怪獣ノート
「あの怪獣がイハミノカミってことですか?」
ミツキの問いかけは端的なものだったが、それだけにリョーマとしては断言を避けざるを得ないものだった。
ローテーブルを挟んでミツキと向き合う少年は、居心地の悪さを誤魔化すように脚を組み直した。
「いや、そうとは言い切れない。あの化け物が怪獣――ホシノさんがデスマンドラって名付けた姿になったのは、最初のドロドロしたよくわからない形態のあとだった。あの姿そのものが後天的な影響を受けた結果かもな」
「よくわからないです」
「ん、あー、つまりさ」
リョーマは自室のカラーボックスから白紙のノートを取り出すと、ペン立てからシャープペンシルを掴んで図を書き始めた。
まず最初に書くのは「イハミノカミ」と題されたよくわからない何かの落書きだ。
「……わざわざ生命を食べる神、なんて表現されるイハミノカミは、それだけ恐ろしい神様だったんだと思う。そして俺たちが出会った怪物たちは、みんな俺たちを食べるか殺そうとしてきた。つまり、蜘蛛女もクジャク様もデスマンドラも――そういう恐ろしいものの一部なんじゃないか?」
ドロドログチャグチャしたよくわからないものをさっと描いたあと、矢印を引いて怪獣や妖怪の落書きに繋げる。
「えっと、怪物全部をまとめてイハミノカミって呼んでる、ってことですか?」
「断言はできないけど、俺はそう考えている。あのでっかい怪獣が昔から出没していたなら、絶対、何かしらの伝承の痕跡は残るはずなんだ」
住人が全滅していない限りは、と条件はつくが。
事実、飢餓や疫病で中世から近世にかけて住人が死に絶えたような地域では、地元の歴史や伝承すら伝えられていないことがままある。
しかしこのパターンは、空原地方では考慮しなくていいだろう。
イハミノカミの信仰そのものは途絶えていないことから、何らかの形で住人は生き残り、神への畏怖を継承してきたと考えられる。
「……あたしたちが出会ったお化けも怪獣も、昔から、そこにあったんじゃなくて、恐ろしいものの一部として最近生まれた?」
「証拠はないから全部想像だよ。オカルト懐疑論者としちゃ失格だ」
でも俺はひとまずそう考えているよ、と告げるリョーマ。
ホシノ・ミツキはしばらく黙り込んだあと、彼女にしかわからない何らかの熟考を経て、唐突に――たとえどんな前振りがあったとしても、リョーマの反応は変わらなかったろうが――切り出した。
「先輩はどうして、オカルトに執着してるんですか?」
そう問われた瞬間、リョーマの頭をよぎったのは自身の怒りの原風景だった。
たとえようもない理不尽――よく遊んでくれた双子の従姉妹、その片割れの失踪――千切れた右腕だけが帰ってきた骸のない葬儀。
理由も行方も、何もかもがわからないまま、ただあるべき日常だけが失われた。
そのすべての追憶をミツキに読み取られたと悟ったとき、リョーマの脳裏をよぎったのは冷たい納得だった。
「――誘導尋問とは趣味が悪いな」
おそらくこの情報を引き出すためだけに、不意打ちで質問してきたのだ。
ミツキはリョーマが考えているよりずっと狡猾で頭がいい子だった。
「ごめんなさい。でも、ようやく先輩のことが少しわかりました」
そう言って申し訳なさそうに眉を歪ませるミツキが、本当のところどの程度、そう思っているのかはわからない。だから感情的な問題を捨て置くとリョーマは決めた。
今はむしろ、何故そうしたのかが知りたい。
彼の内心の問いに答えるように、ミツキは口を開いた。
「スカルマスクが話してくれたんです。お母さんが死んだのは事故なんかじゃなかった――怪物の手で殺されたんだって」
「……なんだって?」
初耳だった。
普通なら眉唾だ。
しかし、その情報の出所が件の怪人――スカルマスクというのが、かえって信憑性を高めている。
二人にとっては何度も命を救ってくれた相手だし、何より、彼あるいは彼女はこの手の怪奇事件に手慣れているようだった。
それはおそらく、ずっと前からスカルマスクが怪異と関わっているからなのだろう。
「先輩の従姉妹のお姉さんがいなくなったのも、そういう普通じゃないものが関係してるんじゃないですか? 先輩だって、そう思ったからオカルトを疑っているのにオカルトに執着しているんですよね?」
ミツキの問いかけはその実、リョーマの頭の中を言語化したように正確だった。
誤りがほとんどないから、少年は土足で心の中に入られたと怒るより先に感心してしまう。
「…………まるで自分の頭の中、ノートに書き取ったみたいだな」
すーっと深呼吸。
どうして今、ホシノ・ミツキがこんなことをしてきたのか考えて。
すぐに気付いた。
「ホシノさん、もしかして」
「あたしは、お母さんがどうして殺されたのか知りたいです。先輩、あたしと一緒に――この街の不思議な事件のこと、調べてくれませんか?」
想像通りの申し出だった。
良心に従って渋い顔をする。
「そうは言ってもな……ホシノさんに何ができる?」
「今、先輩にやったようなこと……ゆーどーじんもん? できますよ、あたし」
「参った、マジで便利すぎる……」
身を以てその威力を知っているだけに反論しづらすぎた。
「だけど、めちゃくちゃ危ないぜ、これ。蜘蛛女にクジャク様にあの怪獣……俺たちはもう三回、化け物に出会って殺されかけてる。これ以上、首を突っ込んだらどうなるかわからない」
「それ、カインとかいう変なおじさんに命狙われてたあたしに言います?」
「…………今さら過ぎるってことか」
そもそも二人はなんとか生還したものの、あの怪人――ドクターカインなる不審者が、再び襲撃してこない保証は特にないのだ。
ミツキをさらっていった呼び声――赤い空の異界への誘いとて、これから先、もう起きないという保証は特にない。
これまで目を背けてきた現実の何も解決していない実態を考えて、リョーマはとてもしんどい気持ちになった。どう考えても手に余るが、かといって警察や両親に相談してどうにかなる話でもない。
頼れる幼馴染みのベルカとて同じである。
すると現状、再び怪奇事件に巻き込まれたとき、ミツキの助けになれるのは――
「――シルバーナイトだけか」
「そういうことになりますね」
「………とりあえず、今は保留にさせてほしい。何かわかったら最速でホシノさんに連絡する。それでいいかな?」
「はい! 先輩、よろしくお願いしますね!」
すでにミツキの脳内では、そういうことになったらしい。
まあ今後どうするかは追々決めていけばいい。
そうリョーマが胸をなで下ろした瞬間、これまた不意打ち気味にホシノ・ミツキが切り出した。
「そういえばですね、先輩。さっそくなんですが、怪獣のことで新事実が!」
「えっ?」
ミツキは私物のリュックサックを開けると、中から一冊のノートを取り出した。
何の変哲もないA4の大学ノートは、やたらと分厚くて表紙が古びていた。端っこもすり切れていて、何年も前に使われたであろう歴史を感じる一冊だ。
マジックペンで書かれたタイトルは「かいじゅうノート」。
几帳面そうな文字は、おそらくミツキではなく母親が書いたのだろう。
そのページをぱらりとめくって、ミツキはとある見開きをリョーマに見せてきた。
「これです」
そこにあったのは、子供らしい落書きだった。
猿のような蜥蜴のような顔、蛇のような長い首、人のような直立二足歩行。
あの日あのとき、二人が対峙した異形そのもの。
――かえんかいじゅうデスマンドラ
でかでかと色鉛筆で題されたのは、妙に上手い怪獣のイラストだった。
ミツキは大真面目な顔でこう言った。
「――予言の書でしょうか」
ちょっと待ってくれ。
絶句しているリョーマを横目に、パラパラとノートをめくって紫髪の少女は無慈悲な現実を告げた。
「小学校入る前ぐらいのやつです……たぶん一〇〇体ぐらいは描いてあります……おっきくて分厚いノート買ってもらったので」
勘弁して欲しい。
リョーマは宙を仰ぎ見た。
いつも通りの天井しか見えなかった。




