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「……ねねさま?」
久しぶりに会う父さまの控室には、意外な人物がいた。
年の離れた妹、五歳の苺だ。
十年後の『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』本編では、主人公の王子さまのヒロイン候補のひとりだった。……結ばれたことはないけれど。
黒い髪に紫色の瞳、象牙色の肌。幼いころのわたしにそっくりで、それでいてわたしの三倍元気がいいといわれていた。
ファラウラは獣化ができる。
わたしがファダー帝国に嫁入りする直前、冬の夕月、紫水晶月のころまでは、クークちゃんのように獣の耳と尻尾が飛び出しっぱなしだった。
短い熊の尻尾が可愛かった。
ちょうど砂漠で狩りが催されたころ、春の昼月、金剛石月に五歳になって、それからは獣化が制御できるようになったと、母さまからの手紙に書いてあったっけ。
でも武術大会に来るとは聞いていなかった。
「まあ、どうして……」
わたしは父さまの顔を見た。
闘技場控室の長椅子に腰かけた父さまの隣に立つのは、護衛のジュヌード。
ジュヌードはマズナブ王国の将軍コブターンのひとり息子で、王国で力を持つ高位貴族の家の跡取りだ。年は二十五歳だっただろうか。
父さまが、のんびり立ち上がりながら口を開く。
「実はファラウラは……」
「ファラウラね!」
父さまの言葉を遮って、ファラウラが胸に飛び込んできた。
妹はいつかのクークちゃんのように、父さまの肩に登っていたのだ。
「ねねさまに会いたかったの!」
「それでファラウラは……」
「ちぃ姫さまは獣化して、陛下の荷物袋で冬眠していたんです! 心臓が止まるかと思いました!」
父さまの言葉は、今度は興奮した様子のジュヌードに遮られた。
きっとこのとんでもないできごとを、だれかに話したかったのだろう。
わたしだって当事者なら、いろいろな人に聞かせて驚かせたい。
毎年武術大会で優勝していても性格はおっとりした父さまは、ジュヌードを怒ったりはしなかったが、少し残念そうな表情をしていた。
自分の口から話したかったのかもしれない。
思いながら、わたしはファラウラを睨みつけた。
「どうしてそんなことをしたのです?」
「だって、ファラウラねねさまに会いたかったのに、ととさまもかかさまも帝都に行っちゃダメって言うのです。だから実力行使なのです」
当たり前だ。
獣化できるファラウラは、次代のマズナブ王国の女王なのだから、気軽に国から出すわけにはいかない。『できそこない』のわたしだって王女ということで、父さまの狩りに同行する以外で国から出たことはなかった。
大人になって即位したら、外交で異国に足を運ばなくてはならない。
焦る必要はないのだ。
「荷物袋に入ったりしたら危ないでしょう?」
「冬眠してたから大丈夫なのです」
熊獣人には冬眠という能力がある。
野生の熊と違って、冬に眠るとは限らない。
いつでも自分の意志で深い眠りに就き、食欲と排泄を抑えることができるのだ。
ただし寝起きは暴走する。
ゲームでは、妹が冬眠というコマンドで1ターン眠るとバーサーカー状態になった。
バーサーカー状態は敵味方関係なく攻撃するけれど、その代わり攻撃力と回復力が増幅する。装備した武器で攻撃範囲を狭めて味方を離れたマス目に配置し、妹をバーサーカー状態にするのは、わたしの戦法のひとつだった。
「ジュヌード、怪我はありませんでしたか?」
「ありがとうございます、姫さま。リンゴを持っていたので助かりました」
ファラウラは食いしん坊だ。
暴走状態になっていても、ジュヌードを攻撃することよりリンゴを食べることを選んだのだろう。……五歳の妹のことを考えているはずなのに、なにかがおかしい。
「とにかくファラウラ、もうこんなことをしてはダメですよ。行きたいところがあるのなら、ちゃんと父さまと母さまとお話ししなさい。どうしても聞いてもらえなかったときは、無茶をする前に姉さまに相談して?」
「……だってねねさま、お城にいないのです」
「お手紙を書いて? 母さまに聞きましたよ。字が書けるようになったのでしょう?」
「うん! だからファラウラ、お城を出るとき、かかさまに置き手紙したのです」
えっへんと胸を張るファラウラに、わたしは複雑な気持ちになった。
字を書けるようになったことは褒めてやりたいが、置き手紙をすれば勝手に城を出ていいと思われても困る。
『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』本編では、置き手紙を残して城出しまくりのお転婆王女だったっけ。あのゲームの中のわたしは、なにをしていたのかしら。
年の離れた妹が可愛い気持ちは、とってもわかるのだけど。
「ファラウラ。字を書けるようになって偉いわ」
「えへー」
「でもね、それとこれとはべつですよね? 勝手にお城を出るのは悪いことです。……時間はかかると思いますが、その前に姉さまにお手紙をちょうだい?」
「んー……わかったのです」
「良かった。……ベルカ」
わたしは後ろを振り返った。
一緒に来たベルカは、父さまの存在に緊張して硬直している。
ベルカの腕には、わたしが預けた砂糖菓子の花束があった。
こちらへ来る前に寄った旦那さまの控室で置いてきても良かったのだけど、わたしが幸せに暮らしているということを父さまに見せたくて、持ってきたのだ。
「花びらを一枚、この子にあげてもらえますか?」
「……はっ、はいっ!」
ベルカは紫色の鬱金香の花びらを一枚千切って、ファラウラの口元に伸ばしてくれた。
ファラウラが鼻を動かす。
「甘い匂いがするのです」
「姉さまの旦那さまがくださった砂糖菓子ですよ。どうぞ」
花びらを口に入れたら、すぐ離れないと指を噛まれるとベルカに忠告しようと思っていたのだが、ファラウラは花びらを食べようとはしなかった。
代わりにぷうっとほっぺを膨らませる。
「どうしました?」
「ファラウラ、ねねさまの旦那さまにお会いしたいのです」
「そうなの? ごめんなさい、ベルカ。その花びら食べてしまって」
「え、あたしが? あ、ありがとうございます。……美味しいです」
ベルカが花びらを食べるのを見て、ファラウラは唾を飲んだ。
知らない場所に緊張して食欲がない、というわけでもなさそうだけど。
ベルカの口が空になるのを待って、父さまに声をかける。
「父さま、侍女で護衛のベルカです。いつも良くしてくれるのですよ」
「ああ、去年の女奴隷の部で優勝した娘だな。ここにいるということは、今年は出場しないのか?」
奴隷の部の試合は、ちょうど今おこなわれている。
星影も奴隷用の控室で出番を待っているはずだ。
真っ赤な髪を振り乱して、ベルカが頷く。
「あ、あたしごときを覚えていていただいて恐縮です」
「今年そなたの試合を見られないのは残念だが、そなたが娘を守ってくれているのなら安心だ」
「ありがとうございますっ」
ベルカの赤茶の瞳は、心なしか潤んでいる。
武人として父さまを尊敬しているという話は、お世辞ではなかったようだ。
父さまとジュヌードは奴隷の部の総合決勝戦を見に行くというので、わたしはファラウラと一緒に旦那さまの控室へ行くことにした。
「ベルカ、あなたも父さまと一緒に決勝戦を見て来たら? 星影はきっと、今年も決勝に残っているのではないかしら」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。星影が負けるはずありませんから」
「……ベルカは、星影っていうのが好きなのですか?」
うっとり語っていたベルカは、ファラウラにまで気持ちを見抜かれて目を白黒させた。
それにしても妹よ、砂糖菓子の花束を見てヨダレを垂らしているくらいなら、素直に食べたほうがいいと思いますよ。抱っこしているわたしの指は齧らないでね。




