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Lily×Monster ~モンスター娘と百合コメです!~  作者: 白猫くじら
続・ロリっ子ヴァンパイア×薄幸の(元)修道女
50/58

幕間 だーれだっ?



 朧げな視界に、駆け寄る二人の姿が映る。


 大切な娘たちの姿が見える。


 ああ、自分は、最高位の力を持つというのに。

 最愛のためだけに、心血を注ぐと注力したのに。



 そして――娘たちの、母だったのに。



 どうして、彼女たちを、泣かせることしかできなかったのか。 

 どうして、涙する娘たちに抱かれることしかできないのか。

 

 心に浮かぶのは後悔だけ。

 女王としても、母親としても、決して誇れない結末を迎える。


 これから流れるのは、そんな一人の女の脳裏に廻った走馬燈。


 人外の国を統治し、平穏に導くという難行を成しながら、最愛の娘たちを幸福に導けなかった、惨めな女の後悔に染まった裏側である。



***



 人外の魔物。

 その中の一種族たる夜の王、ヴァンパイア。


 強靭な肉体と異能に裏打ちされた強い自尊心を持つソレらを、圧倒的な実力とカリスマで一纏めとする女王がいた。


 その名はツェペシュ。

 始祖の血を受け継ぐ、ヴァンパイアの王族である。


 女王として厳格な法を敷き、罪人には容赦なき制裁を下す冷酷さ。

 しかしてそれは、秩序ある治世、民たちの安寧を思ってのこと。

 平和な国作りを行い、民たちからの信頼も厚い賢王として名を馳せていた。


 だが、そんな彼女をもってしても、簡単に解決できない事案があった。

 夜更けの執務室。ツェペシュは人知れず頭を抱える。


「……わたくしは、どうすればよかったの……?」


 政策も、罪人への審判も、民たちの諍いの仲裁も、すべて即決。

 逡巡なく、後悔することもない。正しき裁量を下したと、女王として胸を張れる。

 日々、女王として正しくあり続けていると自負し、自信をもって国を治められていた。


 その矢先、降って湧いたのは――娘に降りかかる災難。

 

 いや、違う。

 災難というのは、予見なく突然降りかかってくる不幸事。

 事前の行いには左右されない事柄である。


 だから、そうではなく。


 いうなれば、それは自業自得。

 娘が予期しつつも実行した所業、それによるものであった。


 しかし、それはツェペシュにとって青天の霹靂。


 それも当然。

 彼女の愛する一人娘。



 その余命が、幾許いくばくもないということだったのだから。



 ***



 それは、数日前。

 国を挙げての一大慶事が催される、その前の話である。


「娘さんを、わたしにくださいッ!」


 深夜の執務室にて。

 歓談も早々に、彼女はそう言って頭を下げた。

 

 ウェーブがかった金色の髪。

 絶世と呼んで差支えの無い面立ち。

 豊満な肢体を娘と揃いのゴスロリ服で飾った彼女――クリスは、娘の恋人だという。


 娘から恋人ができたということは聞かされていたのだが、それがまさか女の子だとは思わなかった。

 それも、こんなに急に、添い遂げるだ云々だなどと、許可を取りに来るだなんて予想していなかった。


 なにせ、数百年しか生きていない若造にしても、今まで娘には色恋のイの字もなかったのだ。

 そんな彼女から恋人ができた、などと聞かされたのが数日前。

 そして今宵、突然の親への紹介、加えて結婚の許しを得にきたなどと……。


「突然の無礼、お許しくださいッ! ですがわたし、嘘偽りなど申しているわけではございませんッ! 娘さんのこと、心底からお慕い申し上げているのですッ! 彼女と共に幸せになりたいと、そう思っているのですッ! 命尽き、灰となっても共にいたいとッ!」

「……そんなこと」


 肩を震わせるツェペシュの姿に、クリスの隣に控えていた愛娘エリザが慌てて口添えする。


「お母様ッ! そのお怒り、ごもっともであると存じますッ! このようなどこの馬の骨とも知れぬ慮外者ッ! まあ外見だけは及第点ですが、その性根は腐りきっておりますものッ! 幼女とみれば後先考えず飛びつくようなド変態ッ! ほんっと、大切な一人娘と番わせようなどと、月が堕ちても考えられませんものッ!」

「あ、あのエリザ? わたしたち結婚の許可をいただきに参ったのですよね? それ口添えというか、三行半みくだりはんに聞こえるのですけど……」

「今宵だって、ここに来るまでの間に、城下の公園で砂遊びしていた幼女のむれに近寄って、『はぁはぁ……。ねえキミたち。お菓子あげるから、おねえさんと一緒に遊ばない……?』なんて模範的な変態の謳い文句をちらつかせて草陰に連れ込もうとしたのですよッ!? 信じられますッ!? 傍らにひめはべらせておきながらですよッ!?」

「……そんなこと」

「ち、違うのですよお義母さまッ!? ――いえ、やっぱりなにも違いませんッ! だってあんなに可愛い幼女たちが、無邪気さ限界突破で遊んでいるんですよッ!? 欲情しない方がおかしいでしょうッ!?」


 幼女好きに胸を張った後、クリスはどうしてか眉根を寄せる。


「それとお義母さまッ! この際ですので、恐れながら申し上げますがッ! 幼女たちの防犯意識、もっと高めるべきかとッ! この国の幼女たち、お菓子見せたら簡単にフィッシュオンッ! なんですものッ! 無邪気によちよちついてきて下さる姿はとっても眩しくてきゅんきゅんきますけどッ! そうなるのもヴァンパイアとしての力に裏打ちされた結果なのでしょうし、もしグヘヘってしようとしても、ぅゎょぅι゛ょっょぃ、ってなるのは目に見えています。だとしても、わたしみたいなのに簡単に引っかかるとか、それはそれで心配になりますので、まずは親御さんたちにそういう教育をするようにと――」

「犯罪者目線の的確な意見ありがとねッ!?」

「ぅゎょぅι゛ょっょぃッ!?」


 変態の長ゼリフにエリザの怒りが炸裂する。

 天窓を突き破って夜空を舞い、満月をバックに無様なシルエットを残した後、綺麗な放物線を描いて床にめり込むクリス。


「時と場を弁えろッ! 恋人の親に挨拶しにきて、性癖見せつけるバカがどこにいるッ!? 少しは心象良くしようだなんて考えないワケッ!?」

「よ、幼女の輝きは、どれほど隠したところで溢れ出るものです。あと、先に晒したのはエリザだったような……? 時と場弁えず、わたしをそしるような発言をしてた気も……がくっ」

「う、うるっさいわねッ!? 思い出したら腹が立ったんだから仕方ないじゃないッ!?」


 言い終わり失神するクリスに、エリザは真っ赤な顔でまくし立てる。


 そんな彼女らを前に、ツェペシュの心は決まる。


「そんなこと……!」

「ッ!? ご、ごめんなさいお母様ッ!? 他でもないあなた様の前で、こんな粗相を働いてしまってッ!? で、でもその、あたしたちは、真剣で――」




「そんなことオッケーに決まってるじゃないっ! いやあぁおめでたいっ! 末永くお幸せにねっ!」




「…………え」


 満面の笑みで了承を口にするツェペシュ。

 予想外の反応に、エリザは長いこと石になっていたが、我に返ると慌てて母に駆け寄った。


「いやいやいやいやッ!? おかしいでしょうッ!? おかしいでしょうこの流れでッ!? どうしてゴーサイン出せるんですかッ!?」

「んー? いやだって、あなたたちお互い好き合ってるのよね? なら、わたくしが口を挟む余地なんてどこにもないでしょう?」

「あるでしょッ!? ありまくりでしょここにッ!?」


 きょとんとするツェペシュに、エリザは転がるクリスを指差した。


「こんなド変態が娘の妃になるんですよッ!? 姫の伴侶になるんですよッ!? あなたの可愛い一人娘ッ! あなたの大事な愛娘ッ! こんな毒婦娶ろうだなんて、騙されてるとしか思えないでしょうッ!? お母様、あなたが最後の砦なのですよッ!?」

「エリザちゃん、あなた、この子の恋人じゃなかったの……?」


 懸命に説得してくる姿に思わずツッコみを入れた後、ツェペシュは穏やかな笑顔を湛える。


「誰にだって短所はあるものよ? そんなの気にならないくらい、彼女のこと、愛しているんでしょう?」

「いや気になってますけど。毎日ぎゃんぎゃんしてますけど」

「あ、あなた……。いったいココになにしに来たのかしら……?」

「……でも」


 そこでエリザは一旦母から離れ、転がるクリスへと近づく。

 そしてしゃがみ込み、彼女が意識を失っているのか慣れた様子で確認する姿に、母を戦慄させてから戻ってきた。


「でも。その……」

「うん?」


 しどろもどろになり、目線が定まらず落ち着かないエリザ。

 そんな娘を穏やかに見守るツェペシュ。


 やがてエリザは意を決したように頬を染める。


「…………大好き、です」

「……うん」


 真っ赤な顔で頷くその一言に、クリスという少女への思いが、全て詰まっていた。

 

「良かったわね、エリザちゃん」


 それだけ大好きになれる人に巡り合えて。


「も、もうっ。あたし、子供じゃありませんっ!」


 頭を撫でてあげれば、エリザは照れながら抗議してくる。


「そんなことないわ? あなたは、わたくしの子供。いつまでも大切な愛娘よ?」

「……も、もうっ」


 大切に伝えれば、エリザは照れつつも、柔らかに相好を崩したのだった。



 ***



「……あっれれー? わたしの知らぬ間に、話がドンドン進んでいるぞー?」

「あら? ようやくお目覚め? いい夢は見られたかしら?」


 数十分後。

 目を覚ましたクリスへ、ツェペシュは柔らかな笑みを向けた。

 

 執務室は慌ただしさに包まれており、臣下たちが書類と睨めっこしていたり、次から次に出入りしたり、女王に伺いを立てたりしていた。

 彼女らの口からしきりに聞こえてくるフレーズに、クリスは思わず質問する。


「あの。わたしの聞き間違いでなければ、結婚がどうとかという言葉が耳に飛び込み続けているのですが……?」

「ええ、そうよ? あなたとエリザちゃんの結婚式。三日後には挙げるから。国を挙げての盛大なものにしてあげるから、期待していて頂戴?」

「ヴェッ!?」

「? なに? カエルが潰れたような声を出して? もしかして不満なの?」


 臣下たちに的確な指示を出しつつ尋ねれば、クリスは慌てて手を振った。


「ふ、不満だなんてッ!? 恐悦至極に存じますッ! ですけどその、話が急なような……」

「あら? どこぞの国に善は急げという言葉もあるでしょう? 早くあなたたちの喜ぶ顔が見たいのよ」

「……」


 嘘偽りなく伝えてやれば、クリスは目を見開いて硬直した。

 そうしてしばらく固まっていた後、俯き、ぽつりと。


「……エリザ以外にも、わたしの幸せを願ってくださる方たちが」


 ヴァンパイアの聴力なら、この騒々しい中でさえ小声を聞き取るなんて造作もない。

 だが、感極まった声も、鼻をすする音も、あえて聞こえないフリをしてあげた。


 やがて顔を上げたクリスは、言いにくそうに口を開く。


「……あ、あの。ですがお義母さま」

「なにかしら?」

「その、お伝えしていませんでしたが。わたしは、その――」

「何者だろうと関係ないわ。娘が愛し、そして、娘を愛してくれている。気にするべきは、その一点だけだもの」

「……ッ! ありがとう、ございますッ!」


 彼女が聖女だったというのは、先に娘から聞かされた。

 だが、それが何だというのか。


 ツェペシュが願うのは娘の幸せ。

 それを心から願ってくれる存在ならば、たとえ神の手先であろうと関係はないのだ。


 むしろ、ツェペシュにとって、聖女とは――


「さあ。あの子は今、ウェディングドレスの採寸に行っているわ。あなたも向かいなさい。いい加減行ってあげないと、待ちくたびれたあの子が癇癪起こすわよ? あの子、年相応にお子様ですもの」

「……はいッ!」


 嬉し涙を滲ませたクリスは、深々と頭を下げた後、臣下の一人に連れられて退室していった。


 そんな彼女を手を振って見送ってあげながら。

 笑顔の裏で、ツェペシュは消沈する。




 彼女たちの幸せな日々は――いったい、あと何日残されているのだろうか、と。




***




 

 娘たちの結婚式まで、残すところ一日となった、その夜。

 執務室で式の書類に目を通していたツェペシュの耳に、遠慮がちなノックの音が聞こえた。


「どうぞ」

「失礼します」


 一礼して入室したのは、愛娘のエリザであった。


「悪かったわね、急に呼び立てて。睦事むつごとの邪魔にはならなかったかしら?」

「な、なってませんッ! そもそもそういうことは、け、結婚してからと、決まっていますっ」


 冗談めかして口にすれば、エリザは顔を真っ赤にして俯いた。

 初心な仕草に愛らしさを覚えつつ、可愛いのも当然、さすが自分の愛娘だと、親バカなことも考える。

 

「あら? 最近はそうでもないのでしょう? なんだったかしら? できちゃった婚? 授かり婚? いや、愛らしさも高尚さも、ただの飾りだわ。直接的な、ズッコンバッこ――」

「そ、そんなことはいいですからッ!」


 悲鳴染みた声で遮った後、エリザは息を整えてから切り出した。


「それよりお母様。一体なんの御用でしょうか? ただでさえお忙しい御身に、さらに負担をかけていること、もちろん承知しております。その上、なにかあたし、不手際を――」

「いえ、違うのよ。そうではないの。そもそも、負担だなんて思わないで。愛娘の結婚式のお手伝いができるのよ? そんなこと思うものですか」

「そ、それならば良いのですが……」


 不安がる彼女に本心を伝える。

 世の中には我が子の式を見られずに亡くなる者だっているのだ。

 そんなこと思うわけがない。


「ちょっとエリザちゃんに確認しておきたいことがあってね?」

「そうなのですか。はい、なんなりと」


 ほっと胸を撫でおろす我が子。

 彼女へと、ツェペシュは普段と変わらぬ口調で告げる。






「あなた。同胞を殺す気概はある?」






 冷酷な女王としての、普段と変わらぬの口ぶりで。


「…………え」


 今、自分は何を問われたのか。

 目を丸くして言葉を失うエリザに、ツェペシュは淡々と繰り返す。


「あら? 聞き取れなかったかしら? じゃあ、もう一度尋ねるわね? エリザちゃん、あなた、同胞を殺す気概は――」

「お、お待ちくださいッ!」


 今度は母として優しく問いかけてあげる最中さなかに、血相を変えたエリザが声を上げた。


「お母様ッ!? 何を仰られるのですッ!? その意味、全然分かりませんわッ!?」

「あら、ごめんなさい。そうよね? いきなりこんなこと尋ねられても、乱心したとしか思えないわよね。知らず気がはやっていたみたい」



 ふんわりとした口調で謝罪する。

 直後、ツェペシュは、凍えた瞳でエリザを見据えた。


「でも、しかたないじゃない」

「なぜですか……?」





「だって……我が子の命が、尽きようとしているんですもの」





「ッ!?」


 硬直するエリザ。

 その隙を突き、一瞬で距離を詰めたツェペシュは、容赦なく胸元を引き裂いた。


「……あッ!?」


 ゴスロリ服がひしゃげ、肌が露わとなる。

 そこにあったものを見て、ツェペシュは眉をひそめた。


「……やっぱり」


 起伏の乏しい年相応のその体。

 左胸、その頂の付近。



 肌が、僅かに欠損していた。



 そうだと意識して確認せねば気付かないくらいの小ささではあるが、僅かに窪んでいる部分があったのだ。




「……灰燼化かいじんか




 灰燼化。

 それは、寿命の近づいたヴァンパイアの体に起こる現象。


 ヴァンパイアに邂逅したことのない、浅慮のすぎる司祭などは、ヴァンパイアは死後、人と同じく骨となってしまうと思っているらしい。


 だが、そうではない。

 

 死を迎えたヴァンパイアたちは、灰となるのだ。

 その現象は、心臓のある左胸の付近から始まり、徐々に広がっていく。

 時が少なくなっていくに従って、体は徐々に灰となって崩れていく。

 そうして最期には、骨さえ残らず、全てが灰となり、命果ててしまうのだ。


 ただ、ヴァンパイアは人とは違う強靭な肉体を持つ存在。

 個体差はあれど、最低でも千年は存命する種族である。

 そして王族の血を引くエリザはそれが顕著であり、本来、この幼さで限界を迎えることなどないはずなのである。


「……」


 しかし、言われたエリザは反論しない。

 その無言が、あり得ぬ事実が現実だと示していた。


 そうしてしばしの無言の時が過ぎた後。


「……どうして」 


 反論の代わりに零れた弱弱しい疑問に、ツェペシュは返答する。


「あなたはおろか、他の者らの何倍も生きているのよ? 先立つものを見送ったことなど、数知れず。その挙動、声音、そして何より――」


 ツェペシュは胸元から白い紙を取り出した。

 四角く折りたたまれたソレを開き、中に包んでいたものを露わとする。


「――この灰の香りは、独特だから。他の者には分からなくとも、女王たるわたくしには感じ取れるの」


 それは、ドレスの試着を行っていたフィッテイングルームに零れていた灰。

 エリザと相対したとき、僅かに感じたその香り。

 そして、床に散っていた灰に気付いた時、嫌な予感は確信へと変わったのだ。


 突き付けられたエリザは、ハッとした顔を見せ――自嘲気味に笑う。


「……おかしいと、思ったのです。女王の一人娘、世を継ぐ姫。なのに、その結婚式を、こんなに突貫で挙げようとするなんて」

「幸せな姿を早く見たいって、はやったのは確かよ。でも……そうね。焦っていたのも、真実だわ」


 零れていた灰の量。そして、娘から香るその香り。

 今までの経験上、すぐにこと切れることはないと確信できていた。


 だが、それでも。

 もしか、なにかがあってはと。

 その時までに、娘にできる限りの幸せをと。


 この心が急いていたのは、隠しえぬ事実であった。


「もちろん、手抜きなんて一切ないわ。綿密な準備、計画を、この数日にブチ込んだ。持てる技術の粋を結集しましたもの。わたくしの挙式にも負けぬものとなること、確約しましょう」


 嘘偽りなく伝えた後、ツェペシュは祝賀の話だけで終わりたかったと叫ぶ心を叱咤して、避けられぬ悲劇に話題を移す。


「……それで、確認なのだけど。あなたがそうなったのは、あの子の――」

「違うッ!」


 響く絶叫。

 エリザは涙溜めた瞳でツェペシュに縋りつく。


「アイツはなにも悪くないッ! アイツはなにもしていないッ! だから、アイツのことを、クリスのことを……」

「分かっているわ。あなたとつがい合ったのでしょう? ならばあの子だって、わたくしの大切な娘。娘を愛さない母なんているわけないでしょう?」

「……!」


 その言葉に、エリザは目を丸くし。


「……ううぅ」


 そして、涙と嗚咽を漏らし始めた。


 そんな娘の頭を撫でながら、ツェペシュは思う。


 本当にこの子は、自分の命がかかっているというのに。

 

 こうなったのは、あの子のせいではなく。

 あの子のためだなんて、思えるのだから。


 冷酷無慈悲であるというのが夜の王の常識だろうに。

 だが、そんな彼女をこそ愛おしいと思うのは、決して間違いなどではないはずだ。



 しばらくして、エリザが泣き止んだ後、ツェペシュは話を続ける。



「モンスターたちだって、戦闘によって命を落としてすぐであれば、人間どもと同じく、道具、特技などによって蘇生することは可能だわ。しかし、寿命となれば話は別。これも人間どもと同じなのはシャクだけれど、蘇生することは叶わない」


 寿命とはその肉体に定められし枷。

 秘薬、禁術などに手を出せば、多少の誤魔化しは効いたとしても、長くて数日程度のものであろう。


「知っています。そもそも、あたしの寿命が削れてしまったのは、正当な対価。それを取り返そうだなんて、ムシが良すぎるというものです」


 エリザは冷静に分析した。


 本来ならばエリザの寿命は、あと数日程度で終わるほどのものではない。

 先にも示したように、王族の血を引くのだから、他のヴァンパイアよりも永き生の謳歌は約束されていたはずであった。



 ヴァンパイアとしての長命な寿命。

 そして、伝説級の魔物たちの力添え。

 

 それらすべてを結集して、ようやく解放することが叶ったように、それほど『聖女』の枷は凶悪だったのである。


 だが、それは本来ならば決して起こり得ぬ奇跡。


 事を成せたのは、エリザとクリス、互い同士が、もっと一緒にいたい、そして、一緒に幸せになりたいと願い合った、愛の一押しがあったからなのだ。


 しかし、結果としてエリザの寿命が僅かとなってしまった。

 これは、どうやったって回復しないはずであった。


「……けれど。その非常識を成せる方法があるのですね? それが――」

「そう。同胞の生き血を啜ること。その命が、尽きるまで」


 エリザの言葉を引き継ぎ、ツェペシュは続ける。


「まず初めにだけれど。ヴァンパイアがヴァンパイアの血を啜っても、とろけるような甘味は味わえない。これは周知のところよね?」

「はい。何とも言えぬ、苦みしか覚えません」

「そう。でも、それは現在の話。かつてはそうではなかったの」

「そうなのですか?」


 意外そうな顔をするエリザへと、ツェペシュは語る。


「遥か昔。わたくしが女王として同胞たちを纏め上げる前のことです。ヴァンパイアたちは、己が矜持、武勇に絶対の自信を持ち、我こそが頂点に立つに相応しいと、相争っていたのです」

吸血大戦(ブラッディ・ウォー)……」


 それは、ヴァンパイアならば誰でも知っている、種族に伝わる負の歴史。

 

 王家の力が貧弱になった時があり、我こそが王家に代わり頂点に立つのだと、野心溢れる貴族たちの蜂起から始まり、我も我もと続く者らが現れていき、その覇権を争った、歴史的な内紛である。


 ツェペシュが女王に即位し、圧倒的なカリスマ、実力で離反した者らを一人残らず皆殺しにするまで、兵はおろか、多くの民たちが争いの犠牲となり続けたのだ。


「覇を唱えたヴァンパイアたちは、敗北した派閥の者らを、容赦なく惨殺していった。そう伝えられています。ですが、そこには歴史の闇に葬られた真実があるのです」

「そうなのですか?」


 疑問符を浮かべるエリザ。

 後の世に生まれた者らには凄惨すぎて伝えられていない事実。

 その時を生きていたツェペシュは、吐き気と共に言い捨てる。


「ただ惨殺したのではない。対象の血を、命尽きるまで吸い尽くした。――要するに、共食いをしたのよ」

「ッ!?」


 戦慄するエリザに、ツェペシュは苦々しい顔で説明する。


「今の者らには知られていない事実だけれど。そうすることで、相手の寿命の一部、そして、強さを己が物にすることができるの。ヴァンパイア同士でのみ行える強化方法。頂点に立つためにと、多くの者らがその礎とされたわ。……罪のない、民たちまでも」


 そのすべては、王家が弱体してしまったがために。

 そして、自身が、まだ子供だったために。


 ヴァンパイアたちの真の黒歴史に、エリザの顔は生気を無くしていた。


 王家に名を連ねる者として、いつか彼女にも伝えなければと思っていた。

 皮肉にも、こんな状況の時になるとは思っていなかったが。


「その頃までは、ヴァンパイアがヴァンパイアの血を啜っても、とろけるような舌ざわり、なんとも言えない甘美な味わいを覚えることができていた。……しかし、大戦が終わり、しばらくすると、そうではなくなったの。今のようなひと含みだってしたくないような、痺れるような苦さへと変わったのよ」

「それは……」

「きっと、みな願ったのよ。もう、あの惨劇を忘れたいと。二度と起こってほしくないと。強く、強く。それこそ、自身のナニカが変わるくらい」


 あの苦さはきっと、恐怖であり、絶望であり、戒めなのだ。


「……お母様は、その……」

「ええ。愚者と切って捨てた者らと、同じことに手を染めた。国を守るため、民を守るため。わたくしは、強くならねばならなかったから。王家の再興を阻む者。再興の後、潜り込んで内側から崩そうとする者。例外なく啜って食い殺したわ。……全て」

「……」

「凄惨な戦の裏側。大戦を知る者らには墓場まで持っていくように厳命している。そのような真似なぞしなくとも、あの生き地獄をその目で見たのだ。口にしようなどとは思わないだろうけど」


 思い出したくない過去。

 しかし、それは確かに自分が歩んできた道だ。

 目を背けることは決してできない。

 

 この罪悪の道を、優しい娘には決して歩ませたくはなかったけれど。


 叫ぶ心に蓋をして、ツェペシュは冷酷な女王の顔を覗かせる。


「さて。これだけ語れば分かったかしら? わたくしが、エリザちゃんに何を望んでいるのか?」

「……」

「安心して。なにも、通り魔のように無差別になんて言っているわけではありません。秘密裏に希望者を募ります。姫のため、その命を差し出す栄誉を与えましょう、と。エリザちゃん、慕う者たちも多いし、きっと喜んで糧となってくれると思うわ。もちろん、民だけに犠牲を強いません。わたくしも、我が子の為ならば喜んで――」


「……あたしは」

「!」


 つぶやく声。

 静かでありながら、しかして強い決意の籠ったそれに、ツェペシュは思わず口を噤んだ。


 彼女の視線の先で、エリザは強く意思を表す。


「あたしは、クリスと一緒に生きていきたい。あの子と一緒に、ずっと幸せを感じ続けたい」


 悲しみに沈んでいた姿も、涙を浮かべていた面立ちも、嘘だったと思えるくらい、強い表情でエリザは語る。


「報われなくても、絶望しても、誰より懸命に他者を救い続けたあの子のこと。ずっとずっと、救い続けていたあの子のこと。誰よりも幸せにしてあげたい。誰よりも大好きをあげ続けたい。……たとえ、何を犠牲にしても」

「! それなら……!」


 許されぬ微笑を湛えそうになるツェペシュに、エリザは頷く。


「大好きな人と一緒にいるためなら、どんな屈辱にも甘んじるし、どんな悪事にだって手を染められる。わたしは、確かにそう思っていました。……前までは」

「……!」

「ですが。ですが、共に過ごし、不貞に憤慨し、痴態に激高し……触れ合いに、じんとして。そんな風に過ごすうちに、気付いたのです」


 そしてエリザは、この窮地にあって、幸せそうに顔を綻ばす。


「当然のこと。あたしたち以外の者にも、大切な人がきっといて。こんなふうに色々な感情を感じながら、一緒に生きているんだって」


 この世界にはたくさんの愛しさが満ちているのだと。

 夜の王の自分をもってしても、決して塗りつぶせないような、思わず感化されてしまうほどの素晴らしさが溢れているのだと。


「自分たちの幸せのために、他者の幸せを食いつぶすこと。あたしには、そういうこと、できません。そうして永らえたとしても、それはもう、あの子が愛してくれたあたしじゃない。あの子を愛したいあたしじゃない」


 何をされようと決して偽れない本心を伝え。


 娘は、母に変わらぬ現実を伝える。


「だからお母様。申し訳ありません。エリザの余命は、あと数日より延びません。先立つ不孝、どうか、お許しくださいませ」


 真摯に語られた決意の言葉。

 確実に訪れる、数日後の落命を肌に感じて。

 それでも娘は、凛と立って、そこに在った。


「……」


 変えられぬ意志を目の当たりにしたツェペシュ。

 その頭の中を、娘との思い出が、巡っては消え、巡っては消え、


「…………そう」


 やがて、ぽつりと、言葉が漏れた。

 そして、苦笑する。


「流石はわたくしの愛する娘。そう言うと思っていたわ。だからこそ、提案するのを躊躇っていたのだけど」

「……お母様」


 涙が流れそうになるのを根性で抑え込み、ツェペシュは綺麗な笑顔を浮かべる。


「他者を思いやれる、こーんな良い子に育っちゃって。まったくもう、ほんとに、あなた、は……」


 しかし、やはり抑えられず。

 愛する我が子に迫る確実な落命を前に、耐え切れず。


「……エリザちゃんの親ふこーものぉ! ううぅっ! うわああぁんっ!」

「……ごめんなさい。ごめんなさい、お母様」


 泣き崩れ、娘の胸に、力なく縋り付くのだった。




***




「……そんなことがあったのが、数えて数日前。結局わたくしは、エリザちゃんの意志を尊重すると約束したわ。愛する娘の選択だから、母は黙して頷くべきですもの」


 深夜の自室にて。

 回想を終え、ツェペシュは腰かけたベッドの端で、自身の出した結論を口にする。

 

「クリスちゃんの攻めにのったのだって、残り少ない時を過ごすエリザちゃんたちの愛のひと時に刺激を与えるため。そうしてもっと燃え上がってもらうためなのです。ええ、もちろん演技です。演技なのです! 演技でしかありえませんッ!」


 誰にともなく演技という部分を不自然な程に強調する。

 その単語にだけ、えらく熱が籠っているのは、なぜだろう。


「……そう。そう言って、取り繕うことはできます。……あ、結局言ってしまったわ。……えっと、もちろん、文面通りの画策なのですよ? ちょっと、個人的嗜好によっている点は否定できないけれど」


 誰にともなく言い訳した後、ツェペシュは顔を渋くする。


「ですが、あれだけはどうしようもありません。彼女らへの沙汰、だけは」


 それは挙式を終えて少ししてのこと。


 不穏な談合を行っている一党がいると気付いた衛兵たちが、その者らを召し取り、城へ連れてきたのだ。

 その愚か者たちは、こともあろうに女王の娘、すなわち、エリザの命を狙っていたのである。


 そんなこと、もちろん許されるはずがない。

 直ちに極刑に処すべきであった。


 だのに、ツェペシュは彼女らを解き放ったのである。


「……だって、彼女らは、わたくしとは違ったのです。だって、諦めていなかったのですもの。エリザちゃんの命を」


 彼女らは言ったのだ。

 エリザが捨てると言ったその命。


 それを貰い受けると――捨てさせずに、永らえてもらうと。


 つまり、彼女ら自身の命を捧げ――忌み禁じられた『共食い(きゅうけつ)』をさせ、延命させると申し出たのである。


 たとえ力づくでも。

 彼女の意思に反してでも、と。


 揃いも揃った若輩者たち。

 一体どこで聞いたのかと目を丸くするツェペシュが問い詰めると、なんと、あの時、エリザとツェペシュの会話を聞いていたというのだ。


 リーダー格たる血液屋の売り子の少女。


 敬愛するエリザの挙式と聞いて浮かれあがった彼女は、一言自分の口から祝いの言葉を伝えたいと、城の中へと忍び込んでしまったのだという。


 普通の精神状態ならば、とても行わない所業。

 そして、普段の警備状態なら、侵入なんてできないところだった。


 だが、降って湧いた姫君の挙式により、城中はとてつもない忙しさに包まれていた。

 その結果、信じられないことに、城深く、女王の自室付近までたどり着いてしまったのである。


 警備隊長真っ青の事実を思い返し、頭痛を感じながら、ツェペシュはエリザの件を想う。


「……わたくしは、エリザちゃんの意志を尊重すると決めました。そうです、それこそが正しいはず」


 娘が命を失うことを正しいだなんて言いたくない。

 だが、それでも言わねばならない。


 女王として、民の命を守るのは当然のことなのだ。

 大多数と少数。どちらかを犠牲にしなければならないのなら、それはもちろん後者であり、犠牲となるのが身内であるならば、尚更冷徹に下さねばならない。

 世継ぎなど、適当に口説いた女に産ませればいいのだから。


「……でもッ! でも、わたくしはッ!」


 もちろん、民も大切。

 だが、同じくらい、我が子のことも大切で。


 自分はエリザの意志を尊重すると決めた。死に向かうことに目をつぶった。

(エリザに命を捧げると決起した民たちを許し、命を捨てに向かわせた)


 自分は女王であらねばならない。民を守らねばならない。

(自分は母親なのだから、民よりもエリザを救いたいと思うのは当然だ)


 女王が家庭の事情を優先してはならない。私情を持ち込めば民の安寧の崩壊につながる。

(そんなものより、我が子が大事だ。統治せねば生きられないようならば、そんな者たちなぞ、いっそ――)


 ぐるぐると回る思考。

 矛盾と矛盾。

 考えても尽きない罪悪感に、心に浮かぶ邪悪な思考。


「……うッ!?」


 ベッドへ倒れ込む。

 口元を抑え、吐物が飛び出そうになるのをどうにか抑え込む。

 

「……やだ。いやだ。誰も、失いたくない。あの子も、みんなも、みんな幸せに生きてほしいのに。どうして、どうして……」


 どうして、世界はこんなに残酷なのか。

 

 娘のことを救いたい。

 だけど、民のことだってもちろん大切だ。


 どちらかを立てればどちらかが立たない。


 女王として正しくあらねば、またかつてのような凄惨な炎が国を包んでしまう。


「うぅうっ。うううぅ……」


 一体自分は、どうしたらいいのか。

 そうして、女王が人知れず、無力な女になっていた時だった。






「だーれだっ?」






 突然の視界の暗転。

 同時に聞こえる、愛らしい声。


「ッ!?」


 瞬時に思考する。


 ここは、ヴァンパイアの女王、その自室。

 いたのは自分ただ一人。

 その女王の背後を取り、手のひらで視界を奪った不埒者。

 

 瞬時に対応。

 二の句を継がせるより先に絶命させるのが当然だった。


 だがしかし、ツェペシュにはそうできなかった。



 その声。

 その愛らしい舌足らずな声が、とても懐かしく、そして、嬉しいものだったから。



 だからツェペシュは、断頭の代わりに、回答を寄越す。


「……なっちゃん?」


 取り乱していたのが嘘だと思うくらいの、柔らかな声で。


「うむっ! 大正解っ!」


 嬉しそうな声と同時に、背後の気配が動く。

 軽やかに中空で翻り、ツェペシュの前へと着地する。


「っとと。うむうむ。俺の家のより、ふかふかしていて羨ましいな、この寝具は。さぞいい夢が見られるに違いないっ! いいないいなっ!」


 そうしてフカフカの感触を無邪気に楽しむ小柄な影。


 幼姿に危険すぎる、露出の多い紫のサリーを纏い。

 しかしてその面持ちに宿すのは妖艶さなどでは決してなく、見た目相応の無邪気な笑顔。

 頭頂からは立派な二本の角を生やし、背には翼、臀部からはウロコのついた尻尾がニョロリと延びる。


「さておきだ。久しいな、我が友ツェペシュよっ! キサマの無二の友が、長き封印より舞い戻ってきてやったぞっ?」


 威厳たっぷりの言葉とは裏腹、心底から嬉しそうにはしゃぎまわる彼女こそ、かつての時代、内紛に心痛めるツェペシュの唯一の拠り所となってくれた、無二の親友。



 邪竜の『なっちゃん』であった。



「う、嘘っ!? 本当になっちゃんなのっ!?」


 信じられぬ人物の登場に、先ほどまでの悲哀も忘れ、ツェペシュは目を見張った。


 もちろん、『なっちゃん』などという幼児に呼びかけるような名称が、邪竜の本当の名前ではない。


 彼女と知り合った時、すなわち『吸血大戦』の最中。

 ツェペシュは文字通り身も心も幼く、友となった彼女のことを親しみを込めてそう呼んでいたのであった。


「むぅ。今しがた、キサマ自身が言い当ててくれたではないか? 確かに、悠久とも呼べる時分、交わりあうことがなかったのだ。信じられぬのも無理はないが……」


 半信半疑のツェペシュに対し、なっちゃんは眉を寄せ、拗ねたように頬を膨らます。

 かと思えば、突如瞳を輝かす。


「! とうっ!」

「わわっ!?」


 突然飛び掛かられ、思わず動揺する。

 勢いを殺しきれず、そのままベッドに押し倒される形となるツェペシュ。

 その胸に、なっちゃんは子猫のように無邪気にじゃれついてくる。


「ちょ、ちょっと、なっちゃん?」

「夢幻などでは、肌に温もりを覚えることなぞできぬだろう? この俺が今確かにこの場にいるのだと、現実を受け入れられるその時まで、すりすりすること、やめてはやらぬっ!」

「も、もう……」


 昔と一つも変わらない、見た目通りの子供っぽさ。

 そしてこの、愛くるしいくらいの懐っこさ。

 今まで絶望の底に沈んでいたのが信じられないくらい、ツェペシュの心が温かになっていく。


「ふははっ! どうだ? 気高く誇り高い夜の王が、やすやすと懐に入られ、あまつさえ子猫みたく、すりすりごろにゃんされているのだぞっ? 計り知れない屈辱だろう? さあ、居丈高な鼻っ柱、これ以上へし折られたくなくば、このすごーい邪竜が空想の産物などではないと、敗北感にまみれながら認めるがいいっ!」

「認めます。認めちゃいます。女王ツェペシュ、完敗です。まいったまいったー」

「ふははっ! 夜の王なぞ、なにするものぞっ!」


 わざとらしく白旗を上げれば、なっちゃんは嬉しそうに高笑いを見せた。


「それで、すごーい邪竜さん?」

「うむ?」

「妄想などではないと認めたのだけれど。どうしてまだすりすりし続けているのかしら?」

「うむっ! それはだなっ!」

「?」

「この俺がすりすりしたいからに決まっているっ! 久方ぶりに、だいしんゆーに出会えたのだっ! とってもとっても嬉しいのだぞっ! 触れ合わずにはいられまいっ!」


 臆面もなく、愛らしい欲求を伝えてくるなっちゃんに、ツェペシュはとっても嬉しくなった。


「ふふっそっかー。それならばしようのない。今宵のみは特別よ? 冷酷非道な夜の王、その気まぐれに感謝しながら、存分に欲望を満たすがいいわっ」

「ふははっ! 小娘風情が生意気をっ! だが小物の小言にいちいち目くじらを立てるほど狭量ではないからな? 好きなだけ言っておくがいいっ! 俺も好きなだけすりすりするからなっ? すりすりー」


 そうしてしばし、無二の友との再会を祝し、互いに幸せを堪能しあう二人であった。




***




 やがて、存分にスキンシップを楽しんだ後。

 互いにベッドの上にぺたんと座りながら、ツェペシュは懐かしき親友へ話しかける。


「ああもう、ホントびっくりした。というかなっちゃん、どうやってここに忍び込んだの? 女王の自室に気配なく」


 どのようにして厳重な警備の穴をつき、女王に悟られることなく背後に迫ったのか。

 個人的な興味だけでなく、国を預かる者としても聞いておかなければならないことである。

 まさか件の少女のように、運よく辿り着く、なんてことが二度もあってはならないし。


 その問いに、なっちゃんはなんでもないことのように答える。


「簡単なこと。他者からの認識を燃やし尽くしたのだ」


 そうして、なっちゃんは口元から表出させた炎を全身に纏う。


「ッ!」


 途端、そこには誰もいなくなった。

 姿どころか、匂いも、気配すら全く感じられない。


 ツェペシュが驚いていると、再びそこには、何事もなかったかのようになっちゃんが現れる。


「キサマにはかつて説明したと思うが。俺の炎は俺の望むものだけを燃やし尽くすことが可能なのだ。その力を利用すれば、目を欺くことなど、造作もないこと」

「ど、どんなチートよ……」


 そんなもの、いくら警備体制を強化したところで意味がない。

 呆れて肩を落とす姿に、なっちゃんはとっても嬉しそうである。


「そうそうっ! そんな風にびっくりさせてやりたくてなっ? さぷらいずというやつよ。もっとも他者から隠れ不意を突くなどと、俺の主義、その在り様に反すのでな? 普段は決して行わぬのだが、今宵のみは特別よっ!」


 すべては親友をびっくりさせるためらしい。

 なっちゃんは嬉しそうに胸を張っていた。


 無邪気に喜ぶ彼女だが、それは他の者には決して真似できない所業。

 伝説の邪竜であるからこそ、許された力なのだ。

 

 この場にそぐわない話にはなるが、今巷を騒がせるヴァンパイア失踪の加害者、その犯人はこのような手段を講じることはできないはず。

 そして、もちろん心優しい親友が、誰かを害そうなんて思うはずはないので、加害者ではない。


 伝説の力を存分に使っての豪勢すぎるサプライズに思わず頭が下がるツェペシュ。

 そんな彼女の容姿を改めて眺めたなっちゃんは、瞳をキラキラさせていた。


「いやあ、それにしてもだ。ツェペシュよ、キサマ本当に見事に育ったものよなぁ。あの童女がここまで豊満に育つとは。溢れ出す母性に、思わず傾眠しかけたぞ?」


 言葉のとおり、実際なっちゃんは、うとりうとりと、しばらく眠りに興じていたのだが、そこは指摘しないであげよう。とても可愛かったのだし。


「ふっふっふー。びっくりした? びっくりした?」


 サプライズの意趣返しとばかり、ツェペシュは特に育った部分を強調する。


「うむ。未だ変わらぬ俺とは大違いだなと。時の流れを実感したぞ」

「……えっと。その、それは」


 無邪気な笑みに、思わず言葉を濁らせる。

 自分が生を重ねる間、喜怒哀楽を感じる間。

 彼女はずっと、聖女による封印を施されていたのだ。

 

 なにもできずに、一所にとどめ置かれ。

 ただ一人、孤独に。


 配慮の足らない自分に罪悪感を覚える。

 だが、なっちゃんはただただ明るく笑い飛ばした。


「ふははっ! なに、配慮など必要ない! あれは俺の望むところだったのだ。願いを汲んでくれた聖女が、一助になればと施してきおった、いうなれば安らぎの揺りかごである。キサマも知らされているだろう?」

「……ええ。遣いがきたわ。『これは決して害成す思惑による術ではない。禍々しき我が血族、その呪詛を解呪しようという愚かしい企みによるもの。よって、術者を八つ裂きになどと考えてくれるな。悠久の果てに、再会を。武運を祈る。……また、一緒に遊ぼうなっ!』と。あなたの直筆の署名が入っていた」

「……まあ、寂しくなかったかと問われれば、正直否ではあるが。でも、それもだっ! 今となってはあの孤独な日々も、再会の喜びを格別とするスパイスとなっているのだからなっ? だからもうそこは気にしないっ!」


 一切の嘘偽りのない面持ちで言ってのけたなっちゃんは、綺麗な笑顔で厳命してくる。


「だからキサマもそのような顔はしてくれるなっ! というか禁ずるっ! せっかく再会できたのに、悲しい顔なんて見たくないっ!」 

「……強いのね、あなたは」

「当然だっ! なにせ伝説の邪竜なのだからなっ!」


 反り返るくらい胸を張るなっちゃん。

 思わずその頭を撫でてしまう。


「えっへへー」

「……」


 憚りもせず、素直に顔をほわほわで一杯にする愛らしさに、こちらも胸がいっぱいになる。

 今までの彼女の苦労は労ってあまりあるほどだ。

 だからこそ、彼女にいっぱい幸せを感じてもらいたかったので、ツェペシュは優しくナデナデし続けた。


 そうして十分に過ぎるほど堪能させてあげて、堪能させてもらってから。

 ツェペシュは、彼女の現状を再認するために口にする。


「あなたからは、もう反吐が出るような怨念は感じられない。つまり、解呪は成功したってことなのね?」

「うむっ! 色々の結果、万事解決よっ! ここにいるのは、ただの『なっちゃん』だぞっ?」


 なっちゃんは、邪竜でありながら、人間のことが大好きな変わった存在だった。

 しかし、人間を憎む祖先の呪詛に縛られた彼女は、近づく人間を途端に呪い殺してしまうという業に縛られており、その輪に入ることができなかったのだ。


 竜とは基本的に人間に畏怖される存在であり、その呪いがなかったとして、交わることはできなかったのかもしれないが、彼女の場合、その重大な欠点から、そもそも歩み寄る勇気を持つことすら許されなかったのである。


「キサマの娘にも本当に世話になったっ! また改めて礼を言いに行ってやろうっ!」

「……え? ウソ、それって……!?」


 なっちゃんの言葉に、ツェペシュは瞬時に色々を理解した。


 かつて、エリザに自分の大切な親友のことを話していたこと。

 彼女が伝説の邪竜だったこと。

 そして、エリザが聖女の枷を外すためになりふり構わず健闘したこと。

 おそらくその際に、ヴァンパイアに伝わるマジックアイテムを作るための素材として、竜の血を求めて――


「ご、ごめんなさいッ! 全てわたくしの不手際だわッ! だから、どうかお礼参りは……ッ!?」

「おれーまいり? むぅ? 何を言っているのだ?」

「だ、だって、娘があなたに襲い掛かったのでしょうッ!? その生き血を求めてッ!?」

「おお、察しがいいな。まさにその通り。慢心があったとはいえ、この俺をあそこまで追い詰めるとは。流石キサマの娘だと感心したぞっ!」


 嬉しそうに語るなっちゃんに、ツェペシュはきょとんとする。


「……え? 怒って、ないの……?」

「当然だっ。その程度で癇癪を起こすほど、小さい器ではないぞっ! そもそも、邪竜はおっきいからなっ!」

「……て、天使。天使がここにいるわ……!」

「むぅ? 天使などではない。邪竜だぞ?」

「いいえッ! 天使よッ!」

「お、おう……?」


 感涙に咽ぶツェペシュの姿に、なっちゃんはきょとんと首を傾げた。

 そのあまりある愛らしさに、これもまさに天使だと、自身の存在に似つかわしくない比喩表現を多用してしまうツェペシュであった。


「まあ、それはさておきだ。そもそもアヤツは、殺すなどと抜かしながら、本気で命を取るつもりはなかったしな。母親の親友ということ、強く理解していたようだし」

「そ、そうなの……?」

「うむっ。だからそこは気にするなっ! 自身の未熟を理解しながらも、それでも格上へ挑んだその気概。愛する者のためとはいえ、あそこまでできる者なんて、そんなにいないぞっ! かなりめちゃカワだったっ! この俺でさえ目が覚める思いだったしなっ! 存分になでなでしてやるがいいっ!」

「……」


 心の広い彼女に、改めて頭が下がる。

 そんな彼女に、お礼を言うべきなのに。


「……ごめんなさい」


 口を突いて出たのは、謝罪の方が先だった。


「? なぜ謝るのだ?」

「大好きな親友の力に、わたくしはなれなかったから。血みどろの内紛。殺戮と裏切りに疲弊していく心。そんな日々で、あなたの明るさは、唯一のオアシスだった。なのに、癒しだけ享受して、わたくしは、あなたの苦しみを――」

「めっ!」


 顔を伏せるツェペシュを、なっちゃんは叱った。


「悲しい顔は禁ずると言っただろう? この邪竜の厳命、違えようとはなにごとだ?」


 ぷりぷりと、頬を膨らませて、なっちゃんは言う。


「根無し草の俺とは違い、キサマは集団に属する身。ましてや王族。国の大事に、その他にかかずらうことこそおかしいというものだ」

「で、でも」

「禁ずると言ったっ! そのような顔、見たくないぞ、絶対にっ! ……むぅ、なんだか今の言い回し、アヤツと俺の入り混じった感じっぽく。ふふっ」


 なぜか嬉しそうな様子を見せた後、なっちゃんは言い直す。


「ともかく。他者のことを慮れる状況ではなかったこと、重々承知している。だから、キサマが罪悪を覚える道理などないのだッ!」


 威厳たっぷりに言い放った後、なっちゃんは一転、優しさを殊更として伝えてくる。


「それにな? 王家存亡の危機でありながら。捨て置けばよい邪竜などに多忙の合間に寄り添って。孤独な王者に嬉しさを覚えさせてくれたこと。……わたしこそ、とっても救われていたんだよ?」

「……なっちゃん」

「だからな? 困っていること、悩んでいることがあるのなら、迷わずこの俺を頼ってほしい。この俺にできることなら、いいや、たとえできぬことでも、全力を賭すこと、ここに誓おう」


 そうしてじっと瞳を覗き込んでくるなっちゃん。

 真摯さと、そして、友を案じてくれる色が、その瞳には宿っていた。



 頭を抱える姿も、慟哭する姿も。

 すべて、彼女には見られていたのだ。



 そうでありながら、彼女は努めて明るく振る舞い。

 少しでもツェペシュが安らげればと考えてくれていたのだった。


 あの時。力のない幼女だった自分を、慰めてくれた時と同じように。



 だが。



「……!」


 そこで、当然のことに気付く。


 自分はもう、あの時の自分ではないのだ。

 王家を復興させ、その頂点に立った。

 圧倒的なカリスマで、ヴァンパイア界を平和に導いた。


 誰よりも強力で凶悪な力を持つ――冷酷な女王。


 そして、それより、なにより。



 あの時とは違い、――自分は、あの娘の母親だから。



 この世が不平等で、残酷なのは、昔から変わらない。

 だから人間どもは、神なんてものに祈りを捧げ、奇跡を望むのだ。


 だが、自分は、そんな脆弱な存在ではない。

 望むものを成し得る力は、この手にある。


 

 すべてを救えぬというのなら――より大切な彼女を、選ぶだけ。



 たとえ、乱心したと叫ばれようと。

 たとえ、その彼女から軽蔑されようと。


 そして、彼女に――斃されようと。


 それでも、自分は――彼女をこそ――。


「……ありがとう、なっちゃん。でも、もう大丈夫」


 心の内に、決意を滾らせ。

 ツェペシュは、確かに口にする。



「これは、覚悟の問題だから」

「……そうか」


 もともと彼女はさとい子だ。

 なにか感じ取ったのだろう。


 不安そうな顔をする彼女を、優しく撫でる。


「ありがとう。すべて解決したわけではないけれど。あなたの力が必要になったら、必ず呼ぶわ。だから、その時はお願いね?」

「……その言葉、信じるぞ?」


 嬉しそうにしながらも、なんとなく晴れない表情をするなっちゃん。

 長い付き合いの彼女だからこそ、ツェペシュが悲壮を抱えていることは分かっていた。


 だが、誇り高い彼女だからこそ、同じく誇り高い親友の覚悟を止めることなどできなかったのだ。


「だが、後悔だけは、してくれるなよ?」

「……うん」


 親友の優しさに、感謝しながら。

 これが今生の別れになると、謝罪しながら。




 母は、許されぬ道を逝くと、覚悟した。





親友と語らえて嬉しい夜の王「さて。そうと決まればアレを処分しておかないと。千切って捨てる? いや、その程度じゃもちろんダメよ。重要機密かなにかと勘違いされて復元されたらお笑い種。末代までの笑い者よ。うーん、ただ焚書にするだけも、なんだか心もとないし……。よく考えておかないと」

幸せぴょんぴょん邪竜「むぅ? なにやら難しい話をしているな。そっとしておいてやろうか。……さておきっ! アヤツらは存分にイチャイチャしているだろうか? うむっ! きっとそうに違いないっ! たまには二人っきりにさせてやろうという、この俺の大きな懐に、感謝するがいいぞっ!」

親友と語らえて嬉しい夜の王「え? 一体何の話?」

幸せぴょんぴょん邪竜「ああそうか、言い忘れていたな。実は俺、結婚したのだぞ」

親友と語らえて嬉しい夜の王「え!」

幸せぴょんぴょん邪竜「人のに捧げているのだぞっ」

親友と語らえて嬉しい夜の王「え!?」

幸せぴょんぴょん邪竜「あとハーレム婚だぞっ! この俺の他にもう一人お嫁さんがいるのだ。俺と同じ幼姿。とってもいい子なのだぞ?」

親友と語らえて嬉しい夜の王「えッ!?」

幸せぴょんぴょん邪竜「契りを結ぶまでには色々あったが、今では一蓮托生よ。二人で一緒に、アヤツに尽くし続けよーなと、いっしょーけんめい、いちゃらぶいちゃらぶっ!」

親友と語らえて嬉しい夜の王「……ヤバ、なにその状況。ダメよ、この子はわたくしの親友。ネタにしてはいけないわ。ああでもダメッ! 背徳センサーがびんびんにッ!?」

幸せぴょんぴょん邪竜「ん? どうしたのだ?」

親友をネタにする救えない夜の王「伝説の邪竜とは思えない純粋無垢さ。初めは他意なく貞淑なお嫁さんに努めるの。でも、もう一人が宿したのを知り、楽園は崩壊。興味を失い、渋る妃へ、この子は泣きながら縋り付くのっ!『お願いッ! なにをしてもいいし、させてもいいからッ! 一生懸命、ご奉仕するからッ! だからどうか、わたしにも、あなたのアツイほとばしりを注ぎ込んで――』……ヤヴァイッ!? なにこれ、ヤヴァスギッ!? はふううぅッ!?」

幸せぴょんぴょん邪竜「お、おい、本当にどーしたのだ? なんだったか、あの表情になっていないだろうか? 確か、メスのか――」





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