銀の弾丸
――むかしむかし、あるところに美しいお姫様がいました。
――お姫様は名前をベルカといい、青い瞳と黄金の髪を持っていました。
――王様はお妃に似て美しいベルカ姫をたいそう可愛がりました。
――ベルカ姫が誰かにさらわれるのではないかと心配した王様は、お付きに腕の立つ騎士をつけることにしました。
ベルカ姫はお転婆がすぎて、姫の利発さを持て余した騎士たちはすぐにこの名誉ある役割を遠慮するようになっていった。
ともあれ、そうしてめぼしい騎士という騎士に見放された姫の最後のお付きはすすけた鎧の騎士。
見た目は悪く、腕も立たない、名ばかりの騎士だった。
――最後に姫の守りについたのは、すすけた鎧を着込んだみすぼらしい騎士でした。国一番の剣の腕前もなく、立派な従者もいない、ちっぽけで弱っちい騎士でした。
――「あなたには何ができるの?」「何もできません、姫様」「じゃあ、どうやって私を守るの?」「なんとかして、この命に代えても」
――ベルカ姫は呆れてものも言えませんでしたが、すすけた鎧の騎士は本気でした。
そんなベルカ姫に目つけたのが、森に住む悪い魔法使いだった。魔法使いは魔物を引き連れてお城を襲い、ベルカ姫をさらっていった。
もちろんボンクラのすすけた鎧の騎士はなんの役にも立たなかったのだが――その後、姫を取り戻すため送り込まれた、国中の騎士という騎士が返り討ちに遭ってしまう。
悪い魔法使いに誘拐されたベルカ姫は、口先で魔物や魔法使いを騙くらかして部屋から抜け出して、即席の罠で追っ手を打ち負かしたけれど。
最後には魔法使いに敗れ、絶体絶命の危機に陥って。
――駆けつけたのはくすんだ鎧の騎士でした。何もできない、愚かものの騎士です。
――ベルカ姫は言いました。
――「あなたには何もできないわ」
――騎士は言いました。
――「いいえ、私はあなたを助けに来たのです」
――騎士は臆病者でした。弱っちい泣き虫でした。けれど今は泣いていません。震えてはいません。
――するとどうでしょう。くすんだ鎧が月の光に照らされて、まばゆい銀の光を放ち始めました。
くすんだ鎧はまことの銀でできた魔除けの鎧であり、それを着込んだ騎士のまことの勇気に応じて真なる輝きを取り戻す。
ちっぽけな勇気が、くすんだ鎧の騎士を光り輝く銀の騎士に変えた――いかにもご都合主義の、ありきたりでつまらない物語。
つまるところ。
“ベルカ姫”の御伽噺とは、機知に富んで賢いベルカ姫と、最後の最後に勇者となった愚かな騎士の物語である。
ホシノ・ミツキは、母がよく読み聞かせてくれたこの御伽噺が大好きだった。
どうして気に入ったのか、もう覚えていないけれど。
ベルカ姫と銀の騎士に憧れていた。
◆
最初は夢でも見ているのかと思った。
無我夢中で手を伸ばしていたら、いつの間にか、自身の腕――怪獣のそれと比べたら非力で泣けてくる――が白銀の鎧に包まれていたのだから。
それどころか腕は一回り太く長くなったような気がするし、目線もだいぶ高くなった気がする。
ざっと四〇センチぐらいは目線が高くなったのではないだろうか。
混乱の極みにあったイヌイ・リョーマは、次に自分が怪獣の巨腕を片手で受け止めていることに気づいた。
――なんだこりゃ。
みしみしと軋む右手の感覚は夢ではありえない。
しかし等身大の腕が、電柱のように太い怪獣の拳を受け止め、静止させている現実はあまりにも信じがたいものだった。
焦げ茶色の巨体、蜥蜴とも類人猿ともつかない異形――口から火を噴いて世界を燃え上がらせた空想の産物。
おおよそ生身の人間にどうにかできるとは思えない存在だ。
それが今、リョーマと拮抗していた。
信じたいことだが、どうやら自分は今、ヒーロー映画の主役みたいな行為をしているらしい。
――マジかよ。
わけのわからないオカルトめいた怪人、都市伝説の死神、とどめは三〇メートルはあろうかという巨大怪獣である。
自分が突如として秘められた力に目覚めることもあるかもしれない。
突飛な発想だった。
しかし今の状況――火を噴く巨大怪獣に襲われて死にかけている――がすでに馬鹿げているから、突然、奇跡が起きて変身できたりしてもおかしくはない気がした。
ふと、先ほどから動かないホシノ・ミツキに気づいた。
妙に冷静になっているせいか、先ほどまでの自分の態度に罪悪感が湧いた。
――さっきは怒鳴ってごめんな、ホシノさん。
果たして心の声が聞こえたのか、ホシノ・ミツキは恐る恐るこちらを見て。
はっとしたように目を見開いて、ぽつり、と呟いた。
幻想に思いをはせるように。
「――銀の騎士」
なんだそりゃ、と思う。
どうやら少女の反応を見るに、自分はやはり、一見して普通ではないとわかる姿らしい。
手足はともかく全身像や顔がどうなっているかわからないのが少々不安だったが、悲鳴をあげられるほど凶悪だったりはしないようだ。
ならば、それでいい。
重要なのは今のリョーマが、目の前の敵に対抗できる力があることだけだ。
ゆらり、と馬鹿でかい怪獣の頭が持ち上がり、蛇のように鎌首をもたげてリョーマをにらみつけてきた。
蜥蜴と類人猿を合わせたような怪物の顔が浮かべる表情は苛立ち。
敵意の発露。
攻撃の予兆。
そう判断したときには、自然と体が動いていた。
イヌイ・リョーマは普段、決して暴力沙汰に強い人種ではない。
人間に対する暴力行使に慎重で消極的――臆病とも言えるし、心優しいとも言える姿勢は、医療や人命救助に関わる父母の職業の関係で培われた、人体の壊れやすさに対する理解ゆえだった。
人を傷つける行為は、容易く望まれざる不可逆の悲劇を引き起こす。
だが、それは人ならざる異形の巨獣に対して遠慮する理由にはならなかった。
受け止めていた怪獣の拳を自身の腕からずらす――刹那、凄まじい衝撃波と共に地面がえぐれた。軽々と受け止めていたそれがどれだけの重量と圧力を伴った凶器か実感しつつ、両足で地面を蹴った。
重力を感じさせない跳躍は、ほとんど火がついたロケットモーターのような直線運動であり、垂直方向への突撃であった。
まるでミサイルだった。
白銀の鎧に身を包んだ少年――身長二メートルを超える巨漢に変じている――の拳は、怪獣の胸部をしたたかに殴りつけた。
砂の詰まったサンドバッグを殴ったような手応えと、コンマ数秒の無音の世界のあとに。
轟音。
数百トンの巨体が宙を舞い、野球ボールみたいに軽快に空の彼方へすっ飛んでいく。冗談みたいな光景だが、ずっしりした重たい手応えはたしかに自分が殴った証だった。
軽く二〇〇メートル以上も吹き飛ばされた怪獣は、炎と瓦礫に包まれた山の麓に着地。
火の粉と土埃をあげながら倒れ伏して、ぐったりと動かなくなった。
「…………お、おお……?」
何気なく地上二〇メートルぐらいの高さから山の上に着地する。
とんでもない高さだったはずなのだが、足腰にはちっとも衝撃が来なかった。
今になって気づいたが、この炎と煙の中にもかかわらず、リョーマの視界は恐ろしく澄んで開けていた。
火災によってオレンジ色に焼き付いた景色と昇ってくる煙そのものは存在しているが、視界に映るものすべての輪郭がくっきりと捉えられて視認性が高いのだ。
視界の範囲も広い。
眼球を動かさずとも非常に広い範囲――それこそ斜め後ろぐらいまでを、振り返らずに認識できる。
どうなっているのだろうと目のあたりを指で撫でる。
つるりとした材質の何かが目の周囲を覆っているのがわかった。おそらくバイザー状の器官が、今のリョーマの眼球の代わりらしい。
――たぶんメカか昆虫か、どっちかだな。
そんなことをぼんやり考えていると、ミツキが走り寄ってきた。
かと思えば、けほけほ、とむせている。
火災で空気が悪く、呼吸器に優しい環境とは言えないので当然だが。
「せ、せんぱいっ! どっちかっていうとメカ系でかっこいいので安心してくださいね! 小学生までなら余裕でかっこいいって言いますよ!」
ホシノ・ミツキは親指を立てながら力説した。
一瞬、何の話か理解できなかったが、五秒ぐらいして今の自分の容姿の話なのだと理解した。
突然、よくわからない超人になった肉体は小学生受けするデザインだと励まされている。
浮世離れした美少女は、いろいろズレていた。
「おう……あ、ありがとな……?」
「こう、パンチ一発ですっごい吹っ飛ばして! まさにヒーローって感じでした!」
目をキラキラさせて早口になっているホシノ・ミツキは、先ほどまで世を儚んで悲痛な叫びをこぼした少女と同一人物とは思えなかった。
これはアレだ。
アイドルと出会ったファンというか、ヒーローショーの着ぐるみに駆け寄る幼児というか、そういう感じのテンション。
いくらなんでも切り替えが早すぎてリョーマは困惑した。
ミツキは紅潮した頬のまま、まだ口にしてもいない彼の疑問に答えた。
「ええっとですね、あたし、先輩が生きてて嬉しくって、つい……決して、決して前言撤回したわけではないですよ?」
「人の心を読んで喋るのやめないか」
「え? 問題ありますか?」
「…………俺以外にやると絶対ろくなことにならないと思うけどな!」
いつの間にか三歳年下の、この前までランドセル背負ってた女の子に舐められていた。
リョーマ個人としては心を読まれることへの嫌悪感や拒絶はないから、結局、一般常識とか良識の観点から忠告しているとバレバレなのだ。
人の心を読み取る超能力者であるホシノ・ミツキは、そういう彼の人柄までよく理解しているようだった。
「ところで……先輩。あの、吹っ飛んでいった怪獣なんですけど……」
「ああ、まだ生きてる……よな」
リョーマの瞳が捉えている怪獣は、うずくまってぐったりとしていたが、徐々に手足や尾の末端が動き出し始めていた。
あの打撃でどれぐらいダメージを与えられたか定かではないが、致命傷には至っていないはずだ。
だが、戦闘を継続するとして自分に何ができるか、リョーマにとってはすべてが未知数だった。
今の自分が恐ろしく頑丈で筋力に優れているのはわかる。五感も鋭敏になっているようだが、それだけで怪獣と戦えるかは未知数だ。
たとえば火炎や酸欠に耐えられるのかはわからない。
山の下まで降りて、怪獣の息の根を止めるまで肉弾戦をすべきなのかどうか、わからないことだらけだ。
「――名前は火炎怪獣デスマンドラでどうでしょうか」
ミツキは真剣な表情だった。
「はぁ!?」
リョーマは困惑した。
「名前は大事ですよ、先輩」
「いや、これはテレビ番組じゃないんだぜ?」
しかし少女はリョーマのツッコミにも動じなかった。
「あたしの脳裏に浮かんだ名前がそうだったんです」
「……超能力ってことか?」
「お告げでも神託でもいいですけど、たぶんそういう感じじゃないかと。なのでアレは火炎怪獣デスマンドラです」
「ああうん、まあ火を噴いてたし……それはわかるけど……」
怪獣図鑑に乗っていそうなネーミングセンスと、あの悪意の塊のような化け物が結びつかず、リョーマは首をかしげていたが。
間もなくそうしてじゃれ合う余裕は消え失せた。
はるか遠く、数百メートル離れた山の麓に横たわる怪獣――うつ伏せになったデスマンドラの背中で、無数の突起がうごめいている。
その内部構造までもを透視する超人の目は、瞬時にそれが如何なる構造体であるかを理解する。
一見すれば骨格の発達した背びれのように見える突起物は、それ自体が燃焼反応によって推進力を持っており、デスマンドラの背中からせり上がっていた。
そう、まるで発射のときを待つ誘導ミサイルの発射機のように。
「ホシノさん、俺の後ろに!」
叫んだ瞬間、二〇発を超える飛翔体が怪獣の背中から射出された。
直接、二人を狙うのではなく、その上空に向けて発射された無数の弾頭は、間もなく固体として安定していた化合物を気化させ、大量の粉塵とガスをまき散らした。
大気中に広がった混合気体は、着火した瞬間に文字通り爆発的燃焼反応を起こす爆鳴気。
その加害半径は一〇〇〇メートルを超えていた。
それは悪意に満ちた対人殺戮機構。
固体として射出された体組織を化学反応により気化せしめる爆薬の一種――アカシャ兵器を除く通常兵器において数少ない、広範囲を破壊可能な爆弾。
サーモバリック爆薬と呼ばれる人類の兵器に酷似した構造体は、リョーマとミツキを押し潰す、白く輝く火球と化した。
◆
感じていた。
驚きに見開かれる少女の目を。
その喉からこぼれた感嘆とも恐怖ともつかない声を。
「あ――――」
着火と爆発の瞬間、イヌイ・リョーマはこの世ならざる目で未来を視た。
火球から生じた熱が伝播し、大気を伝って襲い来る爆風の衝撃波により、ホシノ・ミツキの内臓が破裂して即死する刹那を。
その白い肌が、黒く長い髪が高熱に包まれ黒焦げの焼死体になる光景を。
爆風によってバラバラに千切れ飛んだ死骸が宙を舞う末路を。
そして自分の肉体には傷一つないであろうことも含めて――起こりうる直近の未来を理解した。
――死なせない。殺させない。絶対に。
ただ強く願った。
迫り来る少女の死を退ける奇跡を。
――いや、そうじゃない。
少年はこの瞬間、確信した。
――俺が守るんだ。
遠く、虚空の彼方へ腕を伸ばす。
五指でつかみ取る。超常の力を引き寄せる。この手で顕現させる。
宇宙の根源たる虚空子を励起させ、地球上に今まで存在し得なかった非現実を構築する。
それは空想。
それは願望。
それは虚構。
祈るものはただ一つ。
あらゆる悪意と殺傷力から他者を守る盾。
金属や樹脂で構築された質量体ではありえない防護性能、瞬時に全包囲に展開され、破壊的圧力と高温に耐える構造体。
熱を遮断し、光を遮断し、爆発によって生じた爆轟圧力を遮断して、燃焼剤に用いられた粉塵とガスの残滓――いずれもそれ単体で人体にとって有害――すらも濾過し、皮膚や呼吸器を焼くことのない、十分な酸素の含まれた大気だけを供給する守り。
多量の一酸化炭素を含んだガスを発生させる爆弾の原理上ありえない、人間の生存に都合のよすぎる空間――魔法と呼ぶしかない何かを、彼は生み出した。
まるでオーロラのような光の帯が、二人の周囲、半径一〇〇メートルほどの空間を覆うように出現。
混合気体散布からわずか〇・三秒後に爆発したサーモバリック爆弾の爆風の到達よりも早く、それは全包囲を囲う盾となっていた。
――次元障壁。
彼が望む限り、あらゆる外部からの干渉を弾く魔法の盾の名前。
守護の盾を掲げる彼は騎士であった。祈るだけで奇跡を起こすなど、常人ではありえない。
ならばこれは宗教書に語られる救世主か、悪魔のペテンか、さもなくば荒唐無稽な正義の味方か。
そういう非現実の住人のはずだった。
爆弾の振りまく死の嵐――長時間にわたって全包囲から放出され続ける爆風――を防ぎ続ける銀の騎士を、少女は眩しいものを見るように目をすがめた。
「先輩……なんですよね」
「ああ」
生命を殺し尽くす爆発の真っ只中にあって、ここには光も熱も衝撃波も届かない。
白銀の鎧をまとった騎士は、少年の面影が残る――けれど別人の声音で喋る。
「銀の騎士だっけか」
「え――」
「名前だよ。今の俺の、さ」
いいさ、と少年/銀の騎士は思う。
眼前の理不尽に立ち向かう術があるというのなら、ありもしない幻想にだってなってやる。
だから彼は、不正義と戦うためにその誓いを口にするのだ。
「今から俺が――世界最初の正義の味方だ」
バカみたいに青臭い台詞だった。
その言葉を聞いた瞬間、ホシノ・ミツキは不健康なほど白い肌を真っ赤に紅潮させていたが、シルバーナイトの真後ろで死角だったため見られることはなかった。
白熱する爆炎の火球が薄れる中、超人の視覚器官は接近する巨影を爆炎越しに確認。
二人の前方一〇〇メートル、山の斜面までをも覆う次元障壁――地響きを立てて迫り来る怪獣デスマンドラの皮膚表面が触れた瞬間、光の壁に穴が開いた。
否、こじ開けられたのだ、と虚空子の流れで理解する。
――俺のバリアを打ち消してるのか!?
半径一〇〇メートルに張った次元障壁が消失した瞬間、ミツキを守るため、さらに小さなバリアを張り直した。
だが、無敵に思えたバリアの弱点に冷や汗を流したい気分だった。
シルバーナイトの肉体に汗腺はないけれど。
独立型エーテルサーキットたる怪獣は、触れるだけで虚空子操作の産物に干渉できる非現実的存在であった。
シルバーナイトが超物理現象を引き起こして光の盾を出力したように、デスマンドラもまた物理法則を歪めて顕現した存在なのだ。
そのあり得ざる巨体を支える骨格と血肉は、受肉した異界法則そのものと言っていい。
エネルギー保存の法則も質量保存の法則も無視して、その巨体から悪意に満ちた炎を吐き出し続ける殺戮機械。
それこそがデスマンドラの本質である。
類人猿のように短足で腕が長い胴体に、蛇のように長い首――異形の喉がごぼごぼと濁った音を立て、ゲル状燃料を高圧高速で吐き出す準備を整える。
火炎放射と接触によるバリアの解除。この二つを同時に行って、デスマンドラは確実に人間を殺すつもりのようだった。
――どうしてホシノさんがここまでして殺されなきゃいけない?
人知を超えた怪物の悪意と殺意に晒されているのに、湧き上がってくるのは理不尽への怒りだけだった。
超能力を持って生まれてきたからだの、特別な子供だからだの、そんな理由はクソ喰らえだ。
どうあれ自分が納得することはありえない。
「先輩……あたしに構わずに、あいつと戦ってください。正義の味方が負けたら、格好がつかないじゃないですか」
彼の思考を読み取ったらしいミツキは、さっきまで、はしゃいでいたのが嘘のように落ち着いた様子だった。
今までが空元気なのかどうか、判断はつかないが――つまるところホシノ・ミツキは、この状況を生き延びて明日を迎えるという希望を持っていないのだろう。
達観していると言えばいいのか。
生まれつき人の心を読み取れる生き物だった少女の心の機微など、つい先日、会ったばかりの他人にわかるはずもない。
だが、正義の味方をやると決めたシルバーナイトは、そんな諦念を蹴り飛ばすのだ。
「なあ――信じてみないか。きっと産まれてきた意味も、しあわせもあるって」
「本気で言ってるんですか?」
答えるミツキの顔を彼は知らない。わかっているのは、その声が困惑ではなく、明確な苛立ちを孕んでいるという事実だけだ。
たぶんシルバーナイトは、決して踏み込んではいけない領域に触れたのだ。
それでも彼は振り返らない。
その目が捉えているのは、少女の表情ではなく外敵の様子である。
デスマンドラの表皮が盛り上がり、硬質化していくのが見て取れた――今度は爆発時に断片そのものをまき散らす榴弾のような構造体をざっと一〇発以上、肉体を材料に作り出したようだった。
その一つ一つが直径一メートルもある砲弾だ。
噴き付けられる火炎放射の濁流共々、どれか一つが次元障壁の内側に入り込むだけでホシノ・ミツキは即死するだろう。
――どうやって守ればいい?
何重にも盾を重ねる。
あるいは盾を設置したあとに怪獣を殴り飛ばす。
この姿になったのも初めてなら、バリアを張るのも初めてなのだ。
どこまで実現可能なのか、シルバーナイト自身にも判断がつかない。
そんなシルバーナイトの迷いも何もかも、心を読み取れる少女にはお見通しだった。
ホシノ・ミツキは固い声で、ヒーローみたいな人の言葉をはねのける。
「……嘘です」
「嘘でもいい。いつか、本当になるまで俺がいる」
「今だって、どうやってあたしを守ればいいのかわからないのに、そんな都合のいい話ばっかりしないでください」
怪獣の長い首が不気味に震えて、その蜥蜴にも猿にも見える顔が大きく口を開ける。
焦げ茶色の体表にせり出た無数の突起が、みちみちと皮膚を引き裂きながら発射準備に入っていく。
おそらく実時間の何百倍にも引き延ばされた主観時間の中――考えて、考えて、考えて。
そして理解した。
自身が如何なる手段であの悪意に立ち向かうべきなのかを。
この世の外側にある無限無数の可能性から、最適な幻想を掴み取り、この世に生み出す。
まるで天啓を受けたように、少年/銀の騎士は右腕を前に突き出し、五本の指を拡げてみせた。
左腕は右腕を――否、銃身を支えるように添えられて。
同時に全身を駆け巡る赤い光の筋――胸の結晶核から供給される虚空子が、一際強く輝き活性化。
その光輝のすべてが右手の鎧へと注ぎ込まれていく。
その光を目にした一瞬、デスマンドラは怯えたように顔を歪めて――喚くように火炎を吐き出した。
怪獣の口腔から火炎がほとばしり、視界を白い炎が覆い尽くしていく。
彼我の距離は一〇〇メートルを切っている。
げぼげぼと口から炎を吐瀉物のように振りまき、こちらへ向けて突進してくるデスマンドラ――たとえ次元障壁を張っても、それを踏み壊してやると言わんばかりに。
その全身には巨大な榴弾が張り付いており、いずれが炸裂しても、生身の人間には致命傷になる。
それ自体が運動エネルギー兵器たりえる質量と速度を持つ爆弾と化した悪意の化身――だが、シルバーナイトは迷わない。
銀の騎士は自身の敵を、火炎怪獣デスマンドラを見据えて。
その右の掌を、銃口として構える。
そして、引き金を引くそのとき、ぽつりと呟いた。
自分のすぐ後ろにいる少女――ホシノ・ミツキに、想いを届けるために。
「――それでも俺は、お前の涙を止めたい」
刹那。
シルバーナイトの右手から、白銀の光の渦が解き放たれた。
◆
それは、まばゆい光だった。
人類の生存を否定する焔の地獄の真っ只中、業火に焼かれ続けていたスカルマスクは、光が怪獣――降臨者の物理的実体――を射貫く様をその目で見た。
暗く落ち込んだ眼窩、髑髏のような頭部――人ならざる肉体は、どれほど超高温の炎に身を焼かれようと再生し続け、その機能を失うことはない。
紅蓮の炎に包まれた景色の中でなお、その輝きを見逃すなどありえなかった。
「馬鹿な――」
かすれた呟きは驚愕と困惑に満ちていた。
三〇メートルもある巨体を銀の閃光が射貫いたかと思えば――まず、降臨者の崩壊が始まった。
数百トンの質量を蓄えた巨体が、さらさらと塵になって崩れていき、やがて、その塵すらも質量を失って虚空子の光に還元されていく。
それは異次元の存在がこの宇宙にありふれた根源的元素にまで分解されたことを意味していた。
あの白銀の光がもたらすのは、熱エネルギーや運動エネルギーによる破壊的事象ではない。
そもそも、この宇宙において起きる破壊とは、究極的には望まれざる状態変化の言い換え――人類にとって不都合な不可逆的変化、エントロピーの増大――に過ぎない。
これによって破壊される肉体を本体とするもの――動植物から機械装置に至るまで、ほぼすべての存在――にとっては有効でも、この世ならざる場所、異界よりやってきた降臨者に対して、この物理法則下での破壊は効果が薄い。
降臨者の本体は、その巨大な異界法則を成立させる超時空的な虚空子回路である。
存在するだけで周囲の物質や物理法則をねじ曲げ、時空連続体を汚染するブラックホールのような超高密度の霊魂と言ってもいい。
人が人を殺すため作り上げた兵器では、その本体を傷つけるには至らない。
ゆえに降臨者は人類の天敵として秘密結社〈シャムロック〉でも危険視されていたのだ。
だが、今この場所で起きているのは、その超越者の死だった。
二八番目のネフィリムの瞳は、白銀の輝きの本質、虚空子による時空連続体に対する直接干渉を観測。
――ゴールドスタインの妄執が現実になったとでもいうのか?
そのような現象を引き起こしうる兵装を、スカルマスクは知っている。
――事象改変兵装〈銀の弾丸〉。
それはかつて神域の天才によってその存在が予見された兵装、この世の外より来たる神を穿つ銃弾。
先進的すぎる理論だけが先行し、人の手では作り出せない机上の空論だったはずのテクノロジー、あり得ざる空想の産物である。
宇宙の根源的構成要素たる虚空子を用いて、ありえざる歪んだ現実を修正する――人類による人類のための力。
怪獣がもたらした破壊の痕跡もまた、少しずつ薄れつつあった。炎の勢いが弱まり、急速に鎮火に向かっているのだ。
これまでスカルマスクの肉体を責め苛んでいた、摂氏三〇〇〇度を超える炎も例外ではない。
金属を溶解させるテルミット反応並みの高熱は過ぎ去り、一般的な火災程度の温度――精々、摂氏五〇〇度ぐらいだろうか――にまで温度が下がっていく。
超広域で持続的な燃焼反応をもたらしていたゲル状燃料もまた、降臨者によって生成された非現実の産物だ。
不自然な事象を押しつけていた降臨者が崩壊すれば、連鎖的に因果をさかのぼって、関連する事象も改変されていくはずだった。
――リョーマ。
高熱で歪み、軋む体を引きずって、スカルマスクは銀の光の発射地点を眺めた。
――キミは生きているの?
あの銀の光が放たれた場所で何が起きたのか、彼/彼女は知らない。
ありえざる〈銀の弾丸〉を放った何者かの正体も知らず、ただ幼馴染みの無事を祈っていた。
不思議だったのは、悪い結末だけは想像できなかったこと。
超常の怪物を憎むスカルマスクも、悲観主義で人間嫌いのベルカ・テンレンも、いつもなら決して楽観的にはなれないのに。
今だけはきっと、人生で二回目の奇跡を信じられる。
――その日、少女は希望の星を見た。




