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「ベルカ、ごめんなさい。気まずい思いをさせてしまいましたね」
「奥方さまのせいじゃないですよ」
──アネモス王国の城での夕食が終わり、わたしたちは客室に向かっていた。
「そうですね、すべてあの女のせいでしょう」
ティーンさまが眉を吊り上げる。
「星影のことでベルカに絡み、妃殿下が話題を変えようとして彼女の夫のことを聞いたら、どうして皇太子殿下がいながらほかの男のことばかり聞きたがるのか、などと。おまけにあの国王が困っているだけでなにもしないから、老いた大臣が震えていましたよ」
最終的にペタロ王子が嫌いな野菜を曽祖父の皿に放り込み、大臣の怒号が爆発したことでうやむやになった。
旦那さまは今、残って国王や大臣の謝罪を受けている。
ペタロ王子の行動はわざとだろう。
自分が悪者になって場を治めてくれたのだ。
廊下に立つ衛兵たちの前を通り過ぎ、ティーンさまは客室の扉を開けてくれながら、大きく溜息をつく。
「……主君が不死者のしもべとも知らないで」
「ティーンさま、確証はありません」
「申し訳ありません、妃殿下」
デンドロ国王は獣人ではない。
知らぬ間に生みつけられて気づいていないだけかもしれない。
もっとも国王である以上魔法使いでもあるはずで、そう考えると気づいていないはずがないとも言えるのだけれど。
客室に入ると、ベルカがぽつんと呟いた。
「……彼女が不死者なんですかね」
あまり仲は良くないようだが、ベルカはカメリアを案じているようだ。
わたしは正直に答えた。
「わかりません。旦那さまにわかるのは『操りの虫』の存在だけです」
他人の魔力で骸を覆っているので、不死者の悪しき気配は隠されている。
それに旦那さまはカメリアについて、不思議なことを言っていた。
彼女の体には無数の『操りの虫』がいる、と。
そのため、生きているのか死人なのかも区別がつかない。
ハーレムにいたときどうだったかは、旦那さまも覚えていなかった。
わたしが嫁ぐのと前後して、春の朝月、珊瑚月に、カメリアはハーレムを出て島王国に店を持つ年若い豪商へ嫁いだ。
神獣への変身を避けていた旦那さまは、そのころは感覚が鋭敏ではなかった。
『美しき蠅の女王』が体内で飼っている無数の虫は、他人に卵を産み付ける成虫。
しもべだとしても、数の多さが気にかかる。
最終決戦で出現した四天王やラスボスの旦那さまの体にも無数の蛆が巣食っていたものの、あれはほかの骸と混ぜ合わせて怪物と化した体を動かすのに、多量の魔力が必要だったからだ。
彼女が死人だとしても、動かすのにそんなにもの『操りの虫』が必要とは思えない。
──北の大陸出身のカメリアは、美しさ故に奴隷商人に浚われた(と本人が言っていたそうだ)。
奴隷として生きてきたから魔法の勉強はしていないはずだ。
けれど実は泥属性の魔力に優れていて、夫を失った悲しみで魔法使いとして目覚め、名前のない魔法使いのように他者の『操りの虫』を吸い取っているのだろうかと、ペタロ王子がルルディちゃんに引っ張られていってから夕食までの間に、旦那さまが話してくれた。
彼女は、『悪夢病』の患者を救いたいという気持ちで『操りの虫』を集めてしまったのかもしれない。
わたしたちは椅子に腰かけた。
客室にはこの居間と簡易厨房、それから主寝室とふたつの控えの間がある。
ふたりにはその控えの間をひとつずつ使ってもらう予定だ。
お茶を淹れようと、ベルカが簡易厨房へ入っていった。
「……妃殿下」
「なんでしょう、ティーンさま」
「自分、あの、バドル皇太子殿下が皇帝陛下になられても良いのではないかと思っております。なんといっても神に祝福された神獣であらせられますし」
「そうですか……」
わたしも、不死者のことさえ解決すれば、旦那さまが皇帝陛下になってもいいと思っている。ラスボス『死せる白銀の獅子皇帝』にさえならないのなら、それでいい。
皇帝の妃として、わたしが認められるかどうかはわからないけれど。
「そうすればシャムス皇帝陛下も、本当にお好きな方と結ばれることができます」
「本当にお好きな方? ホーフさまにはご夫君がいらっしゃいますよ」
クークちゃんのご両親は市井の薬師として行動しているので、城ではなく城下の宿屋に泊っていた。会いに行くのは明日になる。
ホーフさまのご夫君は北の大陸から来た奴隷で獣人の血は引いていないので、『悪夢病』に罹ってしまったと聞いている。
でも絶対に死なせない。わたしと金剛石の氷の鎖で治療してみせる。
「いいえ、最近気づいたのです。陛下は虎夫人がお好きなのかもしれません。お世継ぎのことを考えれば認められるわけがありません。虎夫人はお美しいしご身分も高いですが、どうしても年齢が。でも退位なさって単なる皇族のおひとりになられたら、自由にご結婚なされるのではないでしょうか」
「ど、どうしてそのようなお考えを?」
「バドル皇太子殿下が渡航されてしばらくしたころ、皇帝陛下と虎夫人が人目を憚ってお話なさっているのを目撃してしまったのです。失礼ながら、自分が妃殿下の護衛を命じられたのは口封じのためかもしれません」
「虎夫人は、陛下のお母君のお従妹さまでいらっしゃいますよね」
「はい。だからこそ秘密にしてらっしゃるのではないかと」
言葉を失っていると、厨房からベルカがお茶を持って出てきた。
ティーンさまが人差し指を唇に当てる。
「……妃殿下、どうかこの話はご内密に」
わたしは頷いて、首飾りの紅玉を握り締めた。
このところ、いろいろなことがあり過ぎて、頭の中がいっぱいいっぱいだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
お茶を飲み終わるころ、旦那さまも戻ってきた。
両脇に子どもを抱えている。
ペタロ王子とルルディちゃんだ。
「どうなさったのですか?」
「デンドロ国王に許可をもらってきた。今夜はふたりとも、こちらに泊める」
言いながら、旦那さまはふたりを床に降ろした。
ペタロ王子が抱きついてくる。
「ココ姉上!」
「いらっしゃいませ」
王子の頭を撫でながら、わたしはルルディちゃんに微笑みかけた。
「ルルディちゃんもいらっしゃい」
「あ、あの、私……」
「そうか、女の子だものな。俺や王子と一緒がイヤなら、ティーンかベルカと眠るといい」
「ルルディちゃんは、お母さまと一緒がいいのではないですか?」
「ココ姉上、ルルディはいつもひとりで寝ています。カメリアのお付きが殺されてから、ルルディの母親が代わりをしているのです」
「まあ……」
そういえば夕食のとき、ルルディちゃんによく似た銀髪の女性がカメリアの給仕をしていた。港にも来ていただろうか。
「殺されたとは穏やかではないな」
「はい。カメリアが朝起きて、お付きがいないと騒ぐので、城のみんなで探したら死んでいたんです。えっと……五日ほど前の、満月の翌朝です」
「……満月」
妖霊の能力のひとつ、姿を変える影纏いは満月には使えない。
もちろん不死者の魔法と妖霊の能力は異なる。
カメリアには影もあったのだけれど、なんだか妙に気にかかった。
SRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』をプレイしたときに見た『美しき蠅の女王』の顔とカメリアの顔は違うが、纏っている魔力を変化させることでいくらでも変えられるのだから、彼女が不死者だとしてもおかしくはない。
ジャズィーラの父親も、自分たちが見たときとは顔を変えているだろうと言っていた。
「犯人は見つかったのか?」
「城下の宿で旅の男が自殺してました。カメリアたちがこの島に来る前から、お付きにつきまとっていたそうです」
「聖女たちは、いつごろからアネモス王国にいるんだ」
「……皇太子さま、そういうことが聞きたくて僕を連れてきたのですか?」
「ああ、そうだ。自分の部下がどうしているか、気にするのは当たり前だろう?」
「そうですかあ?」
ペタロ王子が、旦那さまを見つめて笑う。
「僕とココ姉上の運命に割り込めないと察して、次のお妃さまとしてカメリアを狙っているのではないですか?」
「バカか」
旦那さまは肩をすくめた後で、ルルディちゃんの前にしゃがみ込んだ。
「母親と離れているのは寂しいだろう。王子だけ連れて来たら、専属メイドのお前が困るかと思ったのだが……王子の部屋に戻るか?」
ルルディちゃんは、ぷるぷると首を横に振った。
「お気づかいありがとうございます。でも王子は、私が目を離すとなにを始めるかわかりませんから、お言葉に甘えてお泊りさせていただきます」
「わかった。気を遣うだろうから……ベルカ、一緒に寝てやってくれ。ルルディ、ベルカは獣化しない。お前と同じだから安心しろ」
旦那さまに言われたルルディちゃんは、今度は頭を縦に振る。
ベルカも首肯して、簡易厨房へ入っていった。
ペタロ王子とルルディちゃんのお茶を用意するのだろう。




