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二層式洗濯機

作者: 山本 lemon  栧子

   二層式洗濯機

                   山本 lemon 栧子



 玄関の方で耳をつんざくような声がした。朝から空気を切り裂くような声。母の声みたいだったが、そんなはずはないと打ち消した。

 今日は一人暮らしだった母が我が家へ引っ越してくる日で、今し方、玄関前で私の車から降りたばかりだった。大急ぎでガレージへ車を入れた。車を降りると、明け方まで降っていた雨の湿気と七月の蒸し暑さが肌に絡みついてきた。

 家の前で母がくの字になって倒れていた。顔をしかめ「痛いや……」とつぶやき肩で息をしていた。駆け寄って母を抱き起すと、私の額や首筋から汗がふきだした。

「どうしたが、大丈夫?」

「花が綺麗だったから見とれとったら、階段を踏み外して。膝を打ったがみたいわ。あれ痛いや……」

「腕も擦り剥けて血が出とるわ。頭は打たんかった?」

母の顔を覗き込んで訊くと打っていないといったが、膝を押さえたまま立ち上がれない。割れた膝小僧から流れた血が、濡れたコンクリートを赤く染めていた。

玄関へ上がるのに高さ十五センチほどの階段が三段ある。玄関前のプランターには、日日草やマリーゴールドが色鮮やかに咲いている。コンクリートの上につっかけサンダルが転がっていた。平生から靴を履くようにいっているのに、つっかけサンダルなんか履いているからだ、と私は舌打ちした。

半べそをかいて、母は幼児のように痛いと訴えた。抱きかかえ立たせると歩けるというので、脇を支えながら玄関の上がり框に腰かけさせた。右膝が三センチばかり切れていて、血が止まらない。左膝も擦り剥けていた。傷口の血を拭き、ハンカチで上から強くしばって応急処置をした。

十時には母の荷物が我が家に到着する予定になっている。もうすぐである。

「ちょっと様子を見ようね。とりあえず台所の椅子で休んでおられ」

 母はこっくり頷いた。

 八十歳の母は三十年近く一人暮らしをしていた。左目が緑内障のため失明しているほかは持病もなく、すこぶる元気だったが、昨年の冬頃から食品の買い物が苦痛になったとか、ゴミの分別をして出すことができないと言うようになった。ゴミの分別は紙類、ビニール、ビン、不燃物と細かい上に、回収日も違うので忘れたりするとやっかいなのだった。

 私には兄が一人いる。大阪に住んでいる兄夫婦は、母と同居してもいいと言うが、母は大阪へ行こうとはしなかった。父が亡くなってからは、ずっと一人暮らしが気楽で誰の世話にもなりたくない、が口癖だった。病気になったら老人病院へ入るのだとも言っていた。だから元気な内はできるだけ私がサポートして、母の一人暮らしを続けさせたいと思っていた。

 母は目が悪いので、よく転ぶ。昨年の十一月にも道で転んで、腕と腰を打撲した。ちょっとした段差につまづいて、バランスが崩れ転倒したらしい。連絡を受け大急ぎで病院へ行った。

 レントゲン写真を見た医師は、

「圧迫骨折していますね。若ければ時間が経てば回復しますが、ご高齢なので元通りになるのは難しいかもしれません」といった。

 諦めずマッサージと温湿布を続け、痛みが和らぐまで四か月もかかった。毎日母の家へ通い、痛がるのを見ている私もつらかった。つい夫の峰雄に愚痴をいう回数が増えた。

「美智子、あんたも大変だなあ。お義母さんの一人暮らしも限界じゃないのか。家へ来てもらったらどうだ。その方が安心だろう」

「いいの? そりや同居できればそれに越したことないけど、うまくやれるかな」

 あの母さんと……という言葉は口に出さなかった。

仕事の合間に云ったり来たりしている私を見かねて、峰雄がそう言ってくれたことは、嬉しく有難いことだった。

 母は電気製品や高価な衣服を買うときも、不用なものを捨てるときも、見舞いや祝いの品をえらぶときも,一人で決めてしまう。太っ腹で金離れがいい気性は、私に遺伝しなかった。

うちへ来たら、というと一瞬母はまんざらでもなさそうな顔をした。

「えぇー、いまさら知らん町で暮らせようか? それに美智子のとこに私の部屋ちゃなかろうがいね。行きたくないちゃ」

「二階に空いてる部屋あるよ」

「二回でちゃトイレに行くのに不便だから、嫌やわ」

 母は同居したくない理由を並べた。

「身の回りの者だけもってきて、帰りたくなったらいつでも帰っていいし」

 私は軽く考えていたが、母はあれもこれもなければ生活できないと言い募った。やはり同居は簡単ではないと思った。

 私たちは結婚して三十年になる。娘は嫁ぎ、息子は他県で就職していた。あと三年ほどで定年を迎える峰雄は、今のところ月の半分が出張である。私たちの側には支障はないが、新しい場所で暮らす母の立場になれば、すんなり決心できないのも分かる。その後も同居の話は生まれては泡のように消えた。

 母の言い分を知った峰雄は、長年古い家で過ごした母のために、部屋を増築しようと言い出した。ついでにトイレと台所もリフォームしようというのである。兄夫婦に相談すると、願ってもない話だと快諾してくれた。

 増築の話が具体的になるにつれ、娘の世話にはなりたくないと言い張っていた母に、変化が見えるようになった。

 古くなった家屋のことや持病の緑内障のこと、これから先のことを考えるように、兄からいわれたからもあったろう。 

 南側に縁側の付いた六畳間が完成間近になり、母は嬉しそうに引っ越すことをご近所に話していた。


 おもてで人の声がした。荷物が到着したようだ。

「ご苦労様です。よろしくお願いします」

「どうも……、雨か上がってよかったですね。荷物の置き場所を支持してくだされば、全部やりますから」 頭にバンダナを巻いた運転席の青年が挨拶して、若い二人にテキパキと指示を始めた。二人ともどっしりした体格で、力がありそうだった。トラックの道案内をしてきた峰雄が、車を近くの空き地に停めて帰ってきた。

 母の怪我のことを説明すると、峰雄は驚いて台所へいった。

「大丈夫ですか、痛いでしょう」

 床に点々と血がこぼれており、ハンカチが落ちていた。

「母さん、ハンカチとったの。だめじゃない、止血しているのに」

「ちょっと傷を見てみようと思うて」

 母はおろおろと言い訳をした。私の言い方がきつかったのだ。

「これはひどいよ。すぐ医者へ行った方がいいね」

「日曜日なのに、どうしよう」

「救急病院へ連れて行くよ。俺がついていくから、あんたは残って荷物の指示をして、引っ越しを済ませておいて」

「峰雄さん、申し訳ありません。こんな大事な日に怪我してしもうて」

 母は恐縮して消え入りそうな声でいった。峰雄は車を空き地まで取りに行き、母を助手席に乗せ病院へ向かった。車を見送りながら、これからのことが少し不安になった。

 作業員たちは玄関から廊下へ段ボールを敷き、荷物を運びいれた。母には身の回りの物と貴重品だけ持っていくように言い聞かせ、私も一緒に荷造りを手伝ったつもりだったが、荷物は多くなった。タンス、鏡台、テレビ、布団や温風ヒーター、他に雑貨や小物をつめた箱が三十個ほどあった。

「洗濯機はどこに置きますか? 二層式ですね」

 若い作業員が珍しそうに訊いた。引っ越しの準備のとき、二層式洗濯機をどうするか問題になった。

「家に全自動洗濯機があるから、持ってこなくていいよ」

「全自動? それちゃなにけ、そんなもんでちゃ洗濯できんわ。家のを持って行かんとどうするがけ」

 不機嫌そうに母はきっぱり言った。

「置くところないし、洗濯はしてあげるから心配しなくていいよ。全自動ってすごく便利で手間いらずなんだから」

「自分のものぐらい自分で洗うわいね。外に置くとこあるやろう。外に置かせてよ」

「外だと雨に濡れてだめでしょ」

「どうしても持っていく」

 母は譲らなかった。同居して少しでも母の日常の生活を楽にしてあげようという気持ちがなかなか伝わらなかった。

 荷物の運び入れは昼に終わった。丁寧な仕事をする人たちでよかった。用意した簡単な弁当を作業員の人たちに食べてもらうことにした。台所の床に敷いた段ボールの上に円座になり、食事が始まった。

「おばあちゃん達遅いですね。大丈夫だったですかね」

 若い作業員が冷茶をすすりながらいった。

「年を取ると骨が角砂糖みたいにすかすかになっている人が多いといいますね。骨粗鬆症っていうんですか」

 バンダナの青年が、怪我がボケの始まりになった親類の年寄りの話しをした。食後のコーヒーも飲んで運送会社の人たちが引き上げていった。峰雄と母はまだ帰ってこなかった。台所のかたづけをしながら、骨が折れていたのだろうか、寝たきりになったらどうしょうと、悪い方にばかり考えた。

 母と一緒に両隣と向かいの家へ挨拶に行く予定だったのにと、柱時計が刻む音をじれったく聞いていた。

 午後一時半を過ぎたころ、二人が帰ってきた。母は疲れた様子で、お腹がすいたという。台所のテーブルで昼食にした。

「骨は折れとらんかったけど、五針縫うたがだよ」

 と母が言った。

「今日は市民病院が当番医だった。受付していると救急車が来て長い間待たされたんだよ」

「それで遅かったのね」

「出血がひどいから縫うことになって、明日から毎日消毒に通ってくださいと言われたよ。抜糸まで十日ほどらしい。骨折していなくて本当によかったですね」

 峰雄は母を労わるように言った。軽い怪我で済んだ安堵感と峰雄への感謝の気持ちでいっぱいになった。

「一時間ベッドに寝て待っとったが。それからレントゲンを何枚も撮られたがよ。看護婦さんが、交通事故で運ばれてきた女の人が、今し方亡くなられたといわれて寒気がしたわ」

「そう、亡くなったの。ところで明日から朝は送って行くけど帰りはどうしようか?」

「お義母さんの仕事の日はタクシーで帰って来るちゃ。心配せんでもいいよ」

 母は私をお母さんと呼び、しっかりしたことをいう。この分なら一人でも大丈夫だと思った。母はおいしそうにご飯も魚もサラダも残さず食べた。

 夜になって暑さも幾分和らいだ。寝る前に母にシャワーを浴びさせた。膝を濡らさないようビニールで傷を覆った。そのとき傷を見ると、黒い糸で縫われ膝全体が赤くはれていた。こわばっているが痛みはないといった。母の体は皮膚がたるみ、足も尻も筋肉がなくなっていた。腰も少し曲がっている。丸い背中を石鹸で洗いシャワーのお湯をかけた。随分歳をとったなあと愛おしくなった。

「ありがとう、いい気持ちや。ありがとう」

 母の声がシャワーの音と重なった。


 十日間外来へ消毒に通い、抜糸が済むと普通の日々が訪れた。

 お盆が過ぎ、日足が少し短くなった日のことである。

 仕事から帰ると夕暮れの家の前に母が立っていた。ベージュの小花模様のブラウスに黒いスカート姿で小奇麗だった。パーマをかけたのか、髪型が変わっていた。

「もう来るころだと思って、出て待っとったが。足も治ったから、美容院へ行ってきたが」

 母は畳みかけるように話した。昼間は一人だから私の帰りが待ちどうしいのだ。今日だけではない。たまには道草もしたいのだが、遅くなるとすごく心配する。私のことを「お母さん」と呼ぶくせに、子ども扱いをする。私を待たずに先に食べていてといっても待っていた。そのくせ、夕飯が遅くなると寝るのが遅れると文句をいう。あまり待たれると私は息苦しくなった。

「今日、メガネがなくてね、どこを探しても見つからんがよ。お母さんどこかに隠したがけ」

「隠すわけないでしょ。どこかにしまい忘れたんじゃないの」

「なあーん、どこ探してもないもん」

 盗まれたとか隠したというのは認知症の始まりと聞いている。違う環境へ来て、母はおかしくなったのではないか。

 居間で使ったというので棚や箱の中や新聞入れを探したがない。次に母の部屋を探すことにした。押入れの収納棚や整理ダンスの中にも見つからない。母は私の横で「やっぱりないね」とため息をついた。なにげなく鏡台を見ると、ヘアブラシの横に老眼鏡があった。

「ここにあるけど、これじゃないよね」

「あれ、どこにあったけ。これこれ」

 たちまち相好を崩して、メガネをかけた。

「このメガネ、いいかげんにしられ。年寄りだと思って馬鹿にして、どれだけ探させるがけ」

 母はいきなりメガネを叱りつけた。


 母は夜の九時ごろ床に入り、朝は五時前に起きているようだった。遠慮してか、六時半になるまで自室にいて、それから仏壇の花の水を替え、朝食の前にお経を唱えた。私にもいっしょに仏前で合掌するよう命じた。峰雄が起きてくると、

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 と神妙に頭を下げた。峰雄もあわてて、こちらこそと返す。峰雄が出かけると、母は外に出て自分の洗濯を始めた。二層式洗濯機は東側の軒下に置いてある。洗濯機を回している間、母は花壇の花をゆっくり眺める。

「黄色はマリーゴールド、赤はサルビア、紫はサフィ‥…ニア、難しい名前だね」

 ジョーロで水を撒きながら花とおしゃべりしている母に、朝の光がきらきらと降り注いでいた。

 脱水が終わると、下着とハンカチとタオル一枚づつ、それだけの洗濯ものを広げ、パンパンと叩いて干した。

 母は下着やタオルは毎日、シーツと枕カバーは週に一度洗う。二層式洗濯機に休日はなかった。二層式はすすぎに手間がかかる。全自動式に買い替えるまで、私も二層式を使っていたので、よく知っていた。

 初めて電気洗濯機が実家に届いたのは、私が小学生のときだった。洗濯層の横に手回し式の脱水ローラーが付いていた。曽祖母、祖父母、両親、兄と私の七人家族ともなれば、洗濯物はいつも山のようだった。

 母はそれまでポンプで水を汲み、たらいと洗濯板で洗っていた。固形の石鹸でごしごしこするので、母の手はいつも荒れていた。洗濯機は手間を格段に軽減してくれた。最も喜んだのは絞るローラーだった。厚くて絞りにくいメリヤスの下着は、乾きにくかったのである。ローラーの間を通ると洗濯ものは薄いせんべいのようになった。

「脱水機ちゃなんていいもんなが。大発明やわ」

 子供みたいに喜んだ母の顔をふと思い出した。二層式洗濯機は社会人になった私が母にプレゼントしたものである。昭和四十三年ごろだったと思う。十二回の月賦で買った。二層式は洗濯層と脱水層に分かれていた。遠心力を利用した脱水層は勢い弱く回り、脱水力は抜群だった。厚手のものでもボタン付きでも大丈夫だった。乾く時間と母の洗濯時間は著しく短縮された。

 全自動洗濯機が登場したとき、母は買い替えようとはしなかった。二層式は母の信頼を得ており、よきパートナーでもあったのだ。

 洗濯機に限らず電化製品は進歩していて、便利で省エネになっている。しかし、壊れなければなかなか買い替えられないものもある。母の二層式洗濯機も壊れなかった。

 今の母にはたくさん時間があり、手間がかかることなど厭わない。洗濯を趣味にして、楽しんでいるようだった。午前中は東側、午後から南側に竿を移動させ、よく陽に当たるように工夫した。

「ほっといても乾くでしょ。いちいち移動することないのに」

「せっかくのお日様がもったいない」

「そんな長い物干し竿を差し上げて、また腕が痛くなるよ」

「これくらい持てる。動かにゃどうするがけ」

 八十歳の言葉とは思えなかった。毎日洗濯しない私に、

「毎朝せんがけ、なまくらな……洗濯ちゃ毎朝するもんだ」

 容赦なく切り捨てるように言った。私は週に三、四回しか洗濯しない。洗濯機が大きいので毎日する必要がなかった。節水にもなって一挙両得だと思っているくらいだ。

洗濯ひとつにしても母とはやり方が違う。それ以上の小言は聞きたくなかったので、そそくさと家に入った。考えると気が重くなるので、さっと化粧しパートへ出勤した。


 土曜日の午後、幼なじみの聡美が訪ねてきた。聡美は隣の市に住んでいるが、一日おきに姑の様子を見に

くる。ついでに私の母の顔を見に寄ったのだといった。

「いらっしゃい。母は銭湯に行ってるのよ」

「お母さんとの同居はどう? 自分の親と暮らせるなんて理想的だわ。お母さんも喜んでおられるでしょ」

 聡美も他の友人と同じことをいう。親との同居は桃源郷に見えるらしい。

「三十年も別々に暮らしてたからね。生活の時間帯からご飯のやわらかさまで微妙に違うことばっかり。テレビの音にも気を遣うわ。疲れるよ」

「やっぱりね。うちのお姑さんは八十四で一人住まいだけど、できればいっしょに住みたくないわ。頑固だからね。まだ一人で頑張る言うて、食事の支度もやるから助かるよ。近所の医者へも一人で行けるし、私は買い物と掃除をしてくるのよ」

 聡美の姑はヘルパーさんを嫌がるのだそうだ。

「嫁なら遠慮があるだろうけど、娘は幾つになっても子ども。私がシーツを洗濯した日まで記録しているし、トイレや台所が汚れていようものなら大変よ。食事だって手を抜くと、ろくなものを食べていないと人聞きの悪いことを言う。いつも監視の目を光らせてるわ」

「アハハっ……。そりゃストレス溜まるわ。お母さんが元気な証拠じゃないの。喜びなさい」

 私だって分かっている。元気な母の方がありがたいのだと。

 子供のころ勉強より手足洗いに厳しい母だった。暇さえあれは掃除か洗濯をしている母だったから、潔癖症は知っているつもりだった。が、私の認識は甘かった。そんじょそこらの潔癖症ではなかった。

 同居してからは毎朝欠かさずに家中に掃除機をかけさせ、更にモップで床を磨かせた。家具の乾拭きは母がする。食器は湯通しして二度拭きする。母のいう通りにすれば摩擦は起きない。しかし、私にはできないことだった。毎朝しない洗濯も、私流を認めさせるには、何度も話し合い、説得しなければならなかった。自分のやり方が正しいと疑わない母に、合理性を説くのは至難の業だった。

「あんたの旦那さんはなにかいわれる?」

「初めから分かっていたことだって。お母さんは変わらないよと……」

「そうだね。あんたはお姑さんに仕えたことないがだから、今修行をさせてもらっていると思って、親を大切にしなさいね」

「なぜ私が母に仕えなければならないのか、分からないわ」

 愚痴や不満を茶菓にして紅茶を飲んでいると、母が帰ってきた。

「いらっしゃいませ」

 母は畳みに手をついて丁寧に挨拶した。

「お邪魔しています。美智子さんと一緒でいいですね」

「はい、幸せです」


 同居するようになって四カ月が過ぎた。些細なことで喧嘩もしたが、お互いの呼吸も分かってきて比較的平穏な日々が続いていた。

 虫の声が日毎に弱々しくり、秋の終わりが近づいていた。二、三日冷たい雨の日が続いていた。窓を閉めると外の音が消え、夜が長くなった。その日、峰雄は留守だった。夕ご飯は母の好物の鰈の煮付けとほうれん草の胡麻和え、煮豆などが並んでいた。自分の歯が

二十四本あるのが自慢の母は漬物をぱりぱり嚙んだ。

「私ね、あんたに感謝しとるがいぜ。この歳になって初めて庭の花が綺麗だと気がついた。今まで庭もない家で、花を植えたことちゃなかったもんね。それから新しい部屋に住まわせてもろうて、毎日温泉旅館に来ておるみたいに幸せだわ。ここに来るまで八十年かかったちゃ」

 大正十四年生まれの母は、十五歳で母親を、十七歳で遠洋漁業の漁師だった父親を亡くしていた。二人の兄も漁師だったが、戦争が始まると戦地へ駆り出されていった。母は兄嫁と二人、先の見えない生活をしていたという。

「兄ちゃんたちが戦争へいっている間、袋張りの内職やら近所の手伝いをしておったがや。焼夷弾が降ってきて、ほんとに恐ろしかったよ。よう生きてこられたと思う」

「だから、これからうんと幸せになってほしいんよ」

「はい、はい。ほほほ、そこでね一つ頼みがあるがやちゃ。全自動の使い方、教えてくれない?」

 母は口をすぼめ、気取った笑い方をした。どうした心境の変化か、私は母の顔を覗き込んだ。

「いいけど、どうして急に全自動なの。二層式の調子が悪いの」

「これから雨や雪が降ったら外で洗えんから、習っとこう思うて」

「ふーん。母さんにしたらすごい発想の転換だね。いくらでも教えてあげる。じゃ、ご飯食べたら洗濯機のところで説明するわ」

 洗面所へ向かうと、母はいそいそとついてきた。洗濯機にはピンクや青で色別した機能がいろいろ付いている。

「洗濯物を入れてから、洗剤を計って入れる。次は電源のピンクのスタートボタンを押すだけ。簡単でしょ」「電源とスタートボタンだけ、あらまあ……」

「毛布やドライクリーニングのときは青のコースを選ぶだけでいいの。毛布を洗うときはまた教えてあげるね」

 母は最初おそるおそるボタンを押し、二回繰り返し練習した。覚えが早い。

 翌日から、母は全自動を使うようになった。

「あんなに全自動は嫌だといっていたのに」

「そりゃ使ったことなかったもんね。使ってみないとどんなものか分からんちゃ」

 母の洗濯物は下着とタオルと靴下だけなので、所要時間はわずかである。一週間ぐらいは自分のものだけ洗っていたが、少な過ぎるので、ついでに私たちのものまで洗うようになった。全自動洗濯機を使うのがおもしろくてならないというのだった。しかし、私は母に自分たち夫婦の汚れ物を洗濯してもらうことに、強い抵抗感があった。

「私たちの分はいいから、しないでよ」

「ついでだから洗っておくちゃ」

「そういうことじゃなくて。母さんのしてることは、おせっかいなのよ。頼むからさわらないで。して欲しくないといってるの」

「なんちゅう恐いいい方け。いっしょに洗うぐらい、なにがだめなの」

 母は負けずに言い返した。

「親子でも踏み込んでもらいたくないこともあるってこと。言いたくなかったけど、いろんなことを我慢しているのよ」

「なにを我慢しておるいうが」

「時間の違いとか、毎日同じことを聞かされるとか・・・・・それに私はルーズな性格なの。母さんみたいに毎日掃除洗濯に明け暮れていられないの。なんでも自分のやり方を押しつけないで。私をいくつだと思っているの。五十過ぎたんよ。監視しないで」

「いつ監視したけ? ああ、ここへ来るがじゃなかった。老人ホームへ入った方がいかった」

「老人ホームで暮らせるもんですか。洗濯は毎日できないんだから。それより大阪へ行きなさい」

「大阪なんか絶対行かん」

 なぜ大阪の兄の家へは行きたくないのだろう。母はハンカチを目にあてて、鼻水をすすり、畳を叩き、肩を震わせて、おおげさなくらいおいおい泣いた。

 私は母の機嫌をとるつもりはなかった。本当に老人ホームがいいのなら行けばいい。

 母が口もきかずに自室に引っ込むと、私も情けない気持ちになった。母を追い詰めたうしろめたさに落ち込んだ。毎晩見るテレビのニュース番組を見る気もしなかった。遅く帰宅した峰雄に「言い過ぎた」とこぼした。

「きちんと話し合ったほうがいい」

「話し合いにならないの、感情的になって。娘のことをしてやるのは親切だと思っているんだから。してもらって助かることもあるけど、あまり入りこまれるのは嫌ながよね」

「お義母さんはどうしてそんなに洗濯にこだわるのかな」

「昔、家族が多かったからね、早く洗って、乾かすのにすごく苦労してたから、それがトラウマになっているんじゃないかな。自分でも気づかない脅迫観念があるのかも知れんね」

「そうなら、かわいそうじゃないか。したいようにさせてあげたらいい。してもらえばあんたも楽だろう」

「母さんを楽させるために同居したのに、私が楽なんて反対だわ。下着まで洗ってもらうのは気が引ける」

 私には優しさが足りないのだろうか。

「お義母さんが洗う前に洗えよ。それが無理ならしてもらえばいいじゃないか。いずれしたくてもできない時が来るんだから。あんたももう少し呑気におおらかにならないと、同居できないよ」

もう反論も理屈も言えなかった。

「そうね、いつかそんな日が来るんだもんね」 

 急に切ないような悲しい気持ちになった。


 翌日は小春日和のいい日だった。少し風があり空気が澄んでいた。台所でパンを焼いていると、母が来てまじめな顔で頭を下げた。

「昨日はごめんなさい。老人ホームなんか行く気もないのに、こわくさいこと言うて」

「気にしてないよ。ここは母さんの家なんだから、大きい顔しとって」

 そこは実の母子である。花の水を替えたり、食器を並べたりしているうちに、母はいつもの母になった。

遣わなくなった二層式洗濯機を、母と私は綺麗に拭いてビニールシートをかけた。

 秋も深まったある夜、電話がかかってきた。今で大河ドラマを見ているときだった。

「岡部テル子さんのお宅ですか。水野といいますが、テル子さんおられますか」

 水野さんは母の友達で実家の近所に住んでいる。自室の母をテル子さーんと呼ぶと、母はパタパタとスリッパをならしてきて受話器をとった。

「水野さん・・・・・そうですか。置くとこないけ。……はい。じゃ、また遊びにきてください」

「水野さん、どうかしたの」

「外の洗濯機あげようと思ったがだけど、旦那さんが

もらうなと言われて、断ってこられたの」

「また、相談もなしにあげるなんて言ったの。新品でもないのに、気安くあげるなんて失礼じゃないの。運ぶのだって普通車じゃ積めないんだから」

「だって、おばあちゃんの汚れ物を洗うのに欲しいと言われたから」

「お義母さん、あちらから欲しいと言われたのならいいけど、あげるあげると言わない方がいい場合もあるんですよ。今は洗濯機や冷蔵庫を捨てるのにはお金がかかるんです。だから、あげても迷惑なこともあるんですよ」

 峰雄が言い含めるように説明していた。

「まだ新しいし、綺麗だからもったいないと思うたが。使ってもらう方がよかろう……」

 声がだんだん小さくなり、肩を落とした母は叱られた子どもみたいにしょげていた。

 二層式洗濯機はしばらく忘れられていた。


 師走も押し詰まった日、二層式洗濯機は電気店に引き取られることになった。始末したいと言い出したのは母だった。薄日が差す穏やかな午後、電気店の軽トラックがきて、洗濯機が積み込まれるのを、母はそっと見守っていた。

 やがて走り去る軽トラックを見送りながら、

「ありがとうございました」

 と母は丁寧にお辞儀をした。

                     完





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