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旦那さまにやつれた様子はなかった。
部屋にある椅子に腰かけて、前の机でサイコロを転がしている。
服も清潔そうで、胸には紫水晶の首飾り。
だが足首には鎖が巻きつけられ、鎖の先には人の頭ほどの大きな鉄球がつながっていた。
ティーンさまが首を傾げる。
獣化して半人半獣の獣人の姿になれば、引き千切れる程度の鎖なのかもしれない。
わたしも神獣になれば壊せると思った。
ファダー帝国の宮殿にまで情報を流しそうな存在は、この島にはいない。
旦那さまはどうして変身も獣化もしなかったのだろう。
石の砦の中は綺麗に整えられていた。
というか、綺麗過ぎる。
SRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』本編で入ったときは、もっと生活感があった気がした。
建物自体は古いけれど、中に人が住み始めたのはつい最近のようだ。
ゲームと同じなら、二階に魔法使いの研究室と倉庫、屋上へ上がる階段がある。
一階はこの居間と厨房、水回り、ジャズィーラと侍女たちの寝室。そして、水晶洞窟へ続く地下通路の入り口があるはず。
「お帰り!」
旦那さまとサイコロ遊びをしていた男の子が、家に入った魔法使いに飛びつく。
「ただいま、俺のお姫さま。どうだ、皇子さまは誘惑したか?」
「やだよ。あたし父ちゃんのお嫁になるんだもん」
「なに言ってんだ、ガキ」
魔法使いは満面の笑みを浮かべて、抱きついてきた相手の頭を撫でた。
……え?
もしかしてあの、黒い髪を短く切った長い手足の男の子、ううん、女の子がジャズィーラなの? だってジャズィーラはぼよよん、ぼよよんで、『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』一番のセクシーキャラだった。それで無口無表情だったから人気があって……あ、でもそう思って見ると、アフアァ女王に似ているかも。
少女の瞳は、父親よりもくすんだ碧色だった。
瞳より明るい碧色の腕輪をしている。夏の夕月かんらん石月に生まれた彼女の護り石だ。
「十四にもなって父ちゃんと結婚するとか言ってるようじゃ、俺ぁ心配で母ちゃんのところへ行けねぇぞ」
「はいはい。百年後には行ってるよ。……お客さん?」
ジャズィーラが父親から離れた。
照れくさそうな表情で視線を逸らし、父親越しにこちらを見る。
彼女のことも気になるけれど、
「……メシュメシュ?」
「はい、旦那さま」
名前を呼ばれて、わたしは頷いた。
目が熱い。このまま泣いてしまいそうだ。でもまだそのときじゃない。
魔法使いが口笛を吹く。
「ひゅー。マジで皇太子妃とはな。じゃあみんなで茶ぁ飲んで、守護者を創る方法とやらをお聞きするか。……なんなら亭主説得して、魔力を分けてくれるんでもいいぜ」
そのほうがいいかしら。
魔法使いを見る旦那さまの青玉色の瞳には、嫌悪の色が滾っていた。
「不死者のしもべに手を貸すつもりはない。俺にはわかるんだ、お前の中にいる悪しきものの気配がな。寝込みも弱りもしていないところを見ると、お前はその悪しきものを自分から呼び込んだのだろう?」
「……っ」
不死者のしもべ?
ベルカやティーンさまも顔色を変えた。
旦那さまが誘拐犯と交渉をしなかったのは、そのせいだったのだろうか。
確かに相手が不死者のしもべでは、言葉でどうにかなるとは思えない。
わたしたちの視線を浴びて、魔法使いが頭を掻く。
「ああ、そうだ。俺ぁ女房を生き返らせるため、しもべになった。けど、死人は絶対に蘇らねぇ。だから離反した。『操りの虫』には寄生されたままだが、もう不死者とは無関係だ」
「信じると思うのか? この島の仕かけは『美しき蠅の女王』と同じ泥属性の魔法だ」
「偶然偶然。てか、同じ属性でも不死者同士の魔法は相性悪ぃんだぜ? だから不死者はあんたら獣人が望まない限り、『操りの虫』を生みつけらんねぇだろ?」
言葉を交わすふたりを見つめる。
ヘラヘラした笑みを浮かべた魔法使いを、旦那さまは睨みつけた。
「どちらにしろ、問答無用で人を誘拐し、獣化しようとしたら魔力を吸い取る鎖をつけるようなヤツのことは信じられない」
「冷てぇなあ、皇子さま。神に与えられた祝福を、ちっとくれぇ分けてくれてもいいじゃねぇのよ」
「……神に与えられた祝福?」
ティーンさまの呟きに、魔法使いが口角を上げた。
「なんだ皇子さま、秘密にしてんのか。そうだよなあ、いくら遠い帝国のことでも、皇太子が神獣として選ばれたとなりゃあ、この辺りにも噂が届くはずだもんな」
呆然とするティーンを見て、旦那さまは溜息をつく。
「お前のようなヤツがいるからな。これまで皇太子として魔法使いに会ってきたが、このことを見抜いたのはお前だけだ。いや、見抜いたのではないな。不死者から聞いていたんだろ?」
「まさか。不死者は皇子さま以上の秘密主義でね、なにも教えてくれねぇよ」
泣きそうな顔をしたジャズィーラが、父親にしがみついた。
「お姫さま」
「……お腹減った」
「そうか! おい、お客人。茶ぁ出すっつってたけど、メシも出してやるから感謝しろ」
厨房らしき部屋へ向かう魔法使いの後ろを、唇を噛んだジャズィーラが追っていく。
父親が責められているのが辛かったのだろうか。
「……妃殿下、自分が獣化して鎖を引き千切りましょうか」
「奥方さま、あたしの剣ならどうでしょう。あの男、武器を取り上げませんでした」
「いえ、とりあえず食事をいただきましょう」
わたしの発言に、旦那さまは眉間に皺を寄せた。
「メシュメシュ、お前たちだけでも逃げろ。俺は自分でなんとかする」
「旦那さま、わたしたちがこの島に来たとき乗っていた船は、彼の部下に見張られています。船だけなら出航できても、乗り込むのは無理でしょう。ティーンさま、どれだけの魔力を吸い取られるかわかりません。それに、吸い取られた魔力を悪いことに使われるかもしれないでしょう?……たぶん大丈夫だと思いますが」
旦那さまの隣に腰かけて、わたしはベルカたちにも座るよう促した。
「ベルカ。武器を取り上げないのは、取り上げる必要がないからです。冗談めかした口調に騙されかけましたが、彼は魔法使いとしての才能がかなりあります」
そうだ。
泥属性の主人公はゴーレムを操った後で倒れてしまった。
動力源は水晶洞窟の妖霊でも、発動するために必要な魔力も半端ではない。島全体を守るゴーレムなのだから。
探究者に創られた島を自在に操る魔法使いは、探究者に匹敵するだけの魔力を持っている。だからこそ、悪い魔法使いに狙われたのだろう。
──そしてそれが、彼が生き長らえている理由でもあるのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
魔法使いが出してくれた夕食は、ボルシチとピロシキだった。
ゲームで女海賊にごちそうされたときは、この場所でなぜ? と思ったけれど、単に父親の魔法使いが北の大陸出身だったから寒い地域の料理だったのだろう。
というか、ゲームの製作者はそんなことまで考えていたのかしら。
予算と納期が十分にあったら、さらにいろいろなことが語られていたのかもしれない。
そうしたら、現世のわたしももっと旦那さまのお役に立てたのに。
食卓は気まずい沈黙に包まれていた。
誘拐犯とその娘、誘拐された男性、男性を助けに来た嫁とその仲間たち、という顔ぶれなのだから無理もない。
自分のぶんを食べ終わり、ジャズィーラはピロシキをつかんで立ち上がった。
「ヤサールとヤミーンに持ってってくる。桟橋だろ?」
「ああ。お客人の船があるから、人質にされねぇよう気をつけろ」
「はぁい」
彼女が出ていくのを待って、わたしは口を開いた。
「泥属性の魔法には、他人の魔力を吸って自分のものにするというのがありましたね」
「ホントによく知ってる姉ちゃんだな。ああ、あるよ。俺の得意魔法だ。下手なヤツは不死者みたく血肉を食らって吸収するから、化け物扱いされちまうんだよな」
「その魔法で、ジャズィーラから『操りの虫』を吸い取ったのですね。あれは不死者の魔力の塊ですもの」
「本当のしもべは、あの子どもだったのか?」
「……どんなに俺がバカでも、死人が蘇らねぇこたぁ最初っからわかってる。不死者だって、ただの動く死体に過ぎねぇ。だけど娘はまだガキで、母親に会いたがってたんだ」
「ジャズィーラは、あなたが死ぬと笑わなくなります。自分のせいだと思うからです」
さっきも自分ではなく父親が責められていることに苦しんでいた。
「違う、俺が悪ぃんだ。娘の言う『お友達』が女ってだけで安心して、自分と顔を会わさないことに疑問を持たなかった。気づいたときは遅かった。娘には『操りの虫』が生みつけられてたんだ」
「……初めからお前目当てだったのかもしれないな。不死者はいつも魔力を欲している。だが魔力の強い魔法使いは不死者の限界を知っているから簡単にはしもべにならないし、勝手に『操りの虫』を生みつけようとしても防ぐだろう」
「だろうな。俺が娘から吸い取るとき『操りの虫』は動かなかった。宝石に移そうとしたときは逃げ回るくせによ。不死者は『操りの虫』で魔力を吸い、ある程度吸ったら血肉を食らって魔力に変えさせる。俺が生きてんのは、人よりちっとばかし魔力が強いからで、それももうじきなくなっちまう。……娘を守るなにかを残しておきたいんだ」
「魔法使い、ごめんなさい。わたしが考えていた守護者を創る方法というのは、あなたがもう試したという、水晶洞窟に封じられた妖霊を解放して宝石に宿らせるというものだったんです」
「そうか。いいよいいよ、怒りゃしねぇ。どうせ最初から期待なんざしてねぇ。……なあ皇子さまお妃さま、うちの娘はバカだったが、ガキだったせいだし反省もしてる。誘拐なんてバカなことしでかしたのは俺だ。ヤサールとヤミーンも従っただけだ。だから、あの三人を引き取っちゃくれねぇか」
言いながら立ち上がり、魔法使いは自分の腰から斧を抜いて机に置く。
それから旦那さまの足の鎖を外し、跪いた。
旦那さまが苦笑を漏らす。
「お前も、本当の目的はそちらか」
「いや、最初は娘の素性を明かして、ダルブ・アルテッバーナ女王国のアフアァ女王に口聞いてもらおうと思ってたんだ」
「アフアァ女王?」
「なんだ、嫁さんに聞いてねぇのか? うちの娘の母親、俺の女房はアフアァ女王の姉ソーバーン王女なんだぜ」
旦那さまに視線を向けられて、わたしは頭を下げた。
ほかにどうしようもない。
わたしだって知らなかった。ゲームに出てこなかったし、攻略本にも母親はある国の王女としか書かれてなかったのだもの。
「でも誘拐してみたら神獣だったから、あんたの側に置いとくのが一番安心かなって」
『神獣』という単語を聞いて、ピロシキを食んでいたティーンさまが硬直した。
皇帝陛下のことを思うと、複雑な気持ちなのだろう。
ベルカも困惑した表情でボルシチを食べている。
「獣人の国は獣化できねぇと奴隷にされるっていうけど、あんたならお妃さまも『できそこない』だし、ハーレムも奴隷ばっかって言うじゃねぇか。十七と十四なら悪くない年の差だし、ジャズィーラが囚われの身から救ってやったら、感謝して愛妾にでもしてくれっかと思って」
旦那さまが溜息をつく。
「俺には大切な嫁がいる。愛妾にはできないが、妹分として引き取ってやろう。それにダルブ・アルテッバーナ女王国のアフアァ女王は、姪が獣化できなくても気にしないと思うぞ。あの国は獣化できる獣人が多いが、北の大陸や島王国の人間との婚姻も盛んだ」
「……ありがとう」
しんみり言った後で、魔法使いは吹き出した。
「てか大切な嫁がいるんなら、ハーレムなんか作んなよ。俺ぁ今も昔も女房ひと筋だぜ?」
……いろいろ事情があるんです。
旦那さまは、魔法使いを信じることに決めたようだ。
本当にいいのかと悩む気持ちはあるけれど、わたしも彼を信じたい。
愛しげに娘を見つめる魔法使いの瞳には、アフアァ女王の前でソーバーン王女を抱き締めたときと同じ真実の輝きがあったと思うから。




