37
「……しもべだった」
アネモス王国の城、ファダー帝国なら館と呼ばれる大きさの建物に着き、しばらく滞在する予定の部屋に案内された旦那さまは、椅子に座るなり言った。
丸いテーブルを挟んで、わたしとベルカ、ティーンさまも腰かけている。
ほかの女性たちには別の部屋が用意されていた。
テーブルの上の花瓶には、さっき港でもらった花を挿している。
香りの良い白百合の花束だ。
白は旦那さまの銀髪と、名前の満月を意識したものだろう。
「どなたがですか?」
「王だ」
「父上が?」
幼い声は、テーブルの下から聞こえてきた。
覗き込むとぺー太郎くん。
「王子さま、こんなところでどうしたのですか?」
一緒に馬車で城まで送られて、玄関のところで別れたはずだ。
ペタロ王子はテーブルの下から出て、わたしの前に跪く。
「あなたに会いたくて」
「そうですか。でも世話役の方たちが心配しているのではないですか?」
「大丈夫です。それより皇太子さま、父上が『しもべ』とはどういうことです?」
「……お前の父親は、どう見てもあの『聖女さま』への『恋のしもべ』だろう」
「なるほど。今日会ったばかりのお客さまにも気づかれてしまいましたか」
五歳の少年は立ち上がり、物憂げな溜息を漏らしながら、金色の前髪をかき上げた。
……こんな子だったかなあ?
「そうです。父上は彼女にお熱なのです。我が父ながら恋愛結婚至上主義の惚れっぽい男で、そのくせ口説くのが下手なので、これまでも多くの女性に恋をしてきましたが、上手くいったのは僕の母上だけという有り様です」
「大変ですね」
「はい。でもまあ僕は、彼女なら良いのではないかと思っています」
「聖女さまですものね」
「そこら辺は信じきれませんが、金と権力のある男ならだれでもいいという女性なので、父上のことも受け入れるかな、と」
ベルカが吹き出して、慌てて口を押さえた。
旦那さまも苦笑を浮かべる。
「王子、年の割に観察眼があるな」
「五歳児といえども、権謀術数蠢く城で暮らしていれば、これくらいは、ね。まあ野放しにしていい方ではないので、父上と一緒に上手く隔離して、政の権利だけ取り上げてしまえば良いかと思っています」
「ははは、大したものだ。ところで五歳児」
「なんでしょう、皇太子さま」
「空いている椅子があるだろう。俺の嫁の膝から降りろ」
前髪をかき上げた後、ペタロ王子はわたしの膝によじ登ってきた。
あまりにも自然に座られたので、どう反応すれば良いのかわからなかった。
彼は肩をすくめ、なにを言われているのかわからないという顔になる。
「旦那さま、武術大会のときはファラウラとクークちゃんを抱っこしていました。ひとりだけなら辛くないですよ」
「……そういう問題じゃない」
「ふふ。皇太子さまもお妃さまにお熱のようですね」
青玉色の瞳に射られても、幼い王子さまに気にする様子はない。
旦那さまはテーブルに肘をついて、溜息を漏らした。
「どうなんだ、王子。あの聖女さまは、本当に『悪夢病』の患者を治療しているのか? 俺のハーレムにいたころは、そんな力があるなんて話、聞いたことがなかったぞ」
「こんな素敵なお妃さまがいらっしゃるのにハーレムをお作りになる皇太子さまのお気持ちはわかりませんが、その質問には謹んでお答えいたしましょう。実際に治療しているところを見たことはありませんが、本当のようです。だからこそ、僕の曽祖父でもある大臣が、立ち位置を奪われても黙っていたのですから。とはいえ、病気の治療なんて、いくらでも細工はできますからね」
ペタロ王子は辛らつだ。
本当に、こんな子だっただろうか。
ゲームではシリアスな場面の真面目なセリフ以外はしゃべらないで、後は仲間の受け答えで想像するという感じだったから、主人公でありながら人物像は曖昧だった。
プレイヤーが感情移入しやすいように、だとは思うけれど。
「お妃さま。いえ、メシュメシュさまとお呼びしてもいいですね?」
「ダメだ」
「皇太子さまにはお聞きしてませんよ?」
「俺はメシュメシュの夫だ。嫁が他人にどう呼ばれるかは、俺が決める」
「ふう、やれやれ」
「王子さまさえよろしければ、『ねねさま』と呼んでいただいてもいいですよ」
「ね、ねねさまですか? それはあまりに子ども過ぎます。……えっと、姉上とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いいですよ」
「メシュメシュ姉上……メシュメシュって、こちらでいう杏のことですよね。ココ姉上とお呼びしていいですか」
「どうぞ」
「わぁい。ねえねえココ姉上」
「なんですか?」
「この紅玉の首飾り、すごく綺麗ですね。なんだかアネモス王国の秘宝、精霊の水晶玉と同じ気配がします」
ファダー帝国の王侯貴族が獣化できる獣人であることを望まれるように、島王国の王も魔法使いであることを望まれていた。
南の大陸と北の大陸の境にあるこの海域には多くの島があり、貿易で栄えている。
魔獣が海路に入り込んできたとき、追い払う力がなければ王の資格はない。
魔法使いの王は、前世のゲームの中のように前線で戦ったりはしないものの、船や兵士の武器に魔法属性を与えたり、港に結界を張ったりして活躍している。
精霊の水晶玉は即位した王が民の前で掲げて、自分の魔力を証明するためのものだ。
呼び名こそ精霊だが、妖霊と同じものが封じられていて、持った人間の魔力に反応するのではないかと思う。
「ええ。精霊ではなく、妖霊が宿っているのですよ。……紅玉」
「わあ」
紅玉の首飾りに宿った妖霊たちのことは、秘密にしないと決めていた。
不死者に警戒されるのではないかと思ったが、警戒させて向こうからは手出しできないようにしておくべきだと、旦那さまが主張したのだ。
わたしのことを心配して……過保護な方。
もちろんイヤではないけれど。
同じ言葉でも、わたしに呼ぶ気がなければ妖霊たちは出てこない。
今は王子に見せるつもりだったので、両手に乗せた紅玉の上に、小さな赤い獅子が現れた。妖霊たちはすっかり宝石の中での暮らしに適応して、それぞれ違う姿を取るようになったのだ。
もしかしたら、いつかは七体それぞれがべつべつに、自由に生きられるようになるかもしれない。
──解放者、俺を呼んだな? なんだ、なんの用だ? 俺、役に立つぞ。
水晶洞窟で会ったときよりも、紅玉は幼い印象になった。
わたしが旦那さまに似ていると感じて、幼いころの彼を重ねているからかしら。
……ううん、昔の旦那さまはもっと大人びていた。
紅玉に重ねているのは、いつか産まれてきてほしいと願っている、旦那さまとわたしの子どもなのだろう。
まあその前に初夜、初夜の前に不死者退治なのだけど。
「ごめんなさい、紅玉。わたしの新しいお友達に紹介するだけなのです」
──オトモダチ?
「僕です、ペタロ王子です。獅子さんカッコいいですね」
──うん! 俺カッコいいぞ!
わたしとペタロ王子は人差し指を伸ばして、小さな獅子の鬣を撫でた。
遠見の青玉は眠そうな青い狼。
未来視の瑠璃はさまざまな色合いが混じる青紫の豹。
影纏いの翡翠は緑色の虎。
泥中の花の紫水晶は、濃い紫の熊。
一体一体呼んで、ペタロ王子に説明していく。
今日は満月ではないので、影走りのかんらん石は眠っている。
だから最後は──
──解放者、あまり私は呼ばないほうがいいと言ったでしょう。あなたと私は相性が悪い。氷の鎖を使い過ぎると……っ?
わたし以外もいると気づき、白熊の金剛石は言葉を失った。
人見知りなのである。
「また熊さんです。今度は男の子ですか?」
「ええ。金剛石はこの国で流行っている病気を治す力を持っているのですよ。でも聖女さまがいらっしゃるのなら、わたしは必要ありませんでしたね」
「そんなことありません。これは、僕たちが出会うための運命だったのです」
困惑していた金剛石が意を決して口を開きかけたとき、扉を叩く音がした。
「だれです」
戸口に近い席に座っていたティーンさまが誰何する。
「メイドのルルディと申します。……あの、我が国の王子はお邪魔しておりませんでしょうか」
「してる。入ってきて連れて帰れ」
旦那さまは立ち上がり、わたしの膝からペタロ王子をつまみ上げた。
扉を開いて、幼い少女がおそるおそる入ってくる。
銀の髪に白い肌、真っ青な瞳の女の子。
亡くなった王妃が実家にいたころから仕えていたメイドの娘で、生まれたときに王妃の名前をもらっていた。年齢は王子よりひとつ上の六歳児。
SRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』本編では、主人公のヒロイン候補のひとりだった。幼なじみのメイドで、後に魔法使いになる。
元から吊り目気味の青い瞳が、ペタロ王子を見てさらに吊り上がった。
「王子! お客さまのお部屋でなにをなさっているのです!」
「遊んでいただいていたのです」
旦那さまにつまみ上げられた状態で、キリッとした顔をしても締まらない。
「ウソおっしゃい! どうして他国の方にご迷惑をおかけするのです。そんなことでは亡くなったお母上が悲しまれますよ?」
「母上が悲しんでいるのは、父上の惚れっぽさだと思う。ちょっと優しくされると、すぐ鼻の下を伸ばすのですから。素直に周りが持ってきてくれる再婚話を受ければいいのに、恋愛結婚にこだわって……ふう。ルルディの母も呆れていたでしょう?」
「……か、母さまのことはいいのです! 帰りますよ!」
「えー、ちょっと待ちなさい。ルルディも一緒に、妖霊の熊さんにご挨拶しましょう。金剛石というお名前なのですよ」
「妖霊……」
青い瞳が大きくなった。
後で魔法使いになるだけあって、不思議な存在には興味津々のようだ。
ちなみにこの会話の間、ペタロ王子は旦那さまにつまみ上げられた状況を楽しんでいた。
手足を動かして、回ったりしている。
旦那さまの形の良い眉毛は吊り上がる一方だ。
わたしは妹で慣れているので子どもはこんなものだとわかっているが、旦那さまには驚きだろう。と、いうか、ペタロ王子はまだお行儀がいいほうですよ。
思いながら立ち上がり、わたしはルルディちゃんの前にしゃがみ込んだ。
両手に乗せた首飾りを差し出す。
「金剛石、ルルディちゃんです。ご挨拶してあげてください」
──あー、わ、私は金剛石。氷の鎖を放つものです。よろしく?
「よ、よろしくお願いします!」
──解放者よ、それではこれで失礼いたします。
「あぁん、待ってください。僕もご挨拶してナデナデするんですぅ!」
金剛石が宝石の中に消えて、それまで金剛石のように白く透明だった宝石は元の紅玉に戻った。
うっとりと見つめていたルルディちゃんが、わたしを見上げる。
「お客さまは魔法使いなのですか?」
島王国や北の大陸の人間でも、名家に生まれなければ魔法使いになれなかった。
もちろん才能の問題もあるけれど、そもそも学習する場所が少ない。
魔法に限らず知恵を求めるものは旅に出るのが当たり前で、各地に暮らす学者の開いた私塾に入るには、権力者の紹介と金が必要だった。
王侯貴族なら自分の城や館に学者を招けたが、平民はそうはいかない。
身分や地域による学力の差は大きかった。
ゲームの中みたいに旦那さまが大学を創ったら、状況は変わるのだろうか。
婚礼の夜に話した大学の計画を議会で提案したときは帝国貴族たちに反対されたとのことで、すぐには実現できなさそうだけど。
「いいえ。偶然、妖霊に力を貸してもらえただけですよ」
「そうかな」
旦那さまがわたしの隣に来て、ルルディちゃんの前にペタロ王子を降ろした。
「王子。将来は魔法使いとしてアネモス王国を治めるのだから、勘違いするんじゃない。今のお前は、メシュメシュが俺にかけた恋の魔法の余波を浴びただけなんだぞ」
「えー? 僕とココ姉上の出会いは運命だと思います。それではココ姉上、またお会いしましょう」
「早く来なさい!」
ルルディちゃんがペタロ王子の耳を引っ張って出ていくと、わたしの隣にしゃがんでいた旦那さまは、真っ赤になった顔を両手で覆った。
『恋の魔法』なんて言葉を使ったのが、照れくさいのだろう。
もし本当にそんなものがあるのなら、わたしはとっても嬉しいのだけど。
ううん、想ってくださる気持ちが旦那さまの真意でなければイヤかも。……悩ましい。
「旦那さま」
「なんだ」
わたしは旦那さまの耳元で囁いた。
……恋の魔法をかけられたのはわたしのほうですよ、と。




