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遠い昔、不老不死を追い求めた探究者たちは、今でいう魔法使いに当たる。
彼らの魔法の力は膨大で、自分たち以外の大陸の住人を獣人に、獣を魔獣に、緑の大地を砂の海に変えた。
だけど、本来の目的である不老不死だけは得られなかった。
偉大なる神に許されなかったのだ。
神は、探究者に呪われて道具として利用されていた獣人に味方した。
選んだ獣人に祝福を与え、神獣に変身して不死者を倒す運命を授けたのだ。
探究者たちはほとんどが倒され、わずかな生き残りも北の大陸に逃げて、そこで滅びた。
今の魔法使いたちは彼らの直系ではないとされているが、彼らのなにもかもが消え失せたわけではない。
『不死者』と呼ばれる残党が、今も世界を脅かす。
三人の『不死者』は、そう呼ばれているが不死とは違う。
前世でいう吸血鬼のような存在、動く死体だ。
彼らの本体は干からびた骸で、しもべに屠らせた生き物の魔力を奪い、それを纏って生きているように見せかけている。
そんなことができるのは、死んだとき冥界で魂の名前を書き換えて、自分たちの運命を捻じ曲げたからだ。
『不死者』たちは奪った魔力が馴染むまで、数百年の眠りに就く。
馴染んで生きている姿を取れるようになったら目覚め、その魔力がなくなる前に新しい魔力を補給する。
目覚めたとき新しい魔獣が世界に現れるのは、馴染みきれなかった魔力を目覚めとともに放出するからだといわれている。
これまでも存在していた魔獣が強化されることもあれば、普通の獣が魔力を浴びて魔獣と化す場合もあった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昼間の砂漠は灼熱の地獄だ。
狩りの一行は、太陽が天頂へ昇りきる前に帝都へ戻った。
贅を尽くした宮殿の大広間で宴が始まる。
千人以上の客を収容できる広い部屋だ。
今日は限られた人数の貴族たちが、皇帝陛下を中心に集まっている。
室内を取り囲む段には絨毯が敷かれ、宴客のためのクッションが置かれていた。
絨毯には靴を脱いで上がる。
中央にある水盤の四方には銀で作られた樹木が立てられ、枝の先から澄んだ水を吹き出していた。銀の木には本物と宝石の花が飾られている。
この大陸では古来より金銀宝石の発掘と加工が盛んだ。
探究者たちが不滅の存在として金銀宝石を好み、研究していたからかもしれない。
楽しげな喧騒の中、巨大な皿に載せられたサンダーマンモスの丸焼きが骨と化していく。
獣人は肉が好きだ。
普通の象肉は筋張っていて硬いものだけど、サンダーマンモスは長い毛に蓄えられた雷の魔力で皮と肉がほど良くほぐれていたらしく、みんな歓声を上げて平らげていた。
獣人の宴に酒は供されない。
酒に酔って獣化すると、暴走しやすいからだ。
わたしは食欲がわかなくて、瑞々しい果物や色とりどりのお菓子、新鮮な野菜や具だくさんのスープを前に、ずっと冷たいレモン水で唇を湿らせていた。
「……メシュメシュ」
囁く声に顔を向ける。
「……旦那さま」
「厨房で星影に作ってきてもらった。ひと口でいいから、食べろ」
旦那さまが差し出す皿からは湯気が上がっていた。
香りでわかる。神の恵みのスープだ。
護衛の星影たちは、座らずに近くで控えている。
「ありがとうございます」
糖蜜入りのレモン水の杯を置いて、わたしは皿を受け取った。
温かいスープは、ほんのり甘い。
お菓子の甘さとは違う、茸の旨みを活かす味だ。
故郷のマズナブ王国は甘み重視の味付けだが、帝国はお菓子やお茶以外は辛みの強い味付けをする。サンダーマンモスの丸焼きも、トウガラシを溶かした赤いソースがかけられていた。
久しぶりの味わいが、じんわり体に染み込んでいく。
「美味しいです」
「そうか。……良かった」
旦那さまは腕を伸ばし、わたしの肩を抱いて引き寄せた。
艶めいた低い声が、そっと耳朶を打つ。
「……新種の魔獣が現れたことを気にしているのだろう?」
「……十年あると思って、すっかり油断していました」
「気に病むな、魔獣の発生はヤツらにも予測できるものではない。目覚めたばかりの本人はだれにも気づかれぬよう、今は息を潜めているはずだ」
長い指が、真珠を編み込んだわたしの髪を優しく梳く。
「お前が、いてくれて良かった。あの魔獣を倒せたのはお前のおかげだ。……大丈夫だ、焦ることはない。一緒に頑張っていこう」
「……はい」
潤む瞳を瞼で隠し、わたしは旦那さまの肩に頭を預けた。
転生者であるわたしの事情は、だれにでも打ち明けられるものではない。
護衛の星影たちにも、特殊な知識があるということしか話していなかった。
特に不死者の覚醒については、その情報自体が混乱を巻き起こしファダー帝国を滅ぼすかもしれない危険性を孕んでいる。
「義妹殿、体調を崩されたのかい?」
二十九歳にしては甲高い男性の声に、わたしは慌てて体を起こした。
黒く波打つ髪を腰まで伸ばした、褐色の肌の男性に見つめられている。
彼の左右には狼獣人の男女、背後には豹獣人の女性がいた。
身長は高いものの、ほっそりした男性の体に筋肉はない。
整った顔には隈が浮かびあがっている。
旦那さまより十二歳年上の母親の違う兄君、ファダー帝国皇帝シャムス陛下だ。
「昨夜あまり眠っていないので、眠いだけです」
「そうかい。僕もだよ」
陛下は小さくあくびを漏らした。
「砂漠へ行くのは楽しいが、前の晩眠れないのは困るねえ。今度から狩りの前日は、仕事を休みにして、昼間眠るようにしよう」
「……陛下」
左に立つ狼獣人の女性に視線を送られて、陛下は肩をすくめて見せた。
旦那さまが片膝を立てて、恭しく兄君に尋ねる。
「兄上、もしかしてお体の調子がお悪いのですか?」
「僕も義妹殿と同じで、ただの寝不足だよ。狩りは見物していただけだし、宴の始まりに獲物を切り分けたくらいで体調を崩していたら、ティーンと虎夫人に怒られてしまう。でも……しばらく仮眠を取ろうと思っている。任せていいね、皇太子」
「御意に」
やはり噂通り病弱でいらっしゃるのだろうか。
護衛頭とふたりの護衛を連れて、陛下は大広間を出て行った。
旦那さまは膝を降ろして胡坐をかき、溜息を漏らす。
「……兄上、本当に仮眠を取られるのなら良いのだが」
「ほかに、なにかなさることが?」
「狩りが開催されたからといって、ほかの業務がなくなるわけではない。自室で急ぎの仕事を片づけられるのではないかと思う。……お疲れになられるばかりだ」
忙しいなら狩りなど開催しなければいい、という話ではない。
こういった行事は、皇族と属国の王侯貴族を結ぶ大切な機会だ。
旦那さまと兄君の父親である先代皇帝は重臣たちの傀儡で、いつも宮殿に引き籠っていた。顔を見せない皇帝から民や臣下の心は離れていき、いくつもの属国が反旗を翻して、帝国には内乱の嵐が吹き荒れた。
それが元で滅んでしまった国も多い。
先ほど陛下が口に出した『虎夫人』、護衛頭の豹獣人の女性が嫁いだ虎獣人が治めていた国も、そのひとつだ。豹獣人なのに虎夫人なのは、虎の王の妻だからである。
先代の親友だった虎獣人の王は、重臣たちの囲い込みから友を救い出そうとしたのだけれど、それは反乱と見なされた。虎の王と主だった家臣たちは処刑され、虎獣人王国は帝国直属の領地となった。
虎夫人が母君の従妹だったこともあり、皇帝陛下は虎獣人王家の名誉回復に努めている──が、陛下の許婚だった虎夫人のご令嬢が数年前に駆け落ちしてしまったため、虎獣人王国復活は難しくなった。
「……兄上も俺のように、良い嫁をもらうといいのだが」
旦那さまの呟きに、わたしは陛下の隣にいた狼獣人の女性を思い出した。
名前は無花果さま。
陛下よりふたつ年下の二十七歳で、もうひとりの狼獣人の男性の姉である。
真っ直ぐな黒髪に艶やかな象牙色の肌、長いまつ毛が影を落とす金色の瞳。
手足が長く、ほっそりした体躯の持ち主だ。
とても美しい方なのだが、護衛という仕事柄厳しい表情をされていることが多く、冷たい印象を受ける。星影よりも無口らしい。
『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』で会った彼女は、ラスボスである旦那さまの四天王のひとりだった。自身も不死者『美しき蠅の女王』のしもべとなり、半人半獣の死体にほかの生き物を合成した怪物として、主人公たちの前に立ち塞がってきた。
ゲームの中での彼女のセリフは、今も鮮明に思い出せる。
──守らなければ。あの方に頼まれたのだ。自分が、皇帝陛下をお守りしなければ。
ティーンさまは、シャムス陛下をお好きなのだと思う。
恋愛なのか忠誠なのかは、わからないけれど。




