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王権の鍵〜Kingdom hearts〜  作者: たかぽん
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カオスフィナーレのアンチテーゼ

奇病精神病にて、本来こちらに載せるべき内容を載せたので、これから、こちらにスピリチュアルメインの話は載せていこうかと思います。よろしくお願い致します。



 混沌の終幕。これは今となっては無数に用意されている。現今の世に於けるカオスは勿論。

次元は違えど実在する混沌の塊アビス。


 ある時期まで私は、天国も地獄もないと考えていた。しかし、アビスを身近に感じてからは、何故あんなものが存在するのかについて考えた。


 アビスは、地獄のそこにあるとされる奈落と、仮定してみた。やはりそこにはいくつかの矛盾が存在していた。


 個人的な見解ではあるが、人は死後。天国または、地獄に振り分けられる。地獄に落ちたら一環の終わりではなく、そこでは苦しみ抜いた果に、贖罪をする機会が与えられているようだ。恐らく自殺者はこちらに封入されることだろう。


 だが奈落はそうは行かない。幾億の暴力と性暴力。怨嗟と憎しみに満ち溢れ、禍々しい憤怒の念の塊のような場所である。こちらに入れば永遠に出ることができない無限の地獄だ。


 しかし、私はある程度人の人生には道筋のようなものがあると思っている。生まれながらにしての悪人が居ないのならば、何故アビスの如き餓鬼畜生の住まう、無限牢獄のようなものが必要だったのかが未だにわからない。道筋を敷けるものが存在するなら、奈落に落ちるような悪行を行う道筋など存在しなければいいでは無いのか?しかし、残念なことに奈落は存在する。ここに、人の意志は不滅であり、永遠の存在を感じてしまう。故に永遠に人が罪業から赦しを得ないと言うならば、いっそ滅却すれば良いものを何故に、意識と悪意と殺意を残すのか?それは恐らく悠久のときの果に我らは気を穏やかにする日がいつの日か訪れるであろうことを信じられているのかも知れない。と言うことである。詰まり、悠久の時の果てには心を穏やかにし、罪の意識を持ち、贖罪を望み、贖罪を終え、いつの日にか、奈落も地獄も、天国も、穏やかな平和が訪れるのではないか?と、楽観的な私は考えている。


 仮にそうだったとしても、今こそ万事。たった今の行いを改め、心を穏やかにし、平和を求めて止まない心を身につける時。残念ながら今の私はそう思いつつ、今尚混沌に見を置いたままの人間だ。あなた達はどうか、混沌などに関わりのない、なるべく平穏な人生を歩んでほしい。精神の病とは自らを疎んだ時に始まると思う。世界を疎んだ時、同時に自らを疎んではいけない。今の私が正にそうであるように、アビスを身近に感じてしまうことになるだろう。

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