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……目を開くと、形の良い眉を吊り上げた旦那さまの顔が、視界に飛び込んできた。
ベルカやティーンさまも心配そうな顔で覗き込んでくる。
旦那さま越しに見える部屋は、アネモス王国の城ではないようだ。
清潔そうではあるものの、質素で地味な部屋だった。
わたしはどうしていたのだろう。
ぼんやりした頭を振ったとき、胸の首飾りが見えた。
紅玉ではない。白く透明な金剛石のように見える。
今は金剛石が主体になっているということだ。
「あ……」
すべての事情を思い出す。
わたしは慌てて体を起こし、心配そうに見つめてくる人々を見回した。
茶色い髪に白い肌、緑色の瞳。二十歳後半か三十歳前半の温和そうな男性を見つける。
クークちゃんの父親だ。少し顔色が悪い。
妻子に近い色合いだけど、彼は北の大陸から来た奴隷の出だった。
駆け落ちの後で皇帝陛下が解放の手続きをしたので、今は自由の身だ。
「だ、大丈夫ですかっ?」
叫んだわたしに、彼の隣にいた女性が吹き出した。
少し赤みを帯びた金髪に白い肌、琥珀の瞳を持つ彼女は、ネムル・アルカトさまを華やかにして野性味を加えた顔立ちをしている。
クークちゃんの母親、シャムス皇帝陛下の元許婚、虎夫人のご令嬢の桃さまだった。
「うちのダンナ、これでも体は鍛えているの。虫を取り除いて栄養剤を飲めば大丈夫。昔はシャムスの護衛もしてたのよ。それより、治療が終わるなり気絶して、しばらく目を覚まさなかったあなたのほうが心配だわ。大体……」
彼女は、ちらりとわたしの旦那さまに視線を向けた。
「あなたになにかあったら、あたしたちバドルちゃんに殺されちゃう」
「……ご令嬢、子ども扱いはやめてくれ」
「ご令嬢ですって! 大人ぶっちゃって!」
「俺はもう十七歳。成人の儀も終えた大人だ。……嫁もいる」
この部屋はホーフさまご夫妻が泊まっている宿屋の一室。二階の角部屋だ。
旦那さまは、わたしが横たえられていた寝台の前に跪いた。
両手でわたしの手を包み、額を当てる。
「……心配させるな」
「ご、ごめんなさい。でも魔法使いのときは気絶までしなかったから」
首飾りの宝石が光り、妖霊の声がした。
──すみません、解放者。私のせいです。患者の彼だけでなく、この島全体に満ちている泥属性の魔力に、過剰に反応してしまいました。
「金剛石のせいじゃありません。わたしもまだ、あなたたちの力を借りるのが下手なんです」
「そうだ。お前が悪い。……不死者を倒せば『操りの虫』は消えるんだ。焦ることはない」
旦那さまの言葉を聞いて、クークちゃんの父親が申し訳なさそうに頭を下げる。
わたしは首を横に振った。
「違うんです。わたしが、わたしがあなたを助けたかったんです。わたし、クークちゃんのねねさまだから」
「あら、あたしこんな大きい娘産んでたかしら。でもありがとう、お姫さま。あの聖女さまが訪ねてきたりもしたんだけど、どうしてもダンナを診せる気になれなくてねえ」
「怪しいところがあるのか?」
「んー……彼女がっていうか、この国の聖女伝説が怪しい」
「みなさんにお茶でもお持ちしましょうか、ホーフ」
「サーヘル、病み上がりで無理をするな。お前は座っていろ。ベルカ、頼む」
旦那さまの発言で、クークちゃんの父親、サーヘルさんは近くの椅子に座った。
代わりにベルカが部屋を出ていく。
宿屋の一階にある厨房でお茶をもらってくるのだろう。
「妃殿下、ご無事でなによりでした。……ベルカ、自分も手伝おう」
ホッとした顔のティーンさまが、ベルカの後を追っていった。
ティーンさまはよく生真面目な顔のまま、小鳥にエサを与えていると、ベルカが教えてくれたっけ。
渡航して一緒にわたしの護衛をしてくれていた間に、ふたりは仲良くなったようだ。
やっと旦那さまのお役に立てると思ったのに、難しい。
……みんなに心配をかけてしまった。
宝石を体から離していたら大丈夫かと思ったら、触っていないと妖霊たちは呼び出せなかったのだ。前世でいう指紋認証のようなものかもしれない。
基本的に前世のことはSRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』関連のことしか思い出せないのだけれど、ときどきふっと思いがけない単語が飛び出す。
指の先にある皺で個人を確定していたということは、前世にも顔を変える能力を持つ人がいたのだろうか。
他人の魔力を纏って姿を変える不死者のように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「悪夢病の流行は、ほとんどがこの国アネモス王国で発生しているの」
ベルカたちが持ってきてくれたお茶で唇を湿らせて、ホーフさまは聖女伝説について語り始めた。
「数人の死者が出て、暴れる骸に恐怖が深まり、患者と家族に対する弾圧が始まったころ、どこからともなく聖女が現れるわ。べつの島から来るときもあるし、アネモス王国の人間が天啓を受けたと言い出すこともある」
聖女は無償で患者を治療した。
アネモス王家も彼女を支援する。
だが、いつか限界がやってくるのだという。
ホーフさまが旦那さまに視線を送る。
「さっきバドルちゃんが言ってたみたいに」
旦那さまが神獣に変身できることは、ティーンさまにも口止めしている。
しかし詳しい話を聞き出すため、アネモス国王と聖女の中に『操りの虫』を感じたことは明かしていた。
「体の中が『悪夢病』の原因でいっぱいになっちゃうのかもね。治療できなくなった聖女は、残った患者と一緒に船出するの。……そして、しばらく経つと南の大陸で不死者の噂が広がるわ。この国には情報が届かないけど、ね」
「『悪夢病』の流行は、大陸で獣人を屠る道具を生み出す下準備か」
「かもしれないわ。しもべとして制御できなくても、暴れる骸を放てば獣人を屠ることはできるもの」
「患者と家族への弾圧が始まってから現れるというのも意味深ですね。不当な扱いに苦しんでいるときに救われたら、誘惑されるまましもべになってしまうかもしれません」
サーヘルさんの言葉に、旦那さまとホーフさまも頷いた。
「しかしまだ、情報が足りない。カミリヤは不死者なのか、それとも不死者の操り人形なのか。不死者は他人の魔力で姿を変える。カミリヤが最初から不死者だったのではなく、不死者が彼女の姿を真似ている可能性もあるだろう」
顎を捻る旦那さまに、ホーフさまがイタズラな視線を向ける。
「バドルちゃん、どうしてそんなに不死者の復活を確信しているの?」
「帝都近くの砂漠に新種の魔獣が出た」
「それだけ? 前からいたのが遊牧民や商人の交易路の変動で、人里近くに現れただけかもしれないわ。なにかの商品が流行して、エサの魔獣が原料として狩られていなくなったのかも」
「……旦那さま」
「隠していても仕方がないか」
青玉色の瞳を見つめて、わたしは頷いた。
信じてもらえるかどうかはわからないけれど、話してもらってかまわない。
「俺の嫁は特別な知識を持っている。それと現状を照らし合わせた結論が、不死者の復活だ」
ホーフさまとサーヘルさんが、わたしに目を向ける。
前世とかゲームとか言って、受け入れてもらえるだろうか。
くすっと、ホーフさまが笑いを零す。
「でしょうね。妖霊を従えたお姫さまなんて、おとぎ話でしか見たことないもの。バドルちゃん、獅子姫の時代じゃなくて良かったわね。あの方は珍しいものが大好きで、おまけに神獣にもなれたのよ。きっとお姫さまを奪われていたわ」
「俺だって……いや、なんでもない」
「あら、遠慮せず自慢していいのよ? お姫さまのお父君を倒して、武術大会で優勝したんでしょ? だからって不死者退治に乗り出すほど調子に乗るなんて、ちょっとバドルちゃんらしくない気もするけど……ふふっ。お姫さまにいいとこ見せたいの?」
「……当たり前だ。ご令嬢だって、サーヘルの前では皮ごと桃を食べないだろうが」
「皮ごと?」
つい漏らしてしまった言葉に、みんなの視線が集まる。
わたしは俯いた。
だって驚いたのだ。
桃を皮ごと食べたら、喉がチクチクすると思う。産毛は取るのかしら。
サーヘルさんが溜息をついた。
「皮ならかまいません。喉に詰まると危ないから、種まで飲むのはやめてください。バルクークが真似したら、どうするんです」
「なんだ、ご令嬢はもう化けの皮を脱いでいたのか」
……桃の皮の話だけに。
なんて考えていたとき、部屋の扉を叩く音がした。
宿の女将だ。
彼女は意外な客の訪問を告げた。




