お、お母様あああああああああああ!?
ヴァンパイアと修道女が、奇妙な邂逅を繰り広げた、その翌晩。
ベッドに入った修道女、クリスが読書を楽しんでいると、窓が軽くノックされた。
「どうぞ。開いていますよ」
そう答えると、窓が開き、ゴスロリ服の銀髪ヴァンパイア、エリザが入ってきた。
エリザは一度招き入れられているのだから、訪問に許しを求める必要はないのだが、真正面からこの修道女に立ち向かい、報復してやる意味を込めてノックした。
恐ろしくも愛らしい訪問者を、クリスは笑顔で迎え入れる。
読んでいた本を枕の下へ仕舞い、ベッドの隣をぽんぽんと叩く。
「こんばんは、エリザさん。わたしの隣も開いていますが、いかがです?」
「ふんっ」
「ロリっ子に鼻で笑われた!? なんと幸せなのでしょう……!」
神よ、感謝しますと祈りを捧げるクリス。
こいつに天罰を与えてくれないかしらと、エリザは敵である神に懇願したくなった。
「昨晩はよくも得難い経験をさせてくれたわね。感謝してあげるわ」
「いえいえ。ですが、そう思われるのでしたらお礼を所望してもよろしいでしょうか? わたしとしては、体で払ってほしいなと――」
「いきなりそれか!? 発情期の犬猫のほうがまだ慎み深いわ!」
そもそも皮肉よとエリザは早速ツッコみを入れる。
「エリザさん、今日もキレッキレなのですね?」
「誰のせいよ誰の!」
息を切らすエリザを見て笑うクリス。
いけない、このままでは昨日の二の舞だ。
エリザはさっそく本題に入ることにした。
「クククッ……。そうして余裕ぶっていられるのも今のうちよ? さあ、その身をあたしに差し出しなさい? 闇への贄としてあげ――」
「哀れな子羊であるこのわたしに抵抗などすることはできませんしするつもりもありません。ですがその初めてなのでできたらやさしく……いや、ロリっ子に蹂躙されるというのも悪くないでしょうか……? エリザさんエリザさん! ここはあなたの手腕にかかっていますよ! さあ、満足をわたしに!」
「ごちゃごちゃうっさいわああああ! なに脱ごうとしてるのよ!? 早く着ろ!」
食い気味に服をはだけようとするクリスを制す。
昨日も散々思っていたが、修道女がこんな変態でいいのか。
もっと精査するべきではないだろうか。
思わず、敵である神、その下僕の組織を心配してしまうヴァンパイア。
「そうじゃなくて! 血を捧げなさい! え、えっちな意味じゃないからね!」
「もう、それならそうと言ってくれませんと……。う……。ま、待ってくださいね? 今、出しますから……」
「いやそれやめて本気で引くから」
えづくクリスから思わず離れ、エリザは真顔で拒否する。
「そうですか? すぐ、新鮮な血液がコップ3杯分くらいご用意できますのに……」
「お前、ほんとに人間なの……?」
残念そうにするクリスにドン引きした後、エリザは具体的な要求をする。
「ほら、腕出しなさい。そこから血をいただくわ」
「腕? 首筋ではなく?」
ヴァンパイアといえば、美女の首筋に噛みつき、吸血するのが一般的なイメージだ。
クリスもそう思い浮かべたのだろう。
エリザは、彼女へ説明する。
「そうよ。確かにあたしたちヴァンパイアは、吸血するときに首筋から噛みつくのが普通よ。だけどそれは、直接吸う場合。最近は……これを使うの」
エリザはスカートをたくし上げ、太ももに巻かれたベルトからあるものを引き抜く。
「幼女の太もも! 黒パンスト! エリザさんエリザさんもう一回! できたらたくし上げたスカートをはむっとお口で咥えていただけませんか! 恥ずかしそうにされたらなおグッドですっ!」
「た、確かに今のは自分でもあざといと思ったけど! 説明してるんだから黙ってなさいよ!」
「はい! ご主人様!」
「お前みたいな下僕、たとえ生まれ変わっても望まぬわああ!」
どうやったってクリスのペースになってしまう。
主導権を握ることを、エリザはもう、諦めた。
「それでエリザさん、その器具はなんなのですか?」
エリザが取り出した器具。
それは筒のようなものだ。
彼女の小さな手よりやや大きなそれは円柱の形をしていて、その先に、鋭い針がついている。
そしてその筒らしきもの中に、引手のついた一回り小さな棒が突っ込まれていた。
見慣れぬ器具に眉を潜めるクリスへ、エリザは得意げに胸を張る。
「ふふん。これは注射器と言ってね? 対象の血管に針を突き刺し、血を吸い取ることができる優れものなの。最近のヴァンパイアは、これを使って間接的に吸血するのよ?」
「……へー。そうなのですかー」
なぜか目に見えて興味を失った様子のクリスは、枕の下に仕舞っていた本を取り出し、読書に戻ろうとする。
自身を無視するような態度に、エリザは気分が悪くなる。
「ちょ、ちょっと! なに無視してるのよ! あたしのことを見なさいよ!」
「ロリっ子のジェラシー!? いや……ですけども……!」
「ジェ、ジェラシー違うわ! なによ! 言いたいことがあるのならはっきりいいなさいよ!」
怒れるエリザに促され、クリスは残念そうに思いを吐露する。
「だって、ヴァンパイアさんがそんな小道具使うなんて……。せっかくロリっ子に首筋を噛まれるという夢が叶いそうでしたのに……」
「そんなもん抱いてんじゃないわよ! お前みたいなのがいるから、こうせざるを得なくなったんじゃない!」
変態を怒鳴りつけてから、エリザは説明する。
「ヴァンパイアにその血を捧げた人間はヴァンパイアになる。聞いたことくらいあるわよね?」
それは宗教に携わらずとも、ほとんどすべての人間が知っている常識だ。
「はい」
「ヴァンパイアは長命のモンスター。凶悪な力を持つが、人間を無差別に襲うことはほとんどないわ。狙われるのは、神の下僕である宗教関係者が多く、吸血されたものはヴァンパイアとなり、同胞が増えていくの」
「む? ですが、考えてみれば不思議です。ヴァンパイアは強力な力を持ち、並みの司祭様では討伐することが難しいと聞きます。ならばその個体数はどんどん増えていっているはずでしょう? それにしては実際に出遭ったというお話を聞きませんが……」
少なくともこの教会の敷地内に、目撃したという人間はいない。
その疑問に答えるようにエリザは続ける。
「昔はもっと数が多かったんだけど、あたしたちが活動するのって、主に夜じゃない? で、窓や扉をノックして、愚かにも応えてしまったものを襲うのが普通。でも、対策が行き渡っちゃて、なかなか吸血できなくなって……」
「ああ、言われてみればそうですよね」
こんばんは。あなたの血、くださらない?
そうノックしてくる凶悪な化け物を、一体誰が招き入れるというのか。
そんな愚か者、エリクサーくらい希少だろう。
エリザはそのエリクサー女へ説明を続ける。
「別に吸血しなければ生きていけないってわけでもないんだけど、それはあたしたちにとって娯楽と同じ。何の楽しみもなく長い時をただただ生き続けるのって苦痛でしかないでしょ? だから、あーもー怠いっすわーもう天に召されるっすわーって、自分から討伐されに行ったり、自ら心臓に杭を打って自滅するものも少なくなくてね……」
情けない話よねとエリザは溜息をつく。
「とまあそれは置いといて、どうしてこの注射器を使うようになったのかってことなんだけど」
「エリザさん、もしかしてこれも残念な話だったりします?」
「ええ、お前ほどじゃないけどね」
「ありがとうございますっ!」
幸せそうに口元を歪めるクリスを無視し、エリザは続ける。
「あたしたちって、見目麗しい人間を襲うのよ。そういった人間の血って、とても美味しいから」
「なるほど。面食いですね? イエス、ミートゥーなのです!」
「お前と一緒にしないでよ!? ま、まあそうなのかもしれないけど……。で、吸血するでしょ? あたしたちはそれと同時に、吸血した血を身体の中でろ過し、それに自身の血を混ぜ込み、牙を通して相手の身体へ循環させるの。そして対象をヴァンパイアにするのよ。それで、誇り高き一族にめでたく仲間が加わるの。だけど――」
「ほうほう。昨日修道院内に入り込んだポイズンコブラを、神の思し召しですって司祭様がモップで叩き殺して、コブラ酒にしようと言っていたのを思い出しました」
「聖職者がそれでいいわけ!? というか下級のモンスターと一緒にするな!」
ここは本当に修道院だっただろうかと、エリザは確認しに行きたくなる。
「それで、えーっとなんだったかしら? そうそう、見た目を重視して性格を精査しなかった結果、無茶苦茶なのが増えてきたのよ。便宜上、『はぐれ』と呼んでいるわ。そいつらがあたしたちの社会で問題視され始めたのよ」
「そのはぐれさんたちは、具体的にどのような問題を?」
「ヴァンパイアとしての力を悪用して強盗に入ったり、ダンジョンのモンスターを蹂躙して、中にある財宝を手あたり次第奪い去ったりね。そういう人間社会ともモンスター社会とも軋轢を生むようなコト、あたしたちヴァンパイアは望まないのよ。あくまでお眼鏡に叶った人間から吸血するだけ。基本そういうスタンスなの。だからヴァンパイアとしての矜持を踏みにじるような行い、あたしたちは決して許さない」
そういうやつらは、あたしたちの手で粛清されるわと無慈悲に言い放つ。
「ですが、そのはぐれさんたちも被害者ですよね? ヴァンパイアにさせられたのですから」
「いや割とそうでもないのよ。昨日お前が言っていたように、神の下僕である者たちって禁欲的な生活を送っているでしょ? だから人外の異能を手に入れた瞬間、いままで溜まりに溜まっていたものが爆発して、新たな生を引くくらい謳歌しようとするのよ」
「ああ、それは分かります! わたしがそうなった暁には、まず眼前の可愛いロリっ子ヴァンパイアさんを押し倒すことから始めると思います! ……あ、あれ? エリザさん、どうして部屋の隅に逃げていくのです? 戯れですよ戯れ。イッツ、シスターズ、ジョーク、なのです」
「この行動は、経験に基づいた退避よ! お前昨日の行動覚えてる!?」
そもそも人の身のままで、怪力を発揮するヴァンパイアを抑え込むなんて。
この少女といると、エリザは自身がヴァンパイアであるか分からなくなってくる。
ヴァンパイアって強いのですよね? ほんとですよねお母様!?
遠い地に暮らす母へ、エリザは便りを出したくなってきた。
だが、気にしていたらいつまでたっても話が終わらない。
エリザは特別に譲歩してやることにして続ける。
「でも、そうなるのが分かっていても、容姿端麗な人間からの吸血はやめられない。性格がどうあれ、甘美な血の誘惑には抗えないもの。でも、はぐれは生みだしたくない。その結果、開発されたのがこの器具なの」
エリザは注射器を指し示す。
「これを使って血を吸い取り、コップやワイングラスなどに移してからいただくの。そうすれば相手をヴァンパイアにしないで済むわ。一度の吸血はほんの少しだから、相手を殺すこともなく、上手く言いくるめることができれば、定期的に吸血することも可能だし! だからこれを使った吸血は、まさに最高ってワケなの!」
しかも瓶に入れれば後からゆっくり味わうこともできるし、冷所に保管していればしばらくの間保存も可能。
その上、他の血液とブレンドするという新たな楽しみ方もできるようになったのだ。
美麗な人間の家に奇跡的に侵入することができて、吸血できたとしても、それは一度きり。ヴァンパイアとなった途端、その血は美味しくなくなる。さらに、はぐれを生み出す危険性もある。
問題点の多くを解決する器具の発明により、ヴァンパイア社会に激震が走ったのは言うまでもない。
興奮して語るエリザだが、しかしクリスは反発する。
「嘘ですっ! ロリっ子に首筋を捧げるという至高の奉仕ができないというのに、そんなことをする奇特な者がいるわけないではありませんか!」
「ロリっ子ロリっ子って言っているけど、ヴァンパイアがみんな幼い容姿をしていると思ったら大間違いよ? 容姿端麗なのは間違いないけど。そもそもあたしも、齢200は越えているし」
「合法ロリだと……!? なおさらそそるっ!」
「なにその単語!? 法の中なら何してもいいわけじゃないわよ!?」
人間には矜持というものがないのだろうか!?
だが、疑問を抱いている暇はない。
劣情に油を注がれた変態が、血走った目で飛び掛かってくる!
「お、お姉さまなりません! わたくし、心の準備がー!」
「逆! 言葉と行動が真逆! いやあああ!」
思わず逃げ出そうとしたエリザ。
だが、浮かんだ涙をごしごしと拭き、勇気をもって踏みとどまる。
二度も押し倒されてなるものか。
ヴァンパイアとしての力、見せてやる。
エリザは赤い瞳に力を込め、変態修道女の目を――1秒たりとも見つめたくはなかったが、しょうがなく――見据える。
そして、高々と命令する。
「『動くな!』」
「!」
瞬間、クリスの身体は硬直し、飛び掛かった姿勢のまま床へと倒れ込んだ。
ヴァンパイアのもつ特技、チャーム。
目を合わせたものを魅了し、自身の命令に従う操り人形と化す力。
エリザはほっと息をつく。
「あ、焦――こ、こほんっ! 人間め、立場を弁えなさい。このチャームの力は強力よ。あたしが解除しない限り、お前は指一本動かすこともできない――」
「ハアハア……。ロリっ子に身動きを封じられるなんてまさに夢のよう! エリザさんエリザさん、これからわたしはどうなってしまうのでしょう!?」
「ってお前なんで喋れるの!? まだあたし、チャーム解いてないんだけど!?」
期待に満ちた眼差しを向けてくるクリスに、エリザは驚きすくみ上る。
対してクリスは待てすら聞けない駄犬のように、こらえきれないと立ち上がる。
「あれ? なにもしてくれないのですか? ふふ、照れ屋さんなのですね。ならば……こちらから行かせてもらいましょうっ!」
武者震いする戦士のような剣幕を見せ、立ち上がったクリスは飛び掛かってくる。
「な!? なんで動けて――きゃあっ!?」
エリザは再びベッドに押し倒された。
昨日のトラウマが想起され、体が震えはじめる。
エリザは真っ青になりながら、クリスを止めようと力を行使する。
「『動くな』! 『動くな』『動くな』! おかしいなんで!? なんで力が通用しないの!?」
だが、強力なヴァンパイアの力は、どうしても眼前の変態に通用しない。
馬乗りになったクリスは、頬を上気させて言う。
「遥か東方の国には、このような言葉があると聞きます。『嫌よ嫌よも好きのうち』」
「どこのやつらよ!? そんなバカげた言葉を生み出した変態民族は!? 根絶やしてやるッ!」
牙をむき出しにして激昂するエリザ。その様が変態をさらに発情させる。
「ああもう怒る顔も可愛いのです! ロリっ子ヴァンパイアマジヴァンパイア!」
「ひっ!? これ昨日と同じ展開!?」
エリザは思わず身を震わせた。
だが、そんな彼女を安心させるように、クリスは優しくほほ笑む。
「ふふ。同じだなんて。そのようなこと、しませんよ?」
「ほ、ほんとに?」
「ええ、神に誓って」
クリスは瞳を閉じ、胸の前で手を組んだ。
神への誓いはこの女たちにとって絶対だ。
見た目幼女なヴァンパイアにベッド上で馬乗りになるという、最低な状況ではあるが、その誓いを違えることはないはずだ。
「よ、よかった……」
どうやらこれ以上、ヴァンパイアのプライドを辱められることはないようだ。
エリザは胸を撫で下ろす。
だが、いつまでたってもクリスは解放してくれない。
不思議に思い、声をかけようとすると――
「マンネリになりそうなことなどいたしません。今日はもっといいこと、させてくださいませ?……神よ!」
「! いやああああああ! お母様あああああああああ!」
そうして、子羊ではなく、哀れなヴァンパイアの悲鳴が部屋の中に響き渡った。
***
「ふう……。全ての命に感謝をささげ、ごちそうさまでした」
ベッドに腰かけたクリスは、つやつやした顔で、読書に移る。
その横、未だ布団に入ったままのエリザは、顔を抑えて泣いていた。
「う、うう……。酷い、酷いよぉ……」
「まあまあ。犬に噛まれたとでも思われて」
「自ら駄犬扱いをご所望か!? 文字通りのビッチが!」
「はあんっ! 罵倒が胸に心地いい!」
鋭い眼光を向けてもクリスは怯むどころか嬉しそうに震える。
やっぱりこいつ、相手にするだけ無駄だ。
こんなやつに、なでなでぎゅーとか、頬ずりすりすりとか、そのうえ髪の毛クンクンされたりとか……。
「〜〜〜!」
「ああ! 真っ赤になったロリっ子が背中ぽかぽかとかこれは夢!? 夢なら覚めな――ごふっ! ちょ、ちょっとエリザさん? ぽかぽかというか、ドガドガしているのですけど? 岩かなにかがぶつかってくるような衝撃が、骨の髄まで響いてくるのですが……」
ヴァンパイアの怪力で背中を撃ち据えられ、クリスは床へ倒れ込んだ。
「ふ、ふんっ! 人間の分際で生意気なのよっ!」
これでしばらく立ち上がれまい。
エリザは真っ赤な顔でそっぽを向いた。
「ヒ、ヒール」
と、クリスが死にそうな声で唱える。
「ふん。そんな初級魔法程度で」
エリザは小馬鹿にする。
ヴァンパイアの怪力に撃ち据えられたのだ。いくら回復に長けた修道女とはいえ、そのくらいで全快はできまい。
と、思っていたのだが。
「ふう……。すっきり全快なのです。まったく、エリザさんったらお茶目さんなのですから!」
「あ、あれえ!?」
全快どころか先ほどよりも元気になった感すらあるクリスがいい笑顔で立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、ヒールくらいでそんなに回復する!? お前レベルは!?」
「え? たしか12くらいだったかと……」
クリスは取り出したペンダントをエリザへと見せる。
ぶら下がったクリスタルには、たしかに12と浮かび上がっていた。
人間たちの最大レベルは99である。12なんて駆け出しに類するはずなのだが。
「うそでしょ!? たった12の修道女の分際で!? あたし、ヴァンパイアの中でも結構名の知られた存在なのよ!? 血染めの小皇女なんて呼ばれる、由緒正しい姫君だったりするのよ!?」
戯れの内ではあったが、しかし強力なヴァンパイアの攻撃で負った傷を、ヒールごときで全快なんて信じられない。
「合法ロリの上、しかもお姫様!? どれだけ属性盛ってるのですか!? 余程わたしに押し倒されたいと見える!」
「お前のためじゃないわ! そもそもすでに押し倒されてるし!」
しかも2回もだ。
エリザは屈辱を感じながら声をあげた。
「ですが、申し訳ありません。お気持ちは嬉しいのですが流石に今日は……。また明日の夜、存分に」
「なんであたしが振られた感じに!? いい加減八つ裂きにするわよ!?」
「ゴボァ!」
「ひぃ!? また吐いた!?」
「ふ、ふふ……。エリザさん、面白いのですね。ヴァンパイアさんですのに血液を見て怯んじゃうなどと。そのギャップが、また素晴らしいのですけれど」
「至近距離でこれでもかって言うくらい吐血されて、怯まないやつがいたら教えてほしいわよ!?」
というか今のどこに興奮する要素があったのだ。
変態の思考回路は理解できない。
「エリザさん、今回も見事にキャッチできました。ですので、空き瓶に入れてプレゼントいたしますね。私だと思って、大切にしてくだされば幸いです」
「い、いらないわよそんなもの!」
「遠慮なさらないで。ストックはたくさんあるのですよ。教会の地下にある貯蔵庫に一年物から五年物。一番のヴィンテージは、三歳のときのだから、逆算して……十二年ものですね!」
「なにワインみたいに言ってんのよ!?」
ヴァンパイアでもないのに血液を、それも吐血を大切に保管しているとか、頭がおかしいとしか思えない。エリザはこの修道院をぶっ壊してやろうかと本気で思った。
「まあまあ。もし嫌なら、どこかで売っていただいても構いませんので。ね?」
「こんなの欲しがる奴がどこにいるってのよ……うう」
いやいやながら、エリザはその瓶を受けとった。
ご丁寧にもラベルが貼ってある。
聖女の、生血?
小首を傾げるエリザの前で、クリスは頬を朱に染める。
「聖女なんて照れますよね。わたし、しがない修道女ですのに……」
「ロリコンが抜けているわよ、修道女さん?」
「ご指摘ありがとうございますっ!」
クリスは身をくねらせた。
エリザはそれを無視するように視線を逸らす。
と、そこで前から気になっていたものに目を向けた。
「ところでお前、その本って何が書いてあるの?」
それはクリスがいつも読んでいる大判の本だ。
古めかしい皮の装丁が、ところどころボロボロになっており、何十年もの歴史を重ねてきたことがわかる。
指摘されたクリスはキラキラと瞳を輝かせた。
「おお、これに目をつけるとは! エリザさん、あなたもしかしていけるクチですか?」
「ええ。読書は好きよ。新たな知識を得た時のあの充足感は、なんとも言えないものがあるわ」
吸血したときには遠く及ばないが、しかしなかなか悪くない。
吸血できないとき、気分を紛らわすために始めたのだが、今ではエリザの立派な趣味になっていた。
「そうでしょうそうでしょう! 同じ趣味を持つ仲間に出会えて、わたし嬉しいです」
「それには同意するわ。やっとまともな会話ができそうね」
皮肉にも気付かず、クリスは喜んだ様子で手招きする。
「ならば一緒に読みましょう! さながらピロートークをするように、ベッドの中で身を寄せて!」
「訂正。やはり気のせいだったわ」
冷めた顔で闇夜に飛び去ろうとするエリザに、クリスは必死で追いすがる。
「ああ待ってください! 冗談、冗談ですから! エリザさんにわたしのお気に入りを好きになっていただきたくて!」
「まったく……。仕方ないわね」
悲しそうな顔をするクリス。
エリザはしょうがなく従った。
ベッドサイドに腰かけた彼女の後ろに回り、ベッドの上で膝立ちになり、肩に手を置く。
「エ、エリザさん!?」
「か、勘違いしないでよ!? こうしたほうが見やすいの! それに、変な行動に出かけた時、後ろの方が回避しやすいし、動きを封じやすいから!」
「なんというツンデレ……。今、たとえこの身を焼き尽くされようとも……信ずロリっ子のためならば、天となっても構いません!」
「誰がツンデレよ! いいから早くめくりなさい!」
「それはエリザさんのスカートですか!? そ、それともわたしの……」
「んなわけあるかあああ! 文脈を読め文脈を!」
エリザに一喝されて喜んだ後、クリスは本を構え直す。
重厚な装丁をしたそれには、仰々しい文字で表題が書かれている。
この世、最大の神秘。
最大とは、これまた大きく出たものだ。
人間風情に、果たしてこのわたしを楽しませることができるかしら。
そう思うエリザだが、実は普段も人間の記した書物を読んでいる。
だが、ヴァンパイアの琴線に触れる表題に、不敵に顔を歪めずにはいられなかった。
簡単に言えば、ワクワクしているのだ。
「では、早速……」
何度も読み返しているはずだろうに、クリスはごくりと唾をのんだ。
それほどのものが記載されているのか。エリザは期待に胸を膨らます。
そうして、ページがめくられる。
その視線の先、本の中には――
元気にピースサインをする、幼女の姿が描いてあった……。
「…………は?」
ぽかんとするエリザ。その前で、クリスは興奮に震えあがる。
「さきほどぶりですシルフィーちゃん! いつもとってもキュートですね! ほら見てくださいエリザさん! この子、風の精霊のシルフィーちゃんって言うのですよ! 悪戯っ子でとっても元気なのですって! でもその悪戯な風で、大胆にも自分自身のキュロットスカートがめくれそうに!? ああ、下から覗き込んだら見えないかしら!」
興奮した変態が本を下から覗き込んでいる。
エリザには、何をしているのか理解できない。
「お次は……わっふう! テンプちゃん! エリザさんエリザさん、この子、ラミアのテンプちゃんですよ!? 恥ずかしそうに眼を伏せながら、絞め殺そうと尻尾を伸ばしてきているこの姿! 心臓がキュンキュンしちゃうでしょう!? それからそれから――」
「お前! これはなんなのよ!?」
ようやく現実に戻ってきたエリザ。
全力でツッコむ彼女に、クリスは答える。
「ふふふ、知りたいでしょう! これは、モンスターの生態を挿絵と共に描いたモンスター図鑑……と、見せかけた、モンスターの幼女図鑑なのです! この吸いつきたくなるような肌の質感! 遥か昔の貴族の方が、著名な油絵師と共に諸国を放浪し、彼女たちに頼み込んでモデルになってもらったのですって! 枕の下に置いて寝ると、とっても素晴らしい夢が見れるのですよ! 昨日なんか銀髪のヴァ――」
「貸しなさい! 焚書にしてやる!」
期待を裏切られ、怒りに燃えるエリザ。
本を破壊してやろうと風よりも早く伸ばされた手を、しかしクリスは回避する。
「お、お戯れを! この本、とても希少なのですよ!? 見知らぬ幼女に声をかけただけで騎士を呼ばれることもある昨今! 幼女好きにとって、この本だけがオアシスなのです! モンスター図鑑だと言い張って、どうにか焚書の憂き目から逃れてきていますのに!」
「うっさいわ! そんな不健全図書! 出版差し止めよ!」
「熟読もせずにそんなこと! いくらエリザさんとはいえ許しませんよ!?」
「お前さっき自分で幼女図鑑って言ってたでしょうがあああああ!」
ぎゃあぎゃあやり合うエリザとクリス。
そのうちクリスの手から本が落ちる。
「ああ!?」
「もらったああ!」
そしてエリザは大きく腕を振りかぶり、変態本を粉砕しようと振り下ろす――が、
開かれたページを見て、目を疑う。
そこにはエリザによく似た銀髪の幼女が、椅子に腰かけ、組んだ足を挑発的に伸ばしている姿が。
ノリノリでポーズを決めている挿絵の横、モンスターの説明が書かれた最後の方には、
『初めは、『八つ裂きにするわよっ!』 と語調を強めていたツェペシュちゃんですが、最後の方はとってもノリノリになってかっこよく決めポーズ! なんと、最終ページについている袋とじの中では、可愛らしい水着姿を見せてくれ――』
「お、お母様あああああああああああ!?」
ヴァンパイアを統べる現女王。
そして自身の母親でもある女性の黒歴史に、エリザは思わず叫びをあげた。
「え!? この方エリザさんのお母様なのですか!? も、申し訳ありません! 親御さんで昨晩もハアハアしてしまって……!」
「う、うう……。もうやだあ……。エリザもう帰るぅー!」
幼児退行したエリザは、大泣きしながら夜空へと飛び去っていったのだった。