三節『静かな夜には鋼の歌を』4
レイナという人物が経営しているためにレイナの酒場と呼ばれている場所は、お昼過ぎということもあって人の気配が殆ど感じられなかった。唯一そこで動くものは、シャカシャカと水を含ませたブラシで床を擦る女性が一人。
肩口で切りそろえられたこげ茶の髪を揺らして汗を拭った彼女は、あまりにも早い時間の来客者に手を止めて視線を投げた。
「何の用……?見ての通り掃除してるんだけど」
「すこし人を探してるんだけど知らないかな?」
「お客さんの事なら言わないよ」
「困ったな」と、ギャレットは頬をかいて来る時間を間違えたかと苦笑いを浮かべた。
彼女はレイナの娘であるのだが、彼と彼女の相性は生憎とよろしくない。いやまあ、この町の中で相性のいい相手を探す方が難しいのだが。
「ある商人を探してるんだ。昨日の夜にやってきたっていう、聖国の商人」
「この町で商人を探すのなんて難しくないでしょ。少しは自分で探してよね」
「オオモヤさんからここで待ってるって聞いたんだけど?」
「何、待ち合わせでもしてるの?」
「互いに利害が一致してるってだけだよ」
会話が引き延ばされている感覚はあったが、ここで痺れを切らしてしまうのも今後の関係を考えれば悪手だった。酒に酔った男どもにこの話をされてしまえば、本格的にこの町での生活権すら失ってしまうだろう。
(一回別の用事を済ませるべきか……)
そう考えていたギャレットだったが、レイナの娘は少しの思案をして彼に言葉をかけた。
「待ってる間、掃除手伝ってよ。その商人って町長に挨拶に行ってる羽振りの良い人でしょ?言伝の事なら私も聞いてるし……、お母さんからだけど」
「ああ、そういうことなら手伝わせてもらおうかな」
「あっそ……、じゃあ……私の代わりに床の掃除やってよ」
ブラシを受け取ったギャレットは内心での色々な思いを押しとどめて床を吹き始めた。
四つ足の丸椅子に腰かけたレイナの娘はがこがこと椅子を揺らしながらギャレットを眺めていたが、それにも飽きたのか彼に言葉を投げかけた。
「エリーに手を出してないでしょうね」
「は?」
「人手は町の財産なんだから。あの子の父親の代わりを貴方がやってるけど、それでも長くは続かないでしょ?何年経ったかなんて覚えてないけどさ、エリーが町の一員になるにはこの町の人間と所帯を持つとかしないと難しいんじゃない?」
「僕もそのつもりだよ……、エリーに手を出すつもりはない」
「分かってるならいいんだけどね。あの母親も娘を生んでおいて病気になるとか何考えてるのか。ギャレットが居なかったら大事よ」
「そりゃどうも」と、彼は彼女に言葉を返した。
だが、ブラシが床を擦る音は会話が進むごとに強くなっていく。彼女が何か間違ったことを言っているわけではないのだが、ギャレットは受け入れたくなかったのだ。
誰かに間違っていると直接言われる機会は多くないし、彼自身、今までの行いが間違っているとも思っていない。そもそも答えは何だと聞かれれば、彼は少し考えてこう言うだろう。
(エグシオさんが見つけた愛は何一つ間違っていなかった。……なら間違っていたのは僕か?いいや。そのおかげで今はエリーを護れるんだ。答え……そんなものは未来の僕がどうにかしてくれるだろ。僕はそうやって生きてきた)
答えなんか無い。あるはずがない。
強い想いでレイナの娘の言葉への反論を押しとどめた彼は、一度止めたブラシをもう一度動かし始めた。
どうすればよかったのか。教えてくれよ。そう問い詰めて何が解決するだろう。これは彼女の意味のない言葉だ。ただ、分かっていても辛いものは辛く己の胸に突き刺さってしまう。
「僕だって普通に生きたかったさ」
ぼそりと漏れ出た言葉に振り返ってみれば、そこには彼女の姿はなかった。
瞳を閉じて天井を仰ぐギャレットは息を整え、どこに行っていたのか戻ってきた娘を何事もなく迎えた。
「そろそろ準備しようか。手伝わせて悪かったね。ほら、椅子並べて。お酒の二、三杯はサービスしてあげるから」
娘の言うがままにギャレットが軽い腹ごなしをしていると、彼の待ち人がやってきた。
二人の護衛を連れた、見慣れぬ糸目の商人。彼はギャレットを見て少し驚くと、「相席よろしいかな?」と怪しげに笑うのだ。
「私、聖国でしがない商人をしております。レープハフトと。そうお呼びいただければ」




