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ラスボスの嫁 連載版  作者: @眠り豆


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 ……あ、旦那さまだ。


 旦那さまが旅立って、早半月。

 武術大会から数えると、後五日ほどで一か月だ。

 夏の朝月、真珠ルールー月の風なら、アネモス王国へは七日前後で着くという。

 そろそろ手紙が届いても良いころだ。

 旦那さまが連れて行った伝書鳩は、どこで休んでいるのだろう。

 ぼーっと考えながら、わたしは目の前の旦那さまに見惚れていた。

 もちろん夢だ。ひとりの寝台で眠って見る夢。

 旦那さまがいない間は続き部屋にベルカが控えてくれているし、クークちゃんも毎日遊びに来てくれる。起きているときは、ほかのことで気を紛らわすことができた。

 でも夜は、夢の中では自分を誤魔化すことができない。


 寂しい、寂しい、寂しい。

 旦那さまに会いたくてたまらない。


 毎晩わたしは、旦那さまの夢を見ていた。

 だけど──今夜の夢は少し違う。

 十七歳の旦那さまではなく、もっと大人になった旦那さまが、寝室で鏡を見ている。

 ゲームの中では3Dモデルだったけれど、これは二十七歳の旦那さまではないかしら。

 酸いも甘いも噛み分けて、清濁を併せ呑んだ大人の顔をしている。

 二十七歳はゲーム開始時点での年齢だから、もうひとつ、ふたつ上かもしれない。

 旦那さまの見つめる鏡に、わたしは映っていなかった。……夢だものね。


 とん、とん、とん。


 髪を梳かすでもなく、服を整えるでもなく、旦那さまは骨ばった指先で鏡の表面を叩いていく。


 とん、とん、とん、とん。


 横にずれながら七回叩いて、少し間を開けて最初の位置に指を戻す。

 まるで、だれかになにかを伝えようとしているかのようだ。

 夢とはいえ、ここは旦那さまの部屋。

 扉には鍵などかかっていない。

 だれかになにかを伝えたいのなら、相手がいるところまで行けば良いのに。


 とん、とん、とん。


 旦那さまの青玉色の瞳は自分の指先ではなく、肩越しに向けられていた。

 わたしの意識のある場所だ。

 まさかね。

 青玉色の瞳に、わたしは映っていない。

 それに、これはただの夢だもの。


 とん、とん、とん、とん。


 だけど──

 繰り返し繰り返し、七回鏡を叩く音。

 ななつ、ななつ。

 七でできた特別なものを、わたしは知っている。

 旦那さまの魂の名前だ。神に与えられた、運命を表すななつの言葉。


 ……ひとつは本質、彼は『獅子アサド』。

 ふたつは魂の描く色、彼の魂には『慈悲ラフマー』がある。

 みっつは心、彼の揺れ動く感情は『情熱アーテファ』を帯びている。

 よっつは言動、彼は『咆哮ザイール』する。

 いつつは人の世の呼び名、彼は『満月バドル』皇太子殿下。

 むっつは死して呼ばれる名前、彼は『フェッダ』色に輝いた。

 ななつは与えられた運命、彼は『皇帝イムベラートール』になる。


 神に与えられた運命だからこそ、旦那さまは自分が兄君から地位を奪うのではないかと怯えている。

 ただ、言葉は無数の意味を持つ。

 皇帝という言葉が表すのは、ファダー帝国の皇帝だけとは限らない。

 アネモス王国に不死者がいて、旦那さまが彼女を打ち倒したとしたら、みんなが心の中で崇め尊敬する、帝国のない皇帝になるのかもしれないではないか。

 心で呟いた魂の名前が聞こえたかのように、夢の中の旦那さまは頷いた。

 それから再び、鏡を叩き始める。

 やっぱり、わたしになにかを伝えようとしているのだろう。

 夢でも現実でも、旦那さまはわたしを大切にしてくれる。

 前世むかしでも現世いまでも、旦那さまの存在はわたしの宝物だ。


 とん、とん、とん。


 ななつ、ななつ。

 妖霊ジンの能力もななつだったっけ。

 満月の影走り、新月の影纏い、遠見、未来視さきみ、雷の矢、氷の鎖、泥中の花。

 得手不得手はあっても、妖霊ジンはななつの能力を使えた。

 探究者に魂の名前を奪われ、魔力の塊として封じられるまでは。

 女海賊の島を守るゴーレムは、水晶の洞窟に封じられた妖霊ジンの魔力で動いていたはずだ。


 とん、とん、とん、とん。


 SRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』について思い出せたことは、すべて旦那さまに話してある。

 思い出せない記憶は、きっと神が封じているのだと旦那さまは言った。

 必要なときが来たら明かされるはずだと。

 ななつ、ななつ。ななつの言葉、魂の名前……あ。

 わたしは知っている、もうひとつの魂の名前を。

 旦那さまの魂の名前を間違えさせるために散りばめられた、完成させても損をするだけの名前、黒幕の不死者『美しき蠅の女王』の名前だ。

 魂の名前を呼ぶと怒って戦闘力を上げるのは、彼女のまやかしが解けてしまうから。

 纏っている奪った魔力が消えて、本当の姿になるのだ。

 干からびたむくろに骨や枯れ木をつなげた、忌まわしい人形の姿。

 骨や枯れ木に蠅がたかり、骸に開いた穴からも羽音を響かせていた。

 口に出すと呼び出してしまいそうで、旦那さまにも教えたことはない。

 だけどわたしは、『美しき蠅の女王』の名前を知っている。


 ──本質は『ゾバーバ』、魂は『臆病カジョール』、彼女の心は死に『恐怖カウフ』し、自分にも周囲にも『嘘つき(カーゼブ)』になる。

 生きていたときは『椿カミリヤ』と呼ばれ、死してからは人を惑わす『芥子カシュカーシュ』と呼ばれている。

 彼女を待つ運命は『永遠レルアバド』ではなく『アズム』。

 書き換えた魂の名前でも、そこだけは変わることはない。

 偽りの『永遠レルアバド』は、いつか『終わり(ニハーヤ)』を迎えるのだ。


 夢の中の旦那さまが微笑んだ。

 十七歳の旦那さまよりも色気が増した笑みだ。

 その瞬間、わたしは夢から覚めた。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ……とっても大事なことのはずなのに。


 今朝見た夢の意味に、まだ思い当たらない。

 わたしは旦那さまの書斎を借りて、机に載った紙を見ている。

 ときどき、胸に提げた紅玉の首飾りを握りながら。

 これは旦那さまの護り石。わたしの護り石は旦那さまの元にある。

 わたしがおじいさまとおばあさまにいただいた紫水晶と、旦那さまが皇太子になったとき皇帝陛下にいただいた紅玉を、旦那さまが出発する前の晩に交換したのだ。

 護り石は本来服の下に隠しておくものだが、旦那さまのいない不安から、ついこうして表に出してしまっている。

 預けられたときは傷ひとつなかった紅玉は半月を経て、小さな星を煌めかせ始めた。

 アフアァ女王の言う通り、わたしの魔力が強いからなのだろうか。

 紫水晶の護り石の星がいつからあるのか、父さまに確かめておけば良かった。


 机に載った紙は、帝国全土から集められた、最近観測された新しい魔獣の情報だ。

 ゲームをしていたとき、わたしはそんなに魔獣を意識していなかった気がする。

 サンダーマンモスのような経験値稼ぎの魔獣以外は、妹の力技で倒していた。

 だけど寄せられた絵や説明の文章を見ていると、攻略本のページが頭に蘇ってくる。

 旦那さまが出発前に、わたしに託してくれた大切なお仕事だ。

 ……意味があるのか不安になるものの、皇帝陛下はわたしの仕事ぶりを称賛してくれた。魔獣の情報を書いた書類は、陛下が直々に運んでくださっている。

 もちろん妙な誤解が生じないよう、虎夫人とティーンさまも同行していた。

 陛下は以前旦那さまが議会で提案して却下された大学創立に興味があるようで、そのことについて聞かれるときもある。前世むかしゲームの中で通ったときの知識に過ぎないのだけれど、少しは役に立っているのかしら。

 転生やゲーム、不死者やラスボスのこと以外の知識は秘密にしないで話そうと旦那さまと決めている。

 わたしは魔獣の弱点を記すため、墨壺に挿していた羽の筆を手に取った。


「ケルベロス、泥属性。氷に弱い。傷つくと影を伸ばし、影に触れた敵の魔力を吸収して回復する。影のできない場所へおびき寄せるか、鉄の武器を体に刺すことで回復を防げる」


 泥属性だからかレンコンをドロップするのだけれど、それは書かないでおく。

 料理のやり込みで辛子レンコンを作りたくて、追いかけ回したこともあったっけ。

 ケルベロスは現世いまでも島王国辺りにありそうな名前だが、そうでなくても魔獣の名前は思い出したものをそのまま書くようにしている。

 だって、考えるの大変なんだもん。


 グリフォン、ヒポグリフ、マンティコア……体の一部が獅子になっている魔獣は多い。

 ラスボス『死せる白銀の獅子皇帝』として最終決戦に現れた旦那さまに、一番よく似ているのはキメラだ。

 違うのは、旦那さまには山羊の頭ではなく、熊の頭が生えているということ。

 そして混じった獣が三匹どころではないこと。


「奥方さま」


 ベルカの声に顔を上げる。


「根を詰め過ぎると体に毒です。お茶はいかがですか?」

「ありがとう」


 母の死後、実家の家事を一手に引き受けていたというベルカの淹れるお茶は美味しい。

 わたしは頷いて、書斎の床に寝そべって手紙を書いているクークちゃんを見た。


「クークちゃんもひと休みしませんか?」

「するの!」


 クークちゃんは喜色満面で立ち上がった。

 いくら大事な友達相手でも、毎日手紙を出していたら書くこともなくなるだろう。

 最近は絵を描いたり、庭の花を入れたりしているようだ。


「お茶うけはどうなさいますか?……もう少ししかないんですが」

「かまいません。食べちゃいましょう」


 議会でアネモス王国への渡航が決まった後、旦那さまは新しいお菓子をくれた。

 祭りでもらった砂糖菓子の花束は、ファラウラが食べきってしまったのだ。

 圧搾所へ行ったとき、旦那さま用に作ったフムスも半分くらい食べた。

 マズナブでは美味しくないと言っていたのに。

 成長して味覚が変わったのか、旦那さまの真似をしたかったのか。

 それはともかく、旦那さまに新しくいただいたのは、大きな硝子の壺いっぱいに砂糖漬けの花びらを詰めたもの。

 クークちゃんの頭くらいある大きな壺だけど、半月も経てばなくなってしまう。……旦那さまが、早くお帰りになりますように。


「本当ですか?」


 扉の外で星影の叫び声が聞こえた。……珍しい。


「奥方さま、お仕事中に申し訳ありません。ティーンさまがいらっしゃったのですが」

「お通しして」


 どうしたのだろう。

 砂糖漬け、四人分あるかしら。

 扉が開いてティーンさまが入ってくる。


「妃殿下、皇太子殿下の船が戻りました」

「まあ、もう?」


 手紙だけが届けられて、旦那さま本人はまだ帰らないものと思っていた。

 でもそうね、旦那さまは神獣なのだもの。

 たとえ不死者だって、神に祝福された咆哮で打ち倒せるに違いない。

 ティーンさまはわたしから視線を外し、苦しげな面持ちで頷いた。


「途中で霧に包まれて方角を失い、巨大な魔獣と遭遇して逃げ帰ったのです」

「……旦那さまはご無事なのですか?」


 自分の声が、ひどく遠いところから聞こえてくるような気がした。

 時間がゆっくり流れていく。それでいて心臓は激しく脈打っている。

 わたしの質問に、ティーンさまは首を横に振った。


「……わかりません」

「わからない?」

「皇太子殿下はおひとりで魔獣に立ち向かい、みなを逃がしたそうなのです」

「行方がわからない、ということですね……ベルカ?」

「は、はい。奥方さま」

「ハーレムの女性たちは操船技術を身につけていましたね。もう船を出せるくらいの力はあるのですか?」

「何度か海に出たことがあります」


 ベルカとティーンさまの背が、急に高くなったように感じる。

 気持ちが沈んでいるからかしら。


「ティーンさま」

「は、はい。妃殿下」

「旦那さまを捜しに行きます。皇帝陛下にお会いして出航の許可をもらいたいのですが」

「わかりました。陛下に謁見の希望をお伝えしてきます」


 ティーンさまを見送ろうとして、わたしは気づいた。

 ベルカとティーンさまが高くなったのではない。

 足の力が抜けて、わたしが床に座り込んでいたのだ、と。

 朝の夢が告げようとしていたことが理解できた。

 不死者『美しき蠅の女王』は、以前目覚めたときに奪った他人の魔力を纏っている。

 ゲームの主人公は、魔法の矢で射ることで『美しき蠅の女王』を退治した。

 魔法属性に関係ない最終奥義だ。

 纏った魔力を超えて、『美しき蠅の女王』の本質に達するのだろう。

 旦那さまの咆哮が神に祝福されていても、罪もない人々の魔力は打ち消せない。


 ……旦那さま!


 どうしても涙が抑えられなくなって、わたしは両手で顔を覆った。

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