勇者と魔王
俺が敵を打ち倒し、どれほどの時間が流れただろうか?
手に力が戻り、剣をしっかりと握れるようになる。こんな所に長居は無用だ。俺は立ち上がり、森を抜ける準備を始める。
さっき気づいたことがある。森の魔物や獣は魔獣の出現で逃げるか捕食されたようで、気配が全く無い。幸か不幸か、安全に抜けられるなら良いと思うしか無く、無理やり納得した。
寧ろそう思わなければやってられない。予備の剣があるとは言え、使い古しで装備は心許無く、一度町に寄る必要がある。
しかし剣が溶けて爆発するとは、魔獣も強かったし、出発したばかりでコレとは前途多難だと溜息をつき立ち上がった。
「おー? ロックサラマンドラが殺されてますよ、アイツ結構強いんですね」
ーー背後から聞き覚えのない声。
気配は全く無かった。突然の来訪者に警戒を強める。何者で何をしに来たかが問題だがあまり友好的とは思えない、何よりこんな所にいること自体おかしい。
何より、背筋の寒気とともに加速する心臓の鼓動が、俺を落ち着かせてはくれない。
俺は声がした方向にゆっくりと振り返ると、そこには男と思わしき人物が2人立っていた。
特徴としては、身の丈もあるほどのフードを被っている。分かりづらいが、喋らなかったもう1人も体格的に間違い無いだろう……と言うか呑気に分析している場合では無い。
しかし体は強張り動けず、顔には冷ややかな汗が流れる。
「お前少しは自分で状況を確認して考える事を覚えろ。ヤツの左手の甲……アナザーだ。外見通りの年齢なら手強いぞ、下位とは言え竜種を倒したヤツだ」
もう1人の後ろにいる男の発言。後ろの男がリーダー格と推測できるが、力量は測りようもない。
「へー……マジだ!! アナザーがあの歳で生き残るって、珍しいですね!!」
前に立ち無邪気に笑うような男は、一見微笑ましくも見えるかもしれない。
「ーー俺が戦っても良いですか?」
前に立つ男の声のトーンが、一段下がる。無邪気のかけらも無く、純粋に獣そのものようだった。
「好きにしろ……ただし敗北は許さない、その時は分かっているだろうな?」
後ろの男は強く言い聞かせる。その気迫は、フード越しでも伝わってくる。
ーー結局戦いは避けられないのか。
俺は内心毒突きながらもこの状況を切り抜ける為の策を考える。状況は最悪で、生き残る事だけ考えるしか無い。アナザーと聞こえた気がするが、痣なしの聞き間違いと判断した。
「怖い怖い分かってますよ。それじゃあこの邪魔なローブは脱いで……」
前の男はローブを無造作に脱ぎ捨てると、口角を緩ませる。
「お兄さんで良いのかな? 年が上だろうが下だろうが関係ないけど、簡単に死なないでね」
男はローブが地に落ちる前に、恐るべき速度で迫ってきた。地を蹴り上げ、全身のバネを余す事なく使うソレはまるで獣。
俺は横に倒れ込むように体を捻る。攻撃をギリギリで避けると、あることに気付く。
「その耳に爪……獣人か」
俺が声をかけた獣人の背丈は12〜14歳位の子供に見える。鋭利な爪に、口から見え隠れする人とは大きく異なる牙。特徴的な尖った耳。少年は歯を見せながら、嬉しそうに口を開く。
「ん〜?お兄さん知ってるねえ、そしたら俺たちの神託で何が1番怖いか知ってるよね?」
左手の痣が光を放ち、封印されていた神託が解き放たれる。牙が長くなり、牙は鋭く、体毛が現れ、鋭利な爪に、鼻と口が伸びる。身体能力が上昇し獣化が進み、動きが格段に良くなる。
獣人型の魔族で、特に警戒すべき能力を極めて高水準で使いこなす。狙いを定めた牙が俺を食い殺そうと襲いかかる。
「演舞牙ノ舞……牙狼円斬」
少年は牙を前に突き出し、体を横に回転させる。それは螺旋を描き、触れたもの全てを粉々に破壊する。触れれば最後、粉砕機にかけられた肉に等しい。
「演舞……揺らぎ!!」
俺は予備で持っていた剣を引き抜き、斬撃に触れた途端、後ろに弾き飛ばす。
四方から飛び散る斬撃を捌いていく。剣を駄目にしてしまう日ノ神楽は使えない。となれば今は隙を見つけて撤退する。そもそもコレだけの手合いにソレが許されるとも思えないが。
「ん〜……そう来るか、だったらコレでどうかな?」
獣人は攻撃を切り替えようと、5歩ほど後ろに下がる。
「演舞牙ノ舞……牙狼乱撃」
少年は牙を突き立て、四方を取り囲むように走り込む。デルタウルフのような包囲を1人でやってのける。やがて様々な角度から、無数の攻撃が飛ぶ。
「演舞……陽炎!!」
俺はそれに対し、剣から放たれる熱気のよる視覚の歪みを発生。炎の揺らめきに攻撃が誘われ、何とか受け流すことが出来た。
もう1人は何もしてこないが、ソレなら好都合だ。これくらいなら、勝てない事もない!!
「お兄さんつまんないよ!! 本気出して? そこの蜥蜴倒した位の実力あるんでしょ? そんな大道芸みたいな事されても楽しく無いの、もっと大技出して!!」
少年の口からとんでもない台詞が放たれる。それは、つまらない遊びをしている子供のようだった。
大道芸!? 俺が必死に戦っていたのに楽しく無い?
「もう良いわざわざ手を抜くな、そいつの力は大体分かった。あるいは……とも思ったが生かす必要はない、さっさと始末しろ」
ローブの男から非常な決定が下される。その態度は興味がないと言わんばかりに冷たい。
「あーそうですよね。俺もそうなんじゃないかって思ってました」
ーー少年は無邪気に笑う。ソレは残酷なほどに純粋だ。
「じゃあねお兄さん……また来世で会おうね」
少年はそう言うと両腕を前に突き出し、そこに尋常ではない量の闘気を注ぎ込む。悟ってしまった……次の攻撃は避けられ無い、コレをくらえば確実に死ぬ。
「演舞牙ノ舞闘気全開放…孤高の竜よ我が呼び声に応え、立ちはだかる敵を喰いちぎれ……牙竜顕現!!」
演舞は闘気を多く込め、力の具現を詠唱する事で、最大の力を発揮する。少年はその手順を完璧に終えた。
強大な力の塊。獰猛なる竜が、雷鳴と共に姿を表す。俺は肩の力が抜け、死を覚悟する。
瞳を閉じようとした時……俺の前に一つの影が現れる。
「なんて顔だよお前らしくないぞ。でもよく持ち堪えたな、後は俺に任せろ」
この声は……俺は閉じかけた瞳を開き、あるはずのない光景が眼前に広がる。なんでお前がここに?
ーー俺は走馬灯でも見ているのだろうか?
「誰だろうと関係ないね!!まとめて消え失せろ!!」
少年は俺の心境などいざ知らず、突如現れた影に臆する事なく攻撃を放つ。
最強の勇者カグラが、俺を守るように間に入り立ちはだかる。不味い、ヤツの攻撃はとんでもない威力になっているはずだ。
「演舞月ノ舞……花鳥風月」
カグラの一言と共に、鞘から刀を抜かれる……水滴の音と共に世界は静寂に包まれる。全ての音は遮断され、時が凍りつき、風に舞う花びらと小鳥たちが竜を包み込む。ソレは渦を巻き、水面に写る月の中にゆっくりと沈んでいく。
カグラだけが使える世界一美しいとされる演舞、息を飲むほどの景色はもはや芸術の域に達していた。
「ほう、勇者カグラか、良くここが分かったな」
ローブを纏ったままの男は感心するような声を上げる。カグラの出現を問題視していないのか、そこには余裕すらかんじられる。
「そ、そんなことより俺の最強演舞が何であんなあっさりやられちまうんだよ!!」
獣人は取り乱し、信じられないものを見るような目で、カクラを見る。
「何でお前が、それに仲間はどうしたんだよ」
やっと絞り出した言葉が憎まれ口とは……だがカグラは、そんな俺にも優しく笑う。
「戦ってるさ、みんな来てる……だから親玉を叩いてサッサと終わりにする」
カグラは刀の切っ先をローブの男へ向け、敵意をあらわにする。
眩しい……その実力に瞳に宿る強い意志と闘志、勇者とは正にカグラそのものなんだろう。しかしその背中はあまりにも遠い、近づいたつもりでも距離の遠さに気付き戸惑う。
「……ユウセイ無事で良かった」
「あ……ああ、助かった。ありがとう」
一瞬考えるようなそぶりも見せるも相手方の話をガン無視し平然と俺に話しかけてくる。緊張感が無いと思いながらも、どこか安心できる不思議な感覚があった。
「おい無視すんなよ、話かけてるのはこっちだぞ!!」
少年が怒りをあらわにする。その歳で殆ど負けたことがなかったのだろう……だが今日の相手は最強の勇者カグラ。そのプライド大きく傷つけた。
「コレでも俺は怒ってるんだぞ……何とか言ったらどうだ魔王?」
尚もカグラはローブの男に話しかける。わざととしか思えないほど、徹底的に無視する。
「下らん価値観で物を語るな、お前は魔王に人を殺すななどと言う呆れ果てる問いをするつもりか?ソレは随分と傲慢な話だとは思わ無いか勇者?」
その視線の先でカグラが魔王というソレは不適に笑い、挑発的な態度を示す。2人の殺気の衝突に俺は動くことが出来ず、息をする事さえ忘れそうになる。
「俺を無視するんじゃねえ!! 演舞牙ノ舞闘気全開放……その速さ疾風の如く、駆け抜けるは竜の牙……牙竜疾風!!」
怒りが頂点に達したのか、痺れを切らしたのか?いやその両方か。少年は牙を剥き出しに、カグラに襲いかかる。轟く竜の突進はカグラ一直線に捉える。
「せっかちなヤツだな、仕方ないけど少し眠ってもらうよ…演舞月ノ舞…荒ぶる者よ蒼き宇宙を駆け抜け、その輝きで敵を討て……蒼天乱月!!」
カグラは刀を空高く構えると、一瞬で斜めに振りかざす。
一瞬の閃光により地は砕け大気を吹き飛ばす……突然の衝撃に遮られた視界の先を見ると、少年は崩れるように倒れ込んだ。
「テメエ、何をした」
少年はその一言で気を失う。しかし魔王と呼ばれた男は気にも止めず、カグラの答えを待ち続けているようだった。
「呆れるも何も勇者が理想を捨てたらそれはもう勇者じゃ無い、勇者は職業や地位とかそんなものじゃない……心なんだ」
カグラは勇者としての矜持語る。ソレこそが信念なのだろう。ソレは俺にも理解できた。
「はっ……魔王とてそうだ。お前はあの伝説をやたらと狂信しているようだが、そんなモノは幻に過ぎない」
魔王はカグラを否定する。伝説とはなんだろうか?俺の預かり知らぬやり取りとなり、カグラの表情に影が見え始める。
「分かってはくれないのか?」
それでもカグラは説得を試みる。
「くどい、魔王は力こそ全て。従わせたくば、力尽くでねじ伏せてみよ」
交渉は決裂し、再び戦いの空気が流れる。互いに構え、神経を張り巡らせ、最初の一撃を放つ準備をする。
ついに戦いが始まるのだ……互いに隙を伺い、最初の一撃が放たれようとしている。
「ーー演舞月ノ舞……月光花!」
「ーー集え雷の刃……サンダースラッシュ!」
互いの演舞と魔法がぶつかり合う。研ぎ澄まされた雷撃の刃が、放たれ炸裂する斬撃にぶつかり合う。
しかし、俺は何が起きたか分からずに、頭が真っ白になる。
牽制により始まり長く続くと思われたその戦いは予想外の展開を迎える。その光景に誰もが目を見開く。
ーーカグラの左手が宙を舞う。
理解が追いつかず俺はソレを茫然と眺めた。