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水曜日は毎週一度の定休日。今日はノゾム君と店で待ち合わせて、店長が育てているという花を取りに行く。
ただ、浮かれすぎて待ち合わせの三十分以上前に店に到着してしまった私は、あっさり店長に見付かって一足先に部屋に上げてもらうことになった。
店舗部分の裏側にある築二十年は経っている建物。ここが店長の家だ。実家なのかな?
私は中学進学と同時にこの近くに引っ越して来たので、この地区を隅々まで知っている訳じゃないから、フラワーショップ・サクラがいつからここにあるのか知らなかった。
「――どうぞ」
と通されたのはリビング。テーブルにソファ、テレビなど、最低限の家具しかない綺麗に整頓された部屋だった。男性の一人暮らしは部屋が散らかってるって勝手に思ってたけど、全く的外れだったみたい。
だけど、綺麗な部屋なのに何か違和感がある。どう言えばいいのかな……、部屋が整頓され過ぎている?
読みかけの雑誌とか、畳みかけの洗濯物とかもなくて、ゴミ箱にはゴミすら入っていない。そう、まるでモデルルームのように生活感が無いような、そんな違和感……
「ツバサさん? どうかしましたか?」
「……え! いえ、素敵な部屋だなって見とれちゃって」
話しかけられて、私は思わず誤魔化してしまった。
店長がものすごく几帳面ってことなんだと、私は勝手に納得して尋ね返す。
「店長は今ここで一人暮らしなんですよね? ご家族は?」
「ここは元々、以前の店のオーナー夫妻の家なんです。
ですが、一年前に奥さんが他界して、オーナーも足腰を悪くしてしまって老人ホームの方に入られて、この家を放置しておく訳にもいかず、僕は管理を兼ねてこの家を借りて住まわせてもらってるんですよ。
僕には両親はいないので、ここで働き始めた頃から一緒に住まわせてもらってたんです……」
店長はどこか寂しそうに、そう話していた。
ご両親、もういなかったんだ。余計なこと聞いちゃったな……
「ごめんなさい、なんか不躾に聞いちゃって……」
「いえいえ。では、何か飲み物でも用意しますね」
と、店長はリビングを出て行った。
ずっと一緒に暮らしてたオーナー夫妻が店長の家族だったのかな。店長が見せた寂しそうな顔が、妙に心に焼き付いてしまった。
――そして、しばらく経って。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん。こんにちは!」
玄関の方から響く元気な声。ノゾム君も待ち合わせの時間より少し早めに店長の家にやって来た。
店長と一緒に居間から玄関に出てみると、相変わらず真ん丸なノゾム君の目が、今日は輝いて見えた。この前より人見知りは少し和らいだみたい。
服装はカッターシャツに半ズボンで、胸元には名前を隠すようにひっくり返ったネームが付いてる。小学校の制服みたいだ。
「いらっしゃい、ノゾム君。小学校の帰りですか?」
「あ、そっか。もう小学校は始まっちゃってるわね」
「今日は入学式だったんだ。ボクは二年生だし、すぐに家に帰れたよ。だから、ランドセル置いて急いで来たんだ」
肩で息をするくらいのノゾム君に私も店長も微笑む。
「そんなに急がなくたって、お花は逃げないわよ。ノゾム君」
「あはは、そうですね。ノゾム君、少し休んで行きますか? ちょうどツバサさんも来たばかりですし」
「ありがとう……ございます」
店長からのお誘いに、照れくさそうにノゾム君がゆっくりお辞儀する。しぐさと表情がなんとも可愛らしい。
「それではまた飲み物やお菓子でも持って来ますね」
「私も手伝いますよ、店長」
「大丈夫ですよ。ツバサさんは座っててもらっても……」
「もう遠慮しないで下さいよ~」
と、私は半ば強引に店長と一緒にキッチンへ向かった。
妙に困った顔されたけど、もしかして部屋は綺麗でもキッチンはグチャグチャとかそういうこと?
もしそうだったら、それはそれで可愛らしいな、とかクスクス笑いながらキッチンに着いた私は、その瞬間に絶句して立ち尽くした。
キッチンもまた、まるでモデルルームのような綺麗さ……というか、綺麗過ぎて使用されている感じが全くしない。いくら几帳面だと言っても、水回りまでが新品同様なのは不自然だ。
「店長、これって……。
店長の家って、昨日リフォームしました?」
呆然としてトンチンカンな質問をする私に、店長は苦笑する。
「ここは店舗と繋がってますから、リフォームしてたら音が聞こえるでしょう?」
「真面目に答えないで下さい!
店長、普段から何食べてるんですか?」
負けじとトンチンカンな返答をする店長に、鋭くツッコミしてから私は尋ねた。
これは多分、台所を全く使っていない。つまり毎日コンビニ弁当とか、スーパーの惣菜で済ませているに違いない。いや、それでも不自然なんだけど……
「いやぁ、えっと……一人暮らしですから……」
と、笑いながら頬を掻いて、明らかに何かを誤魔化してる店長。
もしかして、店長は几帳面なんじゃなくて、逆に自分自身にズボラなだけなのでは……と思う私。そもそも、几帳面な人が名前も知らない人にお店を任せたりしないと思うし。
「店長。出来合いの物ばっかりだったら体に悪いですよ?」
「それはそうなんですが……」
と、店長は困り顔。
ああ……つい出しゃばったけど、これって店長には余計なお世話なのかもしれない。
「ごめんなさい、なんか私、お節介やいちゃって……」
「いえいえ。僕のこと気にかけてくれてありがとうございます。ツバサさん。
さて、ノゾム君が待ってるので戻りましょう」
そう言う店長は、また寂しげな笑顔を浮かべる。
店長は優しい人だ。嫌味なことは何一つ言わない。ノゾム君にだってすごい親切だし。
それだけ心が寛いのか、それは分からないけど、私はこの時感じた。店長に対する不思議な違和感を……。
その後、店長と持って来たジュースを飲みつつ休憩していた私は、床に落ちたノゾム君のネームを拾い上げた。
「ノゾム君、落ちてるよ。せっかく新学年で新品もらったんだから、なくさないようにね」
「ごめんなさい、ありがとう。お姉ちゃん」
ネームをノゾム君に返そうとして、そこに『斎藤希望』という文字を見付けた私。
「ノゾム君って、もしかして『希望』って書いてノゾムって読むの? 素敵な名前だね」
「きぼう……?」
ノゾム君は首をかしげてしまった。希望の言葉がよく分からないみたい。
急に考えると私でも、どう説明したら分かりやすいか悩むなぁ。えっと……
「――良いことがありますように、ってお願いする気持ち……かな?」
「希望……。ボクの名前……」
ようやく絞り出した私の説明を聞いて、ノゾム君は黙り込んでしまった。今の言い方だと、うまく意味が伝わらなかったのかな……
「大丈夫? どこか具合でも悪い?」
「ううん。大丈夫」
一瞬表情を曇らせたノゾム君が気になるけど、私には別に気になってたことがある。
「ところで、ノゾム君のお友達ってどんな人? お花が好きな人なのかな?」
「うん……」
と、うなずいても気まずそうに目を逸らすノゾム君。うーん、やっぱり友達に何か秘密でもあるのかな……
ノゾム君の反応に私が困っていると、店長が立ち上がる。
「では、そろそろ行きましょうか。案内しますよ」
結局、どんな所に行くのか詳しく聞かないまま、私とノゾム君は店長に連れられて家を出た。
***
――私とノゾム君は店長と一緒に店の前の路地を進んでいく。
「あの、店長? ここから遠いんです?」
「少し歩きますが、大丈夫、近いですから」
店長は、いつものニコニコ笑顔。畑とか花壇があるのだろうか。私はここら辺の近所は初めて通るから、何も分からない。
そうこうしているうちに、私達は公園に到着した。その公園は初めて店長を見かけた公園。私がいつも通っている場所とは反対側の出口のようだ。
「この公園って、お店からこんなに近かったんだ……」
「ええ。そうですよ? 道を一本真っ直ぐに歩くだけですから」
あの雷雨の日、私は結構走り回ってお店にたどり着いたのに、どんだけ住宅街を迷走してたんだ、私……
自分のマヌケっぷりに肩を落とす私。気を取り直して話題を変えよう。
「ノゾム君の家も近所だよね? お友達とも遊びに来るのかな?」
「……ううん」
ノゾム君が小さく呟いて首を横に振った。
ノゾム君の年頃の友達なら一緒に公園で遊んでそうなんだけど、どういうことだろう?
私と店長は心配そうに顔を見合わせてた。でも、ノゾム君はすぐに平気そうな顔に戻って、店長の顔を見上げた。
「お兄ちゃん、これからどこ行くの?」
「はい、もう少しで着きますよ。行きましょうか」
ノゾム君の様子に戸惑いながらも、私達は公園を後にした。
私達は公園を通り抜けた先の、とある建物の前にたどり着いた。
そこは二階建ての建物。壁は一面ガラス張りで、ここの住宅街の建物の中では奇抜なデザインで、一際目立って浮いていた。
「店長? ここが目的地ですか?」
「ええ。中に入ってみましょうか。ほら、ノゾム君も。二人共、驚いてくれるといいんですが……」
ノゾム君の手を引いてその建物に入った瞬間、特徴的な強い香りが鼻をくすぐった。
目の前には鮮やかな黄色い花――菜の花が春らしい香りを漂わせている。他にもタンポポやレンゲ草。詰草も花を咲かせていた。
奥にはチューリップやクロッカス、パンジーやガーベラもあるけれど、この建物の中を埋め尽くすように咲いている花たちは、あまり花屋では扱っていないような野花が中心のようだ。
都会のこの街にだって、探せば野花はたくさん咲いているかもしれないけれど、住宅街の中心でこれだけ密集しているのは公園でも有り得ない。しかも、建物の中ということもあって、私はしばらく声が出なかった。
「ここって……、植物園ですか? 表にはそういう看板とかは無かったですけど」
「元々は、オーナーが管理していた室内庭園と聞いています。
地下一階とこの一階と、そして二階には別の季節の花が咲かせられるように、機械で室内環境を制御してるんですよ。一階は主に春の花が咲いていますね」
もう時期的には菜の花は終わる頃。でも、ここは機械で環境を調整してるから今でも咲いてるのかな?
「そんな凄い設備を個人の趣味で……?」
元オーナーって何者なんだ……という疑問。店長は笑う。
「実は僕もよく知らないんですよ。ただ、ここの室内環境制御の技術は宇宙で使われる技術の応用らしくて、よく学生さんが見学にも来ますし、僕が管理を引き継いでいるんですよ。
確かに見た目は、ただの小さな植物園なんですけどね。お店が休みの日は大抵ここにいますよ」
そういえば、桜の木の下で店長を見かけた日も水曜日だった。あの日、店長はここへ来た帰りにあの公園に寄っていたのかな。
一方のノゾム君は、黙って菜の花を眺めていた。花を見て気がまぎれてくれれば良かったけど、私は心配になって声をかける。
「ノゾム君。どう? 菜の花、綺麗でしょ?」
すると、ノゾム君は自分で鼻を摘まんで私達に困ったような笑顔を見せた。
「菜の花って、綺麗だけど臭いんだね……」
「え……?」
ノゾム君の素直な感想に、思わず私と店長は顔を見合わせる。その瞬間、私も店長も吹き出して笑ってしまった。
私は笑いながらノゾム君に言葉を返す。
「えぇ? 臭くないよ~。
春って感じがして、体の中がポカポカしてくるから、私は菜の花の匂いは好きだけどなぁ」
「えー、臭いよー!」
今まで落ち込んだ表情だったノゾム君が明るく笑う。
確かに、菜の花の強い香りは鼻をつくけど、そこまで臭いって言わなくても……と思いつつ、ノゾム君は思ったより元気そうで良かった。それが何より嬉しかった。
「じゃあ、奥にも行ってみましょうか。他にも色々咲いてますよ」
「あ、そんな二人共、そそくさと行かなくても!
まさか店長も菜の花の匂い、嫌いなんですか?」
「さてさて、どうですかね」
笑ってごまかしながら、店長はノゾム君の手を引いて奥に行ってしまう。
菜の花のインパクトが強かったせいか、すっかりお花に魅入られたノゾム君は、不安な気持ちは何処へやら、あっちにこっちにと動き回っていた。
「どれでも好きな花をあげますから、ゆっくり選んで大丈夫ですよ」
「転ばないでねぇ、ノゾム君」
はしゃいでいるノゾム君を笑顔で眺める私達。建物の中に花畑があるなんて、私だって楽しいよ。
そして、ノゾム君は一つの花を指差して私達に尋ねる。
「ねぇ、この花はなんていうの?」
ノゾム君に指された花は、長く伸びた茎の先に一輪だけ大きな赤い花を付けている。
「それは私も知ってます。『ガーベラ』ですよね、店長」
「はい、正解です。お店でもよく見かける花ですね。
色の種類も多くて花持ちもいいですし、中には同じガーベラとは思えないような花を付けるものもありますよ。見ていて飽きないですよね」
ガーベラは色もたくさんあって、単色だけでなく、複数の色を持つものもある。一重咲きや八重咲きもあるので、この花だけで花束を作っても、店長の言う通り飽きは来ないと思う。
ここにも赤や黄色と白のガーベラが綺麗に並んで咲いていた。
「がーべらっていうんだ……」
「ガーベラにしますか? 育てることも難しくはないし、長い間花を咲かせるので花壇や鉢植えでもいいかもしれないですね」
「うーん。どうしよう……」
まだノゾム君は悩んでいるのか、周囲をキョロキョロと見回していた。すると、ガーベラが咲き乱れる一角にまだ蕾のガーベラを見付けて、そこに駆け寄ってしゃがみ込んだ。
「これだけ、まだ咲いてないや……」
「そうですね……。ちょっと成長が遅れているのかもしれないね。
だけどね、ノゾム君。きっとこのガーベラも、今は一生懸命頑張ってる最中なんです。先に咲いた周りの花に負けないぞって」
「そっか。ガンバレ……」
ノゾム君は蕾をつつきながら、笑顔で優しく囁いた。その隣にしゃがんで店長も優しい笑顔を浮かべた。
「ノゾム君。大きな花を咲かせるのはとても大変ですが、頑張って頑張って咲かせたガーベラの花は、見る人に希望を与えるんです。人間だって大きな夢を叶えるためには、頑張らないといけないですからね。
だから、一緒に頑張ろうって言ってくれているガーベラの花は、『希望の花』なんですよ」
「え……あれ……」
私は店長の言葉に思わず声をもらした。何かが心に引っ掛かった。忘れていた何かを思い出せそうな、モヤモヤした感じ……これは……
――まるで一緒に頑張ろうって言ってくれてるみたいだろう?
だから、ガーベラは希望の花なんだよ――
……そうだ、思い出した。サトルさんの言葉だ。夢で見て、忘れかけていたあの言葉。
それは今、店長がノゾム君に言った言葉とほとんど同じだった。どうして……?
「――お姉ちゃん、ガーベラってぼくと同じなんだって! やっぱりボク、この花にするよ。
……ねえ、聞いてる? お姉ちゃん?」
「え……。あ、うん。ノゾム君も希望って名前だもんね。プレゼントするときっと喜ばれるよ」
いつからノゾム君が私に話し掛けてたのか気付かないくらい、私は動揺してしまっていた。
店長は笑っているけど、私はその笑顔を動揺したまま見つめていた。




