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第六話:湯けむり闖入者

「ふんふんふーん♪ ふんふふふーん♪」


 その日の夕刻。屋敷の広い浴場で、ミミはしゃかしゃか体を洗いつつ満足げに鼻歌を歌っていた。


 千年王国の人々は、エルフか否かを問わず日に一度以上の入浴を楽しむ習慣がある。高温多湿な気候のため汗をかきやすいというのが主な理由だが、その習慣を支えているのはこの都市特有の発達した水道網である。

 ここ、王都エヴィグシュタットはかつて旧種族ドウォフの技術と知識によって築かれた地下都市を土台にしている。エルフたちはドウォフほど発達した技術はもたないが、彼らが遺した水道管やポンプを使って地下水を汲み上げ、町全体を潤しているのだ。千年王国の各地に点在するエルフ都市の多くは、同じようにドウォフの遺跡を再利用する形で生まれたものが多い。

 浴場には三種類ある。人間用の公衆浴場、エルフ用の公衆浴場、そして高貴なエルフたちの屋敷にのみ備え付けられた私的な浴場。先に挙げた二種はボイラーなどを使って熱した温水を用いるが、このような屋敷の浴場では、かつて魔術師とドウォフが協力して精製したといわれる恒久温石を使用することが多い。それらの石は何百年も水にさらされてなお高温を保ち続け、保管の方法を間違えると地を焼き溶かしながら故郷である地中へ戻っていくと言われる。


「ほっほっほーの、ほっほっほーい♪」


 そんなことはつゆ知らず、ミミは湯気にまかれながら、島の年寄りたちから教わったうろ覚えの舟歌を口ずさむ。

 上機嫌なのは、オーガスタスの横っ面をなぐりつけてスカッとしたから……というわけではない。屋敷に戻ったオセロットが心底嬉しそうで、それが自分の行動のおかげなのだということ――「善いこと」をしたのだと、確信をもって思えることが嬉しかった。

 島での生活は、ただ何も考えず、平穏な世界に包まれているだけだった。ここでは、すべて自分で考えなくてはならない。正しいこと、正しくないこと。すべきこととすべきでないこと。


(自分で考えるって、ふわふわして怖いなって思ったけど……でも、なんかやっとわかったかも。だめだって思ったら止めて、やろうって思ったらやればいいんだ。そうやって、好きな人たちが、いやじゃないことをしよう……そういう感じでいよう、わたしは)


 ぼんやり考えながら、ミミは蛇口の栓をきゅっとひねる。お湯が出てくる不思議な金色の筒。最初は驚いたものだが、もともと水浴び好きだったミミはすぐにその新技術を受け入れて、毎日のお風呂を楽しみにするようになった。


「あばばばー、あばばー」


 ぱたぱたと落ちてくるシャワーのお湯に向かって、口を開けて感触を楽しむミミ。

 ――そんなことをして遊んでいると、ふと、背後で声がした。


『……ほ、ほ。新たな肉体を謳歌しておるようで何より。さもあらん、他ならぬ(わらわ)がディザインした肉よ。不満などあるはずもなし……』


 ミミはきょとんとして、湯気に包まれた浴場を振り返る。


「……ふぇ? 誰かいる?」


 十人は入れるであろう広い浴場は、がらんとしていた。人の気配はない。

 首をかしげつつシャワーに向き直ると、その瞬間、耳元でささやく声がした。


『おぉ、美しい……美しい。ごらん、妾の(わざ)を。おまえも思うだろう? 楽園の子よ……』


 幾人もの声が重りあったような、不可思議な響きでありながら、はっきりとそれが女の声だとわかる。

 反射的にびくっと振り向くと、ミミの眼前に少女が立っていた。ミミと同じくらいの背格好。同じ色の肌。同じく尖った耳。まるで鏡みたいだと思って、ようやく気づく。それは、自分とまったく同じ姿なのだと。顔も手足も、何から何まで。


「…………むぅ?」


 不可思議な現象に目をぱちくりするミミをよそに、その少女はするりとミミのそばに近づいて、いつのまにか影のようにぴったりと裸体を重ね合わせていた。


『ふ、ふ……さて、肌の具合はどうか? 筋の張りは? 骨の継ぎ目は?』


 口早に言いながら、彼女はその手をミミの腕に、足にぴたりと這わせ、するすると指先で触れていく。思わず「ひゃっ」と声をあげて振り払おうとするが、怪力のはずのミミは自分とまったく同じ力で押さえ込まれて身動きが取れない。

 もがくうちに足元のバランスを崩したミミは、少女とからみあったまま浴場の床にばたんと倒れこむ。丈夫なエルフの体のおかげで痛くもかゆくもないが、気づけばミミは自分と同じ顔の少女に上から組み敷かれるような体勢になっていた。


「きゃわ……っ!?」

『良し、良し。筋力は申し分なし。神経も(しか)と通じておる。経過は順調、順調……くく』


 頭上に覆いかぶさる少女は確かめるようにミミの体をそこらじゅうなでまわし、顔と顔を近づけてくすっと笑った。自分と同じ顔なのに、そうやってべたべた触りながら口がくっつきそうなほどに近づかれると、ミミは思わずこそばゆい感覚に襲われる。


『残るは生殖の具合か。ま、ゆくゆく知れよう……』

「ちょ……めっ!」


 自分と同じ形の手が下半身まで伸びるに至って、とうとうくすぐったさに耐えられなくなったミミは、少し力を込めてぐっと少女を押しのけて立ち上がった。


「はぁ、はぁ……誰なの、なんなのー!?」

『妾の名を問うか。くふ……問うまでもなし。妾は定まらぬ体と名を持つもの……地を這いずる、母なる温かき泥。この国の誰もが知ろう、妾の名を……しかし口に出そうとはせぬ』

「???!? ぜんぜんわかんないっ……!」


 困惑するミミを見て、少女はくつくつと笑う。


『ああ……よい。無垢で愚かなよい素材だ。ヒルダは(さか)しすぎた……お前は違う結果を出してくれよう。リスクを冒した甲斐がある。どれ、少しは話しておくか』


 そう言うと、少女の姿はさっと視界からかき消えた。ミミがぎょっとして目をしばたく間に、そこにはまったく別の、見知らぬ金髪の少女が現れていた。その姿はミミよりひとまわり幼く、無邪気な笑顔を浮かべている。


『この姿なら怯えまい? 言語の程度も合わせてやろう……

 ――こんにちは、ミミちゃん。わらわが誰か知りたいのね?」


 少女の口調が変わると同時に、重なり合った異様な響きが徐々に収束し、幼い姿に似合った朗らかで馴れ馴れしい子供の声に変わっていった。

 あっけにとられながらも、最近は突拍子もないことに慣れてきたミミはこくんとうなづく。


「あ、うん……そう。です! 誰?」

「わらわは魔女。魔術をつかう女の子だよ。名前はネリマルノン。わらわがミミちゃんをここにつれてきて、体を変えてあげたの。この音、覚えてない?」


 少女が小さく口を開くと、とても人の体から発せられたとは思えない奇怪な音がごぉっと響き始めた。ざわめく波の音のようで、それでいてどこか異質で不快な、金属の震えるような音。

 その音を聞いた瞬間、ミミの遠い記憶がさっと蘇った。砂浜で寝そべる自分。そして、遠くから聞こえる音。つづいて訪れた一瞬にして永遠の暗闇――


「く……! くじら、さん……?」

「あの時はつぶしちゃってごめんね。でも前よりかっこいい体に変えてあげたからいいよね。素敵だよ、ミミちゃん」

「つぶし……?」


 自分がかつて鉄の「くじら」に潰されたことさえ知らないミミは、ネリマルノンと名乗った少女の説明に困惑しつつも、彼女の言葉を必死に理解しようとする。


「えっと……あなたがわたしを、つれてきたの……? ……なんで!」

「面白そうだったから。そして、やっぱり面白かった。これから、もっと面白くなってほしい」


 その答えは、ミミでなくとも理解不能なものだっただろう。人をさらって体を作り替え、遠い国に放り込む理由が、「面白い」などという一言で済ませられるはずがない。


「面白くないよ、ぜんぜん!」


 怒るというよりは子供を叱るような口調で言って、頰をふくらませるミミ。


「わらわが面白いからいいの。大丈夫、きっとミミちゃんも楽しめるから。っていうか、もう楽しんでるでしょ? 素敵なお屋敷に、美人のお嫁さん。やさしくして、抱きしめて、キスしてくれる……」


 唇に人差し指を当てて、挑発するように微笑むネリマルノン。「キス」という単語を聞いた途端、ミミはふっと顔が赤くなるのを感じる。

 この屋敷に来てからというもの、リカオンは毎晩寝る前に一度、おやすみのキスをしてくれる。リカオンは子供を寝かしつけるように自然に、あっさりと唇をつけては離すのだけれど、ミミの方はその一瞬の接触に毎晩どぎまぎしてしまう。そんな気持ちを見透かされたようで、ミミは急に恥ずかしくなったのだった。


「ふふ、照れなくていいんだよ。思うようにすればいい。オーガスタスみたいに、むかつくやつはなぐっちゃえばいい。誰もあなたには逆らえない……あなたは上位(ハイ)エルフなのだから。成長すれば、いつかエルフだって魔術師だってみんな殺せちゃう。この世界の王にだってなれる……人も獣も、あらゆるものがあなたにひれふし、(こうべ)を垂れて股を開く。美しい、美しいあなたに……」


 水に濡れた床の上を、足音もなく近づいてくる少女の姿を、ミミは初めて「怖い」と感じた。


「なに言ってるのか、ぜんぜんわかんないよっ!」


 ミミが大声でそう言うと、ネリマルノンは元の不可思議な声に戻って、くぐもった笑い声をたてた。


『ふ、ふ。まあ、様子見はこの程度でよかろ……妾はおまえを見ているよ。(いと)し子よ……ずっと、ずっとね』


 次の瞬間、少女の姿は土塊のようにくしゃりと崩れて水に溶け、排水溝へと流れていった。


 放心状態で立ち尽くすミミの耳に、やがてどたどたと走ってくる音が聞こえてきた。


「ミミ様っ! どうされましたか!? やはり私もご一緒に……」

「心配しすぎだって。そんな簡単に怪我しないでしょ、あの子……」


 浴場の入り口から姿を現したのは、ミミの大声を聞きつけたリカオンとオセロットだった。二人の姿を見た途端安心したミミは、裸のままリカオンに駆け寄って抱きついていた。エルフの素早い動きで抱きつかれて、倒れはしないまでも驚くリカオン。


「きゃ! ……ミミ様? 一体……」

「うぅ……なんか怖い女の子が……ねり……ねりねりで……溶けて、消えちゃって……もう大丈夫なんだけど」

「はぁ……」


 頭に「?」を浮かべつつも、リカオンはミミが珍しく怯えているのを感じて、深くは聞かずそっとしておいた。


「……ねりねり? 幽霊でも見たの? どーでもいいけど、下は隠しなさいよ……いや、まぁあたし双子だし見慣れちゃいるけどさ……」

「した?」


 苦言を呈するオセロットに、全裸のままきょとんと向きなおるミミ。オセロットはあきれた顔をしつつ、顔をそらすのだった。

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