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わたしたちが宿屋のホーフさまご夫妻を訪ねた日の深夜──
デンドロ王がペタロ王子の部屋を訪れると、銀髪の女性が扉を開けた。
彼女の左右には、同じ年ごろの男の子と女の子が立っている。
王の背後、城の暗い廊下の影の中で光を放つ白い獅子に気づいて、銀髪の女性は女の子を抱き上げた。抱いた女性と抱かれた女の子の顔立ちは、とてもよく似ている。
デンドロ王が女性に尋ねた。
「お前は……君は、だれだ?」
銀髪の女性が首を傾げる。
「ガルデーニヤですわ、陛下」
デンドロ王が溜息をつく。
「ガルデーニヤは亡くなったルルディの姉貴分だった。公式な場でないときにまで、私に敬語は使わない。なにしろ私は、彼女の妹分の情けない夫に過ぎないなのだからね」
「あらあら。いつからお気づきだったのですか、陛下」
「いつからだろうか。あのカメリアとガルデーニヤがケンカもせずにやっているというだけで、不審に思うには十分なはずだった。でもカメリアは聖女だ。ガルデーニヤはそれを慮って礼儀を尽くしているのだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。言動も立ち居振る舞いも、まるでガルデーニヤとは違っていたのに」
「そうですの。やっぱりよく知りもしない人間の姿を真似るのは難しいですね」
すっと、銀髪の女性の容貌が変わった。
黒い髪に象牙色の肌、黒い瞳。南の大陸出身だと、ひと目でわかる。
前世のゲーム『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』でわたしが見たのと同じ姿だ。
腕に抱かれた女の子が叫びそうになって、自分で自分の口を押さえた。
この場に流れる緊迫した空気に気づいているのだろう。
銀から黒に髪の色を変えた女性に抱かれて、女の子が自分の腕を振る。
腕の動きに合わせて、立っていた男の子が後ろに下がった。
「カメリアと同じカミリヤという名前だから、パパルナという仮名を名乗っているのだと言ったね」
デンドロ王の言葉に、黒髪の女性が頷く。
「ええ。南の大陸でなら芥子です。人を惑わす植物と同じですわ」
「……どうして、こんな……」
自分の手で顔を覆うデンドロ王に、女性は微笑む。
「だって、死ぬのは怖いじゃないですか。私は臆病なのですわ。嘘つきと呼ばれても、永遠に生きていたいのです」
「君は生きていないじゃないか。骨に戻ったカメリアの腐肉には、これまで彼女が食べたように見せかけていた食事が、そのままの形で混じっていた」
「見解の相違ですわ。心があって動いていれば生きている、そうではありません? ねえ、バドル皇太子殿下?」
白い獅子は、大きな頭を左右に振って見せた。
黒髪の女性が大仰に溜息を漏らす。
「私とあなた方に違いがあります? ほかの存在を犠牲にして生きていることに、変わりはないじゃありませんか。……聖女は退治させてあげましたけど、私はそうはいきませんよ。魂の名前をご存じでも、あのとき扉の外で聞いていた私が魔力を纏った姿のままなことでわかるでしょう? 神獣の咆哮といえども、魔力を纏った私は傷つけられません」
腕の中の子どもに頬ずりをして、彼女は言葉を続けた。
「見逃してくださいますね、デンドロ国王陛下、バドル皇太子殿下。私はあなた方とは関係のない場所で魔力を集めます。この、小さな可愛い女の子が死んでしまうのに比べたら、どこかで知らない人間が死ぬなんてどうでもいいことでしょう?」
「……女の子じゃないよ」
「え?」
腕の中の子どもに言われて、黒髪の女性は驚きの声を上げた。
甲高い子どもの声は、ルルディちゃんの声とは違う。
白い獅子が飛び出して、不死者の影に爪を立てた。
妖霊を呼ぶ。
「金剛石、氷の鎖を!」
──無茶し過ぎです、解放者!
金剛石の放った氷の鎖が、影を潜って不死者の本質に伸びていく。
妖霊の能力を使った反動以外に、不死者からの抵抗もわたしに押し寄せてきた。
全身がミシミシと音を立てる。骨が痛いなんて生まれて初めての感覚だ。
ゥゥウウウオオォォォッ!!
本物の白い獅子が吼える。
わたしがニセモノだとは気づかれないで済んだのは、近くに隠れていてくれた旦那さまの強い魔力のおかげだ。
咆哮の振動が、鎖を通じて不死者の本質へと伝わっていく。
「ぐ……っ!」
本体の骸に鎖が達した。
絡みつく氷の鎖が苦痛なのか、体を曲げた不死者の腕の中から女の子が飛び出す。
いや、女の子ではない。影纏いで姿を変えていたペタロ王子だ。
彼は姿を変えた上から服を着込んで服の影を作り、影がないことを誤魔化していた。
不死者は反撃を恐れてペタロ王子には攻撃しないが、彼や旦那さまの動きを封じるためにだれかを人質に取るだろう。一番可能性が高いのはルルディちゃんだ。母親の姿を真似ているから近づきやすいし、ペタロ王子の思い入れも深い。
それを見越して、ふたりの子どもは姿を入れ替えていたのだった。
声は変えられないので、不死者といる間ふたりは声を発していない。
もちろん子どもを危険な目に晒したくはなかった。
最初はわたしが旦那さまの神獣姿に偽装して、影に触れて氷の鎖を放てる位置にまで近づくだけの作戦だったのだ。わたしの影は、神獣姿のときの発光で誤魔化す気だった。……旦那さまには猛反対されたけれど。
でもデンドロ王にガルデーニヤさんの姿をした不死者への疑いを相談されたとき、客室のテーブルの下から飛び出してきたペタロ王子が言ったのだ。
不死者が影纏いの能力を見破れるかどうか試すべきですし、自分の行動が上手く行っていると思わせたほうが向こうも油断するでしょう?
さすが主人公、と言うべきなのかしら。
やっぱりペタロ王子は強く特別な魔力を持っているらしく、わたしの魔力と旦那さまの魔力が交じり合って区別がつかなくなる距離も判定してくれた。
ゲームでは、その強く特別な魔力を魔法の矢に変えて不死者を倒してくれたのだが、今の五歳児にはそこまで頼れない。
不死者の本体に巻きついた氷の鎖を引き寄せる。
纏っていた魔力が破れて、ひび割れから彼女の骸が覗く。
ゲームの中と同じ、干からびた骸に骨や枯れ木をつなげた、忌まわしい人形の姿だ。
骨や枯れ木に蠅がたかり、骸に開いた穴からも羽音が響いてくる。
今なら、わたしの声は彼女に届く。
「……蠅・臆病・恐怖・嘘つき・椿・芥子・骨」
生きた人間の形をした魔力が、ぺろりとめくれて空気に溶けた。
肉はすでにないけれど、彼女が食べたことになっていた料理の腐ったものが床に落ちる。
ゥゥウウウオオォォォッ!!
旦那さまが吼えた。
聖女カメリアのように簡単にはいかない。
魔力の塊だからだろうか。明らかに骸の大きさに入る量を越えている蠅の大群が、消えても消えても湧き出てくる。
それでも白い獅子は咆哮を続け──やがて、すべてが終わった。
影纏いの偽装が消えて床に座り込んでいたルルディちゃんに、ペタロ王子が駆け寄る。
不死者の骸の前に膝をついて、デンドロ王が呟いた。
「……花が。必死に生きている小さな花が好きだと、彼女は言っていたんです」
彼は泣いているのかもしれない。
──大丈夫ですか、解放者。
「ええ。少し手が痛いけれ、ど……」
「メシュメシュ!」
旦那さまの声がする。
影纏いの能力との相性は悪くないようなのだけれど、一日に二回も氷の鎖を使ったのは良くなかったかもしれない。おまけに不死者を相手にするなんて。
『美しき蠅の女王』の言葉自体に間違いはないのかもしれない。
生き物はほかの生き物を殺して、食べて生きている。
ほかの存在を犠牲にしているのだ。
だけど……
死ぬのはだれだって怖いし、わたしだって臆病だ。
気づかないうちについてしまったウソもあるだろう。
だけど、たったひとりの永遠はいらない。
思いながら、わたしは意識を失った。本日二度目。
起きたらきっと、怒った顔の旦那さまが待っている。ううん、一日に二回も神獣姿に変身した旦那さまのほうが疲れていらっしゃるかも。
……フムスを作ったら、喜んでくださるかしら。




