気安く触れるな
「世界に平和を、祈りをここに。ああ神よ、ルミナス様よ……」
早朝。
修道院の敷地内にある教会で修道女たちが祈りを捧げている。
その様子を、1人の少女は小窓から覗き見ていた。
「ふんっ。なにが平和よ。本当にそう望んでいるのなら、そんなとこで祈ってないで、モンスターの一匹や二匹討伐しに行ったらどうなのよ。偽善者どもが」
嫌悪感丸出しで吐き捨てた後、エリザは教会の横を歩み去った。
「それにしても、忌々しい太陽ね。余計気分が悪くなるわ」
まぶしい朝日に目を細める彼女。
ヴァンパイアは太陽の光を浴びると灰となり消滅してしまう。
それが人間たちの間では通説だが、厳密に言えばそれは正しくない。
確かに太陽の光は、ヴァンパイアの弱点ではある。
だが、それを受けて灰になるのは、成りたてで力の安定していないヴァンパイアのみ。
エリザのように長い時を生き、力を得たヴァンパイアは、多少力が制限されるものの、日中でも活動することが可能なのだ。
だが、吸血は夜にしか行わない。
慌ただしく活動する昼間の人間の血は美味しくないのだ。
夜、眠気に微睡み、リラックスしきっている人間の血こそ、嗜好である。
もっとも、そうやってえり好みしていた結果が、ヴァンパイアという種の衰退に繋がる一因となったのだが……。
「今更、昼間にするのもねえ。雰囲気出ないし」
そんなエリザは現在、変装することもなく、いつものお気に入りのゴスロリ服姿で歩いている。
日傘を差して歩く姿は、どこぞの貴族のお嬢様にしか見えないだろう。
実際誰にも見咎められることもなく、エリザは正門から堂々と、敷地の中に入ることが出来た。
そもそも、どうしてエリザが日中から修道院に乗り込んでいるのかというと。
「それで、あのヘンタイはどこにいるのかしら?」
クリスの弱点を探るためである。
あれから何日もクリスの下を訪れ、報復してやろうとしたのだが、どうやってもあの変態のペースに巻き込まれ、いいようにされてしまった。
吸血はできない。
それは相手の望みらしく、喜ばせるだけなのだ。
首筋から直接吸うことはないと聞かされ、クリスは最初、大きく落胆していたが、翌日には、注射器でいいから吸ってほしいと瞳を輝かせた。
不審に思い理由を問うと、
「ご、ごめんなさい、次は上手にやるから。うう、やっぱりできないよぉ!」
と、上手く注射器が扱えず涙に濡れるエリザの姿が見られそうだからと言い放ったのだ。
「そんなことないわよ! ま、まあ失敗したときは……って、そ、そんなわけないじゃない! 本当よ!?」
思い返し、一人言い訳するエリザ。
そして、吸血ができないからといって、12レベルの修道女を怪力でひねりつぶすのは、ヴァンパイアの矜持に反する。
ロリっ子の暴力とかなんてご褒美!? と言う様が目に浮かんでくるという理由もある。
ならば、他の手を打つしかないだろう。
と、いう訳で。
まずは日中の行動を観察することから始めよう。
エリザはそう考えたのだ。
「日中なら流石に発情していないと思うから、あれの別の一面も分かると思うし……」
自分でもよく分からないが、なぜか期待しつつ、エリザは敷地内を歩く。
教会の中に彼女の姿はなかった。
まだ部屋の中にいるのだろうか。
そう思案しつつ、教会の片隅にある花畑の前を通りかかったときだった。
「はあああん! ロリっ子可愛いですロリっ子―!」
そんな、頭の中がお花畑な叫び声が聞こえてきた。
「前言撤回。別もなにも、あいつ常にバッドステータス状態じゃない……」
エリザは物陰に隠れて様子を窺う。
視線の先には、神聖な修道服に身を包んでおきながら発情するクリスと、その腕に抱かれ、無表情で振り回されるあどけない少女の姿があった。
「今日は調子が良かったから、司祭様たちの目をかいくぐり、早朝散歩に出かけてみれば! こんなロリっ子に出会えるなんて! 神よ! 感謝いたします!」
色々と気にしなければいけない言葉があった気がするが、なによりも気になったのは、
(なによ! 幼女なら誰でもいいんじゃない!)
見知らぬ少女を抱き、舞い上がっているその様だ。
自分に散々可愛い可愛いと言っておいて、そんな女に尻尾を振るのか。
エリザは嫉妬し――すぐにその考えを否定する。
(ど、どうしてこのあたしがあんなドヘンタイにそんなこと!? 意味わかんない!)
エリザはかぶりを振って否定した。
混乱するエリザ。
その視線の先で、振り回されていた少女が口を開く。
「……騎士様ー。ここに幼女趣味の変態さんがー」
「!?」
クリスは少女から手を離し、なにもしていませんよというように両腕をあげ、青い顔で辺りを窺った。
エリザは咄嗟に隠れる。
しばらく辺りを窺うような焦った吐息が聞こえていたが、やがて大きく息をつくのが耳に入る。
どうやら見つからなかったようだ。エリザもほっと息をつく。
「お、驚かせないでくださいませ。聖職者が幼女に対しての事案で任意同行なんて、ちょっとしゃれになりませんので」
(そう思うのなら、その行動を改めなさいよ!)
「そう思うのなら、その行動を改めた方がいい」
心でツッコんだ言葉を少女が代弁してくれ、エリザは胸のすく思いを覚えた。
人間にしてはなかなかやるではないか。
エリザは少女へ称賛の視線を送ってやる。
「なんといいますか、エリザさんを連想しますね……。ところでロリっ子さん、当修道院になにかご用でしょうか?」
「ご用。冒険に出るから祝福してもらおうと思って」
思いがけない言葉に、エリザの拳に力がこもる。
あんな少女を危険な冒険に出すなんて。
あの子の親は一体何をやっているのか。
怒りに燃えるエリザだったが、しかし言葉を受けたクリスは怒るでもなくふむふむと頷く。
「そうなのですか。なるほど、幼いのに勇敢なのですね!」
そんなこと言ってないでそいつを止めろ。
エリザが飛び出そうとした時、少女は不思議そうに小首を傾げた。
「……止めないの?」
「なにか事情があるのでしょう。瞳の奥に宿った力強い決意を見れば、止めるわけにはいきませんもの」
クリスは慈悲深い笑みを湛えた。
少女のぼんやりとした瞳から、そんなことを読み取るなんて。
腐っても修道女か。エリザはクリスの聖職者然とした行動に感心した。
「この感覚、エリザさん!? ご褒美ですか!?」
発情センサーが反応したのか、クリスは辺りをきょろきょろと見回す。
前言撤回。どこが聖職者だ、ただの変態ではないか。
見直して損したとエリザは呆れ果てる。
「帰ろっかな」
「も、申し訳ありません。今はあなたの話を聞いていたのでしたね。では、教会にご案内しますね」
案内しようとするクリスに、少女は首を振って答える。
「さっき、行ってきた。司祭のおばさん、始めはニコニコしていたけど、お金が少ないって分かった途端、あからさまに嫌そうな顔して追い払ってきた」
修道院や教会は、拝金主義者の集まりだとエリザは思っている。
確かに信仰厚く、貧しい者たちへ食料を恵んだり、懺悔を聞いたりしているところもあるが、腐敗しきって銭集めに走るところも多いのだ。
ここの敷地内に立ち入ったとき、熱い信仰により発せられる、肌を刺すような感覚を覚えなかったから、おそらくそうだろうとは思っていたが。
言葉を受けたクリスは困ったような顔をする。
「そうですか。それは申し訳ありませんでした」
クリスは、なぜか部下の失態を謝る上司のように頭を下げた。
「そのお詫びという訳ではないのですが。ロリっ子さん、わたしに祈らせてはいただけませんか?」
「む? でも、お金が……」
「必要ありません。これは、あなたの旅が上手くいくことを祈る、わたしからの餞別ということで。ただ、当教会で、もっとも力が弱いわたしのお祈りで良ければ、ですが」
最後の一文は、少女に気を使わせないためにとってつけた嘘だろう。
ヴァンパイアの攻撃から、初級のヒールで復活できるものが、最弱であるわけがない。
いぶかしむエリザの視線の先では、少女が嬉しそうに頭を下げる。
「ううん。ありがとう、お姉さん」
「ロリっ子の笑顔とかなんのご褒美!? できたら、ねーさまって呼んでもらってもよいですか!?」
(いいから早くしなさいよ! 色々台無しじゃない!)
「いいから早くしてほしい。色々台無し」
エリザの思いを再び代弁する少女。
エリザは心の中で少女に褒美を取らせた。
「は、はいっ! では、祈りをここに……」
少女にせかされて顔が緩んでいたクリスだったが、そこは一応修道女。
祈りを捧げる際の神聖な雰囲気に、エリザは息をのむ。
教会の修道女たちを盗み見た時に疼かなかった牙が、反応する。
そうしてエリザが見惚れているうちに、祈りは終わった。
「そして、あなたに神の祝福があらんことを……。はい、どうもありがとうございました」
「お姉さん、ありがとう。では――」
「少しお待ちになられてください。ロリっ子さん、武器を所持しておられますか?」
「ん。ゴブリンと互角に渡り合える業物のナイフが一本」
「それ、業物ではありませんよね……? そのナイフ、少し貸していただけます?」
「どうぞ?」
不思議そうにする少女からナイフを受け取り、クリスはそれを胸の前にかざす。
「ありがとうございます。ロリっ子さん可愛いので、これは特別サービスですよ? 司祭様たちには、内緒ということで」
悪戯っぽく笑ってから、クリスは目を閉じる。
すると、ナイフを持っている手が燦然と輝き始めた。
やがてその光は大きくなり、波紋のように辺りへと広がる。
「……! これは!?」
驚くエリザ。
闇の化身であるこの身が、総毛立つ。
あれこそ我らが宿敵。今こそ奴を討て。
その喉笛を食いちぎり、天上の神へ一矢報いろ、と。
一介の修道女如きからはどう間違ったって感じない感情。
エリザは、そのどす黒い感情をなぜか必死で押さえ込んだ。
「……はあ、はあ。こ、これで終了です。ロリっ子さん、いいですか? ダンジョンを歩くときには、必ず鞘からナイフを引き抜いておきなさい。きっと神のお導きがあるでしょう」
苦しそうに呼吸を荒げ、クリスはどうにか笑顔を作ってナイフを返した。
その様に、少女は心配そうな様子を見せる。
「息災?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。少しだけど、受け取ってほしい」
そして財布を取り出そうとするのをクリスは制した。
「必要ありませんよ。これは、わたしが望んでさせていただいたことですので」
「納得できない。お金がいらないのなら、なにか要求を。できることなら、なんでもする」
その言葉に、クリスはピクリと反応する。
「なんでも……ですか?」
「そう、なんでも」
「そ、そうですね……うーん」
クリスは深く悩んでいたが、やがて少女に向き直る。
そして、聖職者のような慈悲深い笑みを浮かべ、少女へ向かって手を組み――
「では、体で払って――」
「このクサレ修道女があああああ!」
「ゴホォォォ!?」
最低な発言をしたクリスを、エリザが怒りと共に蹴り飛ばした。
吹き飛ばされたクリスは花畑の中へ突っ込み、倒れ伏す。
「人がちょっとシリアスムードを感じていれば!? お前さっさと捕まりなさいよ!?」
「この心地いい侮蔑と、鋭い攻撃! 間違いない! エリザさんですね!?」
クリスは口から血を流しながら目を輝かせた。
「どうしてお姉さん喜んでる? ひぎゃくせいよく?」
「お前はどこでそんな言葉を習ったのよ!? そういうこと言っちゃダメ!」
「そういうあなたは誰?」
「あ、あたし? あたしは、その……と、通りすがりの闇の化身よ!」
「おお、ぴかれすく?」
少女は不思議そうに小首を傾げた。
その少女をエリザは追い立てる。
「ほら、もう行きなさい。じゃないとあの駄犬になにをされるか。お前の旅の無事、特別に祈ってあげるから」
「感謝感激。ではご両人、息災で」
「ロリっ子さん! そこはご夫婦とゴハァァ!?」
「誰がご夫婦だ誰が!?」
去っていく少女の見送りもそこそこに物理的にもツッコみを入れれば、クリスは血を吐きながら恥ずかしそうに頬を赤くする。
「そ、そうですよね。女の子同士なのですから、夫婦はおかしいですよね。ふーふの方が良いでしょうか?」
「そういう問題じゃなくて!」
エリザはクリスに指摘する。
「それよりお前。このあたしに隠し事とは、いい度胸してるじゃない?」
「ご、ごめんなさい! でも浮気するつもりはなかったんです! あの子が、ろりめきながらわたしを誘惑してくるから……神よ!」
「神よって語尾につければなんでも解決すると思わないでよ!? それに、ろりめくってそういう意味じゃないし! あと子供に罪を擦り付けなあああもうツッコみどころが多すぎる!」
「エリザさん頑張って! 逆からツッコむという新しい手法を試す意欲的なあなたにならきっとさばききれます!」
「応援ありがと誰のせいかしらね!?」
ぜえぜえと息を切らすエリザ。
「そ、そもそも違うわよ。あたしが気になったのは、そこではなくて……」
そして少し休憩してから、真剣な面持ちになる。
「お前、さっきの力はなに? 一介の修道女が持てる力じゃないわよね?」
たとえレベルを上げ、上位職となりレベルがマックスになったとしても、あんな力を得ることなどできるかどうか。
いや、そもそもできないはずだ。
あれはヴァンパイアたち闇の者と対をなす、天上の光の力。
神や天使の威光そのもの。
つまり、人間に扱える力ではないのだ。
問われたクリスは、どうしたものかと頬をかく。
「え、えっとですね……それは、ゴフッ……!?」
クリスは再び血を吐いた。
エリザは彼女へ駆け寄る。
「お前!?」
「だ、大丈夫ですよ。今まで散々見てきているでしょう? シリアス顔のエリザさんがかっこよくて、思わず興奮して――」
「嘘をつくな! それは力を使った代償かなにかでしょう!?」
「……はは。エリザさんは、聡いのですね」
クリスは観念したかのように苦笑する。
「聖女様―!」
と、先ほどの光の波紋に反応したのだろう。
幾人もの修道女たちが慌てた様子で駆けてきた。
「聖女様、ね……」
「エリザさん、とりあえず今はこれで。今晩、必ず事情を説明いたしますので」
「……ふん」
申し訳なさそうな顔をするクリスに背を向け、エリザは歩み去るのだった。
***
その夜。
時刻は真夜中を過ぎた頃。
夜闇に紛れ、エリザとクリスは修道院の敷地内にある教会の前に来ていた。
「すみませんエリザさん。重かったでしょうに」
人目を避けるため、部屋から教会まで抱えて飛んでくれたエリザへ、クリスは礼を言った。
「ふん。ヴァンパイアの膂力を舐めないでもらえる?」
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
クリスは軽口を叩く事もなく、教会の扉を開け、エリザを招き入れた。
ヴァンパイアを教会に招き入れていいのだろうかと思いつつ、エリザは中へ入る。
教会内に立ち入ったのは、もちろん初めてだ。
だから他の教会がどういった雰囲気かは知らないが、ここよりはマシなことは確かだろう。
なぜならば、神聖な場であるはずなのに、肌を刺す気配が全く感じられない。
どころか、空気が淀んでいる錯覚すら覚える。
そして、なによりふざけているのが、
「もう、いい加減にしてほしいわ……」
頭を抱えるエリザの正面。
一番奥にある祭壇の後ろ。
そこに、慈悲深い微笑みを湛えた――幼女の油絵があった。
それも壁一杯はあろうかという大きさ。
ダメ押しに、メイド服姿である。
「ねえ、ここ教会よね?」
「はい、そうですが?」
「あの絵なによ!? なんで神聖な場に、低俗な絵が飾ってあんのよ!?」
「低俗などとは失敬な!? あれこそ、聖女ルミナス様ではありませんか!?」
聖女ルミナス。
それは、現世に舞い降りた天界からの使者と呼ばれる聖女。
悪しき者たちを裁き、この世に平穏と安寧をもたらすと言われている少女のことだ。
彼女は世界に安寧が訪れるその日まで、その身を捧げ続けると人間たちの間で語り継がれている。
そんな神聖な存在だというのは知っていたが、これはなんだかおかしい。
具体的に言えば、クリスと同じ匂いがする。エリザはそこを指摘する。
「うるっさい! ルミナスって人間でしょ!? なら当然成長するわよね!? どうせ飾るのなら、もっと成長した後の絵でいいじゃない! なぜ幼女!?」
「それは、昔の司祭様たちのご趣味ですよ。ルミナス様の絵は、どこの教会にも飾ってありますが、すべて当然のように幼女姿ですよ? スタンダートな修道服姿から、ここみたいなメイド服姿、果ては水着からさらにはビキニアーマーまで! ああもう羨ましい!」
「どいつもこいつもロリコンか!? もうお前たち滅びなさいよ!」
この数日で、エリザの声帯がどれだけダメージを受けたことか。
強靭な肉体を持つヴァンパイアでなければ、当の昔に焼き切れていることだろう。
「さらに言えば、それらの絵は、幼女図鑑の挿絵を描いた画家の方によって描かれているのです。なんでも図鑑を作成しているうちに、自身も幼女の輝きに目覚めてしまったとかで、ぜひともルミナス様のお姿、描かせてほしいと懇願されまして」
「いらない情報ありがとう! 通りで絵のタッチが似てると思った!」
目まいを覚えつつ、エリザは尋ねる。
「それで? どうしてこのあたしを教会なんかに招き入れたのよ? あの絵を見せるため、なんてこと言ったらぶっ飛ばすわよ!?」
「ザッツライトなのです! さあカモン! 幼女からのDVとかなんてご褒美!?」
「お前と家庭を築いた覚えなんてないわああああ!」
もう、シリアスムードブチ壊れである。
「冗談ですよ、冗談。懺悔は神の身許でと思いまして」
「ふん。たった今、自分自身に発情するっていう最低な罪を重ねたけどね」
「今と容姿は違いますから。客観視すればただの可愛い幼女ですし……」
クリスは困ったような顔をした後、口を開く。
ようやく、本題に入ってくれるようだ。
「お気付きの通り、わたしこそ、聖女ルミナスなのです」
「ふん……」
不満げに鼻を鳴らすエリザへ、クリスは説明する。
「わたしことルミナスは、この世の悪を滅するために天より遣わされた存在。ですが、天使様ではなく、使命を受けた人間です。その枠の中にいる以上、どうやったって死から逃れることはできません。しかし、人の世に安寧が敷かれるその日まで、輪廻転生を繰り返し、平和のため、この身を捧げ続けているのです」
そう、クリスは語った。
「そして、わたしが持つのは人の身に過ぎた力。その代償に、この身は人より病弱で、儚い。代々ルミナスは短命です。長くとも、齢十八までには力尽きます」
確か彼女は十五歳だと語っていた。
ならばもうすぐこの人間は……。
「見て来たみたいに言うのね。もしかしてお前、過去の記憶が?」
「ええ、覚えていますよ。嫌というくらい、鮮明に」
クリスは悲しげに笑う。
エリザは二百年生きているが、その間、色々と楽しいことがあった。
同時に、投げ出したくなるほどの苦しみや悲しみも。
何度も転生を繰り返す彼女は、いったいどれほどのそれを背負っているのだろう。
「それでエリザさん。急なのですけれど、あなたとは今日でお別れをしようと思います。短い間ではありましたが、どうもありがとうございました」
クリスは深々と頭を下げた。
突然の申し出。もちろんエリザは納得できない。
「なんですって?」
「明日の深夜、この教会の中で、儀式が執り行われることになっています。救国の儀と呼ばれるそれは、敬虔な修道女たちの祈りの力で聖女の力を完全に覚醒させるものであると、司祭様はおっしゃられていました。ですが、そんなものはデタラメ。彼女はわたしが過去の記憶を持ち合わせていないと思っているようですが……。その儀を行った後、わたしはわたしではなくなるのです。教会の意のままに、悪しき存在を狩り続ける、ただの力となり果てる。そういう訳で、エリザさんとはここでさよならを――」
エリザはクリスを壁に叩きつけた。
倒れ伏すクリスへ、エリザは言い放つ。
「そんな勝手、あたしが許すと思っているの?」
その瞳に、激情を宿らせて。
「言ったでしょう? お前には必ず報復すると。それが済んでいないというのに勝手に消えるなど、許さない」
「ふふ。ヤンデレ、ですか? それ以上属性を重ねないでくださいよ。襲っちゃいますよ?」
「黙れ。自我を失うこと。お前はそれを望んでいるの?」
「そうですね。あの感覚は、何度味わっても気持ちが悪くて。死にたくなりますよ」
クリスは困ったように苦笑する。
その態度が、エリザには許せない。
「なら、逃げなさいよ。逃げて、それであたしと……」
自分でもよく分からない感情が飛び出そうとする。
それを、諦め切った声が遮る。
「……逃げられませんよ」
諦観に包まれるクリスの瞳。
エリザは悲しくなって、腹が立って、声を荒げる。
「どうして!? 床に頭をこすりつけて懇願すれば、仕方なく助力してやるわよ! 司祭どもを皆殺しにして! お前を連れて、どこへだって飛び去ってやるわよ! だから――」
「逃げられないんですよ!」
感情を露わにしたクリス。
気圧されるエリザへ、泣きそうな顔で叫ぶ。
「逃げれば、この生の内は助かるでしょう。でも、次は? その次は!? 何度逃げたって、この聖女という枷からは逃れられない! 何度も何度も人のために戦わされて! 利用されて! 訳の分からないうちに力尽きて! それでまた赤ん坊からやり直し! その苦痛が、あなたに分かりますか!? 数百年生きただけで、粋がっているヴァンパイア風情に!」
肩で荒く息をした後、クリスは罰が悪そうに俯いてしまう。
「……ごめんなさい。でも、そうですね。それもいいかもしれません。終わりの見えない戦いの中。その束の間ではありますが、あなたと過ごすのも悪くは――」
救いを求めるように、諦めるように伸ばされる手。
それを、エリザは突っぱねた。
「……そんな思いで、気安く触れるな」
「え?」
「誇り高いヴァンパイアを、ただの止まり木と見下げ果てるなッ!」
エリザは涙目でクリスを一瞥し、背を向けて飛び立った。
「……ふふ。それで良いのです。聖女などと関わったところで、あなたにメリットなど一つもないのだから。ですが、ありがとうございました」
耳障り、しかして、いつまでも離れない声を聴きながら。
エリザは、夜の帳の中へと消えて行った。