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ラスボスの嫁 連載版  作者: @眠り豆
14/50

 14

 キスを終えて顔を離すと、旦那さまは青玉の瞳を丸くしていた。


「……すごいな、修行というのは」

「なにがですか?」

「お前とキスをしたのに変身の衝動がない。一日修行しただけで、俺は平常心を手に入れたぞ!」


 笑いながら体を起こし、わたしを抱き寄せる。

 低く艶やかな声が、恥ずかしそうに囁いてきた。


「……なあ、変身しないのなら、その……」

「武術大会までは、そういうことを考えないと、ついさっきおっしゃいませんでしたか?」

「忘れたな。お前も忘れてしまえ」


 わざとらしい拗ねた表情を浮かべた十七歳の少年が、わたしを寝台に押し倒す。

 そのまま覆いかぶさろうとして、旦那さまは顔を歪めた。


「……ダメだ」

「旦那さま?」

「この体勢になると……」


 変身の衝動が湧きあがって来たらしい。

 旦那さまは手で顔を押さえて、わたしの上からどいた。


「獣と同じ体勢になるからでしょうか」

「そうかもしれないな」


 押さえる手の隙間から照れた横顔が覗いている。

 でもわたしは、なんとなくこの結果を予想していた。

 だってさっきのキスは、いつものキスとは全然違ったもの。

 もちろん旦那さまとのキスはすべて幸せで甘いものなのだけど、さっきのキスは軽く、ふわりと唇の上だけで溶けていった。

 旦那さまに初夜へと続けるつもりがなかったからだろう。

 いつものキスは熱く激しくて、噛みつかれそうな吸い取られそうな、そんな危険なキスなのだ。なんだか体が火照ってしまい、落ち着かない気分になる。

 あーあ、と溜息をついて、旦那さまが寝台に寝転んだ。

 うつ伏せになって、隣に横たわるわたしを上目遣いで見つめてくる。

 遊んでほしいとねだる仔猫のようだ。


「明日も修行をされるのでしょう? 蜜月が終わってお仕事が始まるまでに、たっぷり修行をなさらないと時間がありませんよ。もう寝ましょう」

「そうだな。……メシュメシュ。お前に『げぇむ』の知識があって、本当に良かった」


 旦那さまは寝返りを打って、仰向けになる。

 わたしは最初から仰向けだったので、旦那さまの隣で、一緒に天井を見つめた。

 窓からの月光が頭の上を横切って、天井の装飾をうっすらと浮かび上がらせている。

 銀の光が照らし出す夜の世界は青く澄んでいて、なんだか水底に沈んで水面を見上げているようだ。


「もしお前に『げぇむ』の知識がなく、婚礼の夜に俺の魂の名前を呼ばなかったなら、俺は神獣に変身できることを打ち明けはしなかった」


 それは仕方がないと思う。

 腹心の星影や月影にも秘密にしていたのだ。

 十年前から好きでいてくれたことは変わらなかったかもしれないけれど、それは真実を話す理由にはならないもの。でも……旦那さまに秘密があると感じたら、わたしは悲しくなったに違いない。


「そして蜜月が終わったら、ハーレムの女たちからお前の侍女を選んだ。たぶんベルカ以外の女だな」

「どうしてですか?」

「ベルカは悪いヤツではないが、ガサツだから皇太子妃の侍女には向いてない」

「なのにベルカを侍女になさったのですか?」

「ほかの女は信用できない」


 わたしは言葉を返せなかった。

 なにか言いたいのに、なんと言えばいいのかわからない。

 ハーレムにいる女性たちは、みんな奴隷として辛い思いをしてきた人たちだ。

 旦那さまに信用されていないと知ったら、どんなに悲しむだろう。


「ベルカ以外が悪いヤツだと言ってるんじゃない。ただ……ベルカは星影に惚れてるんだ」

「まあ、やっぱり!」


 思わず出た声に、旦那さまが微笑む。


「ほかの女たちは俺に気がある。自惚れてるわけじゃない。好きだとか惚れてるとかいうんじゃなくて、俺を落とすことで成り上がろうと考えてるんだ。向上心を持つのは悪いことではないが……お前は獣化できないよな?」

「……はい」


 わたしは『できそこない』だ。

 ハーレムの女性たちと違うのは、豊かな国の王女に生まれたこと、それだけ。


「アイツらは思うかもしれない。獣化できない女でいいのなら、自分でもいいのではないかと。お前に『げぇむ』の知識がなかったら、俺は神獣に変身できるという秘密を守ることに精いっぱいで、たぶん女たちの気持ちなど想像もしなかった」


 気づいたとしても、奴隷だからなにもできないと思って深く考えなかっただろう、と旦那さまは言う。自分も奴隷だったころはなにもできなかったから、と。


「でもお前は俺が『ラスボス』になる、不死者のしもべになると教えてくれた。だから俺は考えたんだ。十年後の『げぇむ』にお前がいなかったのは、お前となり替わりたいと考えただれかの背中を『美しき蠅の女王』が押したからではないかと」

「それでベルカを……」

「ああ。もし不死者がベルカを取り込もうとしても、星影が気づいて止めてくれる。アイツも満更ではないみたいだからな」

「そうなんですか」


 言われて考えてみると、ベルカと一緒にいるときの星影の眉間の皺は、いつもより少なかった気がした。

 旦那さまが天井へと腕を伸ばす。

 さっきのわたしと同じように、水底にいる気分なのかもしれない。


「『美しき蠅の女王』は心を操れるわけじゃない。相手が望まなければしもべにできないし、しもべ以外の生者には『操りの虫』も生みつけられない」


 しもべ以外でもむくろになら『操りの虫』を生みつけることはできるというが、その場合の死体は動くだけで意思は持たない。当然『美しき蠅の女王』の命令も聞かない。

 暴走に近い状態で暴れ回るだけだ。

 それでも生き物を屠る役には立つし、しもべと合成すればしもべとともに動く。


「不死者は人の心の弱い部分に忍び寄り、そっと背中を押すだけだ。だけどそれが、一番恐ろしい」


 旦那さまの隣で、わたしも腕を伸ばしてみる。

 月の光が瞬く青い夜の底、旦那さまとわたしは届かない水面をしばらく見つめ、やがて腕を降ろした。今はまだ、どうしたらいいのかという答えには辿りつけない。


 だけど、ふたりならきっと──

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