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第四話:冷たいノック

「……もう気が済んだ?」

「うん……」


 ひとしきり泣きはらした後、ミミはどんよりした顔でソファに寝そべっていた。彼女の頭を膝に載せて、猫でもあやすように延々なでているのは、まだウェディングドレス姿の少女オセロットだ。

 オセロットは清楚な花嫁風に結い上げられていた髪をほどき、栗色の毛を自然のまま奔放にはねさせていた。これが彼女本来の髪型なのだろう。


「命がけで結婚式から逃げ出して、これから人生どうなるかって時に……どーしてあたしは子供のお守りなんかしてるんだろ。泣きたいのはこっちだってのに……」

「……わたし、子供じゃないよ」

「はい、はい」


 ちらっと顔を上げて口を挟むミミの頭をポンポンと軽く叩きながら、オセロットはため息をつく。

 そこへガチャリと扉を開けて、茶器の乗ったトレーを持ってリカオンが入ってきた。


「お茶が入りました、ミミ様。……オセロットさんも、よければご一緒にどうぞ」


 わずかに間を置いて呼びかけるリカオンに、やんわりとした敵意を感じるオセロット。


「……なんかイヤそうね。お茶はもらうけど」

「私は妻としてミミ様をお守りする責任がありますので、揉め事を持ち込まれるような方を歓迎はできません。屋敷に入れた以上、客人として最低限のもてなしはしますが」


 そう言いながら、リカオンは丁寧に並べたティーカップ二つに紅茶を注いでいく。その整った所作を見て育ちの良さを感じたのか、気に食わなそうに目を細めるオセロット。

 一方、ミミは湯気の匂いをくんくんと嗅いで、気が安らいだ様子でにへっと笑う。


「いー匂い……リカオンのお茶、すき……」

「ミミ様の気が休まるように、東方から取り寄せたハーブを混ぜてみたんです。お気に召されたなら、甲斐がありました」


 微笑みあう二人を見て、オセロットは複雑な顔をする。


「……変なの。エルフと人間で仲良くしちゃってさ。結局、あんたたち一体何者なのよ? 黒い耳長エルフに、年増の嫁。しかもこの子が王子だなんて……」


 年増、という言葉に一瞬ぴくりと眉を動かしつつ、リカオンは咳払いをする。


「まずはそちらが事情を説明するのが礼儀だと思いますが……式場から逃げ出した花嫁に、礼儀を説くのも詮無いことでしょうね。まずは私たちの……ミミ様のことをお話ししましょう」


 それからミミとオセロットが紅茶と菓子を交互に口に運ぶ間、リカオンは人間からエルフとなったミミの身の上や、王子ジークフリートの計らいで彼女の伴侶になった自分のことなどをかいつまんで説明した。


「……というわけです」


 話を終えるや、真っ先に声をあげたのはミミだった。


「そうだったんだ……!」

「……なんであんたが驚いてるのよ。自分の話でしょ」と、オセロット。

「うー……だって、来たばっかりの時は何が何だかわかってなかったから……」


 頬をふくらませるミミの姿に微笑みつつ、リカオンはオセロットに視線を向ける。


「……次はあなたの番ですよ。オーガスタス将軍の花嫁さん」

「しょーぐん……?」と、首をかしげるミミ。


 オセロットは唇を噛んで悔しそうにしながら、ミミの疑問に答える。


「将軍ってのは、この国の超エラい人ってことだよ。……王子のあんたほどじゃないけど。その次ぐらいかな」

「ふーん……」


 わかったようなわからないような顔のミミ。漠然と理解はしつつあるものの、人に上下があるという概念は彼女にはまだ受け入れがたいのだろう。

 続いて、リカオンがオセロットの大雑把な説明を補足する。


「オーガスタス将軍は、第五王子エンゲルベルト殿下のもとで陸軍の長を務めておられます。海軍を指揮するゴドフレイ様と並んで、千年王国の二大将軍として軍事の要を担っている方です」

「……ふーん……ぬぅ……」


 小難しい説明に頭をかかえるミミを見て、オセロットはけらけら笑う。


「あっはは! あたしの説明の方が伝わってるみたいじゃん。まぁとにかく、あたしとマーゲイはそのオーガスタスの伴侶として見初められちゃったんだ。双子の兄妹そろってね」

「マーゲイ……って、さっきわたしが投げちゃった子……だよね」


 思い出して、ふっと表情が暗くなるミミ。


「あの少年は軽い打撲だとお医者様がおっしゃっていました。すぐに目を覚まして出て行かれたと。ミミ様が心配なさることは何もありませんよ」


 リカオンがすかさず近寄って、彼女を慰める。まだ伴侶というより過保護な姉妹という感じではあるが、同居して数日でリカオンはすっかりミミの笑顔を守ることに使命感を抱いていた。


「よかったー……でもわたし、人に乱暴したのなんて初めてだよ。乱暴はいけないって、お母さんもお父さんもみんなも言ってたのに。わたし……いけない子になっちゃったのかな」


 再び自己嫌悪に陥りそうになるミミに、横で見ていたオセロットがバン!とテーブルを叩く。


「いけなくないよ、ミミ! あんたはいいことしたんだよ。マーゲイの奴、妹のあたしをオーガスタスのとこに無理やり連れ戻そうとしてたんだから。あんな奴ぶっとばしていいの」

「……そうなの? ぶっとばしていいの?」

「ダメです」と、間髪入れず否定するリカオン。


「ふぇ……? どっち?」


 困り顔のミミの頭を「よーしよし」となでつつ、オセロットは自分の主張を続ける。


「世間知らずのあんたに教えてあげる。この世にはぶっとばしていい奴とそうでない奴がいるの。あたしやあんたはいい子だからぶっとばしちゃダメ。でも、オーガスタスとかマーゲイとかは悪い奴だからぶっとばしていいってわけ」

「ミミ様にあなたの短絡的な価値観を押し付けないでください。お客様」


 先ほどより少し強い語調で、嫌味を込めつつ注意するリカオン。オセロットは悪びれず、彼女を親指で指差してくすくす笑う。


「こういう人もぶっとばしていいよ、ミミ」

「……まったく」と、ため息をつくリカオンに、ムッとしたオセロットが言い返す。

「そっちだって、自分のことなかれ主義をこの子に押し付けてるだけじゃないの?」

「私はただ、反社会的な考えを遠ざけているだけです」


 言い合う二人をしばらく見比べたあと、ミミは「ふーむ」と眉をひそめて考え深げにうなづく。


「わたし、わかったよ。つまり……すっごい難しいことなんだね!」

「……なんもわかってないじゃん」


 あきれた声で言って笑うオセロット。一方、リカオンは苦笑しつつそっとミミの肩に触れる。


「大事なことは、ミミ様がご自身でお考えになることです。私の言葉でも、彼女の言葉でもなく。あなたの心が本当に望むことをなされるなら、私はそれが正しいことだと思いますよ」

「……望むこと……うん」


 ミミはリカオンの言葉を頭の中で噛み砕きながら、その意味が心にしみとおるまでじっと考え、うなづいた。

 オセロットはわかり合った様子の二人をつまらなそうに眺めて、空になったティーカップをチンと指で弾く。


「……あたしはその通りにしたんだ。あたしの心が望むこと。誰かの言いなりにはならないって」


 今までの溌剌とした様子と打って変わって、しゅんとソファの上で背を丸めるオセロット。その姿を見て、ミミはすっと手を伸ばして、先ほどオセロットがしたように今度は彼女の頭をさすさすと撫でた。


「オセロットちゃんは、オーガス……さんが好きじゃないんだね」


 無邪気なミミの言葉に、オセロットはフンと鼻を鳴らす。


「好きどころか。あたしの宿敵よ。あたしだけじゃない……本当は家族みんなの敵なのに。みんな知らないふりして、忘れたふりして……あんな獣のところに、あたしとマーゲイを嫁がせようとしてる」


「……ご家族に何があったんです?」と、尋ねるリカオン。

 オセロットはミミの手をそっと頭からどけつつ、ため息をつく。


「聞いたことぐらいあるでしょ。『オーガスタスに嫁いだ者は、棺桶に入って出てくる』って」

「かんおけ? 死んだ人の入るやつ?」と、自分の語彙に自信のないミミは一応確認する。

「そ。オーガスタスと結婚した人間は、男でも女でも長生きできないってこと」


 オセロットは今の窓から外を見て、目を細めた。


「あたしの伯母さんもそうだったんだ。二十年前、あたしぐらいの歳でオーガスタスに嫁いで。十年で子供十人産まされて五年前に死んだ。もともと体が弱い人だったから、体はボロボロでさ。エルフの子供は一人も産めなかったから、オーガスタスはろくな世話もせずに……見殺しにしたんだ」


 言いながら、ぎゅっと拳を握りしめるオセロット。その怒りと悔しさを感じて、ミミはそっと彼女の拳に手を重ねた。オセロットはその手をどけるでもなく、ふっと息をはいた。


「……あんたって、ホント馴れ馴れしいな」

「嫌だった?」

「ううん、いい意味だよ。あんたの手はあったかい。エルフがみんなあんたみたいだったらいいのにな。……でも、現実は違う」


 オセロットの言葉を継ぐように、リカオンが神妙な顔でミミを見ながら話し始める。


「……エルフの方々の中には、人間を道具のように扱われる方もおられます。中でもオーガスタス卿は、エルフ|大家[たいか]として権勢を強めるために血筋を増やしたがっていると聞きます。人間とエルフが子を成しても、エルフが生まれる確率はとても低いですから……それだけ大勢の夫妻が必要なのでしょう」

「そんなの! エルフの勝手な都合じゃないっ!」


 思わず声を張り上げて立ち上がるオセロット。それからリカオンの気の毒そうな視線に気づいて、ばつが悪そうにぼふんと座り直す。


「……とにかく。あたしは叔母さんみたいにはならない。なんとかしてオーガスタスから逃げ切ってやるんだから」


 二人の話をずっと難しい顔で聞いていたミミは、その言葉を聞いてポンと平手に拳を合わせ、何か思いついた風にうなづいた。


「よし! それじゃあオセロットちゃんはずっとうちにいたらいいよ!」

「え、いくら王子だからってそんなことできるの?」


 急な申し出に面食らうオセロットと、ため息をつくリカオン。


「……できません。そんなことをすればオーガスタス卿と表立って対立することになりますから、ミミ様の保護者であるジークフリート殿下にまでご迷惑がかかります。オーガスタス卿は第一王子殿下の血縁ですから、第三王子であるジークフリート様も抑えるのは難しいでしょう。王子殿下の間で軋轢が生まれれば、回り回ってミミ様のお立場にも……いえ。とにかく、できません」

「はぅ……」


 リカオンにきっぱりと否定され、がっかりした顔で肩を落とすミミ。

 一方、当事者のオセロットは覚悟を決めた様子でソファから立ち上がる。


「そうよね……。やっぱり自分でなんとかしなくっちゃ。でもま、かくまってくれたことはお礼を言わせて。ミミ……ありがと」

「うん……」


 投げキッスのつもりか、人差指の先でぴっと自分の唇をはじくオセロット。

 ミミはまだ納得いかない顔をしつつもうなづく。ここは楽園の島とは違う。何もかも思い通りになるわけではないのだと、彼女は少しずつ学ぶしかなかった。


 ……その時、屋敷の玄関から音がした。

 ゴッゴッと扉を強く叩く音。規則正しく、乱暴ではないが力強く、重く冷たいノックの音。


「…………!」


 瞬間的に、オセロットが危機を感じた獣のようにぶるっと身を震わせる。


「……お客さん? かな?」


 きょとんとつぶやくミミをよそに、リカオンとオセロットが目を合わせる。


「……オーガスタスだ。この音……あいつがうちに来た日と同じノックの音」

「お逃げになるなら、裏口からどうぞ。オセロットさん」


 リカオンの勧めにこくんとうなづき、忍び足で歩き出そうとするオセロット。だが、ミミは彼女を呼び止めた。


「待って! わたしが話してみるよ。だから、オセロットちゃんは隠れてて!」

「話してみる、って……あんたね」ため息をつくオセロットに、ミミはどんと自分の胸を叩く。


「大丈夫。オセロットちゃんは結婚したくないんだよって、ちゃんとオーガス……さんに伝えるから。ね、リカオン。ちゃんと話して説得できたら、ジークフリーも怒らないし大丈夫だよね!」

「ミミ様……」


 一瞬、悲しい顔をするリカオン。ミミは純真でもあり、無知でもある。この街でエルフの社会を見てきたリカオンには、時としてそれが痛ましくさえ映るのだ。

 だが、ミミは見た目以上に強さを秘めた少女でもある。ジークフリート王子相手に見せた頑固さを思い出し、リカオンはこの小柄な伴侶のことを信じてみることにした。


「……わかりました。ミミ様がそうお望みなら。あなたはどうします、オセロットさん?」

「はぁ……さっさと逃げたいとこだけど、まあいいわ。ミミの気が済むまでは待っててあげる」


 話がまとまったところで、再びノックの音がした。先ほどと同じリズムだが、ほんの少し強く大きな音で。


「扉を壊される前に出迎えをいたしましょう、ミミ様」

「うん! 待っててね、オセロットちゃん」

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