エピローグ(2)
「シエラン、それは本当なの?」
テンレン邸にて。
従者からの報告書を手渡され、主人である少女は驚愕していた。
「はい、お嬢様。ホシノ・ミツキの過去の交友関係を調査した結果、彼女がソラハラ市に引っ越してきた直後、クラスメイトから異界に関わったと思しき痕跡が出ています」
「小学生の錯乱状態に不登校ね……単なる集団ヒステリーによる精神的後遺症って可能性は?」
「その可能性は否定できません。しかし同時期この状態に陥ったのは、当時、他の児童を標的に悪質ないじめを繰り返していたグループだけなのです」
「……いくらなんでも恣意的すぎる、か」
手渡された紙の資料に目を通してる最中、少女の手が止まる。
「……いじめの主犯格と目される女児の一家は、転校から一年後に行方不明になっている?」
「はい。言動がおかしくなった娘の対処で家庭環境は荒れていたそうですので、夜逃げや一家心中を警察から疑われているようです。その後の足取りはつかめていません」
ベルカ・テンレンはため息をついた。
「――決まりだね。おそらくあの娘は、何らかの形で恐怖領域と関わっている」
◆
――あたしは先輩が大好き。
どうすれば、この想いを伝えられるのだろう。
応えてもらおうなどとは思わない――今はまだ。
イヌイ・リョーマとベルカ・テンレンが好き合っているのに、その間に割り込んだって何にもならないことぐらいミツキにもわかる。
けれど、どうしても。
好きという想いまでは誤魔化すことができなかった。
どくん、どくんと心臓が高鳴る。
ああ、そうなのだ。
――この恋を嘘にするなんて、あたしにはできない。
それだけは絶対に嫌。
何よりも、誰よりも、自分は今、この人が欲しくなってしまっている。
そんなの口に出したら、絶対に断られてしまうのだろう。
だから、今は先輩と後輩の関係だけでいい。
「そういえば先輩、前に約束しましたよね」
ホシノ・ミツキはそう言って、涙を拭いながらリョーマの方を見た。
あの炎の怪獣を打ち倒した日、銀の騎士と交わした約束。
それは未だ、果たされてはいない。
「覚えてるよ。歌、聴かせてくれるんだろ?」
よかった、と素直に感じる。
にっこりと微笑んで、ミツキは飲み干した缶ジュースを自販機横のゴミ箱に入れた。動きやすいパーカーにジーンズ、スニーカー姿の少女はとても身軽で動きやすい格好だ。
ああ、これならば今すぐにだって。
「――先輩のために、歌いますね」
海浜公園からは海がよく見える。
どこまでも、どこまでも――水平線の彼方まで続く、青い海原が。
あの日あのとき、お母さんが生きていたころ歌を聴いてもらったときと同じ海の色、空の色。
つい先日まで彩りなく感じられた世界が、今はただ鮮やかで愛おしい。
もう、歌う曲は決まっている。
母が作詞・作曲した歌。
有名なアニメのオープニング・テーマ。
そのリズムも歌詞も、今さら思い出す必要がないぐらい体に馴染んでいる。
くるり、くるり、とステップを踏んで。
ホシノ・ミツキはただ歌う。
――それは高らかに謳い上げられる、恋の歌だった。
◆
――綺麗な歌声だった。
まるで鈴の音を転がすような、高く澄み切った音の連なり。
静かな冬の終わりを嘆きながら、同時に凍えるような冬の終わりを初恋になぞらえた曲。
どこか悲しげなのに弾むような躍動を備えたメロディのバラード。
イヌイ・リョーマは、ただ見惚れていた。
歌いながら、くるり、くるり、とステップを踏むホシノ・ミツキは、この世のものとは思えないほど美しかったからだ。
紫がかった黒髪が揺れて、涙でうるんだ赤い瞳が少年を見ている。
日の光の下で、幽霊みたいに青白い肌の娘が、舞い踊る様子はそれこそ妖精のようで。
――綺麗だと思った。
なのに、どうしてだろうか。
どうしようもなく不吉な予感が背筋を這い上ってくる。
イヌイ・リョーマは幻視する。
積み重なった屍肉の群れ。
燃やされ、千切られ、噛み砕かれ、息絶えた人の血肉。
ありとあらゆる殺戮の限りが尽くされた無人の荒野のその最果て。
――おびただしい死骸の山の上で、楽しげに舞い踊る魔性の娘を。
その美しさは惨たらしさゆえの必然だ。
どろりと淀んだ汚泥に根を張って、花を咲かせる蓮のように。
綺麗な桜の花の下には、死体が埋まっているという都市伝説みたいに。
頭を振って邪念を振り払う。
自分は一体、どうしてしまったのだろう。
こんな風に幻覚を見るのは、ミツキが異界に誘われたあと、その居場所を特定して以来だった。
あのときと同じ公園という状況が、自分をナイーブにしてしまったのだろう。
気を取り直して、ミツキの歌に集中する。
歌はサビの部分が終わって、ちょうど歌い終わる直前だった。
――前にもどこかで聴いたな、これ。
視聴したのはベルカが勧めてきたアニメ作品で、そう、たしか。
曲を気に入ったから定額配信で聞いたりもしたはずだ。
作曲者は――
「――ホシノ・アマネ。あたしのお母さんです」
最後の歌詞を歌い終えたミツキが、ととっとこちらに駆け寄りながらそう言った。
ホシノ・アマネ。
ミツキの母親で、有名な作曲家で作詞家。
こういう話題に疎いリョーマでさえ名前を聞いたことがある。
「ああ、そっか。だから、なのか」
母親に褒められたという思い出の曲。
それはミツキにとってもかけがえのない思い出なのだろう。
綺麗で当然なのだと思えた。
「そうですけど、それだけじゃないですよ」
少年の顔を覗き込むようにして、ホシノ・ミツキはその端正な顔をくしゃっと笑顔にする。
すねるような声音。
「先輩ってこういうときだけ鈍いの、本当にズルいです」
このとき、イヌイ・リョーマはただこう思ったのだ。
あのこぼれるような笑顔を守りたい、と。
――その意味も知らないままに。




