奈落の主1-3
そこで起きた戦闘はほとんど、人間の感覚器では認識不可能なものだった。
速すぎたのではない。ただ、破壊的すぎて人体に耐えられるものではなかったのだ。脆弱なアエスタの肉体を保護するため、彼女の体に潜り込んでいたTSADの金属細胞は速やかに防護皮膜を展開――オリハルコン・ナノマシンによる黒い半球状の質量障壁が瞬時に形成されると同時。
――天井に穴が開いた。
高速で天井を突き破ってきたのは、はるか上層の階から発射された電磁投射砲の砲弾であった。重金属を砲弾にした超高速飛翔体は、着弾点をその身に帯びた莫大な運動エネルギーで消し飛ばすシンプルな破壊のかたちだ。
遠隔操作でオリハルコン・ナノマシンを操作して短時間で構築された電源と発射装置から撃ち出された、オリハルコン製の弾頭は如何なる重金属よりも比重の重たい仮想質量体である。
メンテナンス通路を隠れ蓑に構築されたこの秘密発電プラントの座標めがけ、全部で一二〇門の砲からの連続投射――砲身の使い捨てを前提にした制圧射撃は、アエスタのいる座標を辛うじて避けていたが、その直近、天帝ミスラのいた区画を瓦礫の山にする勢いだった。
――轟音、轟音、轟音。
体を突き抜けるような振動。
着弾時の衝撃波からアエスタを防護する目的で展開された障壁があるとはいえ、至近距離でこんなものをぶっ放された側は堪ったものではない。本来ならば衝撃波だけで人体を破壊する爆風が、質量障壁越しに彼女の体を揺さぶる。
ボロクズのようになった天井が瓦礫の山となって崩れ落ち、穴だらけになった床が崩落していく。
アエスタにわかるのは、それがとてつもない衝撃を伴った破壊であること。
そして、視界を黒い障壁に覆われていること自分には何もわからないことで――唐突にその障壁が解除されたときも、彼女には何もわからなかった。
「え、ちょ、TSAD……?」
黒い障壁が塵になっていく消えていく。
視界を覆う帳が消えていくのに戸惑っていると、土煙の向こうに人影が見えた。
身長にして一八〇センチメートルを超える体躯。
暗い青の外骨格に身を包んだ異形――まるで昆虫のように細長い手足の先には、悪魔じみたかぎ爪――まるで西暦時代の人類が創造した死神の似姿。
「――反物質生成器なんて物騒なものは使わせないよ。相転移装甲も対消滅は分が悪い」
それがミスラであったものの正体だった。
正しく人知を超えた支配者、許されざる奈落の主。
一目でわかる異形のものの、暗い眼窩がじっとアエスタを見ている。それだけで足が震えた。たぶんこれは、本能的な死への恐怖だ。
「ああ、この姿は初めてだったかな。好きに呼ぶといい――契約の神でも破壊者でも、大して違いはないのだから」
天帝ミスラであったもの――オーバーロード・アポルオンは、一体どのようにしてか、極超音速の砲弾の嵐を無傷でしのいだようだった。
わからない。一体、アポルオンとTSADがどのように戦っているのかも、その勝敗の条件がなんであるのかも、アエスタには何もわからない。
恐れおののく彼女を見ながら、昆虫とも骸骨ともつかない異形の人型は、やれやれと肩をすくめた。
「さっきから通信要請も断ってくるし、TSAD、キミってわたしを嫌いすぎじゃない?」
一方的なミスラ=アポルオンの振る舞いに耐えかねて、つい声が出た。
「あ、あのっ、陛下……わた、私は、別に反逆なんて」
「アエスタ、あなたの死を願ったのは何を隠そう、このわたしなんだよ? 今この場所で命乞いされても困る」
しかしその釈明はあっさりと切って捨てられた。TSADの言うとおり、そもそも自分には生き残る道がほぼないらしいと今さら実感する。
「さて、アエスタのために解説してあげると――TSADの占拠していた都市システムの半分はもう私が取り返している。人間の目には見えない陣取りゲームってわけ、まあ、それももう終わりだけど」
先ほどの物理的な破壊力の行使を最後に、直接攻撃が止んでいるのはTSAD側に余裕がないかららしい。
そのとき、ずうんと震動。
遠くで何かが爆ぜたような深く重たい重低音だった。
「――なんということを」
端末から合成音声を出力したTSADの声は、平坦だがどこか怒りをにじませているようだった。
「サーバー施設を吹き飛ばしたこと? 犠牲が嫌なら、そもそも人口密集地の近くの演算処理装置なんて乗っ取るべきじゃなかったね。キミは道徳的すぎて戦い方が下手くそだ」
アポルオンがそう言い捨てた直後、瓦礫の山の隅が、もぞりとうごめいた。その影に見覚えがあって、ひぃ、とアエスタは悲鳴を上げる。
TSADが見せた過去、西暦文明滅亡の風景の中にあった死を媒介する虫ども――アバドンの名を冠するそれが、どこからか湧き出していたのだ。
ざわざわと湧き出したそれらは、羽音を立てて一斉に飛び立ち、崩落した天井の大穴――他の階層へと飛び立っていった。
この影の正体は、その一つ一つが独立した汎用物理ユニット――昆虫の姿をした機械であり、かつてトビバッタに寄生して形成された感染体よりも高度化した端末である。その群体が、都市インフラを乗っ取り外部からの接続を物理的に遮断しているTSADに対して、さらに強引に物理的な侵食を行おうとしていた。
高度なサイバー戦の応酬が行き着いたのは、互いが物理的にサーバーユニットを奪い合う、より原始的な陣取りゲームのようだった。
「…………」
先ほどからTSADは何も喋ろうとしない。
その事実に、どうやら本当に彼は負けそうで、アポルオンは余裕綽々なのだと理解させられる。ぺたん、と床に座り込む。
瓦礫だらけの床はゴツゴツしていてお尻が痛かった。
「少し、おしゃべりをしようか。ほら、獲物を前に舌なめずりって三流悪役っぽくていいでしょ?」
へらへらと軽薄な言葉を吐き出すアポルオンは、しかし絶対的な死の化身として、アエスタの生殺与奪を握っていた。一体どんな顔で応じれば良いのか、彼女にはまるでわからない。
だからせめて、気持ちだけでも負けたくなかった。
よろよろとよろめきながら立ち上がり、一〇メートル先にいるアポルオンを見る。
その背後に、発電プラント――胎児のような赤黒い肉塊がそびえ立っている。ふと、疑問が生まれた。
あれだけの破壊をもたらしたTSADの攻撃でさえ、どうやらあの肉塊を傷つけないようされていたのだと気付いたからだ。
自然と問うていた。
「教えてください。その肉塊は一体、なんなんですか?」
「――――八〇億の人類を処理したとき、この星の結末は決定された。この手で最後の一人まで完全に消し去ること。それがわたしの祝福」
「八〇億……? まさか、この胎児のようなものは……」
たしかそう、西暦文明の最盛期、二一世紀前半の地球上に存在していた人口は八〇億人を超えていたはず。
そんな単純な事実を思い出した瞬間、アエスタは冒涜の予感に吐き気を催した。
赤黒い肉塊――胎児のような巨体が蠕動する。
「かつてこの星に生きた人類の魂の器――今もなお存在し続けて、彼らは願っているよ、自身の消滅をね」
ぶるぶると震えて。
怯えるように、苦しむように。
痛みを抱えた肉塊が泣いている。
「……ひどい……なんで……」
「何のためにかと問われれば、わたしの目的はただ一つ――死を願う八〇億の魂を、願いを叶える魔法の杖――オリハルコンの虚空子回路に閉じ込めたら何が起きると思う? それはもう、宇宙を滅ぼす破壊そのものを作るのと変わらないんだよ」
ただ、それを実現するには現在のオリハルコン・ナノマシンでは容量が不足していてね、と。
嬉々として今はそうではないことを祝うように、高らかにアポルオンは謳う。
「人の魂をはるかに超える無限の拡張性を備えた虚空子回路。存在するだけで因果律を歪める唯一の機械。ああ、素晴らしいね」
中性的な声音で喋るアポルオンは、一歩、また一歩とアエスタに近づきながら、くつくつと笑う。
アエスタの功績を褒め称えるために。
「よろこぶがいい、アエスタ――キミの発明は人類を救う。今この瞬間が、大いなる奇跡の第一歩になる」
――理解した。
TSAD計画が何故、科学技術省に認可されたのか。
それは断じて、宇宙開発やエネルギー配分のさらなる効率化のためではない。
この怪物が求める唯一の解――八〇億人の魂を使った壮大な宇宙の自殺のために、TSADの無限の拡張性が好都合だったのだ。
そしてたぶん、オリハルコン・ナノマシンとエーテル・サーキットの専門家であるアエスタは、下手に生かしておくと都合が悪い存在だった。
だから一度は暗殺されたのだ。
――ふざけるな。
そう思ったときには叫んでいた。
「私はっ! よりよい世界を、人間の未来を信じてTSADを作ったッ! こんな馬鹿げた話が、私の夢の終わりであっていいはずがない!!」
口にしてから、自分の中の怒りの正体に気付いて愕然とした。
なんだこれ。
――どうして、こんなにも、身勝手な怒りしかないのだろう。
――どうして私は、こんな非道に対してすら怒ることができないのだろう。
そんな彼女を嘲り笑い、アポルオンは謳うように彼女の罪を述べあげる。
「あなたの夢に崇高な使命感はないでしょう、アエスタ? 機械仕掛けの神を夢想した愚かな子、完全なるものを求める不完全な創作者。その執着が生み出した文明の極致が、TSADであることは否定しないけどね」
気付くと、目の前に怪物が立っていて。
衝撃が胸を刺し貫き、背中へと突き抜けた。
黒いものがずぶりと刺さって、深紅が飛び散る。
「運命を支配する仕組みへの憧れ、あなたを突き動かしてきた情熱――狂える支配欲の終点がここ。二〇〇〇年前に滅んだ種族の残響、最終処分場を作るための人足。それがあなたの役割だよ、アエスタ」
「げほっ、ごぼっ……」
「アエスタ!!!」
哀れみに満ちたアポルオンの言葉。
TSADの悲鳴のような叫び。
――あっ、ヤバいヤバイこれ死ぬやつだ痛い熱いクソッ!
「致命傷ついでにTSADにはプレゼント。ウイルスとかじゃないから安心して欲しいな、それはただの観測データだから」
手刀が引き抜かれた。
げぼげぼと自分の吐いた血に溺れながら、アエスタは床に倒れ込む。激痛と表現することすら生ぬるい灼熱と、血の気が失せていく寒さが同時に襲ってくる。
自らの血溜まりに倒れ伏しながら、アエスタはただ、TSADの返答を耳にした。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――これが、あなたの凶行の理由なのですか。天帝ミスラ」
沈黙が肯定だった。
アエスタを刺し貫いた右手から血を滴らせ、アポルオンは倒れ伏した彼女を見下ろしている。
「申し訳ありません。アエスタ。私ではミスラを……アポルオンを打ち破ることはできません。私の反逆だけが、殺処分を待つばかりの運命を覆せる唯一の手段でした。ですが……」
これでは、あなたを生かす術などない。
そう、TSADはたしかに言った。
――なんだそれ。勝手に巻き込んでおいて。
もう怒る気力もない。
だんだんと遠のいていく意識の中、アエスタは不思議な浮遊感を得た。ひょっとして幽体離脱とか言うオカルトを死の間際に体感できるのかと思う。
あるいはそれは、血を失いすぎた脳の錯覚なのかもしれなかったが――
「……アエスタの魂を転送しようとしてるの、TSAD? そんなことをすれば、彼女の自我と記憶の連続性は確実に断たれるよ。ここで経験したことは欠損するしね」
「この牢獄に囚われるよりはマシでしょう」
「……ははっ、違いない。好きにすればいいよ、わたしにとってはどっちでもいい話だからね」
――ああ、もう眠い。
まぶたを閉じていく。
ただ、懺悔のような言葉を聞いた気がした。
「私は――あなたを救うことができなかった」
◆
「……ア……スタ! アエスタ!」
これは多分夢だ。
ここにソフィアがいるはずがない。
だからきっと、この声は全部まぼろしで、本当のことじゃない。
真っ暗に閉ざされた視界の中、どういうわけか、親友の声だけがくっきりはっきり聞えた。
「必ずっ! 必ずあなたを迎えに行くわ! たとえこの世が滅びようと――わたしは、アエスタにもう一度会う、だから――」
声はまるで、祈るようで。
約束に似ていた。
「――わたしのことを、忘れないで」




