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ワトスン博士の回想録   作者: 涼華
3/13

第1話 スぺクルド・バンドの真実 (後)

「ストーナーのお嬢さん、全て終わりましたわ。さあ、行きましょう。」ホームズが促した。

「どこへ?」

「叔母様のところへですわ。朝になれば警察と野次馬がやってきて滅茶苦茶な騒ぎになりますもの。」

私は、その間に、旅館の亭主に警察を呼びに行かせた。


ホームズの言った通りで、翌朝からは大変な騒ぎとなった。

ロイロットの悪行は知れ渡っていたから、ここぞとばかり、警察に進言する者、あるいは、借金のかたと称して金目のものを取り出そうとする者、百鬼夜行のありさまである。つくづく、ストーナー嬢を叔母のところに預けてよかったと、私は思った。あのか弱き女性の心は、このような醜悪な場面には耐えられないだろうから。

村の警察だけでは手に負えず、州警察までやってきて、検屍官たちも死因を調べたが、ホームズや私の証言があるにもかかわらず、やはり、毒殺の鑑定ができなかったのは、沼毒蛇の毒に対する知識が皆無だったからであろう。


このような騒ぎの中、ヘレン・ストーナー嬢とパーシー・アーミテージ氏との結婚が予定通り行われたのは幸いであった。あの薄幸の女性の今後に幸多かれと思う。

「で、結婚式は予定通りだったのですか?」私は、アーミテージ氏に尋ねた。

「いや、さすがに喪中でしたので、身内だけのものになりました。でも、ヘレンはもともと慎ましやかな女性ですので」と、パーシー・アーミテージは答えた。

良家の次男坊らしく、おっとりとした穏やかな若者である。これならば、ストーナー嬢、いや、アーミテージ夫人の今後は穏やかなものとなるだろう。私は言葉をつづけた。

「ロイロット博士の狒々や豹は、動物園に?」

「いや、ヘレンが自由に暮らしていた動物たちだから、狭い檻に入れるのは可哀想だと、それで、さる公爵家に引き取ってもらいました。お屋敷に大きな温室がありますので、その中でのびのびと飼われています。」

「お優しい方だ。」私は感心した。

「ええ、僕もそう思います。」少し照れながら、アーミテージ氏はそう、のろけた。


アーミテージ家から旅館に戻ると、ホームズも戻っていた。なんだか機嫌が悪そうだ。

「どうして一人で行ったのよ。」

「え?何が?」

「アタシも行きたかったのに、アーミテージ家に」

「なんで?」

「ストーナーのお嬢さん、いや、アーミテージ夫人にぜひ聞きたいことがあったのに。」

「だって、事件はもう終わりだろう。そりゃあ、君としては、ジュリアさんの死がロイロットによる殺人だって、証明できなかったことは、残念だろうけど」

「いいえ、終わってないわ。」

「は?」

「明日、またお邪魔するのよ。今度はアタシと二人、ヘレン・ストーナー・アーミテージ夫人に」


翌日、ホームズと二人で、再びアーミテージ家を訪れたときの、決まりの悪さといったらなかった。

同じ家に、二度も押し掛けるなど、紳士のやることではない。アーミテージ氏も怪訝な顔をしている。

「ごめんなさいね。どうしても奥様に確認したいことがあったので。」ホームズはいつもの甲高い声で主人に話しかけた。


小さな東屋に通された。小さな庭にバラが植えられ、6月ともなれば、きっと芳しい香りがすることであろう。10分もたたないうちに、ストーナー嬢、今やアーミテージ夫人だが、が現れた。黒い喪服ではなく、柔らかなクリーム色のドレスを身にまとっているので、一辺に若返ったような感じがした。

「ホームズさま、Dr.ワトスン、本当にありがとうございました。」

「アーミテージ夫人、お元気そうで何よりです。」私が答えるとストーナー嬢は微笑んでいる。

「ストーナーのお嬢さん、最後にアタシの推理が正しいか、ちょっとお付き合いくださいな。」

その言葉に我々二人は、顔を見あわせた。

「ストーナーのお嬢さん、お姉さんのジュリアさんの仇が討てて満足ですか?それとも、ロイロットの罪状を洗いざらい警察に暴いてもらったほうがよかったですか?」

「ホ、ホームズ君、何を言い出すんだい?」

「この事件は、お嬢さんの敵討ちだと思っているのよ。それもアタシを使っての。」

「なんのことですの?おっしゃってる意味が分かりませんわ。」ストーナー嬢は青ざめた。

「アタシは、お嬢さんのお話に腑に落ちない点をいくつか見つけたの。さ、長くなるかもしれないから二人とも座って。」ホームズはベンチに腰をおろし、我々にも促した。「ワトスン君。お嬢さんが気分が悪くなったら、介抱してあげてね。」

「お話をお続けください。」ストーナー嬢が答えた。緊張しているのか声が固いが、しっかりとした受け答えである。

「まず、大変込み入ったお話でした。でも、自分の命が狙われているのに、お嬢さんの話しぶりは、整然としていて、とても、理性的でした。常に、あの野人に虐待され、いえ、そうでなくても、女性は男性のような仕事の取引や会談には慣れていないものでしょう。きちんと初めて会った相手にわからせるようには、話せないはずですわ、ファリントッシュ夫人もそうでした、解りにくい話でしたわ。

 でも、お嬢さんは違う。ロイロットの財産分与のこと、お姉さんの死。屋敷の間取り。どれもとてもわかりやすかったわ。」

「それは、ホームズさまの、お買い被りですわ。」

「それと、あの野人、いえロイロット博士の行動です。まず、あの野人はアタシを脅かしに来ました。それも、非常に荒っぽい雑なやり方でね。狡猾なのかもしれないが、自信過剰で粗雑だと思いましたわ。お姉さんとあなたの始末もです。2人とも同じやり方で殺そうとするなんて、しかも、部屋まで同じで、これでは10歳の子供だって気がつくわ。」

私は、ヘレン・ストーナー・アーミテージ夫人の顔を見た。青ざめてはいるが、口元に笑みを浮かべている。これは不思議な光景だった。

「疑惑が確信に変わったのは、お部屋を見せてもらったときです。お嬢さん、アタシにおっしゃいましたよね。部屋を毎日掃除しているって。あの野人のことだから、ミルク皿を出しっぱなしにしていりことも、鞭をそのままにしていることも、お嬢さんは何度も見ているだろうって。だから、アタシ、こう思ったの。お嬢さんはアタシを使ってお姉さんの敵討ちをするつもりなんだろうって。違いますか?」

ストーナー嬢は、顔を上げた。私は初めて彼女の瞳が琥珀色をしているのに気づいた。鋭い眼差しがホームズを捕えている。

「さすがは、ホームズさま。何もかもお見通しだったわけですね。私を官憲に引き渡しますか?」

「その前に、アタシの質問に答えていただきたいわ。お姉さんの死が、ロイロットによる謀殺だと、いつ気づいたの?」


「母が亡くなってから、私はロイロットに苛め抜かれました。食事がまずいといっては鞭うたれ、階段に埃があるといっては殴られました。体はあざだらけでしたが、狡猾なあの男は、決して、他人様に見える部分は殴らないのです。それを庇ってくれたのは、姉のジュリアだけでした。召使なら逃げ出せますが、私は、いえ、私たちはあの男の奴隷だったのです。」

酸鼻な話に、私は息をのんだ。

「そんな生活から抜け出せると、私は姉の結婚を心から喜びました。ところが、あの恐ろしい死。悲しみの後、私は姉の遺品を整理しながら、あの部屋の異常さに気がついたのです。そう、固定されたベット、ロイロットの部屋にあけられた通気口。そして、あのならない紐。私は、ロイロットの部屋にミルク皿が置いてあることも見かけました。ロイロットが何か私の知らない動物を、部屋にかっていることは明らかでした。でも、どうしても、姉の死と結び付けることはできませんでした。」

ストーナー嬢は大きく息を吐いた。

「ブランディを飲まれますか?アーミテージ夫人。」私は気付けのブランディをすすめた。

「まだ、大丈夫ですわ。Dr.ワトスン。」

「姉が死ねば、姉の取り分はロイロットのものになります。私が死ねば、母の財産は全てあの男のもの。状況証拠も動機も十分あるのに。警察にはそれが見抜けない。はっきりとした証拠がないからです。もし、私が男ならば、あのロイロットを法の外で始末したでしょう。でも、女の身で何ができましょう、相手は怪力の持ち主、村の男たち誰もが飛んで逃げるような怪物に。」

ストーナー嬢の頬が紅潮し、眼が輝きを帯びてきた。

「そんなとき、私は、ホームズさまのお噂を聞いたのです。この方ならば、姉の仇を討ってくれるに違いない。ロイロットを破滅されてくれるだろうと。私は、ファリントッシュ夫人に、紹介状をいただき、そして、あなたにお会いしたとき、正確に話せるように、こっそりと練習いたしました。

 そんなとき、パーシーとの婚約が決まりました。私が考えた通り、私は姉の死んだ部屋を使うように言いつけられました。姉と同じように私も殺すつもりだと確信し、口笛の音を聞き、あなたのところに伺ったのです。ロイロットにつけられていたとは思いませんでしたけど。まさか、毒蛇だとは思わず、お二人の命を危うくされたことは、心からお詫びいたします。これから警察に行ってすべて話します。」

立ちあがろうとするアーミテージ夫人をホームズは押しとどめた。

「せっかちなお嬢さんね。アタシたちは警察じゃないわ。ね、ワトスン君、そうでしょう。」

不審そうな顔をするアーミテージ夫人に、ホームズはにっこりとほほ笑んだ。

「パーシー・アーミテージさんと末永くお幸せに。ヘレン・ストーナーお嬢さん。ロイロットは自滅したのよ。暴力を使うものには暴力が返ってくるのよ。あなたは何もしなかった。それどころか、いのちを狙われたのよ。正当防衛だわ。それに、ジュリアさんのことを放置してあの野人をのさばらせた、警察にも、いえ、あなた方姉妹が虐められているのを放置した村の男たち全員にも罪があるわ。」ホームズはきっぱりと言った。言葉遣いは奇妙でも、こう言ったときの彼は、どんな男よりも男らしい。

「ヘレン・ストーナー・アーミテージ夫人。どうぞ、ご安心下さい。この事件は、ホームズと私2人の胸のなかに納め、決して公表はいたしません、あなたの名誉のために。あなたが生きている限り永遠に。」

「ありがとう。ホームズさま。ありがとう。Dr.ワトスン。」

差し出された彼女の両手を、ホームズと私はしっかりと握った。

「お姉さんの分まで、どうぞお幸せに。」

「ストーナーのお嬢さん、あなたは本当に勇気のある、素晴らしい女性だわ。」


晴れ渡った空のもと、私たちはストーク・モーランを後にした。


「あんなカッコいいこと言っちゃって。後悔してるんじゃないの?ワトスン君。」

帰りの汽車の中でホームズが言う。

「いや、なんといっても彼女の幸せが一番だよ。」

「ああら、あんな奇妙な事件、二度とないかも?」

「一応、原稿用紙に書いて、書棚に鍵をかけておくさ。」

「うふふ、未練たらたらね。」

「でも、陰惨な事件だったね。ホームズ君。」

「悪事にしか頭を使わないものなのよ。犯罪者って。でも、もっと悲惨なのはね」ホームズが声を潜めた。「本当に酷い目にあっている人間は決して他人に助けを求めないって事なの」

「まさか」私はぞっとした。「じゃあ、多くの犯罪が」

「そう、闇から闇へって事なのよ。」




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