ロリっ子ヴァンパイアキターーーーッ!
満月が浮かぶ、静かな夜。
修道女たちの暮らす、とある修道院の一室にて。
小窓から差し込む月光を頼りに、一人本を読むのが、その少女は好きだった。
少し行儀は悪いが、ベッドに入ったまま大判の本を読む。
知識を得る快感に吐息を漏らす声と、ページをめくる音だけが、部屋に響く。
「ふう……」
今日はここまでにしておこう。
少女は本を閉じ、枕の下へと滑り込ませた。
そうして読後の充足感に包まれながら、けだるい体を横たえる。
そんな時、
コンコン。
小さな音が響いた。
それは、なにかをノックするような音。
「?」
少女は首を傾げる。
今の音は、部屋に繋がる扉からではない。
月光の差し込む窓の方からだ。
「……」
少女はベッドから出ると、ゆっくりと窓に近づいた。
外を見る。
しかし、そこには綺麗な夜空が広がっているだけ。
誰の姿も見当たらない。
少女は軽く息を吸い、吐く。
そして意を決して、窓を開いた。
「どうぞ?」
声をかける。
だが、答える者はいない。
それもそのはず。
ここは建物の三階。
窓の外に、足場はない。
夜風に舞った小枝か何かが当たっただけかもしれない。
少女はふうと吐息を漏らし、窓に背を向けた。
その視線の先、
「お招き、感謝してあげる」
部屋の中に、見知らぬ少女が立っていた。
月光にきらめく銀髪。
白磁の肌に映える、ルビーのように赤い瞳。
人外の美しさをゴスロリ服で着飾った彼女は、歪んだ笑顔を見せる。
その口元からは、鋭い牙が。
「あたしは誇り高きヴァンパイア、エリザ。哀れで愚かな子羊よ。その血、私に捧げなさい?」
***
ヴァンパイア、エリザは、少女へと命令した。
茫然とする少女。その容姿はなかなか整っている。
肩まで伸びるふわふわとした金髪に、たわわと育った体。
ネグリジェを纏ったその姿。
外界を知らないお嬢様という言葉がしっくりくるだろう。
「……」
少女はその碧眼を見開き、これは夢かというように体を震わせた。
人外の存在を前に、成す術なく震える少女。
ヴァンパイアとして、こんなに燃えるシチュエーションもない。
エリザは得意げになって言い放つ。
「闇からの呼びかけに答えてはならない……。そう、司祭に教わらなかった? 聖職者の卵でありながら、愚かしい人間なのね」
エリザは嘲り笑う。
ヴァンパイアは強力なモンスターだ。
人間の生血をすすり、その糧とする闇の化身。
その膂力は人間を遥かに凌駕し、岩をも簡単に叩き割る。
物理攻撃だけでなく、闇魔法をも自在に操る。
変身を得意とし、人の目を欺くことなど朝飯前。
なかなかに凶悪な性質を兼ね備えているが、しかし彼女らには弱点もある。
太陽の光に弱い、水流を渡れない、など。
中でも特殊な弱点は、建物の中に侵入できないということ。
いや、少し語弊がある。
初めて入る建物の中には、招かれなければ入ることができないのだ。
それも、鍵が閉まっていなくても。
そんな彼女らは神に弓引く存在であり、その下僕たる宗教関係者たちは狙われることが多い。
だから当然、司祭や修道女たちはその性質を知っている。
眼前の少女のような失敗をする愚か者は、ほとんどいないはずなのだ。
修道院のその三階。
二階の屋根より伸びる螺旋階段を昇った先に設えられた一室に、今ヴァンパイアは立ち入っている。
なぜか他と隔離されているような部屋だが、それでも修道院は修道院。
神の下僕の集う建物内への侵入に成功したエリザは、それをやや不思議に思いつつも、少女に対してヴァンパイアとしての威厳を見せつけることにした。
「喜びなさい? お前は、選ばれたの。誇り高き闇への供物にね?」
エリザは少女に近づくと、耳元に顔を寄せ、甘く囁く。
「痛みは一瞬。それもすぐに快楽へと変わるわ。蕩けるような甘さの中で高位の存在と一体化できる。それは何物にも代えがたい誉れになるとは思わない?」
「……た」
と、震える少女がなにかつぶやく。
「ん? なにかしら?」
「…っ子……た」
「だから何? 言いたいことがあるのならはっきり言いなさい? 特別にこの耳で聞いてあげるか――」
と、エリザが情けをかけてやろうとした時、
「ロリっ子ヴァンパイアキターーーーッ!」
興奮した少女が、エリザに飛び掛かってきた!
「!?」
予想外の行動に怯み、回避できないエリザ。
そんな彼女を、少女はベッドに押し倒す。
突然の意味不明な行動に、エリザは混乱しながら声を荒げた。
「ぶ、無礼者! 誰が触れていいと言った!? 八つ裂きにするわよ!?」
だが、その言葉は届かない。
なにかに憑りつかれでもしたかのように、一心不乱に頬ずりを始める少女。
「ああもうヴァンパイア可愛いですヴァンパイア! ロリっ子ヴァンパイアマジヴァンパイア! わたしの好みにジャストミーット!」
「ちょ、ちょっと聞いてるの!? 気持ち悪い! ちゃんと人語話しなさいよ!」
侮蔑の言葉に、しかして少女は喜びをあらわにする。
「はい気持ち悪いいただきましたーッ! ロリっ子の罵倒とかなんてご褒美!? これだけでご飯三杯はいけるのです! 司祭様ー! ちょっとよそってきて頂けますかー!?」
「頬ずりするな胸を触るなそれ以上は犯罪よ!? ちょ、ちょっとこら! ねえ聞いてるの!? やめなさいってば!」
エリザは逃れようと、必死にじたばたする。
だがしかし、人外の膂力を持つはずのヴァンパイアを、興奮した少女は逃さない。
血走った目で、エリザの身体に頬ずりを続けている。
(なにこいつ!? ミミックかなにかが化けてるんじゃないの!?)
怯えるエリザを他所に、少女は興奮し続ける。
「ハアハア! 嫌がる姿も最高に可愛いのです! わたし女の子ですけれど! それに修道女ですけれど! でもお願いします! わたしの赤ちゃん産んでくださいっ!」
「頭おかしいんじゃないの!? というかもう離れなさい! と、特別に頭を垂れてあげるから!」
異例の謝罪をちらつかせるエリザだが、やはり少女は耳を貸さない。
「いややっぱりわたしが産みますっ! 幸せな家庭を築きましょう!」
「怖いっ! なにこの子すごく怖いんだけど!? 落ち着きなさい! 落ち着いてよ!? 人呼ぶわよ!? やめてくださいお願いだから!」
プライドの高いヴァンパイアの懇願に、突如少女が動きを止める。
ようやく分かってくれたのか。
エリザは安堵しそうになったのだが、
「……あ、なにか来ます。わたしの中で、新しい扉が開きかけています。……神よ!」
「これ以上どうなるって言うのよ!? うわあああああん! お母様ああああああ!」
恐ろしすぎる宣言を聞き、とうとうエリザは泣きだしてしまうのだった。
***
「申し訳ありません。あまりの愛らしさに、やりすぎてしまいました……」
我にかえった少女は、申し訳なさそうに謝罪した。
「うう、ぐっす……。ゆ、許さない。誰が許してやるものか……」
部屋の隅で膝を抱えたエリザは、少女を涙目で睨み付ける。
闇の化身たるヴァンパイアが、よりにもよって神の下僕に……。
「こんな屈辱初めてよ!」
激昂するエリザ。しかし少女は首を傾げた。
「屈辱ですか? どうしてです?」
「当然じゃないっ! ヴァンパイアであるこのあたしが、あんな辱めを!」
頬ずりされて、抱きしめられて、その他にもスカートとか……。
いや、やめよう。もう忘れてしまおう。
トラウマを植え付けられ、エリザは考えるのをやめた。
「今の表情、ぐっと来ました。光の宿っていない眼とは、どうしてこのように萌えるのでしょうか?」
「燃やしてやろうかクサレ修道女!」
「はうっ! 蔑みの眼もグッドなのです!」
頬を紅潮させる少女の姿に、エリザは言葉を失った。
少女はひとしきり楽しんだ後、エリザに言う。
「屈辱だなんて言われるとは思いませんでした。わたし、てっきり夜這いに来られのかと思いまして」
「んなわけあるかああああ! ちゃんと言ったわよね!? その血、あたしに捧げなさいって!」
その言葉に、なぜか少女は赤面する。
「も、もうっ! 臆面もなく、またそのようなことをっ! た、確かに修道女たるわたしは清らかな身ではありますが、しかし心の準備というものが……」
「え? お前なにを言って……」
エリザは、言葉の意味するところが理解できない。
だが、夜這いとか、清らかとか、その前にも赤ちゃんとか。
少女がそのようなワードを口にしていたことに気付き、考える。
そして、彼女がどのような行為、展開を妄想していたのかに気付いてしまう。
瞬間、エリザの顔が羞恥に燃える。
「ば、バッカじゃないの!? どうしてこのあたしが、神の下僕なんかと、その、そーいうコトしようと思ってたなんて想像するワケ!? お前ほんとに修道女!?」
「だ、だって仕方ないではありませんか! 修道女は禁欲生活を送っていますから、悶々としてしまうのですっ! 持て余しているのですっ! そこにこのような、人外の可愛さを持ったロリっ子に押しかけて来られては、そう思わざるを得ないではありませんか! 押し倒せ、神がそう囁いたのです!」
「神に罪を擦り付けるな! あんた最低ね!? そもそもなんであたしに責があるみたいな言い方なのよっ!?」
「当然です! 可愛いは、悪なのですっ!」
「知るかああああっ!」
世界の真理とばかりに胸を張る少女へ、エリザは全力でツッコんだ。
そして獲物であるはずの少女へと、訪問の理由を丁寧に説明する。
「あたしは、お前の血を吸いに来たのよ! ヴァンパイアって聞いて、どうしてそれを最初に思いつかないの!?」
「言われてみれば……って、血!?」
少女は驚きの声をあげた。
「そ、そんな、血って……」
少女は、顔を青くして、わなわなと震えた。
そうそう、欲しかったのはこの反応なのだ!
エリザは気を取り直しつつ、立場を明確にさせるように語調を強める。
「そうよ。あたしたちヴァンパイアはそれを何よりも求めるわ。さあ、愚かな子羊よ。分かったらこのあたしに、その血を捧げ――」
「ゴボァッ!」
突如、少女は多量の血液を吐き出した!
「!?」
「はあ、はあ……。ちょ、ちょうど良いタイミングでした」
ドン引くエリザの前で、口元から血を垂らしながら少女は微笑む。
「どうぞ。あなたに神の祝福を」
そしてコップになみなみと注がれた吐血を、エリザへと差し出した。
「いるかあああ! そんな汚らわしい血! 誰が嬉々として受け取るか!」
ドン引きながら叫びをあげるエリザを、クリスは嗜める。
「えり好みしてはなりません。世の中には食べたくても食べられない人々がいるのですから」
「それとこれとは別でしょうが! お前一体なんなのよ!?」
その問いに、少女が答える。
「申し送れました。わたしはクリス、修道女です。見かけによらず、実は血の気が多いもので。興奮すると吐血するという変わった性質を持っているのです」
口元の血を拭い、クリスは喜ぶ。
「どうでしょう、ヴァンパイアのエリザさん。わたしたちお似合いだと思いませんか? わたしはエリザさんの可愛さにこの身を震わせ、エリザさんは難なく血液を入手できる。まさにギブアンドテイク! これはもう、一生添い遂げるしかありませんよね!」
「いろいろ言いたいことはあるけど、まず難なくってところは嘘よね!?」
色々と失ってはいけないものを失う気がする。
ヴァンパイアとしてのカリスマとか、矜持とか諸々。
クリスに出会って数分だが、一生分取り乱した気がする。
こんなにツッコみの才能があったのかと自分でも驚いているし。
いらぬ発見にうんざりしながら、エリザはクリスに背を向けた。
「……!」
が、すぐに向き直る。
「どうされたのですか? 急に後ろを振り返られて?」
「いや、隙を見せたら襲われると思って」
「お戯れを。そのようなことなど致しませんよ。人を猛獣か何かのように。失礼ですよ?」
「さっきまでの行動思い返して見なさいよ!?」
もう付き合っていられない。
「まったく。飛んだ期待外れだったわ!」
見た目は儚くか弱い清純な修道女そのものだというのに……。
エリザは背を向け、窓枠に手を掛けた。
「あれ? エリザさん、どちらへ行かれるのですか?」
「帰るのよ。こんなところに用はないわ」
「だからエリザさん、どちらへ行かれるのですか?」
同じ質問を繰り返され、エリザはイライラしながら言い返す。
「だから! 帰るのよ! なんで二度も聞くのよ!? もしかして扉から出て行けって!? 窓から飛び立った方が絵的にかっこいいじゃない! だから最初も窓をノックしたのだけど!?」
思わず失言を放つエリザ。だが、クリスの指摘はそこについてではなかったらしい。
「いえ、だからどちらへ帰られるのかと。詳しい住所を教えてほしいなと思いまして」
「目を血走らせて口元を歪めて手をワキワキさせてるような変態に、個人情報教えると思う!?」
怒気を上げつつ空へと飛び立ち、エリザは窓枠越しに少女を指差す。
「前言撤回よ! 今日は帰るけれど! 絶対このままじゃ済まさない! ヴァンパイアをコケにしたこと、必ず後悔させてやるんだからっ! その首を洗って待っていることね!」
報復を誓うエリザ。
だが闇の化身に怒りを向けられても、少女は恐怖を抱かない。
どころか、瞳を輝かした。
「ということはつまり、また会えるのですね!? 嬉しいですっ!」
無邪気に喜ぶ姿に、エリザの胸がざわついた。
それを無視しようとして、エリザはそっぽを向いて言い放つ。
「ふ、ふんっ! ただで済むと思わないことね! 夜の王の全力に、ひれ伏す姿が目に浮かぶわっ!」
「は、はいっ! メチャクチャにしてくださいねっ!」
「なに発情してるのよ!? お前絶対変な事想像してるわよね!? 夜の王ってそういう意味じゃないから!?」
邪気しか抱いていなかった少女の姿に、エリザは報復を誓ったことを後悔しそうになるのだった。