吸血鬼1-2
――翌日、ベルカ・テンレンは死ぬほど疲れていた。
人ならざるネフィリム体であるベルカに睡眠は必要ないが、それはそうと一晩中、異形の怪物と霧の中で殴り合い、一匹も逃すまいと気を張っていたら疲れたような気持ちにはなる。
平日なので高校にはしっかり通学したものの、金曜日で週末ということもあり、さっそく、癒やしを求めてイヌイ家を来訪するぐらいに疲れていた。
この一連の行動は、彼女のクラスにおいて「テンレンさんには彼氏がいるらしい」という噂になっているのだが、ベルカは特に否定していない。
第三者に対して否定する理由がないからだ。
そういうところがイヌイ・ナツミ――リョーマの妹に嫌われる理由なのだが、それはさておき。
リョーマの部屋に堂々と上がり込んだベルカは、ぐてーっとローテーブルに突っ伏している。
「リョーマ……わたし、疲れた……超疲れた……日課(夜な夜なスカルマスクとして自警団活動に勤しみ、怪異を殴り倒すこと。もちろん幼馴染みには秘密)をこなしながら資産運用して学生までやってるわたしって超えらくない?」
「何やってるかは聞かないけど、ベルカはすごいやつだと思うぜ。ああ、俺が保障する」
「褒められると照れる」
「図々しいやつだな……」
そう言いつつ、リョーマは視線を宙に泳がせた。
何故ならば目のやり場に困るから。
ベルカ・テンレンは身長一四五センチと小柄ながら、ほっそりとして出ているところは出ている美少女だ。
美しい金髪の少女がローテーブルに突っ伏すと、天板の上にその豊満な乳房も乗ることになって大変なのである。
そして態度が露骨すぎるから、リョーマの視線はすぐ彼女にバレてしまう。
「リョーマ」
「なんだよ」
「おっぱい見んな」
「わざとやってるのかお前!?」
これセクハラだからな、と言いつつ顔を赤くする少年が面白くて、ベルカはニヤニヤと笑うのだった。
◆
イヌイ家を出てすぐ、迎えの車がやってきた。
シエランの運転する車に乗り込むなり、ベルカ・テンレンはずっと考えていたことを口にした。
「……先日のテクノゴーレムの件といい、オムニダイン極東支社が関わってるのはほぼ確定事項かな。元々、地下研究施設が起源って意味じゃ秘密結社も多国籍企業も大して変わらないし――繋がりがあってもおかしくはない」
車内でため息をつくベルカ。
シエランは前を見据えて運転席でハンドルを握ったまま、主の提示する不穏な話題――ソラハラ市に根を張る超巨大企業が、秘密結社の協力者である可能性――を補足した。
「オムニダイン・グループは兵器も取り扱っていますからね。グループ内企業であるダイン・ロボティクス社はテクノゴーレム……歩兵随伴型の製造元ですし、無人戦車型の開発にも協力しています」
テクノゴーレムの始祖の実用化の歴史は、二〇世紀半ばにまでさかのぼる。
当時は演算処理装置や電源が今ほど洗練されておらず、無用な大型化と高コスト化を招いていたものの、一定の成果を実戦であげたことから軍部はこれの開発を続けるよう指示を出した。
そうして高性能化と小型化、用途ごとの多様化を進めた末に、冷戦後の爆発的な進化を経てテクノゴーレム――自律型ロボット兵器の現在がある。
これは陰謀論ではなく、〈連邦〉政府自身が公文書で認めた事実であるが――宣伝戦に敗北し、帰還兵問題を生み出した苦い戦争の最中でさえ、表だってテクノゴーレムを批判できた〈連邦〉のマスメディアはなかった。
何故ならばアレックス・ゴールドスタインという政財界の巨人にして天才科学者が、テクノゴーレムに関するあらゆる報道に目を光らせていたからだ。
航空機がジャングルに枯れ葉剤をまき散らし、ナパーム弾が村落を焼き払い、兵士たちがPTSDに悩まされながら銃撃戦を繰り広げた戦争において、ロボット兵器だけが綺麗なわけがない。
むしろ二〇世紀半ばに実戦投入されたそれらは、現在よりはるかに粗末な敵味方の識別をしており、積極的に虐殺に加担したという証言もある。
そういう事実を握り潰せるだけの権力が、オムニダイン・グループにはある。しかしそれはあくまで、二〇世紀の〈連邦〉国内での話だった。
「オムニダインも〈連邦〉の中じゃ発言力ある方だけど、まさか極東でまで無茶やるとは思えないんだけどね」
「それこそ例のドクター・カインなる人物の影響力なのでは?」
「市街地で重機関銃持ち出すような奴らに良識を期待しても無駄かあ……ハイテクで武装したカルト集団って考え得る最悪の組み合わせだよ」
相手がどの程度のバックアップを得ているか定かではないが、オムニダイン・グループは断じて一企業ではない。彼らが〈シャムロック〉の背後にいるならば、それ相応の組織――どこかの国の諜報組織や軍部――の関与も疑わねばならなかった。
不意に、シエランが言った。
「昨晩、スカルマスクが交戦されたという兵士は、〈帝国〉製の銃器で武装していたそうですね」
「うん、〈共和国〉の強化人間としての見解を聞きたいところかな」
「元、ですよお嬢様。彼らは私を廃棄しましたし、私も祖国を捨てたのですから」
「そうだったね。今のキミはテンレンの使用人だ」
それを誇りに思うがゆえの無言の返答――ベルカ・テンレンとシエランの間にある信頼関係は、互いが国家権力の手によって誕生し、廃棄された強化人間であることと無関係ではない。
「私見ですが〈帝国〉の強化人間は元々、〈連邦〉の技術が流入してくる前から発展していました。生体強化――身体機能や脳神経への手術や投薬という形で、被験者の安全を考慮しない限りにおいては、条件がつきますが」
「そうなるとオリハルコンを利用した虚空子回路技術のノウハウは薄いかな」
「そちらの事情は私も詳しくありません……〈共和国〉の強化人間は少数のエージェントの超人化を目標にしていましたが、〈帝国〉のそれはより多くの兵士の強化を目的にしていたようです」
そういう意味で〈連邦〉と〈共和国〉における超人兵器の運用思想は似ている。諜報機関や軍組織の統制下に置かれる少数精鋭の超人、というコンセプトだ。
少数の政府高官が自由に動かせる強力な手駒――実際に行使するにせよ、抑止力にするにせよ、権力者にとって魅力的な手札である。
だが、〈帝国〉におけるそれは異なるらしい。
戦地において消費される兵士という戦力単位を、より有効に運用するための強化手術。
〈帝国〉の言語を喋っていた敵――ノスフェラトゥもまた、そういった施術の被験者であった可能性がある。
国内外に紛争地帯を抱え、長年、終わらない戦争を続けている〈帝国〉であれば、そういう境遇の兵士たちは事欠かないだろう。
それを秘密結社〈シャムロック〉がリクルートし、組織においてさらなる強化を加えたならば――あの超人から受けたちぐはぐな印象も納得できる。
「消耗品の兵士から組織のモルモット、か……」
その境遇を哀れむべきなのか、ベルカにはわからなかった。
◆
「ホシノさん、怪獣書いてあるノートに霧タイプの怪獣っているか?」
『先輩、いきなりですね?』
ベルカが帰って早々、イヌイ・リョーマはミツキの携帯端末に電話をかけた。怪獣絡みの事件では一蓮托生と決めたばかりだったし、何より、今の彼には手がかりがそれしかなかったからだ。
『えーっとですね、霧タイプ……霧って、あの、もやもやしてるやつですか?』
「ああ、ちょうど今、街中に出てる白いもやもやだ」
『先輩、例の不思議な予知能力ですか……』
ぺらぺらとノートをめくる音がして数十秒、無言の時間が訪れた。
あー、とか、うー、とかうめき声がしたあと、ミツキからぶっちゃけた発言が飛んでくる。
『すいません、すぐにはわかりません……』
「やっぱり条件が難しいかな。情報少ないし」
『いえ、そのぉ……』
うあー、とうめき声。
そして顔が見えない電話越しなのに、真っ赤なミツキの顔が想像できるような声が聞こえてくる。
『字が……字が汚いんです! 特に設定みっちり書いてあるところが読みにくいです!! あ、今はちゃんと綺麗に書けますよ? でも昔のノートだから、その……』
「マジか……」
そうなのだ。
怪獣のイラスト――落書きというには色鉛筆で彩色されてて気合いが入っている――と、ノート一ページにわたって書き綴られた、ひらがな主体で読みにくい怪獣の設定という恐るべき怪文書が相手なのだという。
一体分、読み解くだけでも相応に時間がかかるし、少なめに見積もっても百体弱はある怪獣リストから候補を見つけるのは骨が折れることだろう。
どう考えても面倒だった。
『先輩、どんなイメージを見たんですか? あたしのときは炎が見えたんですよね?』
「ええっとな…………白い霧みたいなものが出てて、音もなく人間が滅びる……みたいな感じの夢だった」
『……それ、イメージ映像ってことないですか? こう、実際はもっとエグめの攻撃で毒ガス怪獣とか』
「毒ガスって……怖いこと言うなあ。でも、そっか。俺の夢に霧が出てきて、今、街に霧が出てるからって、それが主体じゃない可能性もあるのか」
『はい! 特撮じゃ、あとから設定がコロコロ変わるなんてよくあることですよ、先輩!』
明らかに彼の後輩は、怪獣出現の可能性をテレビ番組の中のそれと混同していたが、視点が異なるから存外、目が覚めるような指摘をくれた。
「………この外の霧が毒ガスだったら手遅れだよなあ」
『でも今日一日、学校の行き帰りでなんともなかったですよ?』
今年の春から進学したばかりのミツキは、市内の公立中学校に通っている。自宅からそこそこ距離があるから自転車通学らしいのだが、それだけ長い距離、自転車に乗っていても影響がなかったのなら、少なくとも、劇物の化学兵器ということはないのだろう。
しかし、もしこの霧が何らかの病原体を含んでいたらと思うとぞっとする。
「……っと、確証もなく不安がっても仕方ないな。それじゃ、また何かわかったら連絡するよ。ホシノさんも、何かあったら気軽に連絡してくれ」
『はい! 先輩もお気をつけて!』
心なしか嬉しそうなミツキとの通話を切って、窓の外を見た。
夕暮れ時のオレンジ色の光に染まった、うすぼんやりとした気体が家々の合間を漂っている。
遠くで聞こえるサイレンの音は、例年にない濃霧で交通事故が多発したせいだろう。朝の通勤時間帯と、夕方の退勤時間帯は特にひどいらしい。
自分も通学の際は気をつけねばならないだろう。
――いつまで続くんだろうな、この霧。
結局、丸一日、晴れることがなかったそれを窓ガラス越しに見る少年。
イヌイ・リョーマはまだ、自身が巻き込まれる事件のことを知りもしなかった。




