングルームは、天井高くにシャンデリアが吊り下げられた豪奢な部屋で、中央に真っ白なテーブルクロスがかかった細長いテーブルがあった。
そのテーブルの短辺部分、いわゆるお誕生日席に座らされる。
磨きあげられたカラトリーが定規で測ったかのようにピシッと並んでいて、前世でいっさいマナーを学んでこなかったあたしはドキッとしたが、アルストロメリアとしてこなしてきたことは、戸惑わずにできるようになっているようで、気がついたら、執事にアッサムの茶葉を濃く淹れて、温めたミルクと合わせて出すよう自分好みのミルクティーをオーダーしていた。
食卓にはすでに焼きあがった白パンと、バターにクロテッドクリーム、数種類のジャム、そして果物の盛り合わせが並べられていた。
タイミング悪く、あたしが食べ物に気を取られて、間抜けな顔をさらしているときに、そいつは反対側から現れた。
その瞬間、傍に控える給仕たちの空気が一瞬揺らいだ。
わかる。知ってる。……こわいんだ。
顔をあげると、そこには母の彼氏がいた。
母よりもあたしとのほうが歳が近い、美しい顔の青年。
もともと、自分をよく見せることには余念がなかったけど、この世界では磨きがかかっている。
ていうか、なんであたしも先生も髪色や瞳の色は元のままなのに、ちゃっかり金髪碧眼を手に入れてるんだ。
チートがすぎる。
でも、どんなに顔が美しくしかろうと、柔和に微笑むその口元とは裏腹に、目が笑っているのを一度も見たことがない。
イベリス・バドリアス。
あたしの戸籍上の父らしい。
「おはよう」
朗らかに言う彼に、あたしは絞り出すようにして挨拶を返した。
同時に脳が思い出す。
女も爵位を継承できるこの国で、夫を亡くした母に取り入り、男爵位を金で買った家の出身ながら、入り婿の形で伯爵の座に収まったのだ。
外面ばかりよく、内面はプライドが高くて傲慢で、自分が少しでも傷つけられたら、相手を倍傷つけなければ気がすまない、それができなかったらあたしに当たり散らす、厄介なクソ野郎には、お似合いのポジションだ。
ちなみに、この再婚は社交界でちょっとした興味を引いたらしい。
つまりは、夫の爵位を継ぎながら、恋に溺れて、若くて地位のない男に貢ぎ、あげく「伯爵」の身分すらあげてしまった母の醜聞が噂のタネになっているということ。
はははは、どこでも一緒じゃん。
イベリスが席に着くと、食事がサーブされはじめた。
生ハム、パテといった冷たい肉料理に、鳩肉のレイズド・パイなど温かい肉料理、オムレツ、牡蠣の酢漬けに、タラの燻製…朝食だけで、前世のあたしの1週間の総カロリーを軽く超えてくる。
もっとも、食べるのはごくわずかで、特に年頃のアルストロメリアは、体重変動に敏感で、あまり食べないことになっているようだ。
こんなにうまそうなものが目の前にたくさんあるのに、まともに食べないで下げさせるなんて!
前世のみじめな記憶がフラッシュバックする。
惣菜屋の店先に無造作に捨てられた売れ残りの残飯。
おにぎりもやきそばも、酢豚も、全部ごちゃ混ぜにされてゴミ袋に入れられていたそれを、どうにか食べたくて、人がいなくなるのを待とうと、隠れてじっと見ていた。
そんなあたしには、強烈な飢餓感が残っていて、ガツガツと全てを食べつくしてしまいたい気持ちに駆られる。
でも、あたしが今、急にがっついたら、イベリスに怪訝に思われるだろうし、どういう形でも関心を引くことは避けたい。
いい目にあったことなんて一度もないから。
それに現実には、たいした空腹を感じてない。
すごいことだ。
信じられない。
自分が食べていい食べ物がちゃんとあって、食べることを恥じる必要もなく、食べている間、誰にも脅かされないというのは、素晴らしい感覚だった。
それだけで、満ち足りて、たいていのことは許せてしまいそうになる。
イベリスは、紅茶をすすりながら、執事が銀の盆に載せた手紙類に目を通していたが、カップをソーサーに戻すと、こちらを見ずに言った。
「アルストロメリア、今日の君の役割はわかっているね?」
たいていのことは……。
「表向き謳われてないが、今夜の舞踏会は、実質、長男シオン様の花嫁候補選びだ」
……たいていのことは……。
「君に金をかけてきたのは、より爵位が上の家に嫁がせるためだ。私たちが掛けてきた金を一銭たりとも無駄にするなよ」
……たいていのことはって言ったもんね?
ふざけるなっ!
相変わらずのモノ扱いか。
サンドバッグから、お人形になったのを喜べとでも?
だいたい、あんたの金じゃないだろうに。
母親が用意した給食費まで、パチンコに使いやがって、おまえのものはおれのものってジャイアンかよ。
「……はい」
でも、気がつくとあたしは、大人しい返事をしていた。
これは前世と同じ。
結局、生殺与奪権を握られてると、人って強い態度に出られないんだ。
あたしの従属的な態度に満足したのかイベリスは機嫌よく笑った。
「君は容姿は人並みだが、ダンスはうまい。マナーに関しても一流のものを叩き込んでいる。人は華やかな花ばかりに目を向けるものでもないから、自分の武器を使うといいよ」
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