断章:はじまり
「目は覚めた? リョーマ」
何も思い出せなかった。
自分がどうしてここにいるのか、今まで何をしていたのか、そして――
「悪ぃ、なんか寝てた……」
――どうして目の前の少女が泣いているのか。
わからない。
どうして泣いているのか、尋ねたいのに自分は気が利いた言葉の一つも思いつかなくて。
それどころか指一本動かせない現実に気付いた。
違和感は覚えない。
そうであることが当然だという、奇妙な納得があった。
視界がかすむ。
それでも相手が彼女だとわかったのは、ぼやける景色の中ですら、その黄金の髪を見間違えるはずはないからで。
大きな青い瞳を、自分が忘れるはずがないからだ。
ああ、そうだ――自分が好きなこの名前を、忘れてなるものか。
彼女の名前を呼んだ。
「……ベルカ、泣いてるのか?」
たった一言に、恐ろしく気力を使ってしまう。
どっと疲れた。
何故だろう。
「……リョーマって昔から勘がいいよね。困ってる人とか、すぐ見つけて世話焼くんだから」
彼女の軽口に、途方もない後悔を感じた。
その頬を撫でたいと思った。
お前の嘆く声なんて聞きたくないと軽口を叩きたかった。
でも口から出てきたのは、しょうもない照れ隠しだ。
「……俺の性分だよ。ベルカは……散歩でもしてたのか?」
「……うん……そんなところ、かな」
視界を暗闇が覆っていく。
何も見えない。
それでも。
――ベルカの声が聞こえた。
何もわからない。
なのに、彼女が自分の手を握ってくれていることだけは伝わってきた。
その体温も、指の感触もわからないのに、何故か安心できるのが不思議だった。
「リョーマはさ。人がよすぎて、誰かを頼るのが苦手なんだよ。こんな馬鹿みたいなことせずに、すぐ近くの誰かを頼ってもよかったのに」
返事をするのすらおっくうだった。
優しい音がした。
「ねえ、リョーマ――」
それはずっと聞きたかった言葉。
「――――わたしは、キミが大好きだよ」
だから。
がんばって、がんばって、一言だけ返事をした。
「知ってる」
「そっか……」
泣きそうな彼女の言葉がかえってくる。
深く、深く、どこかへと沈んでいく少年を見送るように――少女の声が響いた。
「おやすみ、リョーマ」
もう、返事はない。
◆
――異界から連れ帰ってこれたのは、結局、亡骸一つだけだった。
とある廃墟の敷地内。
月明かりの下、血まみれの死骸が一つ。
その手を握りしめ、膝をついて泣きじゃくる少女が一人。
その行為に意味などない。
「バカだなあ……キミ、一人っ子なのにさ。おじさまとおばさま、すっごい悲しむじゃん……」
あふれ出す声は止まらなくて。
自身の無力さを呪いながら、黄金の少女は物言わぬ亡骸を撫でた。
重ねて言おう、こんな行為に意味はない。
だが、感傷が少女に愚行を繰り返させていた。
「約束するよ……リョーマ。わたしはキミに誓う……」
そして少女は誓うのだ。
愚かで救われないとわかっていながら、叶いっこない夢を。
「……必ず、人類を守ってみせる」
これはとある悲恋の結末、よくある陳腐な異種恋愛の終焉。
この星の隅々にまで人間が満ちあふれ、情報通信ネットワークの網があらゆる場所に届き、凄まじい速度で資源を食い潰しながら繁殖し殺し合う狂騒が地上に満ちあふれていたころ。
その生態を文明と呼ぶ、人間たち。
彼女はいずれ、その極点として生まれ直す。
――それは遠からぬ未来、打ち砕かれる希望の物語。




