魔王が生まれた日
数日の時が流れ、息も絶え絶えで駆け寄り、レアは帰ってきた。翼を折りたたみ、家の駆け込むと不思議そうにプリエールが首を傾げる。
「やりましたのよ……ついに合格ですわ」
拳を握り締め、体を震わせる。口元は緩み、興奮が収まらない様はやはり少女と言うべきなのか、年相応を思わせる。
「んーー? えっと、どう言う事?」
頭上に疑問符をいくつも浮かべ、理解が追いつかないと頭を悩ませる。
「みんなに笑顔を届ける仕事ですのよ」
「おーー? でもそれってすごい……の?」
プリエールの質問に、今までソワソワしていたレアは岩山のように固まる。顎に手を当て、深く考え込むように唸るも、答えが出る事はなかった。
「す、すごいですわ……」
背後から後光が射すような清々しさで語る。一方の妹も眼を星のように輝かせ、両手を大きく上げる。
「おーー! おねいちゃん凄ーーい!」
「ふふふ……私にかかれば大したこと有りませんのよ」
ツッコミ不在のまま抽象的な話は盛り上がっていく。フワフワと的を射ず、この先の未来に胸を躍らせ、語り合い、笑い合い、抱きしめ合う。
「お金がいっぱい入れば、ご飯もお腹いっぱい食べられますのよ」
「もう酸っぱいの食べなくていいんだね」
「それでだけじゃ有りませんわ、毎日お肉も食べられますのよ」
もはや“酸っぱいの”にも否定が入らないほど、熱が入っている。体を持ち上げ、ぐるぐると回し、目が回ったところで妹を下ろす。
「お肉お肉ーー、わたしお肉だけでお腹いっぱいになりたい」
「もちろん……ですわ、最初のお給料貰ったらでお腹いっぱい食べますのよ」
二人で掛け声を上げ、外は暗くなっていく。この日は盛り上がり、質素ながらも食卓は活気にあふれていたーー。
ーーそれから7年……景色は移り変わるように時を刻み、一瞬で切り替わる。町並みも僅かに変化し、そこを成長したレアの姿が駆けて行く。
「あれからずいぶん待たせてしまいましたが、ようやくですのよ」
その日は雨の強い日だった。プリエールの待つ家に帰ろうと、足早に帰路に着く。その手には肉の包みがあり、口元をにやけさせる。
「いよいよですわ……あの時の夢を叶えますわよ」
食事の質は上がったものの、経済面は依然と厳し買ったのだろう。
少女は今からの光景に胸を躍らせ、雨の中にもかかわらず傘すらさずに一目散に駆ける。道行く人も不思議がり、奇怪な視線に晒されるも、気にも留めなかった。
そんな少女の前に、白いローブに星を散りばめた姿の人物が立ち塞がる。ぶつかったら不味いと、ブレーキをかけ急停止する。
「貴方……輝いて見えるわ、満ち足りているのね」
見覚えのあるローブ、声の高さから間違いなく女性の声……レアは不思議に思い、首を傾げる。
「何かようですの?」
「いえ、ただの独り言です……急いでいられるのでしょう?」
レアは不思議に思うも、そのまま走り出し、その場を後にする。
ローブの柄、その姿に見覚えがある。俺は近づいて行き、顔を覗き込もうと正面に回ると、口元が横三日月に笑い、場面が切り替わってしまった。
「今帰りましたのよ、プリエール? どこにいるんですのーー」
ーーべちゃっと柔らかいものが床に落ちた音がする。その方向を見てみると、レアが肉を落とした音だったと理解した。不思議に思い、前方へと回り込むと、俺は言葉を失う。
「おねいちゃん……お帰り……よかったぁ、無事……だったんだね?」
こんな状態でも姉の心配をするか……小さな体の少女の絞り出された声はあまりにも弱々しい。
「プリ……エール……なんですの、何が有ったんですの!!」
室内に響き渡る擦り切れるような叫び、鼓膜が破れるかと言うほどの鳴き声をあげる。
姉を心配する少女の姿は、12歳の少女が背負うにはあまりのも重い。僅かな血の跡と、剥がされた衣類の周りには、男の俺には眼を背けたくなる光景が広がる。
「わたしのことは……悪い夢だと、思って……忘れ……てくれればいい」
虫の泣くような声に、感情の起伏すら感じられず、言葉にせずとも“結末”を想像せずにはいられない。
「何を言っているの……私を一人にしないで、お姉ちゃん……貴方がいないと頑張れないわ」
プリエールに毛布を被せ、体を覆い隠すと、濡れた髪の隙間からぽたぽたと、水滴が床に染みて行く。
「ダメだよ、おねいちゃん……キャラ付け、しないと」
「もういいの……そんな事はいいから、どうか奇跡よ起きて」
すがるように震えた手をプリエールへと伸ばして、その手を掴む。ぴくりと震え、涙が溢れ出すまでに時間はかからなかった。
「夢を見るの……王子様が迎えに来てくれて、わたしをお嫁さんにしてくれるんだ」
レアは黙ってその言葉の続きを待つ。震えながらも、取り乱さず、聞き入る。
「蒼の左眼と、紅の右眼、白銀の髪に……世界を救う大英雄……だけど、大切なもの……もう、あげられないかな」
それは少女が背負うにはあまりにも深い、人の業……刻まれた消えない烙印。
「そんな事ないわ……これから時間はまだいっぱいある。あきらなければ、絶対に救われる……そうでしょう」
「そうだね……だから、わたしの大切なもの……全部おねいちゃんに、あげるの」
プリエールは瞳を揺らし、大粒の涙を流す。その命を最後まで燃やそうともがき、言葉を繋ぐ。
「本当は……王子様は、私のことなんて見てない……見てるのはいつもおねいちゃんばかり、だから凄く悔しかった」
眼を細め、震えが治まって行く。それが指し示すは、残酷以外の言葉が見つからない。
「奪い取ってでも欲しいと思った……だから、バチが当たったのかなぁ」
「そんな事ない、私は要らないから……そんなこと言わないで、お願いよ」
後悔の言葉も、すがるような言葉も、何もかも慟哭の彼方へ消えて行く。終わった出来事、救えぬ命と分かっても、この胸の痛みが治まることはない。
「忘れないで……遠い未来の先で、待ってる……私は間に合わなかったけど、信じてるからーー」
静かに眠るように、祈りを捧げるように、少女は光の粒子となって、レアの揺り籠へと吸い込まれて行く。
「プリエール……いやああああーー!!」
まだ見ぬ誰かに向けた、遺言を残し、その生涯を終えた。その時のレアの言葉は聞くに耐えなかった。建物を揺らす、音波と、衝撃……加えて左手が赤く光り、神託が形を変えて行く。
「これは……魔王の誕生なのか?」
記憶が戻った様子はない、ならすでに戻っていた? トリガーは……まさか?
俺の思考も途中のまま、建物を吹き飛ばし、規格外の力が顕現する。魔王の誕生は国を揺らし、争いの呼び水となる。
「力で屈服させるのが、正しいと言うなら……その期待応えて差し上げるのが礼儀ですのよ?」
闘気が揺れ、深い悲しみの底に、心が堕ちていく。魔王ヴィーナス・レア・ゴールドの誕生に国は揺れ、傷ついた心は残酷な決意を餞る。




