神託の反転
城の執務室。簡素な作りで、装飾は殆どなく、大きな窓から真逆の位置にシングルサイズのベッドと見間違えるようなテーブルが一つ。アースラが座り、一つ一つ資料を手に取っては、確認を繰り返す。
眼鏡はかけているが、あの時と同じものだろうか?瞳の赤さはなく、髪と同じブラウンだ。色を誤魔化すのは魔族とバレないため、なんだろうな。
その表情は若干の疲れを感じ、眉間にはシワが寄る。時折ため息混じりに筆を走らす。積み上げられた紙束を纏めると、執事?らしき老人が紅茶を注ぐ。
「陛下、こちらを」
「ありがとう、爺」
軽く笑みを浮かべ、カップへと口をつけると、眉間のシワが取れていき、表情に柔らかさが出る。それを確認すると、執事は部屋から出て行った。
聞かれたく無い話もするが、国王とその他2名って状況的にどうなんだ?
「待たせて悪かったね。どこから話せばいいかな?」
「確認したいんだが、中王会議ってのは具体的にどんな集まりなんだ?」
あの後聞いたのだが、中央では無いらしい。面倒なパレードも終わり、時間に余裕ができた。俺たちは意見交換を含め、今後について綿密な擦り合わせをする。
「そうだねえ、各国の王が集う、言ってみれば世界会議だ」
そう言うとアースラは何やら引き出しから白の駒と黒の駒を取り出した。コレはチェスか?この世界にも伝わってるんだな。
俺が感心していると、それらを並べ始め白4つと黒5つのグループを作り始めた。
「分かってはいるだろうが、白が勇者国で黒が魔王国だ」
「さすがの俺でも、それ位は察しが付く」
少し頬がピクッと動くも、からかわれていると分かりそれ以上は口を挟まない。ルナは口元を押さえながら小刻みに震えている。
何にツボったのかは知らないが、失礼な話だ。そう言えば、俺が負に飲まれたていた間も、ルナの表情は豊かだったと記憶している。
ーーあの時の記憶を鮮明に覚えている。
自分で何をしたか、何をされたかも……負の感情が高まったと思うと、心を何かに塗り潰されるように沼へと引き摺り込また。俺の中で何かが囁いた。
ーー殺せ、全てを。
ソレが何だったのか、答えは持ち合わせていない。帰路について、鏡を見た時、変化した眼の色は元に戻っていた。もしかするとーー。
「君は私の話を聞いているのかい?」
「国王の護衛に勇者が必要って話だろ?流石にそんな大事な話聞き逃さないぞ」
アースラは眉を吊り上げ目を細めるも、渋々納得した様子で口を閉じた。ルナも考え込むように、疑問の表情を浮かべる。
「まあ概ねそうなんだが、問題は山積みでね。今回は君の話で会議は賑わうだろうから、そのつもりで居てくれ」
「火焔帝国ですか……この国とは仲が良くはないと聞いていますが?」
「そうだ。去年の話になるが、私の父と向こうの皇帝は犬猿の仲でね……よくやり合っていたよ」
ルナとアースラのやり取りで、一つの疑問が浮かぶ。俺はそれを迷わず口にする。
「アースラの父親って、どんな人だったんだ?」
「ユウセイ」
ルナの何かを訴えるような眼差しで、我に帰る。やらかしたと思いつつも、横目でアースラを伺う。その顔はどこか寂しそうで、戸惑いの中に僅かながらの決意を感じる。
「せっかくだし、少し話そうか」
アースラはそう言って笑うと、机から立ち上がり窓の方へとその歩を進めた。窓に手を触れ、外を眺め、その視線の先の街を見渡すように少しの時間を過ごす。
「この街は今日も平和だね、昨日の事は例外だけど……私は誇らしいよ」
その顔は年相応の少女のようで、普段から威厳を放つような国王の姿は無かった。思い出に浸るように、その頃を思い出すように、指で窓をなぞる。
「この国の豊かさは知識の神託による影響が大きい。蓄えられた記憶は容易にその答えをくれる。私のような小娘に王が務まるのも、この力があるからだ」
「良い事じゃ無いか、その恩恵でこの国は最も豊かになったんだろ」
俺は称賛を返すも、ルナもアースラも黙り込んで、言葉を交わそうとしない。不思議に思うも、やがて耐えられなったのか、バツの悪そうにアースラは振り返る。
「事実ではある……でも真実じゃない。知識を宿した者の反転は他とは比べ物にならない」
「反転、一体なんの話をーー」
俺はその口を閉じた。そこまで言って思い出す。アースラとの戦いで、俺の負の感情が高まり暴走した。ソレが反転とするなら、俺はその事を知っている。
「知識の反転……無知、なのか?」
アースラは頷く。神託を見つめ、思い出すように口を開く。
「無知になると、元々持っていた記憶さえキレイに消えてしまうんだ。もはや災害か何かだよ。そんな危険な魔王が、何をされるか考えるまでもない」
アースラは頭を抱え、倒れるように椅子に座り込んだ。手は震え顔は見えないが、見るべきでないと俺の感は告げる。
「困った事に、蓄積は反転した後も有効らしくてね。苦しんだよ、流れ込む知識の量と、反転した結果どんな結末を辿るか全部分かってしまう。父の最後も神託が教えてくれた」
アースラの父親はこの国の前王……その話から察するに、想像は容易い。
「私にとって父は憧れだった。強く厳しく、誰よりも王らしい。常にこの国を世界の行く末を気にかけていた」
「その手が、体温が、優しさが頭を撫でて、くすぐったくも心地良い」
「弱音は吐かない人だったけど、今にして思えば、知識の信託に必死に抗っていたのかも知れない。知識はくれても、思いまでは教えてくれないからね」
ハハッと乾いた笑い声を上げる。トーンは低く、その答えが皮肉である事は考えるまでも無い。
「最後は勇者カグラと戦い、壮絶な戦いの末事切れた。神託が教えてくれたのはここまでだ」
ーーカグラ、そんな汚れ仕事までしていたのか。
「私は三日三晩苦しんだ。ベッドでもがき、食べ物も喉を通らず、枯れ果てるほど涙を流した」
顔を上げたアースラの瞳は潤んでこそいたが、力が宿っていた。その強さが、彼女を前に進ませるのだろう。
「絶望は尽くした。その中に答えはあった。だから私は運命に立ち向かう事に決めた。父が果たせなかった無念。導きの双星は再臨の時を迎えている」
俺が話を食い入るように聞いていると、ルナが服の裾を引っ張ってきた。その顔はどこか浮かない様子だ。
「英雄に使われる特に強力な隷属印は、負を操作する力もあります。英雄の神託を反転へと導いてしまう」
ルナの話はそうなのだろう。俺たちは神託と言う一種のステータスに左右され、識別をされながら生きている。その反転も、きっと意味のある事だ。
「ソレは神の意思なのか?」
神が望んだ事?そんな事をするのは奴しかいない。奇しくも答えは出揃っている。
「この世界は争う事を強要している。その尽くが、何かを求め、血溜まりの上をヒタヒタと這いずる。俺は息が詰まりそうだ」
拳を握り締め、口に出すつもりがなかった事まで露れ出てしまう。だがソレを否定はしたく無い。
「そうだね……だからこの世界は導きの双星を欲する。星のワルツを正しく導き、世界の異物を再び打つ為、私を救ってくれたように、この世界も救って欲しいんだ」
アースラの問いに、俺は頷く。道は既に示されている。なら後は強くなるだけだ。全ての英雄を地に伏せるほどにーー。




