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プルートの心

 ずっしりと重い感覚に目を覚ますと、そこは一寸先まで何も見えない暗い闇の底だった。


 なぜ底と思ったのかは定かでは無い。でも間違い無いと思った。息が詰まるほどの淀みに、(うごめ)く一つの影が近付いてくる。


「────プルート」


 俺は目を細めその名を呟いた。髪は乱れ、赤い瞳には充血の色が見える。眼球をぎょろぎょろと動かし、脱力した体を揺らしながら、口元を緩ませる。


「ヒ、ヒハハアハハ……嬉しいですね。まだ話すチャンスが残されていたとは……」


「俺も驚きだ……お前の正体が、“セイヤ”だったなんてな────」


 表情に一切の変化は見られない。不思議そうに言葉を返した。


「はて? そのセイヤ……と言う者は誰でしょうね?」


 惚けた態度はだがそれはあくまで表面上……俺は笑みを剥がしにかかる。


「俺の親友の名前なんだが、お前はそれをどうして()()の名前だと思ったんだ?」


「貴方が私にセイヤと言ったではありませんか……ついには頭がおかしくなりましたか?」


 指先で頭を突いて見せる。だが俺は食い下がらない。


「悪いが俺にはもう見えてるんだよ……お前の闘気の質はセイヤと同じものだ。分かるようになったんだ」


 その言葉でぴたりと動きが止まる。しかし、直ぐに笑い出し、口を開いた。


「なるほどなるほど……しかしそれはおかしな話です。貴方が見えるようになったのは、今ですよね? でしたら辻妻が合わぬと思いませんか?」


「そうだな、でも何で俺がセイヤに会っていない事を知ってるんだ?」


「それはそうでしょう? どうして会う暇などありますか────」


 突如として口を結ぶ。理論上の推理として正しい。ただそれを言い切るには、情報は不足している。知っている状態で知らない事を前提に話すと、どうしても整合性を求めて、止まる事がある。


「そう言うとこだぞセイヤ……お前の昔からの癖だ」


 プルートは仮面に手をかける。ゆっくりと取り去り、その素顔を晒した。


「全くユウセイは俺をよく見てるな……」


 髪の色と瞳は違うものの、素顔はセイヤそのもの……視線を交差させ、しばらく何も無い時間が続いた。


「何か喋れよ……俺に対する罵詈雑言(ばりぞうごん)があるだろ? それくらい覚悟してる」


 俺は答えを出せないでいる。カグラの仇の一人で、俺の親友……なぜこうなったかも、そんな事をしたかも俺は分からないでいる。


「正直何を話せばいいか分からない。あれだけ有った憎しみも、もう残ってないんだ」


 その返答を良しとしなかったのか眉を潜め、荒々しく口を開いた。


「負の気が無いお前は気楽そうで良いな! 知ってるか? 俺はずっとずっとお前たちが憎くてタウラスの誘いに乗ったんだぜ? 『のうのうと生きる奴らを許すな』ってな!!」


「……済まなかった」


「謝ってんじゃねえよ……俺がどれだけ苦しんだと思ってるんだ? 抑えても抑えても溢れ出す狂気に、逸楽に、殺意の感情以外抱けないこの体に……頭がおかしくなりそうだったぜ!! それを空っぽのお前が知った顔でやさぐれてるんだぜ? 何の冗談だよ────」


 すらすらと出るその言葉に偽りは無いのかもしれない。


 言い返す事が出来ず、ただただその言葉を噛み締める。溜め込んだ感情を一気に吐き出して行き、興奮は絶頂となり肩で息をする。揺れる瞳はまだ憎しみの炎が宿っていた。


「ずっと一緒だったのに……親友だったのに……分かってやれなくて、済まない」


「ああ……そうだよ! でも肉を切っている時だけは満たされた。解放された。切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って、また切って、手当たり次第切り刻んだ」


 手を震わせ強く握りしめる。薄く笑い思い出すように感触を確かめる。

 

「肉を定期的に切れば、俺は人でいられた。そうすれば人を切らないで済む。俺の中の悪魔が囁かないで済む────そう思っていた」


「それは一体どう言う────」


 俺は言葉に詰まる。言わずともその先が分かり切っていたからだ。


 セイヤは顔を手で覆い、隙間から瞳を覗かせる。その様子に俺は息を呑んだ。


「白銀の亡霊の噂をお前に話したな……あれは俺の仕業だ。プルートの仕業なんだよ」


「何!?」

 

 衝撃的だった。頭を鈍器で殴られた気分だ。俺は眼を見開き、歯を擦り合わせた。


「だって我慢出来なかったんだよ────生きた肉って、本当に気持ち良くってさ……忘れられねえよ♪」


「だからって何でそこまでの事を…………!!」


 俺が言ったところで、説得力は無いのだろう……現にセイヤにプルートが見え隠れし始め、再び仮面を被る。


「ヒハハハハーー!! 仮面をつけて分ける事で、正常な私が存在出来た。分別こそが、最後の手段だったのです」


 それが導く答えは、更に残酷な現実を意味する。あの時の依頼は全てセイヤの願いを聞き入れてのことだった。


「答えてくれ、あの夜の出来事は、全部お前が仕組んだって事で良いのか……」


 俺の声は驚くほどに尻すぼみになる。分かっている事をわざわざ確認し、同意を求める真似をした。


 たとえ残酷な答えだろうと、区切りを付けるのには必要……これは俺のエゴか、本当は否定して欲しかったのかもしれない……でもきっとそれは非情に裏切られるのだろう────。


「分かり切ったことを聞くのですね? それとも期待しているのですか? 私が否定するのを?」


 見透かしたように痛いところを突かれる。でもそれは誤りな気がした。さっきも感じた違和感に近い感情……そこに答えはあるのだろうか?


 迷路のような思考に、俺の頭は着地点を見出せない。戻り、進み、また戻りまた進む。


 信じる……? 一体何を、どう、敵であるプルートを……そう言えば、どうして俺はあの時死ななかったんだ? 器として生かす為……そもそも何で俺はプルートと────。


「お前は俺だ────」


 ついにおかしくなったのか、俺は意味の分からない言動を口走る。呆れながらプルートに視線を向けると、仮面にヒビが入って行く。


「もう苦しまなくていい……俺が全部背負うから、お前の代わりにこの感情を制する」


「どうして貴方は……いえ、きっと意味も分からずに口走った事でしょう……憎い事をします………………何で……そんな事を言うかな」


 仮面の全てが砕け散った。粉々になり、闇に溶けて行く。


「何で憎んでくれないんだ。そうすれば心置きなく逝けるのに、どうして俺に後悔させる? 頼むから、お前を憎ませてくれよ……俺に許させるな、憎たらしいお前でいくれ────」


「ありがとう……今まで代わりに耐えてくれたんだな」


「お願いだから、台無しにしないでくれ……」


「お前は俺だから、お前の苦しみも、贖罪も、後悔も……俺が貰い受ける」


「俺はそんな事頼んで無い」


 俺を睨み付け、最大限の抵抗を見せる。


「これは俺のエゴだ……だから気にするな。全部俺が何とかする」


 両手を広げ、騒ぐセイヤを抱き締める。やがて力が抜けて行き、掠れた声で、言葉を紡ぐ。


「……後悔するぞ」


「ああ……それが俺だ。最後まで足掻いて見せるさ────」


 セイヤの体が粒子状に空間に飛び散る。俺の周りをぐるぐると円を描き始める。


「────────ッ!!?」


 ずぶりと突き刺すような痛みが走った。黒い光となり、刺すように背中から入り込む。


 これが負の感情……!? 油断したら、全部持っていかれそうだ!!


「う……おおおおぉぉおーー!!」


 全身の血管が浮き上がり、心拍数が上昇する。張り裂けるような痛みとともに、俺の意識はそこで途絶えた────。

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