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第五話:エルフパンチ

「こんにちは! オーガスさん、わたしはミミです!」


 扉を開けた瞬間、相手の名前を聞くこともせず勢いよく手を挙げて挨拶するミミ。

 普通なら面食らうであろうその挨拶を、彼女の正面に立つ大柄なエルフは微動だにもせず受け止める。そしてゆっくりと膝をつき、ミミの前に(こうべ)を垂れた。


「……光栄に存じます、麗しき殿下。先触れもなくこうしてお目にかかりました無礼、何卒ご容赦くださいませ」


 オーガスタスは下を向いたまま、低い声で礼儀正しく言った。

 ミミが出会うエルフはこれで二人目だが、オーガスタスの容姿とふるまいはジークフリートとは対照的だった。へりくだった態度に似合わない、筋肉質で無骨な体。その迫力のある体つきは、身を屈めてもなおミミが見上げるほどだった。

 甲冑とも下着ともつかない露出の高い衣装の下には、浅く日に焼けた肌と筋肉が見える。エルフに共通の銀色の髪は、波のように複雑に編まれて背中へと長く垂れている。


「えっとー……あのぅ、普通に話してもらえますか。わたし、まだ言葉があんまりわかんなくて……あと、顔が見えないと話しにくいかな……」


 ミミの不満を聞くや、オーガスタスはすっと顔を上げた。彫りの深く力強い顔立ちに浮かべた、優しげな笑み。不器用ささえ感じるその笑顔に、ミミは少し安心する。


「これでいかがでしょう?」

「はい、大丈夫です! えーっと……、オセロットちゃんを探しに来たんですよね」


 その名前が出た途端、オーガスタスの笑みが曇った。


「はい……。当家の恥をさらしたのみならず、この地に来られて間もないミミ殿下に余計なご心労をおかけしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。ただ、私は……」

「オセロットちゃんのこと、好きなんですか?」


 ミミの直球の質問に、オーガスタスは初めて少し面食らった顔をした。それから畏まった態度を少し崩して、恥じ入るように苦笑した。


「……はい。そうでなければ、私とてこのような不躾な振る舞いは致しませぬ。私は彼女たち二人の兄妹を初めて見た時から、その儚くも毅然とした美しさに魅入られたのでございます」

「そっかー、恋なんだね!」


 うんうんとうなづくミミ。

 背後の少し離れた位置から見ていたリカオンは、二人の微妙に噛み合わないやりとりにはらはらしつつも黙っていた。リカオンもオーガスタスとは初対面で、王子の伴侶とはいえ人間の娘が自分から口を挟むなどあってはならぬことなのだ。


「あのね、でも……オセロットちゃんはオーガスが好きじゃないんだって。だから、結婚はできないんだって」


 ミミがそう言った途端、オーガスタスの微笑みがぴくりと震えた。


「……オセロットがそう申しましたか」

「うん」


 嘘のつけないミミは、まっすぐにオーガスタスを見てうなづく。

 オーガスタスは静かに息を吐き、すっくと膝を伸ばした。立ち上がるとその体躯はまさに山のようで、ミミは島で見た大きな熊のことを思い出した。もっとも島の熊は果物を食べるばかりで人畜無害だったので、ミミも別段恐がりはしないのだが。


「だからね、オセロットちゃんとの結婚をやめてくれる? 結婚って二人が好きになってするものだよね。だから、かたっぽだけじゃダメだと思うんだ。オセロットちゃん、悲しそうだったよ。悲しいのは、いやだよね……?」


 ミミの問いかけにオーガスタスは微笑をやめて、上からじっとミミの背格好を見た。値踏みするような、慎重な目つきで。それから少し考えるように目を細めて、再び微笑を浮かべた。


「殿下のお優しい心、このオーガスタス感じ入りました。……聞けば、ミミ殿下は大陸の外より招かれた方であるとか。貴女様の澄んだ瞳には、この国のエルフの仕来りがさぞや野蛮に思われたことでしょうね。一方的に、力づくで人の子を伴侶にしようなどと」

「やばん……うーん、そうだね。そんな感じかなぁ。よくないよね!」


 オーガスタスが思ったよりも素直に耳を傾けてくれたことにホッとしつつ、うんうんとうなづくミミ。


「はっ。不肖、このオーガスタスめも国外の知見を広めるにつれミミ殿下と同じように感ずるところであります。無論、此度の結婚においてもできうる限りオセロットの意志を尊重する所存です。……しかしながら」


 オーガスタスはぺらぺらと喋った後で一旦言葉を切り、すうっと息を深く吸う。


「無礼を承知で申し上げますれば、オセロットの真意は彼女自身の口から聞きたく存じます。殿下も仰せの通り、結婚とは当人の意思なくしては成り立ちません。なればこそ、私は彼女と直接、話をさせていただきたいのです」

「オセロットちゃんと、おはなし……?」

「はい。ただ一言、彼女自身の言葉で聞くことができたなら……私は彼女との結婚をあきらめます。二度と彼女の前には現れますまい」


 オーガスタスは真摯にミミの目を見据えて言った。ミミはその表情と目をじっと見て、「よし!」とうなづく。


「わかった。でも、ちょっとだけだよ!」

「有難うございます。では……失礼(つかまつ)る」


 そうオーガスタスが口にした瞬間。ミミの視界がふわっと奇妙に歪んだ。呼応するように、突然ぎゅっと周囲の音が途切れる。


(あれ……?)


 オーガスタスが立っていたはずの空間には、彼女の形の影だけがにじむように残っていた。

 無音の世界で、ミミはわけもわからず反射的に首をゆっくり回してその「にじみ」を目で追う。オーガスタスと同じ色をした影が、屋敷の広い玄関をずるりと伸びて奥へと入っていく。そして——


「きゃっ!」


 オセロットの小さな悲鳴とともに、ぶわっと周囲の音が元に戻った。

 困惑しつつも目を向けると、玄関奥の階段の踊り場でオーガスタスとオセロットが向き合っていた。オセロットは手すりに隠れてミミたちの様子をずっと伺っていたのだ。


「ようやく相対して話せたな、オセロット。我が花嫁……」

「オ、オーガスタス……!」

「ミミ王子殿下の了承は得た。一対一で話をしようではないか」


 オセロット本人とオーガスタスは今までの慇懃な態度から打って変わって、高圧的な鋭い目でオセロットを見下ろした。


「これから一つ、質問をする。お前はたった一言答えればよい。私の申し出を受けるか、否か」

「ひ……!」


 さっきまで強気だったオセロットは、実物のオーガスタスと面と向かった瞬間に本能的な恐怖で体をちぢめていた。

 この国に住まう者は、エルフの恐ろしさを知っている。彼らの筋力は人間の数倍以上に及び、野を駆ける獣よりも素早く動くことができる。まして筋骨隆々としたオーガスタスの肉体であれば、少女一人など砂糖菓子のように儚くもろいものでしかない。


「ほんの一言だぞ、オセロット……他ならぬ王子殿下との約束であるからな」

「く……う……」


 ゆっくりと近づいてくるオーガスタスから目をそらし、荒く息をするオセロット。オーガスタスは彼女の前にひざまづくと、その恐怖と緊張を味わうように顔を近づけ、問いかけた。


「……私と結婚してくれるか? オセロット」


 そう口にしたあとで。オーガスタスはちらりとミミの顔を見ながら、オセロットの耳元へ口を寄せて、ぼそぼそと何事かささやきはじめた。周りには聞こえないと思っているのだろう。

 ……だがその早口なささやき声は、不思議とミミにははっきりと聞こえていた。それは、こんな言葉だった。


「……もし、断るならば。私は一日ごとにマーゲイの骨を折る。最初は左足。次は右足。右腕、左腕。両腿。小指。腰。首。決してつながらないように、丹念に、粉になるように砕いていくぞ。無論、死なせはしない。美しいあの子を殺しなどするものか。生かしたまま、体のすべての骨が砕けるまで続けよう。お前が私のもとへ来るまでな……私はお前たちを二つ揃えて家に置きたいのだよ、オセロット。その気持ちをわかってくれるだろう?」


 オセロットの顔は蒼白になり、全身はがたがたと震えだす。

 オーガスタスはくすっと笑って花嫁の左耳から口を離した。


「花嫁は悩んでいるようです。乙女心とはかくも複雑なものですな。私は彼女の心変わりを信じて、愛を語りかけるとしましょう」


 ミミたちに向かってしれっとそう言ってから、今度は花嫁の右耳へと口を寄せるオーガスタス。


「……私はお前たちを愛してやるとも。たっぷり愛してやる。お前たちがそれを受け入れるまで、何年かけてでもな。だから、逃げようなどとはするな……二度と。永遠に。わかったな? では、あの腐れ頭の王子殿下に聞こえるようはっきり言ってやれ。『私はオーガスタス閣下のもとに参ります』、とな」


 オーガスタスはそう言うと、オセロットからすっと離れて背を向けた。花嫁に考える時間を与えるように。


 その奇妙で恐ろしいささやきを、ミミはぼうっと聞いていた。言葉の意味も、オーガスタスの言いたいことも、彼女には理解ができなかった。彼女の知っている世界の範疇にはないものだったのだ。


「ミミ様……?」


 オーガスタスのささやきが聞こえないリカオンは、ミミの複雑な顔を見て心配げに声を掛ける。


 ——やがて、オセロットが口を開いた。


「……私は、オ……オーガスタスかっ……閣下の、もとに……参ります」


 重い、途切れ途切れの言葉を聞いて、オーガスタスは満足げに微笑んだ。


「そうか。お前がそう言ってくれて良かった。さて……お騒がせを致しました、ミミ殿下。式場に戻らなければなりませんので、本日は急ぎ失礼させていただきます。ご無礼の埋め合わせは後日改めて……」


 オセロットの手を引いて、階段から玄関の扉へ颯爽と歩き出すオーガスタス。

 震えるオセロットの背中を見ながら、ミミはぽかんとしていた。今何が起きたのか、ゆっくりと飲み込みはじめていた。それでも、理解はできない。嘘をつくということ。騙すということ。脅して言うことを聞かせる、などという行為の意味が分からなくて。そんなものをはっきりと見せつけられた時、どうするべきなのかも知らずに。

 ミミはただ、打ちのめされていた。ヒトはこんなことをする生き物なのだという事実そのものに。


「ミミ様、よろしいのですか……?」


 リカオンも思わぬ展開にうろたえていた。ささやき声が聞こえなかったぶん、ミミよりも混乱していただろう。

 意見を聞こうにも、彼女には頼れない。ミミはそう気づいて、必死に自分の頭で考えていた。今、何をすべきなのか。


「行くぞ、オセロット」

「…………ミミ……っ」


 乱暴に腕を引かれ、開かれた扉を通る瞬間、オセロットは振り向いて小声でそう呼んだ。すがるような、祈るようなか細い声で。


「オセロットちゃん……」


 ミミは閉じかけた扉に駆け寄って、はっしとノブをつかむ。その隙間から聞こえる冷たい声。


「……罰がまだだったな」


 その声とともに、またふつっと音が消えた。

 目の前には、オーガスタスの手が、ふわりと「ぶれる」光景。

 それはエルフであるミミの鋭い動体視力が、同じエルフの高速の動きにはっきり適応している証拠だった。ミミの本能はオーガスタスの瞬間的な手の動作を認識し、時間の止まったような世界でそれを見て、予測していた。

 ミミは見ていた。その手が向かう先を。無骨な手を鞭のようにしならせ、オーガスタスがその手刀で引き裂こうとしているものを。


(オセロットちゃんの、あ し……?)


 そう。オーガスタスは取り戻した花嫁の足の腱を切って、二度と逃さぬようにしようとしていた。

 それを漠然と理解した瞬間、ミミの頭から考えが吹き飛んでいた。


「だ」


「めっっ!」


 ……長い長い一瞬。ミミは自分の手がじわりと痛むのを感じた。

 遅れて、世界にふっと音が戻ってくる。ミミが最初に聞いた音は、こんな音だった。


「ぶぁっ……っ!」


 目の前で、大きな何かがぐるんと回転して、地面に落ちる。

 はっとして目をぱちくりさせるミミ。「それ」は――頰をおさえてうずくまるオーガスタスの姿だった。

 オセロットの危険を察知したミミは無意識に飛び出して、オーガスタスの腕よりもさらに(はや)く駆け、彼女の横っ面に重いパンチを打ち込んでいたのだ。なんの訓練も受けていない、感情任せのでたらめな拳は、鍛え上げられたオーガスタスの体をいともたやすく玄関前の石畳に叩き伏せていた。


「ミミ……! ミミ!」


 目の前で起きたことを理解して、オセロットはミミの小さな胸に飛び込む。ミミは広がる白いドレスに包まれながら、少女の体を抱きとめた。自分とそう変わらないその小さな肩は、なおもがたがたと震えていた。


「……よし、よし」


 さっきオセロットが自分にしたように、彼女の頭をなでるミミ。オセロットは目をうるませて、もう一度ぎゅっとミミの体を抱きしめた。


「なんだ、これは……何なのだ、貴様は!」


 ふらつきながら起き上がるオーガスタス。その声は屈辱よりも困惑に満ちていた。幾多の戦場に立ってきた彼女にも、体格でも筋肉量でも勝る小娘相手に膝をつく経験などはない。

 恐るべき魔獣を見るかのようなオーガスタスの目をまっすぐに見返して、ミミは不敵に笑った。拳はびりびり痛んだけれど、不思議とマーゲイを投げ飛ばした時のような罪悪感はなかった。


「わたしは、ミミだよ」


 そう言って無邪気な顔で自分を見るミミの姿は、奇怪で異様なものとしてオーガスタスの目に映った。

 オーガスタスは赤くなった頰を右手で隠しながら、しばらく黙って深く呼吸した。それから十数秒かけてようやく冷静さを取り戻し、もとの慇懃な口調に戻ってとりつくろうように言った。


「……失礼を。殿下……私は、これにて」


 花嫁のオセロットには目もくれず、オーガスタスは駆け足で門を抜けていった。

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