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「殿下っ!」
皇帝陛下との話が終わって戻った久しぶりの皇太子の間には、月影が待っていた。
駆け寄る弟を諌めようとする星影を、旦那さまが止める。
応接間に座り、ベルカがお茶を持ってくるのを待ちながら、旦那さまが口火を切った。
「……月影、どうだった? 殺してないか?」
「殺してないよー」
月影が笑みを浮かべ、星影が口を開く。
「徴税役人をしていた商人から、辞職したいとの願いが届いています。本職の店のほうが忙しくなったから、と。もちろん殿下がお帰りになるまでは、と返事は引き伸ばしています」
「違約金のことは?」
「いくらでも払う、と叫んでおりました。もっとも時間が経つと冷静になるかもしれませんので、勝手ながら何度か月影を派遣いたしました」
「うん! 俺、頑張ったよね、兄ちゃん!」
月影は徴税役人の護衛をしていた……わけではないのかしら。
そっと視線を送ると、旦那さまはイタズラな笑みを返してきた。
「月影の役目は幽霊だ。徴税局ができる前、ファダー帝国は雇った商人たちに税を前納で建て替えさせる代わり、実際の税率を自由にさせていた。金の亡者どもにそんな権利を与えたら搾り取るに決まっている。高額の税金が払えなくて、多くの村が働き手の若者を奴隷に売った。それでその年の税は賄えても、働き手がいなくなれば来年の収入は減ってしまう。そしてまた若者が売られ……負の連鎖だ」
重々しい表情で、星影が頷く。
兄の姿を見て、隣の月影も首肯した。たぶん、あまりわかってない。
わたしもよくわかっていなかった。
マズナブ王国は、国王である父さまが直々に各都市を回って徴税していたからなあ。
装飾品をひとつだけもらって帰ってきて、母さまに怒られたりしてたっけ。
そんな緩い制度だったのは、配下の都市からの税収に頼らなくても王都だけで採算が取れていたからなのだけれど。
砂漠の真ん中にあるマズナブ王国の王都は、商人が集まる交易都市だ。
「徴税の権利の代わりに、商人は重臣たちに賄賂を贈っていた。兄上が国で税を管理しようとどんなに頑張ってもヤツらに邪魔をされて、徴税局の設立には時間がかかった。その間に、いくつもの村が消えていった」
月影は、消えた村の人間が幽霊となったかのように見せかけて、最後の徴税役人に嫌がらせをしていたらしい。
「徴税役人たちが自主的に辞職する作戦を考えるのは、本当に苦労したぞ。いつも同じ手では気づかれてしまうからな。今回は最後だったので、少々遊んでみた。それに商人は迷信深い。幽霊が出たという噂が広がれば、新しい徴税役人たちも身を慎むだろう」
今度は平民から募集して、ほかの職業を持たない専属役人にする。
ダルブ・アルテッバーナ女王国と同じ形式だ。
「重臣たちが先代を傀儡にして囲い込んだのは、先々代が奴隷を重用していた反動でもある。本当は貴族も奴隷もない世の中が一番良いのだろうが、それは難しい。どんな政策でも受け皿もなく強行すれば失敗してしまうものだ」
とりあえず旦那さまは、富が一部に集中しないで経済が回転し、すべての身分が潤うファダー帝国を目指すそうだ。
皇帝陛下の護衛団が貴族の子弟で構成されているのも本来はそのため、宮殿の勢力が軍事奴隷だけに傾かないようにだったらしい。
旦那さまがそんなお話をしてくれている間、月影はずっとウズウズした様子だった。
彼を見て、旦那さまが苦笑する。
「わかったわかった。それでは始めよう。行くぞ、六、四、三、一、六、五……」
「俺はね、二、五、三、三、四、六……」
旦那さまと月影が、延々と数字を口にし始める。
一から六までの数字に限られているようだ。
お茶を持って戻ってきたベルカがふたりを見て、怪訝そうにわたしを見る。
わ、わたしにもわかりません。
星影は黙ってふたりがしゃべり終わるのを待っている。
ベルカからお茶を受け取って、わたしもおとなしく待つことにした。
──しばらくして、
「……俺の勝ちだな」
「ちぇ。……でも、出目を覚えるのに必死で、あの商人に攻撃されても殺さずに済んだからね。ありがとうございます、殿下」
「礼ならメシュメシュに言え。お前の博打好きを利用すれば、破壊衝動が抑えられるのではないかと気づかせてくれたのは、俺の嫁だ」
「奥方さま、ありがとうございます。俺……仕事できたよ」
「良かったですね、月影」
旦那さまにも褒められ、兄の星影に頭を撫でられて、月影は相好を崩した。
そういうことか。
旦那さまと月影は、毎日サイコロを振って出した出目の数で賭けをしていたのだ。
そういえば、旦那さまは魔法使いの島でもサイコロを振っていたっけ。
でもあんなに何日分も、ふたりともよく覚えていられるものだわ。
「違約金に関しての交渉は、星影、お前に任せる」
「はっ」
「俺が皇帝になることを知られたら面倒だからな、誕生祭までに絞れるだけ搾り取ってやれ。金はいつも通り地域産業への投資と、余裕があれば大学創立の資金にも投与しよう」
「……はい」
少し返事が遅れた星影を、旦那さまが優しく見つめる。
「虎夫人は引退するし、ティーンは兄上とご結婚なさる」
それはもう決定だった。
家族の話し合いが終わった後、皇帝陛下ご自身が部屋に戻ってきたティーンさまに求婚したのだ。
……良かったら結婚しない? と、とてつもなく軽い求婚だったけれど、ティーンさまはその場に倒れたかと思ったら、すぐに起き上って狼獣人の姿で陛下に飛びつくほど喜んでいた。千切れそうなほど尻尾を振り回されていたなあ。
皇帝陛下の護衛団は、いつ獣化しても大丈夫な服装をしている。
尻尾用の穴が開いていて、帯で隠しているのだ。
旦那さま曰く、宮殿の権謀術数を掻い潜ってきた兄君だからこそ、ティーンさまのように直線的な方に弱いとのことだった。
おふたりの結婚は、お義兄さまが退位されてからになる。ティーンさまがお義姉さまになるのかあ……妹しかいなかったから、不思議な感じ。
「だが護衛団は引き継ぐし、ゼェッブも残る。もちろん今の護衛隊もいるし、月影も頼りになるだろう。……お前が望むのなら、兄上と一緒に大学を創るか?」
しばらく間があって、星影は首を横に振った。
「勝手ながら、星影は妻のベルカとともにバドル殿下と奥方さまをお守りし、ゆくゆくはおふたりのお子さまをもお育てしたいと思っています」
「え」
一番驚いた声を上げたのは、なぜかベルカだった。
「知りませんでしたよ、ベルカ。おめでとう」
「い、いえ、奥方さま。あたしにもさっぱり。星影、アンタなに言ってるの?」
星影の細い目が、きょとんとした光を放つ。
「お前が出航する前に誓い合ったじゃないか。ふたりでずっと殿下と奥方さま、そしておふたりのお子さまをお守りしていこうと」
「え、確かに言ってたけど、え、それで、なんで妻……?」
「ダメだよ、兄ちゃん」
月影が溜息をついて、肩をすくめた。
「母ちゃんが言ってただろ? この帝国では東のように遠回しな言葉じゃ伝わらない。父ちゃんのことは好きだったけど、父ちゃんに口説かれてると気づくまでには時間がかかったって」
「そうか。……ベルカ、主君の前だからこそはっきり言おう。俺と結婚してくれ」
「でででも、あたし、あの……星影より背が高いし」
「そうか。お前は自分より背の低い男は嫌なんだな」
「ち、違うよ!」
「だったらいいんだな」
ちらりとわたしを見るベルカに頷く。
彼女は顔を真っ赤にして縮こまり、星影に首肯した。
「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「星影、ベルカ、結婚祝いはなにがいい? 通うのが面倒でなければ、帝都に猫屋敷を用意しよう」
「えーやめてよ、殿下。俺が遊びに行けなくなっちゃう!」
拗ねる月影の姿に笑って、旦那さまは隣に座るわたしを引き寄せた。
艶めいた低い声が、耳元で囁く。
「……今夜が初夜でかまわないか? みんなに当てられて誕生祭まで我慢できなそうだ」
全身が燃え上がりそうなほど恥ずかしかったけど、わたしは──




