一説『連なる青の近親者』1
ギャレットは一人の少女を探しに東の森へと入っていた。僅かに雨が降る森の中を歩く度に足跡が残り、腰にかけたツールホルダーがかちゃかちゃと小気味よい音を立てる。
魔物たちから彼自身の臭いを消すこの雨が少女の痕跡を消しきる前にと、ギャレットは群青の空を見上げて、また歩み始めた。
事の始まりは、日の出を告げる朝の鐘の音に混じって町に拡がった。自らの母親を助けると言ってから一人の娘の姿が見えなくなり、捜索隊を出すかと話が出ていたのだが、その母親に問題があった。
町の外からやってきた夫が死に、未亡人となった母親を待っていたのは町の人間からの圧力だった。いまだ若い母娘だ。外に出る金もなければ、頼れる身寄りもない。それこそいいように扱えると考えるのは当たり前だとも言えるだろう。
森の中を進む彼が彼女たちを助けなければ確実にその未来はやって来ていたに違いない。
そんな娘の命と森へ出る男衆の命を比べた時、ギャレットが支援することで生きていた女と娘が死んだ方がマシだと判断されれば、答えは自ずと現状に繋がる。
ギャレットが薬師から聞いた話では薬の原料となる薬草で珍しいものはひとつだけ。それは東の森に群生する物だが、彼の地は醜悪な魔物の宝庫でもあった。その薬草を娘も求めているのであれば、目的地は同じはずである。
口を開けば愚痴が出そうになる口蓋を閉じ、彼はショートソードを構えて森の中を進む。
木々の背が一段と低くなり始めれば、彼の目的地は少しずつ森の中に現れ始めた。
足元に転がっている長方形に切り出された石は何かを組んでいた部分なのだろうが、今となってはその何かすら周囲には見えなかった。だが歩くにつれて同じ形の石も増え、道の枠や家の跡がぽつぽつと見えたところで感嘆の声が自然と出てきた。
「噂には聞いていたが……、これはすごいな。これが東の森の遺跡群か」
遺跡群は魔物の住処となっているためにギャレットは少し離れた森の中を歩いているが、その場からでも声が漏れるほどに隙間なく組まれた家屋は美しかった。人が住まなくなって幾年経とうとも、それは住人を雨風から守るためにあったのだ。
今日に限って雨が降っていて助かった。もし晴れていればもっと多くの魔物が外で動いていただろう、とギャレットは青い皮膚を持つ魔物を見て考えていた。これだけ立派な住処であれば、あれらが町に出てくるのも時間の問題だろう、とも。
青い皮膚を持ち、大きく丸い瞳が二つ。人間の膝ほどの身長しかないこの魔物でさえ数が集まれば簡単に人間を殺してしまうことを彼は知っていた。そんな彼はかつて下水道でネズミの群れに襲われたことを思い出していたのか、グローブから覗く肌は鳥肌が立っていた。
なんにせよ、今の彼の目的は少女を探しに行くことであって魔物を狩ることではない。少女の残した痕跡からももう少しで追いつくことは分かっており、ギャレットは先を急いだ。
はたして少女は森の中で一人座り込んでいた。彼女の傍には籐のかごが置かれていて、薬草の頭が見えていた。
「エリー、僕だ。あまり大きな声は出さないでくれよ」と少女の背後から控えめにかけられた声に彼女は大きく肩を震わせる。それだけ薬草採取にのめり込んでいたのだろう。
「……ギャレットさん。どうしてここに」
「それは僕の台詞だよ。言ってくれれば僕が取りに行ったのに」
「だって……、ギャレットさんはお母さんの代わりに働いてもらってるから……」
「エリーがそんなこと気にしなくていいんだよ。君のお父さんのおかげで拾った命だ」
ギャレットがエリーと呼んだ少女の頭に手を置くと、彼女は「もう十五になりました!」と顔を赤くして答えた。十五と言えばもう立派な大人である。エリーが身近な男性に対して抗議するのも当たり前のことだった。
対するギャレットは困ったような表情を浮かべ、周囲を見渡した後に彼女の手を取った。
「話は後でしようか。天気が良くなってきてる。走れるかい?」
「魔物が近くに……?」
「まだ大丈夫だけど、少し怪しいかな」
町に戻るにはもう一度遺跡群の横を抜けなければならない。慣れぬ森の中で迷わずに進むには、来た道を確実に進むのが堅実である。雲間から光だけを覗かせる太陽の位置からしてもうすぐ昼時だ。青い皮膚の魔物だけでなく森の中の生物すべてが空腹を満たすために動き出す前に森を抜けなければ、エリーを連れたギャレットが無傷というのは難しい。
外套をたなびかせて走る二人はその顔に雨を受けていた。完全に雨が上がる前に遺跡群から離れるにはこれが一番確実だと、ギャレットはそう考えていた。
(リレーティブルーは女性の匂いに敏感だ。雨でましにはなっているだろうけど……、汗はどうしようもない。休もうにも近くの遺跡は簡単に入れないしな)
「……一体なら簡単なんだがなッ!!」
ギャレットが蹴り上げた青い魔物──リレーティブルーは宙を浮き、その後に心臓を刺されて絶命した。
少しずつではあるが、魔物との戦闘が増えてきている。雨の勢いが衰えたことで外に出てきた者が増えたのだろう。
彼が刃についた血を簡単に拭っている間にエリーは呼吸を落ち着かせようと目をつむり、胸に手を当てていた。だが、その行動が悪かった。
「エリー退け!!」
「……え?」
急に声をかけられて驚いたエリーの視界にはギャレットが。
ギャレットの視界には、エリーの脚を狙って射られた矢が見えていた。
──雨は上がり、大きな太陽が彼らを照らしだしていた。