今日は楽しいひな祭り……の、はずだったのに
誰もが聞きなれた名曲が流れ、ひな人形を飾られた部屋に子供たちの楽し気な声が響き渡る。
大人たちははしゃぎまわる子供たちを諫めながら、談笑していた。
和やかな風景だ。
最上段から見るこの景色ももう何回目だろうか。
あの母親がまだ幼かったころ、あの祖母が少女たちと同い年だったころ。
いつの時代にも私はこの景色を最上段から我妻と共に眺めてきた。
そして今年も、去年までと同じように和やかな雰囲気のまま桃の節句を終えていく。
そう思っていたのだ。
だが現実は私に、穏やかな桃の節句を与えることはなかった。
きっかけはほんの些細な出来心だった。
最上段から見下ろす景色。
何時からだろう。その景色の中でそれが私の目を引き付けるようになったのは。
一段下の左端。整えられた襟の隙間から見える白磁のような少女のうなじ。
名を久という、三人官女の中で最も若い女子である。
毎年のように久のうなじを見ているうちに、私はふと衝動に駆られてしまったのだ。彼女をもっと近くで見たいと。その白磁に触れてみたいと。
事を起こしたのは五年も前のひな祭りのあと。
ひな壇を片付ける際にこそりと動き、久のすぐ横にしまわれることに成功した。
そして暗い倉庫の中、箱からこっそりと抜け出し久のいる箱へと忍び込む。
久は驚いていた。当然だろう。私たちが動けることはもはや常識でこそあれど、ここまで大胆な行動をすることなどここ五十年ではなかったことだ。
だからこそ、私は熱に侵されてしまったのだと思う。
私には妻がいる。だがこの手が久に触れた瞬間、妻に対する罪悪感は背徳感へと変化した。
久は拒絶しなかった。いや、立場が立場だ。拒絶できなかったのだろう。
いつ持ち主が箱を開けるとも分からない緊張感の中、私は久に愛を囁き蜜月を過ごした。
桃の節句の間は妻と並び子供たちを目で楽しませ、それ以外の間を久と二人だけの時間に。
はじめは私という権力を前になすすべのない久であったが、数年を経て徐々に時を楽しむようになってきていた。
お互いが服の下に跡を残し、気づかれるのではないかとドキドキしながら過ごした桃の節句もあった。
一度狂いだした歯車は止まり方を知らず、私たちはより背徳感を求め過激な行為へと身を落とす。
そして当然の結末として、今年の顔合わせの際に妻に気づかれたのだ。
原因は久のうなじにある赤い痣と、私の服に残っていた久の香り。
今年は久のうなじにつけた私の印を見ながら桃の節句を過ごそう。ああ、我ながら愚かな発想だ。
だがもはや悔いても時間は元に戻らない。
あの時代のように、男が好き放題できる時代ではないのだ。
今も左手側から感じる威圧感に、私の肌がじっとりと湿る。脇はすでに洪水状態だ。
肌の腐敗が心配になるほどである。
きっと久も同じであろう。背後から感じる威圧感に、身を震わせているに違いない。そんな久すらいとおしく思えてしまう私は、なんと愚かなのだろうか。
ああ、あと数時間で今年も桃の節句が終わってしまう。
今から始まるのはきっと、妻という鬼の尋問という拷問。
願わくば、来年の今日も五体満足でいられますように。
一時間で書いた作品だ。細かいところを深く考えても意味はない。
Qこの作品を書いた時の作者の気持ちを答えよ
Aお鍋食べたい