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旦那さまとネムル・アルカトさまは、食事を楽しみながら仕事を済ませていく。
クークちゃんとカレーや干したナツメヤシの実を食べていたわたしは、ふと人数が減っていることに気づいた。
「月影、星影はどうしたのですか?」
兄の行方を聞かれて、月影は口の中のパンを飲み込んで答えた。
「兄ちゃんなら殿下のハーレムに行ったよ、です」
ネムル・アルカトさまが、じろりと月影を見る。
月影はきちんとした言葉遣いが苦手なのだ。
「ハーレムに?」
「奥方さまの侍女を連れてくるんだって、です」
わたしは普通に話してもらってもいいのだけど、そうはいかないのが宮殿生活の大変なところだ。どこに耳目があるかわからない。
だからこそ旦那さまは、自分が神獣に変身することを隠すために、この部屋には限られたものしか近づけないのだ。
「侍女ですか?」
「うん。ほら、殿下が武術大会に向けて修行始めるでしょ? その間、奥方が寂しくないようにって、です。本当はお昼の後で連れてくる予定だったんだけど、チビちゃんが来たから」
「……そうですね」
膝の上のクークちゃんを見た。
クークちゃんもわたしを見つめる。
わたしたちは微笑み合った。
旦那さまが蜜月でお休みだから、部下のネムル・アルカトさまは忙しい。
このままクークちゃんを預かってもいいかもしれない。
ただ心配なのは、その侍女をどこまで信用していいかだ。
ハーレムの女性なら旦那さまに恩義を感じていると思うが、人の口に戸は立てられないという言葉もある。旦那さまが神獣に変身することを知っても、ちゃんと黙っていてくれる人だと良いのだけれど。
それとも夜はハーレムに帰ってもらうのかしら。
今のところ旦那さまは、夜わたしと寝台にいるときしか変身したことはなかった。
「メシュメシュさま」
「あら、なぁに?」
いきなりの『さま』付けは、さっきから彼女がわたしの名前を呼ぶごとに、小声で『さま』と囁き続けていたネムル・アルカトさまの努力の結晶だった。
クークちゃんは愛らしい笑みを浮かべて、わたしに抱きついてくる。
「クークね、メシュメシュさま大好き」
「ありがとう。わたしもクークちゃんが大好きですよ」
「大好きなのは、メシュメシュさまがととさまにそっくりだからです」
「……え?」
月影が笑いを噛み殺している。
わたしは少し混乱していた。
ととさま? ととさまは『父さま』だろう。妹もそう呼んでいた。
自分の父さま、マズナブ王国の熊王アルドの顔が思い浮かぶ。
娘の欲目かもしれないが、それなりに整った顔をしていると思う。
背も高いし……でも横幅も広い。
獣化していなくても、鉄より硬い筋肉の持ち主だといわれている。
……似ているのかしら。
ううん、落ち着こう。クークちゃんはうちの父さまを知らない、はず。
「申し訳ありません、奥方さま」
「ネムル・アルカトさま?」
「うちは、姉も母も荒々しいのです。駆け落ちなどしてしまいましたが、義兄は穏やかで優しい人です。姪は、そこが似ていると言っているのでしょう」
「うん。ととさま優しいの。メシュメシュさまと同じなの」
「そうなの。嬉しいわ、ありがとう」
わたしはホッとして、クークちゃんを抱きしめた。
旦那さまが、からかうような口調で話に加わってくる。
「しかし虎夫人と姉君は荒々しさの種類が違うだろう。虎夫人が腕に装備した半月の刃だとしたら、姉君は鎖を振り回して攻撃するトゲトゲのついた鉄球だ」
「旦那さま、ネムル・アルカトさまに失礼ですよ!」
「いいえ、奥方さま。今のはとても的確な例えだと思います」
「……そうなんですか」
話しているわたしたちを見て、クークちゃんは不思議そうに首を傾げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しばらくして星影に伴われてやって来たのは、真っ赤な髪の女性だった。
肌も赤銅色で逞しく、星影よりも体が大きい。
もしかしたら、と前世遊んだゲームの画面を思い出す。
移動画面のチビキャラだけで、バトル用の3Dモデルもセリフ枠横の顔のアップもないモブだったけれど、彼女はあの、旦那さまのハーレムについて教えてくれた女性ではないかしら。
年齢は、星影月影の双子と同じ二十歳だという。
女性にしては低い声が自己紹介を始める。
「ベルカと申します。無骨もので侍女の仕事は向いていないと思いますが、護衛としてなら自信があります。今日から命を懸けて奥方さまをお守りさせていただきます」
「よろしくね、ベルカ。だけど命は懸けなくてかまいません」
「ですが」
「命を懸けるようなことになる前に、一緒に逃げてください」
「……かしこまりました」
わたしの父さま熊王アルドは、たぶんファダー帝国のだれよりも強い。
でも父さまは、どんなに強くても限界があるということをご存じだった。
趣味で戦いは好んでも強さがすべてだとは思っていなかった。
母であるおばあさまが、わたしと同じ『できそこない』だったからだろうか。
父さまは弱いことを否定しなかったし、生まれつきの強さよりも弱さを補うため身につけた知恵を尊んだ。武術の稽古より本を読むほうが好きな皇帝陛下を支持しているのも、そこに由来するのかもしれない。
「ベルカ、突然すまなかった。朝食はもう済ませたのか?」
「それは……はい、もう」
「……ウソをつくな。殿下、彼女は食事の前の鍛練中でした」
「星影!」
ベルカと星影は親しいらしい。
旦那さまが微笑んで、ベルカにわたしの横に座るよう命じる。
星影も月影の隣に戻り、朝食の時間が再開した。