第八話:華麗なる招待状
——ミミとオセロットの婚約が公式に発表された翌日。屋敷の廊下を意味もなく駆け回っていたミミは、掃除を終えたリカオンにふと呼び止められた。
「ミミ様、お手紙が届いております。これをどうぞ」
「てがみ?」
手渡された紙の袋をぱたぱたと手のひらで叩き、不思議そうに眺めた。
「ご存知ありませんか? 紙に言葉を書いて、用件を伝え合うものですよ」
「ふーん……島にはなかったなぁ。みんなそのへんにいるからすぐ会えるし……」
窓から入る日の光に透かして、ミミは手紙の中を見ようとする。だが、当然ながら折り重なった紙の上の文字は、奇妙な記号にしか見えなかった。
「……よめない」
「手紙は開けて読むんだよ、ミミ」
いつの間にか、足音もなくミミの後ろに現れたオセロットが手紙をさっと取り上げる。
「あたしがやったげる。……何これ、ずいぶん豪華な封筒ね。宛名から何から金箔だらけ……切っちゃうの勿体ないかな」
懐から取り出した小さなナイフを弄びながら、封筒をつまんでひらひらさせるオセロット。
「きれい……」
箔押しの文字が日光できらきらと反射する様子に、ミミは目を輝かせる。
「……オセロットさん、屋敷内に武器を持ち込まないでください。ミミ様が怪我をしたらどうします」
「ミミはこんなナマクラで怪我しないでしょ。あたしの愛用品なの」
ぶつくさ言うオセロットから、手紙を取り上げるリカオン。手にしたペーパーナイフでささっと封を開け、そっと中身をミミに手渡す。
「どうぞ、ミミ様。差出人は第四王子のローレライ様……あなたのお兄様にあたる方ですよ」
「おにーさま……」
ミミはぼんやりジークフリートの顔を思い浮かべつつ、渡された手紙を開いて読み始める。
「えっと、しょーたい……じょー……。しょーたいって何?」
「来てください、という意味です」と、説明するリカオン。だがミミの疑問は延々と続く。
「かめん……。かめんって何?」
「顔にかぶるものですよ」
「ぶとうって……」
「踊ることです」
「……その調子で何時間かける気よ」
のんびりしたやりとりに業を煮やしたオセロットは、横から顔を突き出して手紙を盗み見る。
「なになに……仮面舞踏会のご招待。日付は三日後か。ふーん、さすが王子だけあって華々しい社交界へのお誘いが来るわけね。どうすんの、行くの?」
オセロットに問われ、「うーん」と首をかしげるミミ。仮面をつけて踊る会、と言われてもミミには一向にイメージがわかない。
「それって、楽しいの?」
「さぁね。エルフが集まってひらひら踊るだけでしょ。お金はじゃぶじゃぶ使ってるだろうから、料理は美味しそうかな」
オセロットの説明にころりと表情を変え、目を輝かせるミミ。
「ひらひらでじゃぶじゃぶで美味しいの? 行きたい!」
「……あっそ」
まばゆい笑顔を浮かべるミミに、オセロットはあきれつつもふっと微笑を返す。
「いずれにせよ、お断りするのは難しいでしょう。ローレライ殿下の仮面舞踏会はエルフ貴族の間では有名です。招かれることは大きな名誉……出席しなければ、不要な波風を立たせることになります」
そんな二人を横目で見つつ、冷静に告げるリカオン。
オセロットが同居するようになってからというもの、彼女はミミと二人きりだった頃以上に、大人らしい役回りをせざるを得ないことが増えた。それが嫌というわけでもないのだが、二対一になるのは少し寂しくはあった。
「別にいーんじゃない、波風立っても。ね、ミミ」
「うん、波も風も好き!」
「あはは、じゃー舞踏会より海に行こうよ」
それでもこうして無邪気にくだらなく笑う二人の少女を見ていると、妬みよりも微笑ましく思う気持ちの方が強い。そう自覚して、リカオンはふっと笑う。
「ローレライ様には出席の返事を出しておきます。海へは今日行きましょう。王家御用達のパン屋に最高のサンドイッチを作らせますから。お昼に間に合うように」
「労働者をこき使っていいご身分だこと」と、皮肉っぽく笑うオセロット。
「……相応の対価は支払っていますよ。嫌ならお食べにならなくても」
気配りに水を差されて、目を細めるリカオン。オセロットはわざとらしく顔をしかめて言い返す。
「自分のパンぐらい自分のお金で買うわよ。これ以上借りを作る気はないし」
「それなら、まずは家の中の仕事をして欲しいものですね。せめてミミ様よりは」
「……掃除ぐらいはしてるじゃん」
「ご自分のお部屋だけでしょう」
ツノを突き合わせる二人を見て、ミミはなんとなく楽しくなる。二人の言い合いは初日から変わらないように見えるが、日が経つにつれてお互いに少しずつ笑いが混じり、いい意味で遠慮がなくなっていくのをミミなりに感じていた。
「うふふ……じゃあ、わたしが作るよ! さんどっち! どんなの?」
「分かんないのに言わないの。職人に任せときなさいよ、あんた料理ド下手でしょ」
「うぅ……」
ミミは何も言い返せずに唸る。
オセロットの指摘にはもちろん根拠がある。数日前、島での食事を再現しようとして二人にふるまったミミの手料理が、惨憺たる結果に終わったのだ。オセロットは一口でギブアップし、リカオンは三口食べて半日寝込んだ。ミミ自身は決死のリカオンに止められて一口も食べずに済んだのだが。
「……で、リカオン。この舞踏会、なんか裏があると思う?」
「なぜ私にそんなことを?」
「だって、あんたエルフ連中の事情に詳しそうじゃん。あたしなんて、オーガスタス以外は特に縁もないし王子の名前もうろ覚えだよ」
「詳しくなんかありませんよ。私は最低限の知識を学んでいるだけです」
興味ありげなオセロットの視線から逃れて、リカオンは窓の外へ目をやる。
「……ローレライ様は、他の王子殿下のように表立って国政に関わってはおられません。芸術と社交を好まれ、音楽家や画家のパトロンとして出資を行なっているとか」
「ふーん、ちょっと聞いたことあるかも。美術院を建てた奴だっけ?」
「びじゅ?」
聞きなれない単語を聞いて、ひょこっと耳を動かして反応するミミ。
「絵とか音楽の勉強するとこだよ。マーゲイが行きたがってた。お金かかるからってやめたけど……」
オセロットはミミの長い耳の動きを目で追いながら、双子の兄を思い出して遠い目をする。
「仰る通り、ローレライ様は主に文化的な貢献で世に知られているお方です。しかし、社交の場に集まるのは人だけではありません」
「……その嫌らしい言い方からすると、情報とかお金とか?」
目を細めて言うオセロットに、うなづくリカオン。
「そんなところです。彼女は王家のために国中の情報を集め、財政や人事等々にも大きな発言力を持っておられるという噂。今回の招待も何か狙いがあるのでしょう。おそらく様子見程度のことかと思いますが……ミミ様のことは、王子殿下たちもまだ名前程度しか知らないはずですから」
「……」
エルフたちの思惑を難しい顔で語る二人を、ミミはぼんやりと眺める。やがて彼女は深くうなづき、腕を組んで言った。
「つまり、ローララは何かたくらんでるんだね!」
「ま、だいたい合ってる。いつも通り名前間違ってるけど。あんた、なんでエルフの名前だけ間違うの?」
オセロットに上から問われて、ミミは口を尖らせる。
「なんか、舌がまわんないんだもん……」
「エルフ氏族の名前は、私たちの名前とは発音の癖が微妙に異なりますからね。同じ古代ビンガジア語の派生ですが、かつてドウォフ族の使っていた言語なのだとか」
つらつらと補足した後で、リカオンは咳払いして本題に戻る。
「……いずれにせよ。こちらに隠すことがあるでなし、舞踏会には堂々と参りましょう。今のうちに顔を繋ぐことはミミ様の利益にもなります」
「うん! ふたいてん? だよねっ!」
「ええ、そういうことです」
そう言い合って、リカオンとミミは微笑みを交わす。
「そういうことって、どういうことよ……いいけどさ」
親しげな二人に水を差しつつ、くすっと笑うオセロット。
「ま、とりあえず今は忘れて海行こ、海! あたしも半年ぐらい行ってないや。うち、丘の方だったし」
「そうだ、海! みんなで泳ごうよね!」
ウキウキするミミをよそに、リカオンとオセロットは微妙な顔をする。
「……私は泳げませんので」
「あたし、濡れるの嫌いだから。砂浜は好きだけど」
「うーっ……そっかぁ。じゃあ一人で泳ぐ……」
打って変わってしょぼんとするミミ。彼女を挟んで、視線を交わすオセロットたち。
「……ま、足ぐらいは浸してもいいかな」
「腰までなら……溺れないと思いますし」
気を使って譲歩する二人を見て、ミミは首をぶんぶん横に振る。
「大丈夫! 浜辺で見てていいよ。晩御飯のお魚とってくるからね!」
ミミはうふふと笑って、廊下をとたとた駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、オセロットは小さく唸る。
「……なんか伴侶ってより親子じゃない? あたしたちとミミって」
「あなたと夫婦になるのはご遠慮願いたいですね」
「そんなこと言ってないっての……」
嫌味な返答に顔をしかめつつ、鼻を鳴らすオセロットだった。
——やがて三人がそれぞれ、屋敷の各所へと散っていった後。彼らがいた場所のすぐ近く、窓の外でかさかさと茂みが揺れた。
「あれが、新しい王子様……うふ、素敵……」
茂みからひたひたと忍び出た影は、誰にも見られることなく、いつの間にか忽然と消え失せていた。