32
幻の怪物が出現する時間は決まっている。
日に四度。
ゴーレムが眠りに就くときだ。
最初は『???』と表示される幻の怪物の名前は、倒すと『ゴーレムの見た夢』へと変わる。ゲームでは黒い靄として出現し、倒した後に三人パーティのそれぞれが、自分の見た『恐怖』を語ってくれた。
主人公の王子さまは真っ黒な女の幽霊、虎獣人の少女(クークちゃんで間違いないと思うが、名前を思い出せていない)は腐った死体、妹のファラウラは──つまみ食いした自分を追いかけてる侍女と言っていたけれど、ライムーンのことかしら。
倒しても、時間が来ると怪物は復活した。
水晶の洞窟で封じられていた妖霊に新しい名前を付けて解放し、ゴーレムの動力源を奪うまで、怪物が消え去ることはない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わたしたちはゴーレムの腕に抱かれた湾へと入港した。
霧が晴れて、桟橋に人影が見える。
侵入に気づかれていたようだ。
一日霧に包まれている間に、空は赤く染まっていた。
島の上空はぽっかりと霧がない。
苔むした古い建物が島の中央に建っている。石でできた円柱形の砦だ。
岩肌を覗かせている山と砦の間には小さな森がある。ゲームではなにも採れなかったけれど、木の実くらいあるのかしら。
「ようこそ、お客人。ゴーレムの夢に惑わされないたぁ、大したもんだ」
中央の男が両手を広げ、甲板に立つわたしを見上げる。
ティーンさまが体勢を整えた。
いつでも獣化して、わたしを守ってくれるつもりなのだろう。
「初めまして。……ヤサールとヤミーンもお元気そうですね」
男の左右にいた女性たちが顔を見合わせる。
ヤサールは金の髪に褐色の肌、ほっそりした吊り目の女性。
ヤミーンは黒髪に白い肌、ふくよかな垂れ目の女性。
もちろんわたしとは初対面だ。
でもせっかくゲームの知識があるのだから、ハッタリを効かせなくてはね。
それにしても十年前だと若いなあ。
ゲームの中の彼女たちは、女海賊ジャズィーラの左右に控えていた。
女海賊を仲間にするときには戦闘があって、ふたりの侍女はかなりの強敵だったっけ。
三人の名前は南の大陸風で、島王国の言葉とは違う。
それは女海賊の母親に関係していて──
「えっ?」
あることに気づいて、わたしは男の顔を見つめた。
彼の存在は女海賊のセリフにしか出てこない。
──あたしはもう笑えないんだ。魔法使いの父さんが死んじゃって、魔法をかけてくれなくなっちまったからね。
攻略本のコラムにも、彼の正体なんか書いてなかった。
『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』本編には関わりのない人物だもの。
ううん、本当に関係がないのかしら。
ゲームにつながる歴史での今、旦那さまはどうしていたのだろう。
北の大陸生まれなのか、男は透き通るほどに肌が白かった。後ろで束ねた長めの金髪も色が薄い。
瞳は碧、女海賊が持っていた護りのかんらん石と同じ色だ。
顎の無精ヒゲを擦りながら、男は首を傾げた。
「どうした姉ちゃん、俺に惚れたか。んなに熱く見つめられると照れるじゃねぇか」
魔法使いというより船乗りの格好をした男の腰には、使い込まれた斧がある。
今は十四歳の女海賊の父親で、年齢は三十代半ばと言ったところだろうか。
女海賊の母親は、彼女を産んですぐに亡くなったという。
「……ソーバーンさまは、ジャズィーラを残して亡くなられていたのですね」
わたしの呟きに、男の顔色が変わった。
「お前、一体なにを知ってやがる。いや、なにしに来やがったんだ」
「……旦那さまを返してもらいに来ました。ただでとは言いません。あなたが研究している、宝石に魔力を注いで守護者を創る方法を教えます」
転生者である自分の持つ知識を最大限に活かして考えた、旦那さまを攫った魔法使いとの交渉方法だった。
ここで妖霊を解放してしまったら、ゲーム本編とは歴史が変わる。
でも宝石の守護者は、不死者討伐に必須の存在ではない。
それに世界はもう変わっているはずだ。
魔法使いが旦那さまを攫ったのは、自分がいなくなった後に娘を守るものを創りたかったからだと、わたしは推測した。そんなイベントがあったのだ。
ゲームの中の、女海賊と名乗っていても正義感が強くてお人よしのジャズィーラを見ていればわかった。彼女は愛され、大切にされて育ったのだ。
かんらん石の守護者は碧色の蛇。
攻略本でしか見たことがないけれど、召喚すると一緒に戦ってくれて、ときどき毒の状態異常を引き起こしてくれる素敵な存在のようだ。
「あ」
「今度はなんだ」
「もしかしてあなた、ザバルジャド?」
「違うな」
ジャズィーラが守護者の蛇をそう呼ぶイベントがあるらしいのだが、単に宝石から来た呼び名なのだろう。
実際に見ていないから、攻略本の情報だけでは詳細がわからない。
「でも、女房は俺のことそう呼んでた。この目がかんらん石みたいだって……お前、なにをどこまで知ってやがるんだ」
「え、あの、あなたが昔水賊で、ダルブ・アルテッバーナ女王国のソーバーン王女殿下に捕まりそうになったとき、その腰の斧で首を……」
「もういい、黙れ。薄気味悪ぃ女だな。なにからなにまで知ってやがる。ただの『できそこない』のくせに」
男は長い溜息を漏らした。
わたしが獣化できない『できそこない』だということは、きっと魔法使いの力で気づいたのだろう。
「獣化できないものは魔力が強いと、あなたがソーバーンさまに教えて差し上げたのではなかったですか?」
「チビのアフアァじゃねぇよなあ? 女房の妹なんだから、もうちっと色っぽくなってるはずだ。……ん? その胸の紅玉に注がれた魔力、お前のものだけじゃねぇな。星を生み出したのはお前の魔力だが、紅玉自体の魔力を底上げしてんのは……ああ、旦那さまってのは白獅子のことか!」
「ほかにも攫っているのですか?」
だとしたら、旦那さまを帰してもらっても見逃すわけにはいかなくなる。
「違ぇよ。おい姉ちゃん、お前の亭主はとんだケチ野郎だぞ。ちびっと変身して、魔力を分けてくれりゃあいいものを。そもそもお前、なんだって俺が守護者を創ろうとしてるって知ってんだ」
「あなたの日記で……ごめんなさい。今の言葉は忘れてください」
前世遊んだゲームの中で、女海賊を仲間にした主人公たちは彼女の亡くなった父親の研究室に入り、彼の日記を読む。
そして、宝石に魔力を注いで守護者を創る方法を発見する。
主人公の王子さまは魔法使いの日記を読んだ後、ジャズィーラの父親の研究だからと彼女の護り石に妖霊を宿らせようと誘うのだけれど、好感度が一定値を超えていないと、父の想いだけで十分だと断られてしまう。
守護者作成自体はいつでもできる。
好感度さえ上がれば、彼女の護り石も後でもらえるはずだ。……まあ、親離れしたということで。
護り石をもらえるイベント自体は一回限りでなく、好感度さえ一定値以上なら何人からでももらえるので、だれからも好かれている主人公は、どの護り石に妖霊を宿らせるかを決めることができた。
「わけわかんねぇこと言うな。俺ぁ日記なんか書いたことねぇよ。つってもお前がフツーじゃねぇのは確かなようだ。とりあえず船から降りろ。茶ぁ出してやる。妙な真似したら雷で貫いてやるからな」
「あなたが使えるのは泥属性の魔法だけじゃないですか?」
魔法使いには属性の制約がある。
この島のゴーレムと霧は、泥属性の魔法。
妖霊を解放しなくても、主人公が三すくみの関係にある氷属性の魔法の使い手なら、ゴーレムと戦って難なく倒すことができた。雷属性でも頑張れば、なんとか。泥属性なら操ることもできたが、頭と腕しかないゴーレムは移動できないので意味はない。
ジャズィーラの父である彼がこの島を支配できるのは、製作者である探究者と同じ属性の魔法の使い手だったからだろう。
前世だったら、同じパスワードを使っていたのでファイルが開けた、みたいな感じ?……ファイルってなんだっけ?
そういえば、『美しき蠅の女王』も泥属性だったと思い出す。
サンダーマンモスが雷属性なのは、不死者が自分と違う属性の魔力を放出したからではないかと、旦那さまと話し合ったっけ。
「ど、泥属性の魔法はすげぇんだからなっ! 霧を生じて迷わせられるし、毒を放つこともできるし、ゴーレムだって創れんだぞ」
ゲームではバトル中簡単に魔法が使えたが、現世はそうもいかない。
この島のように大がかりな仕かけを創っていてさえ、ゴーレムが眠る時間は自由にならない。いつも同じ間隔で眠ってしまう。
旦那さまを攫ったときは、幻の怪物に隠れて船で近づいたのかしら。
霧を操れるのは間違いないが、人を惑わす毒を含む霧を自分の生活圏で使ったりはしないだろう。彼以外は魔法使いじゃないのだ、解毒ができたとしても危険過ぎる。
現世の魔法は、魔法陣や結界などで使いやすい環境を作り、長い時間をかけて準備をして、初めてゲームと同じ効果をもたらすものだ。
「てか姉ちゃん、守護者を創り出す方法が、裏山の妖霊を解放して宝石に宿らせるなんてことなら怒るぞ。俺だって試してる。新しい名前を付けてやっても、アイツら出てきやしねぇんだ。だから俺ぁ宝石に魔力を注いで、妖霊モドキを創ろうとしてんじゃねぇか」
……あれ?
どういうことかしら。
えぇっと、鍵がかかったままの父親の研究室に入りたいとジャズィーラに頼まれて(仲間イベント、しなくても話は進む)水晶の洞窟ダンジョンへ行って、魔法使いのカギを拾ったら封じられた妖霊が主人公に話しかけてきて、そのときはなにもできないけど魔法使いの日記を読んで守護者の創り方を知って──もしかして、主人公の王子さまにしか封じられた妖霊を解放できなかったりして?
新しい名前を付けたら大丈夫だと思ってた。
……とりあえず、ハッタリを続けて旦那さまと会わせてもらおう。
旦那さまは神獣だから、妖霊も心を開くかもしれない。
ダメでも旦那さまが自由になれば逃げられると思うし……そういえば水晶洞窟の妖霊は一体だけだったはずなのに、なんで魔法使いはさっき『アイツら』って複数形で言ってたの?
ベルカとティーンさまを連れ、ボハイラには一日戻らなかったら出航するように告げて、わたしは下船した。
魔法使いがわたしたちを先導し、ふたりの侍女は船の近くに留まって見張っている。
「……攻略本が欲しい」
ベルカとティーンさまは、呟くわたしを不思議そうに見つめた。
赤い空はゆっくりと、青紫の夜色に変わっていく。
銀の月光が辺りに降りる。
武術大会から一か月、今日は満月の夜だった。




