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第三話:逃げ出した花嫁

「ふぅ……んぬぬぬ」


 ミミの屋敷のとある一室。書斎として作られたその部屋に、ミミの唸り声が響く。


「……ミミ様、進み具合はいかがです?」

「うむむー……無理っ! もう無理だよー!」


 頭をくしゃくしゃとかきむしり、ミミは机の上に突っ伏す。彼女の周りにはみっしりと積まれた本、本、本。この世界の常識を知らないミミのために、子供向けの絵本から小難しい学術書、はやりのファッションが描かれた雑誌まで、あらゆる種類の本が集められていた。


「屋敷の外へ出られる前に、最低限の知識は得ていただこうと思ったのですが……少々急ぎすぎましたか。歴史の本はお読みになりました?」

「うーん……ちょぼちょぼ」

「この国の建国は何年前です?」

「むーん……」


 リカオンの質問に、ミミは目を細めて記憶をたどる。顔が力むと、つられて耳がぴくぴくと上下に揺れる。


「せんねん!」

「……およそ七百年です。王陛下ヒルデガルト様が先住民であった蛮族ドウォフを滅ぼし、この地に千年続く王国とすべく街を築かれたのが始まりです」

「うぅ……やっぱ全然わかんないよぉ。エルフとか人間とか、王様とか王国とか。ほんとにすっごくおっきい島なのはわかったけど……」


 窓の外に目を向けて、ふうっとため息をつくミミ。その寂しげな横顔を見て、リカオンは彼女が寂しがっていることに気づく。


「故郷の島が懐かしいのですね、ミミ様」

「うん……なつかしいって、はじめてだけど。でも、そうだと思う……胸がぎゅっとするの」


 ミミは目を伏せて、くんくんと風の匂いをかぐ。慣れ親しんだ海の匂いはかすかにあるけれど、無数の人と土の匂いに混じり濁ってしまって、ミミのいた楽園のような清々しさはない。


「どんな島だったのか、私に聞かせてくださいますか? あなたが育った世界のことを知りたいんです」

「……うん。島はね……海があって、砂があってね。森もあって、家もあって……」


 語彙の少ないミミの単調な説明を、リカオンは隣に座ってじっと聞き入る。


「犬がいて、鳥がいて、リスさんがいて……。それから……みんながいたよ」

「……みんな?」

「お母さんと、お父さんと、モモと、ポポ爺さんと、ビビ、クク、トト……」


 自分と同じように単調なネーミングセンスの名前を並べながら、ミミの声はどんどん小さくなっていった。言葉にすればするほど、島の思い出は遠くなっていくようだった。


「ねえ、リカオン。勉強してるうちにね……なんだか、改めてわかっちゃったんだ。わたし……一人ぼっちになったんだよね」


 リカオンはその悲しげな背中をそっとなでて微笑む。


「ミミ様には私がいます。それに、きっとこれから新しいお友達がたくさんできますよ」

「……そうかな? 結婚相手も?」

「ええ、すぐにでも。ミミ様はこの国で一番可愛らしいエルフですよ」

「えへへ……」


 褒められてもじもじするミミ。リカオンは立ち上がって、ミミが机に広げた本をぱたんと閉じる。


「街に出ましょう、ミミ様。今日はいいお天気ですし」

「いいの!? まだ全然勉強終わってないけど……」

「はい。ミミ様は私と違って、書物を読むより実地で学ぶ方が合っているようですから。さあ、お支度いたしましょう」

「うん! あ、自分で着替えるから!」


 やや恥ずかしげにしつつ、トタトタと自分の部屋へ走っていくミミ。リカオンは早足で彼女の背中を追って、一緒に部屋に滑りこむ。


「お待ちください、ミミ様。今日は私が衣装をお選びします。街の者がミミ様のお姿を見る最初ですから。高貴かつ親しみやすく、それでいてミミ様の可愛らしさを引き立てるような……」

「えーっ、でも……うぅ……」

「衣装棚のどこにどの服があるか、まだ覚えていらっしゃらないでしょう。それとも、私に着せられるのはお嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……なんか恥ずかしーよ。子供みたいで」


 本当は、ミミが恥ずかしがる理由はそれだけではなかった。体のつくりが変わって以来、自分の体を見られるのがなんとなくむずがゆいのだ。


「すぐに慣れます。さ、腕を上げてください」

「うー……」


***


「……リカオン! すっごい広いよ! ねえねえ、リカオン!」


 屋敷の門から外に出た途端、ミミはリカオンが止める間もなく駆け出していた。エルフとして生まれ変わってから数日。庭先をぶらぶらしたことはあったが、敷地の外に出るのは初めてだった。


「ミミ様! 足元にお気をつけて。転ぶと服が汚れますよ」

「はーい」


 心配するリカオンに生返事を返しながら、ミミは眼下に広がる街の風景を食い入るように見た。

 日差しを受けて輝く、石造りの白い街並み。島ほどではないものの、そこかしこに植えられた樹々。段になって広がる家々の向こうには、そびえる無骨な城塞と、かすかな海の色が垣間見える。


「家がたくさんある! 家が白い! 空が青いよ! 海も見えるよ! 遠いけど!」


 子供のようにはしゃぐミミを見て、リカオンはどこか安心した微笑みを浮かべる。


「お気に召されてよかったです。王城からは少し離れてしまいましたが、殿下に見晴らしのいい場所を選んでいただいて正解でした」

「うんっ、すっごくきれい……あっ、人もたくさんいるよ! おーい、こんにちは!」


 遠くの人混みに向けて、誰にともなく手をぶんぶん振るミミ。人々は不審な少女を遠目に見返すだけでそそくさと立ち去っていったが、ミミは満足げだった。


「うわー……島の何倍も人がいる。本当にすっごくおっきいんだ。ううう~、もう探検するしかないよっ、探検! ね、リカオンも!」

「はい、はい」


 リカオンの手を引き、走り出そうとするミミ。


 その時--近くでがさごそと音がした。反射的にぴくんと揺れるミミの長耳。二人のすぐそばにある茂みが、ゆさゆさと揺れているのだ。風などではなく、明らかに何者かが茂みの中でうごめいている音。

 遅れて気付いたリカオンが、さっとミミの体をかばおうとする。


「ミミ様、危ない!」


 だがリカオンが前に出るより早く、茂みから何か大きな白いものが、ミミに向かってびゅっと飛び出した。


「にゅわっ!」


 驚きのあまり珍妙な声を出して、とっさに両腕を突き出すミミ。どうして突き出したのかは自分でもわからない。本能的な防御行動なのか、それとも島にいた時のくせで、飛び出してくる動物を抱き留めようとしたのか。

 いずれにせよその白い何者かは、ミミの広げた腕の中にばふっと音を立てて飛び込んでいた。


「きゃあぁっ!?」


 甲高い叫び声とともに、ミミの視界を覆う白い色。顔のすぐ下でふわりと揺れるヴェール。ふくらむ無数のフリル。

 ミミが抱きとめたそれは……純白のウェディングドレスを着た、一人の少女だった。


「ミミ様、ご無事ですか!?」

「う、うん……」


 ミミは戸惑いつつも、勢いよく飛び込んできた少女の体をいともたやすく受け止めて、そのまま両腕で抱えあげていた。


「ん……うーん。……はっ! な、何っ!? あんた誰!? どういうこと!?」


 ミミの腕の中で一瞬気を失っていたドレスの少女は、目がさめるや否やばたばたと手足を動かしながら周囲を見回す。どうやらミミたちと同様、彼女の方も何が起きたか理解してはいないようだ。


「それはこちらの台詞ですよ、お嬢さん。急に茂みから飛び出してきて、何のつもりです?」


 問い詰めようとするリカオンに、少女はミミに抱えられたまま目を細めて記憶をたどる。


「えっと、あたしは式場から逃げて……あ! そうだ、こんなことしてる場合じゃないや……早く逃げなきゃ。あのさ、降ろしてくれる?」

「……あ、うん。どうぞ」


 言われるままに少女を地面に下ろすミミ。

 少女はぱたぱたとドレスの埃を払うと、深呼吸して背筋を正した。改めて見ると、彼女の身なりはドレス以外も丁寧に整えられていた。ウェーブした栗色の髪は綺麗に結い上げられ、紅を引かれた唇は子供っぽい顔立ちから凛とした美しさを引き出している。その衣装と化粧ぶりを見るに、どう考えてもただのパーティから抜け出してきたという風ではない。

 ミミの島でも結婚式の時は白いドレスを着る風習があったので、そこまで詳しく分析はできないにせよ「花嫁さんっぽい」ということはミミもぼんやり察した。とはいえ、ミミは彼女の事情よりも「かわいいなあ」とか「ドレスきれいだなあ」とかそんなことに気を取られていたのだが。


「ありがと、変な耳さん。それじゃ、失礼!」


 ふわりと一礼するや、ドレスのスカートをたくしあげ、再び駆け出そうとする少女。

 だが次の瞬間、呼び止める声を聞いて彼女は足を止めた。


「オセロット! ……こんなところにいたか」


 息を切らして追いかけてきたのは、一人の少年。少女とよく似た幼い顔立ちだが、背格好は一回り大きい。少女と同じく、白い礼服を身にまとっている。


「遊びは終わりだ。さっさと式場に戻れ。これはお前だけの問題じゃないんだぞ」

「やだよ、マーゲイ。あたしはもう二度と戻らないからね」


 言い返して、子供っぽく唇を震わせてぶーっと音を出す少女。少年はあきれたようにため息をつき、首を横に振る。


「お前が好き勝手してオーガスタスを怒らせれば、残った家族がその罰を受けるんだ。分かってて逃げるのか? 見殺しにするのか、僕たちを!」


 少年が口にした名前を聞いて、リカオンの表情が不意に険しくなる。


「……何かと思えば、オーガスタス卿の関係ですか。ミミ様、今すぐ屋敷に戻りましょう」

「なんで? なんか、困ってるみたいだけど……」

「今、揉め事に巻き込まれるのは得策ではありません。ミミ様はまだこの地に慣れるので精一杯でしょう。あなたをお守りするのが私の役目ですから」

「でも……」


 ぼそぼそと話し合うミミとリカオンをよそに、少女と少年――オセロットとマーゲイは声を張り上げて言い合う。


「誰にも迷惑はかけないってば! マーゲイならあたしの気持ちわかるでしょ!」

「わがまま言ってるだけだ、お前は! どうにもできないくせに、子供みたいに駄々こねて……」

「どうにでもできるッ! あたしの命はあたしのものだから……! これだけは絶対誰にも渡さない! エルフだって、誰だって!」

「お前……いいから黙って来いッ!」

「きゃっ!」


 マーゲイがぐいっと少女の腕をつかむのを見て、ミミはぴくんと耳を震わせた。


「嫌がってるのに、無理やり連れてっちゃダメだよ!」


 そう言って、ひょこんと二人の間に割って入るミミ。突然の部外者の乱入に、怪訝な顔をする少年少女。その表情は鏡映しのようによく似ている。


「さっきから誰なの、あんた?」

「関係ない奴は引っ込んでてくれ。これは家族の問題なんだ」


 二人から同時に邪険にされつつも、ミミはめげずに二人を止める。


「家族だったらケンカしないで話し合おうよ! ミミのお父さんとお母さんはそうしてたよ。一回だけ、お皿の投げ合いしてたことはあるけど……」

「お前の家族のことなんて僕が知るか。時間がないんだ。さぁ来い、オセロット!」


 マーゲイ少年が再びオセロットを引っ張っていこうとするのを見て、ミミはとっさ彼の腕をがしっと手でつかむ。その途端、マーゲイはその場からぴたりと動けなくなった。


「!? なんだ、この馬鹿力……!?」

「ほら、オセロットちゃんの手を放してあげて。乱暴はダメだよっ」


 そう言って、ミミはそっとマーゲイの手をオセロットの腕からほどいてあげた――つもりだった。


「お、お前何を……うわあああっ!?」


 だが次の瞬間、マーゲイはものすごい力で体ごと放り投げられ、さっきオセロットが隠れていた茂みに向かってぼすっと突っ込んでいた。


「……ふぇ?」


 何が起きたのかわからず、きょとんとしながら自分の手と茂みを見比べるミミ。


「あんた、その力……まさかエルフ!?」

「わたしの、力……? あ! もしかして今の、わたしがやっちゃったの!? あわわ……」


 エルフの肉体は、普通の人間と比べて何倍も強靭にできている――つまり「とても力持ち」なのだとリカオンからも聞かされてはいたものの、今まで特に実感のなかったミミ。だがこの時初めて、自分がどれほど強い力を秘めているのかに気がついたのだった。


「だ、大丈夫ー!? えっと、マーゲイ……くん?」


 ミミの問いかけに、マーゲイは茂みの中で「う……」とうめく。

 その様子を見て、しばらくぽかんとしていたオセロットが急にはじけたように笑い出した。


「ぷっ……あっはははは! 大丈夫よ、あいつは頑丈だから。あー、スカッとした」

「うーっ……乱暴はダメだって言ったのに、わたしが乱暴しちゃって……怪我させちゃった」

「……変なエルフだね、あんた。人間の心配するなんて」


 落ち込むミミの顔を、オセロットは興味ありげにのぞき込む。

 だが、ミミの頰を流れる大粒の涙に気づいて彼女はぎょっとした。


「あんた、泣いてるの? 大丈夫だって言ってるのに」

「だって、だってわたし……」


 ぼろぼろ泣きながら、自分の両手を見つめるミミ。オセロットは困惑しつつ、放って立ち去ることもできずにやれやれとため息をつく。

 やがて、しばらく後ろで成り行きを見ていたリカオンが二人に近づいて小声でささやいた。


「彼の手当ては私が手配しておきます。お二人とも、騒ぎになる前に屋敷の中へ。……そちらのお嬢さんも、この中なら安全でしょう」


 指図するリカオンに、ムッと口を尖らせるオセロット。


「……安全な場所なんてないのよ。話聞いてたでしょ。あたしは、あのオーガスタスの花嫁なのよ。そこのエルフがどんな身分か知らないけど……」

「この方は王家に連なるエルフの君、第十三王子ミミ様にあられます。いかに権勢著しいオーガスタス卿とて、王家に弓引くつもりはないでしょう」


 堂々と、どこか誇らしげに語るリカオン。その言葉を聞いて、オセロットは顔をしかめる。


「……王子? マジで? そこで泣きべそかいてる子が?」

「そうです」


 きっぱりと答えられて、オセロットはうーんとうなりつつミミを見る。ミミは長い耳をひょこひょこ上下に動かして、まだぐずぐずと泣いていた。


「うえ〜ん……」

「あー、もう! ほら、一緒にこっちおいで。……何やってんだろ、あたし」


 オセロットは子供をあやすように背中をぽんぽん叩きながら、ミミの手を引っ張って屋敷の中へと入っていった。

 二人が屋敷へ入ったのを確かめつつ、リカオンはふと振り向いて門の外を見る。


「……どうなりますことやら」


 ふぅっとため息をついてから、リカオンは扉を内側から閉めてがちゃりと重い錠をかけた。

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