虚ろの巫女
気付くと、不可思議な空間にいた。
天空に浮かぶ廃墟の城、燃え上がる星を見下ろす虚空の玉座。
黄金の焔に包み込まれた黄昏の景色を眼下においた、宙に浮かぶ城のど真ん中に座す黒い巨人――見覚えのある姿を見た瞬間、思わずリョーマは叫んだ。
「また死んだのか俺!?」
「落ち着けよ。死んでない、死んでない」
相変わらず、こいつはめちゃくちゃ馴れ馴れしかった。
巨人サイズの玉座に座ったまま、巨影は人間くさく掌をひらひらと振って落ち着けと促してくる。
「まるで私が君が死ぬの出待ちしてるろくでなしみたいだろ、人聞き悪いなあ」
「…………そうだな」
「今の沈黙はなんだよ、ひどくないか!?」
例の巨人――たしか自称ザドナシュカは、相変わらず鬱陶しかった。
リョーマは床が平らことを確認すると、どっかりとあぐらを掻いて座り込む。
立ち話をしても仕方がないと思えたからだ。
「ハッハッハッハ、君が生きてるってだけでも面白いな! ありがとう人類……この星に生まれてきてくれて……」
「スケールでかいな、六〇〇万年分くらいの感謝込めてくれよ」
「霊長類を人類カウントするのはちょっと抵抗あるなあ……」
ちょっとした雑談のつもりだったが、どうやら相手は人類の祖先の進化の歴史にも詳しいらしい。イヌイ・リョーマは密かにザドナシュカの脳内評価を修正する――サブカルチャーかぶれの超越者などという、オタク向けのアニメでよくいるだけの存在ではないらしい。
リョーマ自身はあまりそういうアニメを見る方ではないが、学校の友人や可愛い妹の話題に合わせるため、いくつかはかじっていた。
「そういえば君、どうして銀の騎士に変身しないのさ? せっかくあんな便利な超人パワーを手に入れたんだ、いろいろ試してみなよ」
「……そこまで見てたのか」
「当然、最高に格好良かったよ――女の子を助けるため正義の味方を名乗るなんて誰にでもできることじゃないよ」
「うおわあああ!?」
一気に羞恥心が湧き上がる言い方をされて、リョーマは悶絶した。
なんやかんや思春期である。
照れくさいと思うこともあれば、気恥ずかしいことだっていっぱいある。
そしてイヌイ・リョーマは今、恥ずかしい気持ちで死にそうになっていた。
息も絶え絶えに、せめてもの抵抗を試みた。
「……お、俺はヒーロー映画に出てくるお人好しじゃないぞ。むやみやたらと力を受かって調子に乗ったりはしない……!」
「君ってヒーロー映画のアンチか? もっと素直になれよ……軽率に万能感に浸って大惨事になれ……ヒーローなんてそんなもんでいいんだよ……失敗から学べ! ちょっと大切な人が死んだりするかもだけど!!」
「悪いところ真似する必要あるか!?」
「失敗を恐れる今どきの青少年が!!」
何故か最悪な人生の悲劇を強要された上で罵倒された。
控えめに言って、この黒い巨人は最低だった。
あー、とうめき声がもれる。
「……親友……みたいなやつが熱心なヒーロー映画アンチだったの思い出した」
「嫌うだけならともかく……特定ジャンルのアンチってちょっと精神状態が大丈夫? カウンセリングとか必要じゃない? 現実のストレスをフィクションへの憎しみに転化してるのは不健康だぜ?」
「そのなりで生々しいこと言うのやめろよ……」
このザドナシュカとかいう巨人、幻想的で非現実的な彫刻じみた造形のくせに、いざ喋り始めると俗物一〇〇パーセントの物言いしかしない。
とにかく、誰がなんと言おうと、リョーマにも言い分があるのだ。
「日常っていうのは夢だ。何かあれば簡単に失われる繰り返しなんだよ。自分からそれを捨てに行けるほど、俺は勇気ある人間じゃない」
フィクションに出てくるヒーローは、根本的に勇気ある人間だ。それが無謀や軽率と責められることはあれど、たしかに行動するための意思が彼らにはある。
その点、イヌイ・リョーマは臆病なのだ。
今ここにある日常が、理不尽によって突然失われるという現実の不条理さを知っている。それを思うと自分から非日常に飛び込むような勇気を、自分は持てないのだ。
だが、その様子がザドナシュカには大ウケしたらしい。
巨人は愉快そうに馬鹿笑いを始めた。
「ああ、そんなにも物わかりがいいからこそ! 君は決して運命から逃げられはしないんだ!!」
「どういう意味だ」
「言葉の通りさ、シルバーナイト。君はやがて失われる日常のため、あらゆる悪と戦う終末の騎士になるだろう。君はその信念ゆえに――」
笑う。
祝うように、嘲るように。
黒の巨人はリョーマを見て嗤っている。
「――正義の味方になるんだよ」
なんだそれ、と問いかける暇もなかった。
パチン、と指を鳴らす音。
暗転する視界の中、ただザドナシュカの身勝手な言葉だけが聞こえた。
「私の都合でね。君はこの夢から醒めたら私の名前を思い出せない。まあ、それもこれも君が〈マインドイーター〉なんぞと親交を深めなければよかったんだけどなァ」
夢が、終わる。
◆
自室でうとうとするのは初めてではなかった。しかし起きがけに妹の友達が自分の顔を覗き込んでいる状況というのは中々に稀だった。
病的なほどに青白い肌、ぱっちりとした眼に長いまつげ、紫がかった艶やかな黒髪――どこかこの世のものではないかのような美しい少女。
ホシノ・ミツキはそういう娘だった。
「先輩、そんなに褒められると……照れます」
そして無断で人の心を読む、壊滅的にデリカシーがない超能力者の後輩であった。
「ひどい!!!」
頬を染めながら憤慨するという器用な真似をする少女を横目に、リョーマはうんと背伸びした。
そしてあまりにも自然なので違和感を覚えるのに五秒ほどかかったあと、ここが自分の部屋であり、ホシノ・ミツキがちょこんとローテーブルの横にいるのがおかしいと気付いた。
「…………ちょっと待って、なんで俺の部屋にいるんだ?」
「先輩、二階に上がったじゃないですか。そのあとナツミちゃんが入っていいって言うので、つい……」
「あいつ自分で呼んだ友達放置してるのか!?」
「なんかエーテル人工知能? のすごい論文が出てきたとかで……今、すっごい笑顔で読んでますけど」
「……ごめんな、ああいうやつなんだ」
リョーマの妹、イヌイ・ナツミはおそらく天与の才の持ち主である。ひいき目に見ても、先端科学技術に関する知見はそこらの研究者顔負けである。
つまり一般人のリョーマには何を言っているかさっぱりわからない。
同じく天才であるベルカ・テンレンの紹介で世話を焼いてもらっているが、ハイテクの話になると眼がないのが我が妹の欠点であった。
「いえ、いえ! 先輩って寝顔も素敵でしたし、あたしとしてはむしろナツミちゃんに感謝です!」
そう言ってホシノ・ミツキは心底嬉しそうに笑った。
目が本気だった。
そこでふっと思い出したのは、今日の雑談で自然に飛び出して、ナツミはほぼスルーしていた不可思議な話題であった。
ホシノ・ミツキは超能力者である――人の心が読める彼女は、その秘密をほぼ誰にも明かさず、これまで生きてきたのだという。
「そういえば……よかったのか、ナツミに心が読めること教えちゃって」
「はい。あたしもちょっと、前向きになれたんです。一番の友達にぐらい、秘密を教えても大丈夫かなって」
「……ミツキは強いな」
シルバーナイト――銀色の超人になれることを、幼馴染みにも隠している自分とは大違いだなと思う。
次の瞬間、気色ばんでミツキが叫んだ。
「そんなことないですっ!」
「うおわ!?」
他人の心を読める人間がそれを隠さずに会話すると、ほぼ内心で思った瞬間に返答が飛んでくるようになる。今のホシノ・ミツキは、イヌイ兄妹の前ではそういう余人には意味不明な会話を繰り広げるようになっていた。
「そりゃあ、日頃から人助けするヒーローもいいですけど……先輩は悪い怪獣をやっつけるヒーローなんだからそれでいいじゃないですか!」
「ん、んん?」
話の雲行きが怪しくなってきた。
「いや、ホシノさん。俺が思うに、ヒーローっていうのは自分の力で積極的人助けするいい人なんじゃないか? スカルマスクみたいに。その点で俺は――」
「スカルマスクはきっと〈連邦〉生まれのヒーローだと思います、あんな露骨に不吉な見た目でやることが人助けって絶対変です! 国産ヒーローならもっと復讐とかやる感じの見た目です!」
「ホシノさん、落ち着け。どう考えても空想と現実が曖昧になってる」
ホシノ・ミツキは特撮オタクであり怪獣オタクでありヒーローオタクなのだ。
当然、リョーマには理解しがたい信念を持っていたりする。
これは幼馴染みの受け売りになるが――対象年齢のユーザー層に受ける作品作りが目的のフィクションでは、硬派な見た目の主人公には相応にハードな物語が求められたりする。逆に子供受けを狙うなら、ポップで明るい話運びやデザインが求められる。
ミツキが言っているのは、そういう作風のコントロールのことなのだろうが――もちろん、それはフィクションの話であって、リョーマが直面している現実のことではない。
「世間的には……スカルマスクって、夜道で襲われそうな人を助けたりしてるって都市伝説の怪人なんだよな。俺たちの場合は、本物の妖怪というかお化けから助けてもらったけど……」
「あ、そうそう。スカルマスク、あのあと、あたしの家に来ましたよ」
「はぁ!? 大丈夫だったのか、ホシノさん」
「すごくいい人でした! 心が読めなかったですけど、たぶん普段から気を遣ってるタイプです!」
どうやら彼の可愛い後輩の住所を突き止める能力も、件の怪人にはあるらしい。
要注意人物だな、とリョーマは心のノートに書き留める。
そして連想ゲームで、あのとき――初めてリョーマがシルバーナイトに変身した日、彼女が直面した出来事を考える。
――燃え盛るお堂。
――火に包まれて燃えていく死骸。
――自分が死ねと命じたのだとうそぶく少女。
目を閉じた。
リョーマの考えていること、連想したことはどうせ隠すまでもなくミツキに伝わる。ならば何を考えて伝えるかだけ、自分は意識すればいい。
「……先輩?」
何故、今そんなことを考えているのか。
そのような疑問を含んだミツキの呼び掛けに、リョーマは意を決した。
「あのときのこと、覚えてるか?」
「もちろんです。忘れられるはず、ないです」
だよな、と言い置いて。
「あのとき、あそこで何が起きていたのか……俺なりに調べてみたんだ。知り合い……俺の従姉妹のツキシマ・センリって人からいろいろ資料をもらってさ。聞いてくれるか?」
沈黙。
ミツキは目を閉じたあと、すうっと深呼吸して――
「聞かせてください、先輩があたしのためにしてくれたことですから」
にこっと笑った。
それは無邪気で、無垢で、あの死に彩られた悪夢を経たとは思えないほどに綺麗な笑顔だった。
どうしてか、その美しさに畏怖を感じながら。
イヌイ・リョーマはただ語る。
「イハミノカミ――それが、空原地方に昔から伝わる信仰対象の名前なんだ。あのカインってやつも名前は言ってたと思う」
「うーん、やっぱり聞き覚えないですね……どんな神様なんですか?」
「一言で言うなら、人身御供……つまり人間の生け贄を求める山の神様、かな」
「え、めっちゃ怖い神様ですね!? あー……あたしがさらわれたのって……」
「……ええっと」
かなり衝撃的で猟奇色が強い内容だけに、リョーマは言いよどんだが、内容を連想した時点で手遅れだった。果たして被害者その人に伝えるべきか、迷うような内容である。
精神的外傷を負っていても不思議ではない体験をしたのだ。
しかしホシノ・ミツキは、あっけらかんと答えを口にした。
「巫女の手足を切って目と鼻と耳を潰して、神様への捧げ物にする――なんかもう残酷すぎて逆に怖くないですね。これグロテスクすぎません?」
――まるで最初から知っていたみたいに。
「ホシノさん、平気なのか?」
「先輩、ホラー漫画とか読まないんですか? よくありますよ?」
「マジか」
たぶんミツキの摂取しているホラーは絶対偏っている。
しかしそれを指摘しても建設的な話題にはならないので、リョーマはぐっと堪えた。そして本題に入ることを決意した。
「この地方では、今は廃れているけれど、中世までは残酷で理不尽な神様が信仰されていたんだ。西の方から新しい宗教が入ってきたり、時代が変わったりして、だんだんと生け贄をやらなくなって廃れていった」
空原地方における土着信仰は、明らかに近隣地域のそれとは異なる。
いわゆるまつろわぬ民、古代人のより古い信仰の生き残りや末裔とみるにしても、他の地域で痕跡が見られるそれとは共通項がなさ過ぎるのだ。
他の地域ではとうの昔に淘汰されたものが、偶然、空原地方では生き残っていたのか。
それとも、この土地に根付く理不尽な何かが存在しているのか。
この世ならざる異界を知ったリョーマには、もう断言することができない。
ただ、わかっているのは――
「――生命を食べる神。たぶんその信仰は、あの赤い空の世界や、怪獣とも関わりがあるんじゃないか?」




