魔性
まったく、衝撃的な事実だった。
しばらく考えた末に、リョーマはいくつかの可能性に思い当たった。
どれが当たっていても嬉しくはない可能性だ。
それを深く思考はしなかったから、まだミツキにも理解はできていまい。
自分がどうすべきか考えた末、答えを決めた。
「なあ、ホシノさん。海浜公園まで二人で行かないか?」
「えっ? せんぱい、ででで、デートですか!? えっどうしよう今日あたし――」
「残念ながら違う。相談事だ」
「…………せんぱいってサイテーですね!!!」
何故か罵倒された。
ぽかぽかとホシノ・ミツキに浅く胸を叩かれつつ、イヌイ・リョーマはソラハラ海浜公園までの道のりを上の空で考えるのだった。
◆
ホシノ・ミツキは上機嫌だった。
何故ならば大好きな先輩と二人きりで公園に出かけることになったからだ。元々は友人であるイヌイ・ナツミの家に遊びに来たはずだったが、まあ今は彼女もハイテクの論文に夢中だし今日はお開きでいいだろう。
マイペースな親友同士の高度な意思疎通の結果、そういうことになった。
かくして二人は自転車をこいで海浜公園に向かった。
交通ルールを平和的に守り一時停止を遵守しての走行だったから、移動時間はそこそこかかったと思う。
いつもならば数分は早く到着できる距離だが、大好きな先輩と一緒ならばその時間すら幸福だった。
そうして二人は海浜公園に到着。
ミツキにとっては母の思い出が残る場所であり、リョーマにとってはミツキとの別離を経験した場所――そこがこの海が見える公園だった。
休日ということもあってか、今日は家族連れが多く見える。
ここはピクニックするにしてもいい場所らしい、と周囲の思考を読んで思う。
以前はこういう一般人の精神は、あまり口にしても美味しいものではなかったが――先輩のおかげで多少、偏食が改善された今のミツキは違う。
こういう平凡な幸福を噛みしめる家族というのも、ぺろぺろと舐めてみると中々美味しいものだ。
もちろんミツキが一番好きなのは、眼前のイヌイ・リョーマの心なのだけれど。
――ああ、先輩って本当に美味しいなあ。
何事かを切り出すべく悩んでいる姿すら、愛おしく美味しいのだからたまらない。
ジュースの自販機の前にたった先輩は、しばらくしてから無難なチョイスをしたようだった。
がこん、と音を立てて出てきたジュースをミツキに渡す先輩――先天的味覚障害のあるミツキにとってはどんな飲料だろうと大差はないのだけれど。
ぷしゅっ、と炭酸ジュースのプルトップを開けて、イヌイ・リョーマは口を開いた。
「ホシノさんの話を聞いて、俺が思い浮かべた推測は大まかに分けて二つだ」
指を一本立てる先輩。
「ひとつめ。恐ろしいものが、ホシノさんの無意識のイメージを読み取って、あのデスマンドラの形を取った」
次に二本の指を立てて、先輩は恐ろしいことを口にした。
「ふたつめ。ホシノ・ミツキの空想が先にあって、そこから怪獣が生まれた」
ミツキはあえて恐ろしい可能性から目をそらし、とぼけるように口を開く。
「…………その二つってどう違うんですか?」
「ああ、まあそうなるよな」
苦笑して、少年は聞きたくもない詳細を語り始めた。
「要するに、これはホシノ・ミツキって超能力者が、どこまで怪獣の根源に関わっているかの問題だ。もしも恐ろしいものがホシノさんのイメージの影響を受けただけなら、同じ状況にならない限り、怪獣が現れることはないと思っていい。だけどホシノさんの空想から怪獣が生まれたなら、そのノートに描いてある怪獣の数だけ、次の化け物が生まれるかもしれない」
はっきりと口に出されると、ミツキは思いのほか、自分が衝撃を受けていることに気付いた。怪獣ノートを見つけたとき、この脳裏をよぎった不吉な予感が当たっていたように錯覚する。
動揺のあまり、絞り出すようにうめいた。
「……全部、あたしのせいだってことですか?」
「いや、全然違う。俺が言いたいのは、これから先、俺たちに襲いかかってくる事件の性質だってことさ」
「……俺たち?」
てっきり糾弾されると思っていたのに、イヌイ・リョーマは当然のようにこう言った。
「当たり前だ。俺はホシノさんを見捨てないし、第一、怪獣を倒せるのは俺だけだろ?」
つまり俺たちは運命共同体ってわけだな、と先輩。
ああ、この人はどうしてこんなにも。
優しすぎるのだろう。
「……先輩のそういうところ、あたし、好きですよ」
「褒められてるのか、これ」
「はい、あたしは大好きです」
微妙な沈黙が下りた。
家族連れが談笑したり、小さな子供が遊具で遊ぶはしゃぎ声が聞こえてくる。
「ま、ありがとな。つまり俺が言いたいのは、これから先、また怪獣やお化けが出てくる事件に、ホシノさんは巻き込まれるかもしれないってことだ。その理由は、あのカインってやつが言ってたように――君に特別な力があるからなのかもしれない」
理不尽だよな、と言い置いて。
イヌイ・リョーマは深々とため息をついた。
葛藤。苦悩。ためらい。
それを口にすべき散々迷ったという思念を放ったあと、やはり深呼吸して、ミツキの先輩は口を開く。
「あのとき、ホシノさんは人を殺したかもしれないって言ってたよな」
二度目の爆弾は、最もミツキが触れて欲しくないところだった。
今にして思えば、あの異界に拉致されたとき――やけっぱちになっていたとはいえ、先輩にはあんなこと、言うべきではなかったのだ。
下手くそな演技でもして誤魔化せばよかったのに。
「……先輩は、どうして今、そんな話をするんですか? あたしのことを、怪物だと思ってる……わけじゃないんですね」
心を読めば、すぐにそうではないことが伝わってきた。
純粋に彼女の身を案じるリョーマの優しい味が、じゅわっとミツキの精神を舐める舌の上に広がる。
「俺は臆病なんだ。もしそうだったら、一対一で話すなんて無理だよ」
そう言っておどける先輩には、本当に怯えの色がなくて。
「正直、俺には本当に超能力があるかどうかなんてわからない。もしかしたら、たまたまタイミングよく、ホシノ・ミツキが偶然、そういう事件が起きるところに居合わせてるだけの可能性もゼロじゃないって思ってる」
「……本気で言ってます?」
「怪獣や変身ヒーローは本当にいるのに、ご都合主義の奇跡だけ信じないなんてどうかしてるだろ?」
「嘘です」
「ああ、詭弁だよな。でも必要な嘘だと、俺は思う」
たぶん世の中は、そういう嘘がいっぱいあるんだよと言って。
リョーマ先輩は困ったように目を閉じた。
「ホシノさん。人を殺しちゃいけないのは、それが当たり前になったら真っ当に生きられなくなるからだ。これから先、ホシノさんがまた危ない目に遭うとしても、できるだけ超えない方がいい一線はある、と俺は思う」
そして少女の先輩は、あまりにも愚かしい願いを口にするのだ。
「約束してくれ。これからは――死んでしまえばいいなんて簡単に祈らないって」
もっともらしいようでいて、あまり機転が利く方ではないミツキにさえ、論理の穴がすぐ見つけられるような物言いだった。
ホシノ・ミツキはデートだと浮かれていたときの熱が、嘘みたいに失せた顔に、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「それ、あたしが危ない目に遭ってもいいってことですか? また殺されそうになっても、心の中で相手を呪うことすらしちゃダメなんですか?」
「そうなるよな。うん、俺もめちゃくちゃなこと言ってる自覚はある。でも、それでも――」
語られたのは、あまりにも愚直な言葉。
イヌイ・リョーマという人間の善性そのもの。
「――俺は、ホシノ・ミツキにいい人になってほしいんだ」
ああ、なんてこの人は愚かなんだろう、と思う。
これから先、ホシノ・ミツキに降りかかる厄災がどんなにおぞましいものになるのか、十分に想定して想像して危惧しているくせに。
誰よりも彼女の身を案じていながら、誰よりも無茶な要求をしている自覚がある。
そのくせイヌイ・リョーマは、精一杯の強がりの笑顔を浮かべた。
「……俺は味方だ、安心してくれ」
それを疑ったことなんて、一度もないのに。
ああ、ああ。
「せんぱいって、本当に――美味しい人ですね」
ホシノ・ミツキはただ、涙を浮かべて微笑んだ。




