4-3
店長の脇腹に突き刺したナイフを握ったまま、男はニヤニヤと笑っている。
――あの人は何をしてるの? 何が起きてるの?
私はただただ動転して、繰り返し心の中で呟く。
でも、店長は男の腕を握り返し、体を傾けてそのまま男を軽々と投げ飛ばした。そして、男は並んでいたユリの花を押し潰すようにして仰向けに倒れこむ。
柔道なのか合気道なのか分からないけど、流れるような投げ技を掛けられて男は目を丸めている。私も驚いて目を見開いた。
だって、店長の脇腹にはナイフが刺さったままなのに……
「なんだよ……お前……」
散ったユリの花まみれで仰向けになったままの男が初めて喋った。さっきまでニヤニヤ笑ってたくせに、今は動揺していた。
何事もなかったように店長が男の襟元に手を伸ばす。すると、男はその手から逃れるように立ち上がって駆けだした。そして、近くに止めてあった自転車に跨がり、すぐに見えなくなってしまった。
ザァザァとけたたましく降り注ぐ雨。店の周辺には全く人気はなく、今この店の前で起こった事件の目撃者はいないようで、私と店長だけがポツリと存在していた。
――た……助かった。
しばらく経ってから私はそう自覚した。でも、冷静になった途端、店長が刺されていることを思い出して、全身から血の気が引いていくのが分かった。
「店長っ! きゅ、救急車!」
私は慌てて立ち上がり、レジ裏にある店の電話に向かって駆けだす。でも、店長は私を追いかけて手をつかんでそれを引き止めてきた。
「待って! ツバサさん!
救急車は……大丈夫です」
「な、何言ってるんですか! だって、そんな――」
「救急車は駄目なんです!」
私の声をさえぎって、店長が声を荒らげた。必死に私に訴える、その店長の反応に驚いた。
「と、とにかく手当てを――」
私は戸惑いながらもそう言って刺されたナイフに目を落とす。でも、それと同時にギョッとして息を呑んだ。
ナイフが突き刺さったままの脇腹。青いシャツが黒く染まっている。血かと思ったけど、ナイフを伝って滴る液体は青黒くて血ではなかった。そして、独特の臭いが鼻をつく。
「この臭い……アンドロイドの潤滑油?」
日頃、アンドロイドと共に暮らしている私は、すぐに気付いた。アンドロイドの体温を表現している潤滑油は特徴的な臭いがある。店長の脇腹を染めるものの臭いは間違いなくそれだった。
「え……何、どういうこと……?」
訳が分からなかった。もちろん、人間の体から流れ出すものではないことは分かっていたけど、だからつまりそれがどういうことなのか理解できない。
急に男に襲われただけでも気が動転してるのに、私はもう頭の中が真っ白になってた。店長は何も言えない私を前にして、うつむいたまま黙っている。
「て、店長……何か言って下さい……
あなたは……一体……?」
緊張を通り越して体中が弛緩していた私が、声を震わせながら呟くように尋ねた。
すると、すっと顔を上げたユージンさんは、悲しそうに表情を歪めて私に答える。
「……僕は……『アンドロイド』なんです……」
「っ――」
大きく目を見開いて大きく息を吸うと、私の耳には降りしきる雨の音さえも聞こえなくなった。
「は……、ははっ……」
まるで白昼夢でも見ているような錯覚の中、私は思わず笑った。
店長がアンドロイド? 冗談にしては突拍子もなくて笑わずにいられない。
でも、店長は至って真面目に続ける。
「いつか言おうと思っていたんです……でも、言えずにいました……」
「な、何言ってるんですか? 私のこと、からかってるでしょ?」
「ごめんなさい、ツバサさん。あなたを騙すようなことをして……」
店長はいつまで経っても「さっきのは嘘です。冗談です」とは言わなかった。
冗談であって欲しい、嘘だと言って欲しいという気持ちは、やがて苛立ちに変わる。
「いい加減にして下さい! 私はアンドロイドには詳しいことは知ってるでしょ!
笑って、困って、優しくしてくれたあなたがアンドロイドのはずがない!」
アンドロイドは機械だ。そんな感情のようなものを持てる訳がない。
だけど、店長は違う。桜を見て微笑んで、私にも優しくしてくれた。そんなことアンドロイドなんかにできる訳がない。それこそ『心』でもなければ――
そこまで考えて、私は察した。
「ま、まさか……店長……」
「『ゼレス・システム』……そう言えば、ツバサさんには理解できると思います」
ゼレス・システム――私の両親が開発した人工知能を含む、アンドロイドに心を与える機能。不具合があってリコール対象になったもの……。
「そ、そんな……そんなこと……
だって、あれはっ!」
「――あれは心を与えるといっても、ただの人工知能。感情があるように演算された答えを出しているだけ……です」
私の言いたいことを先読みした店長は、今まで見せたことがないほど辛そうな表情を浮かべている。
「でも、感情があるように見せるなんて限度があります!」
「僕も最初からこうだった訳ではないんです。色々な人に出会って、色々なことがあって……僕は少しずつ変わっていきました。
これまで蓄積されたデータをもとに、話し相手の性格や感情に適した返事を計算して、人工知能が瞬時に選択して答える――それを繰り返していけば、接する人間の方から感情移入して、まるでアンドロイドが感情を持っていると錯覚してくれることを知りました。
人間の脳は、本人が自覚する以上に錯覚を起こしやすいものなんです。それを利用して僕は人間になりすましてしまいました……」
あのシステムで与えられた心は、あくまでも機械的に作り上げられた偽物で、ただの子供騙しなんだ――と見くびっていたけど、コージと同様に私もそのシステムの載せたアンドロイドを見たことはない。
両親を嫌うあまり、両親が作った人工知能も過小評価していた? 店長が言うようにうまく錯覚させられていた?
でも、そんなまさかここまで人間らしさを表現できるなんて、やっぱり信じられない。何かの冗談だ。店長がアンドロイドのはずがない!
「いい加減にして下さい! いつまで私をからかうんですか!
あんなリコールされたものが、今ここにある訳ないでしょう!」
正反対の思いがせめぎ合い、心の中が掻き乱されて胸が痛い。張り裂けそうだ……
店長は、いくら私が叫んでも、ただただ冷静な表情を崩さない。
「昨日テレビで見た火星探査のアンドロイドを覚えていますか?
……僕は人工知能を除けば、あのアンドロイドと同等の性能を持っているアンドロイドです。僕はアメリカの宇宙開発企業で製作された、あのアンドロイドの……『試作アンドロイド』なんです」
昨日のテレビでお父さんが紹介していたあのアンドロイド……の試作?
それで人工臓器を持っているから食事も摂れるってこと? 部屋が異常に綺麗だったのもアンドロイドだから?
それじゃあ……私の言うことを聞いて働かせてくれたのも、ノゾム君や私を助けようとしてくれたのも、全部店長がアンドロイドだったから……?
――聞きたくない。そんな話は聞きたくないと叫びたかった。でも、声が出せなかった。夢が一気に醒めていく恐怖が私を凍り付けた。
店長は、そんな私にも構わず口を閉ざさない。
「実はその頃の記憶は詳しく残っていないので説明することはできません。昨日のテレビで、計画が継続していたことを知ったくらいですから」
「ア……アメリカ製のアンドロイドなら、どうして今、日本にいるんですか……」
床にへたり込んだ私は声を絞り出した。本当に聞きたいことはそんなことじゃないのに、頭が回っていなかった。
「計画は一度中止されたんです。
試作機は役目を終えれば廃棄されます。僕もそうなる運命だったようですが、僕を作った研究者の一人が会社を騙して持ち出したのです。
もちろん、破棄するといっても試作機には社外に漏れてはならないデータが多く含まれているので、それは犯罪行為にあたります」
そんなことは当然だ。守秘義務といわれるものだと思うけど、研究者はどうしてそんなことを……
「その研究者は『メリッサ』さんといいます。
同じ頃、日本でアンドロイドに心を与える人工知能が開発されたことを知って、メリッサさんは僕を日本に送り、その人工知能を積んでくれたんです。そこで僕は今の僕になりました。
そして、アメリカに戻った僕はメリッサさんに『ユージーン』と名付けてもらい、一緒に暮らしていました。僕は彼女がいたから今もこうしていられるんです。とても楽しい日々でした……」
店長が見せた微笑みは、とても優しく幸せに満ち溢れたものだった。
アンドロイドにこんな表情が出せるの? やっぱり嘘なんだよね? 『ユージンさん』という人はここに生きてるはずだよね?
……と、往生際が悪いって言われようとも、私は心の中で葛藤を続ける。
そして、直後に店長の表情は暗転する。
「……ですが、僕の存在に会社が気付いてしまい。アメリカにいてはいけないと、メリッサさんは僕を日本に逃がしたんです。そして、日本に住むメリッサさんの知り合いの所に身を寄せるはずでした。
でも、日本ではリコール問題が起きたばかりの頃で、そのことをアメリカにいたメリッサさんは知らず……」
「じゃあ、店長も……」
アンドロイドは専用の処分場がある。故障して捨てられたアンドロイドはそこに集められて、解体されたあとリサイクルされる。リコールされたアンドロイドも最終的には同じはず。
ユージンさんもそこで処分されるはずだった……
それを知って私は体を震わせた。だって、今、目の前にいるのは到底アンドロイドには見えない普通の人間。優しくて温かい人間だ。ユージンさんという人間なのに……
混乱してるのか、激しい怒りなのか、悲しいだけなのか、とにかく感情が入り乱れてしまって何も言葉が出せない状況が続く。
「僕は空港の入港検査時にリコール対象だと気付かれて、何かの手違いで直接処分場に連れて行かれました。そうでなければ開発元のヘルツ・クロイツ社に送られていたんでしょうけれど。
でも、行き着いた処分場では火災事故に巻き込まれてしまって……」
「処分場の火災事故……
それって、ずさんな管理のせいで起きた爆発事故の……?」
察する私に店長――ユージンさんはうなずいた。
それは、うっすらと記憶に残っていた五、六年くらい前の事故。正しく処理すれば危険ではないアンドロイドの燃料電池が、過って大きな爆発を起こし、作業員が数十人も亡くなるという大惨事だった。
管理がずさんだった上に、事故直後には不正にリサイクル部品を海外で売買していたことも分かって、処分場の責任者は逮捕されて廃業。それからしばらくは事故当時のまま、その処分場は放置されてたはず。
「僕は事故の難を逃れました。そして、その後の騒ぎに乗じて逃げ出すこともできたのです。今思えば、奇跡としか思えない出来事でした。
でも、メリッサさんの知り合いの居場所も連絡先も分からず、行く当てもなく、さまよい歩いているうちに、この店のオーナー夫妻に拾われたんです。
オーナー夫妻は全ての事情を知っても、僕を『優心』としてここに置いて下さり、それから五年、今日までに至っています……」
そこまで冷静な口調で語り続けていたユージンさんは、私に向かって土下座をするように頭を深く下げた。
「嘘をついてすみませんでした……
でも、どうかもう少し僕のことは黙っていて下さい。オーナーが生きている間は、このお店を守りたいのです。
オーナーの奥さんがずっと夢に見ていて、ようやく実現したこの花屋を……守りたいんです」
「だったら……なんで私を雇ったんです? 正体がバレてしまうかもしれないのに……」
疑問だった。アンドロイドなら体力的な問題はないし、今後も一人で続けることはできたはず。私を雇う必要はなかったはずなのに。
でも、ユージンさんも困った顔で首を横に振った。
「……分からないんです。どうして僕はあなたを雇ったのか、傍にいてもらったのか……
ただ、初めて会った日に、『桃色のチューリップ』を眺めていたあなたの寂しそうな笑顔を見た時、僕はそうしたかったんです」
この店で買った最初の花、私が『桜色』と表現したあのチューリップが思い浮かんだ。
ユージンさんは……きっと嘘はついていない。でも、アンドロイドだったという事実は到底すぐに受け止められるものでもなく。私は目を泳がせた。
でも、よくよく考えてみれば、今のままの関係を続けることは不可能じゃない。私さえ黙っていれば、きっと何も変わらない。
私がユージンさんの傍にいたい気持ちだって何も変わらない……。
「分かり――」
『分かりました』と言いかけた途端、ある日の光景が思い浮かぶ。
――いえ。使い方を間違えなければ、アンドロイドほど人間の役に立つ道具はないですよ。それは間違いないです――
心の中に響いたその言葉は、以前、私がユージンさんに言った言葉。
別の日には、こうも言っていた。
――何もないところから心なんて作れる訳がないでしょ。
できたとしても、それは偽物。アンドロイドは機械なんだから――
記憶が蘇ってくる度に私の心は震えた。
今のままならそれでもいい。変わらないならそれでもいい――『それでもいい』のは全部自分だけだ。私は何も分かっていなかった。いつも自分のことばかり考えてた……
散々ひどいことを言っておいて、また私は私の都合でユージンさんの傍にいようとしてる。もし私のお父さんにユージンさんの存在が知られたら、ただではすまないことになるのは分かりきってるのに、それでも私は自分勝手に傍にいたいと願ってる。
ユージンさんは、きっとそれを拒むことはしない。だけど、それに甘え続けていい訳もない……。
――ユージンさんとは『もう一緒にいられない』。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、私は怖くなった。
店長としてだけじゃない、ユージンさんと過ごした時間が全部消えていく。
ユージンさんという存在自体が消えていく。
そして……ユージンさんを好きになっていた私の心も消えていく。
そんな恐怖にいても立ってもいられずに、私はその場から逃げるように駆けだしていた。
***
雨に濡れながら家に着いた私は、着替えることもせず大きく溜息をついてからベッドに倒れこんだ。
黙って逃げ出すことが一番最低な行為じゃないか――と気付いたのは家に着いてからのこと。
「……サイテーだ……サイアクだ……
私はバカだ……サイアクだ……サイテーだ……」
まるで怪しい念仏のように口から出る声は、さっきから無限ループしてる。
もう、何からどういう風に考えていいのか分からない。ただでさえ見知らぬ男に襲われて気が動転してるのに、ユージンさんの秘密を知ってしまった。
頭が回らない、真っ白になっている感じだ。
消えてなくなってしまいそうなユージンさんへの想いは、まるで枯れて散ろうとしている花を見ている時ように、どうしようもない寂しさと悲しさに包まれている。
消えてほしくないのに、枯れて散ってしまいたくないのに、それでも何もしようとしない私は――
「……本当に最低だよ、私……」
そうつぶやいた私はベッドの上に仰向けになって、どこにも届かないと分かっていながら、臆病に震える手を何もない天井に向かってまっすぐ伸ばした。




