調教し直してあげるッ!
夜の教会。その前にある庭。
立ち上がったエリザは悔しげに吐き捨てる。
「ちっ! 間に合わなかったっていうの!?」
視線の先、教会の入り口には、教会の犬、いや、ただの道具と成り果てた、クリスの姿があった。
「儀式が始まった際には止めるよう、何十もの人間たちに、チャームを掛けてたっていうのに!」
立場が逆転したと喜ぶ司祭は、得意げになって言い放つ。
「ふ、ふはは! ふはははははっ! 残念だったな? ここの者たちには、私が何年にもわたって洗脳魔法をかけ続けていたのだ。救国の儀、邪魔立てすることなど絶対にあってはならないとな。たとえヴァンパイアのチャームを受けたとして、一回ごときで通用するものか!」
先ほどチャームを掛けた人間たちがエリザに従ったのは、儀式が終わっていたかららしい。終わっている儀式を止める手立てなど、ありはしないからだ。
悔しさに歯噛みした後、エリザはすぐに気持ちを切り替える。
赤い瞳で司祭を射抜く。
「なら、お前を仕留めれば……」
「ひぃ!? む、無駄だ! 術者の私が殺されたり、他者に洗脳されたりした場合、力尽きるまで周囲を蹂躙し続けろと命令してある! 拷問での無理強いも同じだ!」
「なんですって!?」
驚くエリザへ、司祭は勝ち誇るようにいやらしく笑う。
「本来、他の教会に聖女を奪われないようするための防衛措置だったのだがな? どうやら貴様、その女を助けたいようだが、それはもう、叶わぬ夢よ! 一度救国の儀を受けたなら、人格は破壊され、ただの人形に成り果てる。残念だったな? ふははははっ!」
エリザはクリスを睨み付ける。
(そんな儀式と分かっていて、お前は……!)
司祭は、クリスへと命令する。
「限りある聖女の力、その命。このようなところで無駄遣いするつもりはなかったのだが、やむを得まい。さあ、聖女ルミナス様! 我らに歯向かう闇の下僕を、その威光で打ち払ってくださいませ!」
「了解しました。聖女の御名において、あのヴァンパイアを討伐します」
クリスは、エリザへと片腕を向ける。
開いた手の平に、神聖な光が凝縮されていく。
彼女はその手を支えるように、もう片方の手で手首をつかみ、
「『パニッシャー』」
無感情に呟くと同時、
神聖さを通り越し、暴力となった光の奔流が、エリザ目掛けて放たれる。
「ちっ!?」
その場を飛びのくエリザ。
一瞬遅れて到達した光は、地面を大きくえぐり取る。
次の攻撃に備え、エリザはクリスを見る。
だが、そこにクリスの姿はない。
「標的、捕捉」
「なに!?」
中空に飛びすさっていたエリザの背後、光の扉のようなものから現れたクリスは、振りかぶった拳に光を凝縮させる。
「『ブロウ』」
「くっ! 舐めるなぁぁッ!」
対してエリザも拳に闇の炎を凝縮させ、迎え撃つ。
拳と拳がぶつかり合い、激しい閃光が発生する。
切迫する状況の中、エリザはクリスへと叫ぶ。
「クリス! あたしが分からないの!? お前の大好きなロリっ子ヴァンパイアでしょうが!」
「理解不能。このヴァンパイアは、何を言っているのでしょうか」
「ぐっ! お前にそんなこと言われると、無性に腹が立つのだけれど!?」
何度も拳を交わした後、地面へ降り立ち、互いに距離をとるエリザたち。
無感情な目で自身を見つめるクリスへ、エリザは再び叫ぶ。
「戻ってきなさい! 今なら特別に、好きなだけぎゅーってさせてあげる! そ、それに一度だけ、その……な、なんでも言うコト聞いてあげるから!」
「……こ、このヴァンパイアは一体何を言っているのだ?」
「うるっさい! お前は黙っていろ! 豚女!」
ドン引く司祭を、エリザは真っ赤な顔で黙らせる。
「接近戦は互角と判断。これより遠距離攻撃に移ります」
クリスは宙に浮かび、月を背にエリザを見下ろす。
「このあたしを、見下してんじゃないわよ!」
中空での接近戦。
クリスは互角と言ったが、あれは僅かながらエリザの方が押していた。
(ならばこのまま、ヴァンパイアの身体能力をもってねじ伏せる!)
攻撃をさせる前に、エリザはクリスへと飛び掛かろうとする。
だが、
「ぐっ!?」
どこからともなく現れた光の縄が、エリザの身体を絡めとる。
ヴァンパイアの膂力をもってしても、その縄を解くことは敵わない。
どころか、どんどん体を締め付け、締め付けられた場所から体が焼けていく。
だが、クリスに攻撃を仕掛けた様子はない。
「まさかあの時に!?」
先ほど接近戦を繰り広げた際、仕掛けられていたのだろう。
「お前らしい、嫌らしい手じゃない」
歯噛みするエリザ。
しかしクリスは答えることもなく、
「『パニッシャー』」
躊躇うことなく、エリザへ凶悪な光を放つ。
「『ナイト・シールド』ッ!」
光が到達する直前、エリザの前に、闇色の障壁が現われる。
それはどのような光魔法をも防ぎ、吸収してしまう、鉄壁の障壁。
そのはずなのに、障壁は徐々に押されていき、ヒビが入りだす。
(くっ! 維持、できない!?)
ここへ来る前に力を消耗していたのと、この身を縛り上げる光の縄からダメージを受け続けているためだろう。鉄壁のはずの守りが押されていく。
いや、それは言い訳だ。
たとえエリザが万全だったとして、いちヴァンパイアに、神の勅命を受けた神聖な一撃を、止めることなどできないだろう。
それを証明するように、障壁は打ち破られ、エリザの身を膨大な光が襲う。
「きゃあああっ!?」
強力な攻撃に、爆発が巻き起こり、地面が抉れ、ガレキが舞う。
そして砂埃が晴れたとき、
「く、そ……」
倒れ伏すエリザの姿があった。
高位の司祭の力よりも強力、いや、比べるべくもない神聖さをこの身に受け、立ち上がる力など最早ない。
どうにか消滅は免れたが、彼女はもう虫の息だった。
弱弱しく呻くその姿に、司祭は思わず諸手を上げる。
「ふはははっ! ざまあみろ! ヴァンパイア風情が聖女に敵う訳ないだろうが! 馬鹿な真似せず、尻尾を巻いて逃げ帰ればよかったものを!」
司祭は胸元に隠していた小瓶の蓋を開け、中の液体をあおる。
エリザの鼻に、嗅ぎ慣れた甘い匂いが届く。
それは、クリスの血液だ。
汚らしく口元から血液を垂らし、司祭は狂った瞳でエリザを睨んだ。
「散々邪魔立てし腐って! その礼だ、最期は私自身の手で葬ってくれる!」
司祭はふらふらと立ち上がり、祈りを捧げる。
いや、果たしてそれは祈りと呼べるのか。
血走った目で虚空を見る彼女は、悪魔に魂を売った背信者といった体だった。
「掻き消えろぉぉぉ! 『フォトンスフィア』ぁぁぁぉぁぁ!」
中空に現れた光の球が、エリザへと迫る。
あの見かけ倒しの攻撃でさえ、今のエリザには致命傷たりえる。
「く、そ。こんなところで……」
悔しさを滲ませるエリザ。
あれだけ大見得を切っておきながら、自分にはなにもできないのか……!
「『ブロウ』」
言葉に続き、大きな破壊音が響く。
エリザが驚き、見据える先。
そこには、自分を庇うように立ち、迫りくる太陽を真っ二つに叩き割る、クリスの姿が。
「え……」
驚くエリザへと振り返り、クリスは彼女を抱きかかえ、その場を離れる。
その直後、叩き割られた光球が、激しく爆発する。
中空へ退避して爆発を回避した後、地上に戻ったクリスは、エリザを優しく地面へ横たえた。
爆風に巻き込まれ、無様に地面を転がった司祭が、驚愕に目を見開く。
「お、おい聖女!? いったい何をやっている!? そいつは闇の化身だぞ!?」
問われたクリスは、小首を傾げ、エリザを助けた手を見る。
「分かりません。なぜか、この体が、勝手に動きました」
どうやら壊された人格が元に戻ったというわけではないらしい。
だが、その機械のような瞳に、疑問の色が浮かんでいた。
「申し訳ありません。再び、ヴァンパイア討伐の作業に戻ります」
クリスは再びエリザへと向き直る。
「ふ、ふふ……」
エリザの身体に力が湧いてくる。
抱きかかえられた箇所から、温かな力が、湧き上がってくる。
「まったく。お前はいつも、このあたしをコケにしてくれて……」
教会の者に身を救われるなど、ヴァンパイアとして、あってはならない屈辱だ。
しかし言葉とは裏腹、エリザは嬉しくなって思わず笑みをこぼす。
体の一部が灰となり、ぽろぽろと崩れていく。
だがそんなこと、知ったことか。
「そうよ、考えてみればそうじゃない。お前のようなド変態な人格、たとえどうやったって壊せる訳ないわよね。あはははっ!」
「なにを言っている!? 救国の儀は絶対だ! 過去の記録を調べたが、一度だって回復したことなど――」
「豚は黙っていろ!」
「ぶひっ!?」
司祭を黙らせた後、エリザはクリスへと挑発的な笑みを見せた。
「お前、そんなにあたしのことが好きなの? ねえ、特別に許してやるから言ってみなさいよ? 私はあなた様の魅力に骨抜きにされた卑しい雌犬ですって。今なら特別に顎を撫でてやるわよ? ん?」
「……不明です。頭部に損傷を受けた覚えはありません。ですが、頭に痛みを感じます」
「ふふっ。そっか、やっぱり、そうなのよね……!」
エリザは満面の笑みを浮かべる。
ああ、どうやら自分は、この変態と過ごすうちに、おかしくなってしまったようだ。
だって、こんなド変態に好意を向けられて……嬉しいと感じてしまっているのだから。
「いいわ! 駄犬を躾けるのは主人の務め! このあたしの全力で、調教し直してあげるッ!」
使わずに済めばいいと思っていた、ヴァンパイアの奥義。
体にかかる負荷が尋常でないため、一日に一度が限度と、母に教えられていた。
大切な人のため、エリザは今、その約束を初めて破る。
「恐怖と絶望の権化を前に、震えあがって頭を垂れよ! 『ジェヴォーダン』ッ!」
エリザが叫ぶと同時、その足元に闇色の魔法陣が現われる。
そこから現れた無数の黒き腕が、瞬く間にエリザを飲み込んだ。
その腕は、まるでお色直しでもするかのように、優雅に、そして不気味に蠢いていたが、突然動きを止める。
司祭が怯える目で見つめる先で、組まれた腕は中から押し出されるかのように膨れ上がり、やがて弾きとばされ、霧散した。
そして、生み出されたのは――
「グルァァアアアアアアアアアア!」
人の身の丈など優に超す巨大なオオカミに似た化け物が、月夜に戦慄を響かせた。