……幸せを、くれるの?
かつて、彼女たちは封印された。
彼女――邪竜は、呪われた存在だったために。
彼女――神龍は、聖なる存在だったために。
血で血を洗う、不安定な時代。
邪悪な存在だと糾弾された邪竜に対し、麓の村の守り神だった神龍は、村人の懇願に応え、平和のためにと立ち上がった。
神龍様だけを危険な目に遭わせ、自分たちはのうのうとしているのは卑怯が過ぎる。
いきり立ち、どれだけ言っても聞かなかった村の若者たち。
しかたなく、内心嬉しく思いながら同行させ、神龍は山を登り始めた。
その最中、目的地への道程にて、彼女は聖女に出会った。
力なき民衆たちの祈りを受け、この世に平和をもたらす為、戦い続けているという彼女。
人の世に語り継がれる伝説に出会い、目的を同じくすることに心強さを覚え、神龍は共に道を歩み始めた。
探索する途中途中で襲い来る凶悪な魔物たち。
それを聖女は聖なる力で、容易く蹴散らしていく。
頼もしさに感嘆の声を漏らす一同。
……だが、ところどころで血走った目をし、幼女とは未熟であるからこそ究極であるのです、と熱を帯びて語る姿とか。
合法ロリも良きものです、だって合法だから何をしても、ぐふふ……と、下卑た顔をする姿とか。
隙あらば幼子姿の神龍の身でハアハアしようとする異様な嗜好とかに、彼女は貞操の危機を覚えることにはなったのだが。
さておき、探索を続けた彼女たちは、やがて邪竜と相対することになる。
秘境の奥地より出でた、邪悪な存在。
狂気と巨悪を凝縮したような姿形。
気まぐれに力を奮っただけで、その跡には何も残らないと分かる、傲慢な巨体。
出会う直前、覚えた異様な気配に、人の姿から龍の姿へと変じていた神龍。
相対した瞬間、同族ではありながら同類ではない、屠るべき敵だと本能が判断した。
それに従い、神龍は有無を言わさず襲い掛かる。
対し、邪竜も凶悪を存分に奮い、応戦した。
巨獣同士のぶつかり合いに、聖女は人の身でありながら恐れることもなく割って入り、神龍に助太刀し、力を奮った。
しかし、その表情は晴れることなく、なにやら思うところがあるようだった。
そうして戦う彼女たちの周りを、初めの威勢もどこへやら、若者たちは命欲しさに逃げ惑う。
村へ帰ろうにも凶悪な魔物たちの分布する秘境の山を、自分達だけで下山する気概もなく、物陰に隠れて決する時を待っていた。
そして、死闘と呼べる激戦は、長きに渡って続き。
結果、邪竜と神龍は相討ちになり、瀕死となった。
激戦の気迫を肌で感じ続けた若者たちは、魂が抜けたように放心していた。
その場にただ一人、傷を負いながらも、聖女は凛と立っていた。
勝敗はここに決した。
しぶとく生き残った邪竜、その邪悪な命に、きっと彼女がトドメを刺してくださる。
若者たちは、恐れつつも、希望を抱いて歓喜に震えた。
しかし、予想外の事態が起こる。
聖女は、邪竜を封印すると言い放ったのだ。
そんなものでは生温い、命を絶ってやるべきだ。
自身たちが生きている間に、もしか封が解けては堪らない。
わが身可愛さから声を合わせる人間たちを、聖女は聖女らしからぬ冷徹な声で黙らせる。
なにも分からない、分かろうともしない、愚かな方たち。
幼女になって出直してきなさい……と。
……意味が分からない説得。
しかし、圧倒的な威圧感を発する彼女の言葉に、人間たちは口を噤まずにはいられなかった。
そして聖女は邪竜に微笑みかける。
あなたのようなロリっ子さんに、そんな重い設定似合いません。
だから、わたしは祈ります。
願わくば、ただただ無邪気に、純粋に。
ろりろりと、幼い翼で思うがままに、魅力を振りまき、自由に空を舞えますように、と。
……意味の分からない口上。
聖女らしい慈愛に満ちた面持ちにて、しかし明らかに欲望に塗れた慰めだかなんだかよく分からないものをのたまう彼女。
神龍と人間たちの時が止まった。
ただ一体、きょとんとしていた邪竜は、ややあって悲しげにうなずいた。
そして聖女は邪竜を封印し、困惑する一同をそのままに、山を降りて行った。
一体、あれはなんだったのか。
語られる聖女があんなののはずがない。
いや、でも力は確かに強大だったし。
あの封印、神龍たる自分にすら解除することはできなかった。それを為せるのは時の経過のみだろう。
そんな風に、要らぬことに頭を悩ませながら、神龍は人間たちを連れて下山した。
この一連の出来事にて、神龍は初めて貞操の危機と、命の危機を覚えることとなった。
しかし、その程度のことなどどうでもいいと思えるほどの悲劇が、彼女には待ち受けていたのだ。
死闘の後、村に戻った神龍は床に就いた。
無事を喜び酒宴を開こうとする村人たちの誘いを断り、瀕死だった体の傷を癒すべく、回復に全力を注ぐため、深い眠りにつこうとした。
そうして痛みに耐え、寝静まった深夜のこと。
突如、瀕死の体に激痛が走った。
何事かと目を見開けば――守っていたはずの村人たちが、徒党を組んで襲い掛かってきていたのだ。
死闘を見届け、強大過ぎる力を目の当たりにした者、その畏怖が伝染し、どす黒い欲望が吐き出されたのだ。
尊崇する守り神とはいえ、所詮、その身は魔物。
ならば、いつ何時、何の弾みで、邪竜にしてみせた暴威の的を、自身たちに替えるか分からない。
しかし、その神聖な力は捨てがたい。
ならば、裏切らぬ形にするのがよかろうと。
命を奪い、素材を我が物にしようと画策されたのだ。
家族同然、心を許していた者たちに裏切られたことが信じられず、抵抗できなかった彼女は、深手を負っていた身を蹂躙された。
剥がれかかっていた鱗を力任せに毟り取られ、傷口に得物を捻じ込まれ、肉を弄られ絶叫する。酒に盛って服用させるはずだった怪しげなエキスを、深手を負った箇所に注ぎ込まれ、頭がマヒしていく。
わらわらと集られて、心身ともに蹂躙された彼女は、涙すら流せなくなってしまう。
鼓動を脈打つだけの人形と化した体を、裏切りが嬲り続ける。
そこへ、さらに悲劇が起こる。
一人の村人が、首元に生えた逆さ鱗へ手を伸ばしたのだ。
触れることを禁じられていた。ならばきっと、それこそが神龍の弱点。もしくは力の源。
手にしておかざる理由などあるものかと。
気付いた彼女は、目を見開き、それだけはと絶叫した。
それに触れてしまえば、あなたたちが、と。
だが、忠告は聞き入れられず。
欲望に塗れた手は、彼女の秘所へと触れてしまい。
その瞬間、欲望は、小さな村ごと消し飛んだ。
やがて、意識を取り戻した彼女は、なにもなくなった村の跡で、ただ茫然とした。
なにも、なくなってしまった。
温かな想い出も、耳心地のいい笑い声も。
浅はかな欲望と、本能に抗えなかった弱さが、すべてを無に帰してしまった。
とても、耐えられなかった。
だから記憶と力と全てを封じ、長きに渡って龍玉へ籠ることとなったのだ。
そうして悲しみの中で、邪竜も神龍も、永きに渡り、封印される。
たった一人で、孤独の中で。
臆病に過ぎる、あの少女に出会うまで。
***
嵐に包まれる、夜の砂漠にて。
愛する人を守るため、彼女らはぶつかり合う。
「ほあちゃあああああぁああッ!」
一方は、その命を守るために。
「うおおおおおおおおぁああッ!」
一方は、その願いを守るために。
神龍と邪竜は、限界を超えた天災の如き力を、愛を導に制御する。
神龍クォンは、持てる限りの気象を操る力を奮う。
雷を落とし、豪風で刻み、洪水で砕き、熱波で塵にしようとする。
天変地異を引き起こす力を、想いの邪魔をする一体にのみ降り注がせる。
「どうして……ッ!? どうしてお前は邪竜だったネッ!? せっかく身を引こうとしたのにッ! お似合いだと思ったから、食いしばって退いたのにッ! これじゃおさまりが付かないじゃないカッ!?」
身に迫る天災の力を、邪竜ゲヘナは躱そうともせず、膨れ上がった撃滅の炎をブチ当てて、真正面から無効化していく。
「それは俺も同じだッ! 結果として結ばれはしたが、俺はキサマこそ似合いだと思っていたッ! 厳しくも優しく、溢れんばかりの愛情を持った女ッ! 良き妻となるのは目に見えていたッ! だのに身を引こうなどと妄言をッ!?」
「なに言ってるネッ!? お前のほうが魅力的ネッ! 普段は俺様ぶってるけど、チョイチョイ覗く無邪気な表情、可愛い笑顔ッ! ニコラにめちゃカワめちゃカワ言ってるけど、お前の方こそめちゃカワヨッ!」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろうッ! キサマこそ、しっかりしているようで、時折意味不明な暴走を見せる愚かさ、最高にめちゃカワではないかッ!?」
「おいそれ褒めてないネッ!? 扱き下ろしてるだけヨッ!?」
「なにを言うッ!? 最上級の称えようだろうがッ!?」
互いの想いをぶつけ合いながらの攻防。
交わす言葉は、ところどころノロケているようにしか聞こえないが、奮う力は尋常を超える。
実際、砂漠のところどころには、大きな亀裂が入り、地層が露わとなっていた。
それでも無防備に気を失うニコラとその周囲にのみは、傷一つ見られない。
守るために戦うと宣言した通りの光景になっていた。
そうして夜空を舞い、激戦を繰り広げる両者であったが、その実力は拮抗していた。
彼女らは一旦距離をとり、対峙する。
「今の今まですべてを忘却していたというに、この俺と拮抗するなどと。さすがは限界を御しただけはある」
望むものを焼き尽くすはずのゲヘナの力。
それを受けながら、クォンの攻撃は消滅はするものの、クォン自身までには攻撃を届かせない。
神龍の持つ聖なる力、守護の力。
それが邪竜の侵攻を阻んでいるのだ。
称賛を受けたクォンは、口元を歪めて言い返す。
「こちらのセリフヨ。満身創痍、封印の余波云々言ってたくせに……。今のお前、封印前の全盛期、軽く凌駕しているネ」
両者とも逆鱗に触れ、限界を超える力を引き出した。
それにより、体に掛かる負荷と引き換えに封印の軛を引き千切り、今までのどの時よりも強い力を発することができている。
クォンは、聖女にだって引けを取らない神聖さを。
ゲヘナは、聖女だって打倒するほどの邪悪さを。
思いのために限界の枠を砕き折った結果だ。
だが、それだけならよかったのだ。
見抜いたクォンは、悲しげに目を伏せる。
「でも、気付いているカ? それに応じて、封じられていた呪いの力も高まっているヨ?」
神龍であるクォンには分かる。
ゲヘナの身体から、禍々しいナニカが溢れ出ていることが。
それはかつて、日常のなかでゲヘナが口にした、怨念というものなのだろう。
どす黒く濁り切った、邪悪を越えた暗きものが、溢れんばかりの殺気を伴い、ゲヘナの体を、魂を鷲掴むようにしながら噴出していたのだ。
「かつて、激闘の中で聖女は言ったネ。邪竜ゲヘナ、お前は一族の怨念から生まれたと」
揺らめく影を忌々しく思いながら、クォンは聖女が見抜いた出自を語る。
「我らこそが最強だと、驕り高ぶり、無法を好む竜の一族がいた。弱きを蹂躙し、殺戮を好み、返り血を浴びて愉悦する、絵に描いたような邪竜たち。それらはやがて、手を取り合った人間と竜たちによって滅ぼされるけど、それを良しとしなかった」
竜――ドラゴンの多くは、戦いを好む。
しかし、徒な殺生は好まず、戦意の無い者を害すことはない。
誇り高い戦いを望み、敗れた際には相手を認め称賛し、高揚感と共に生涯を終える。
だがその一族は執念深く自分主義で、死してなお、自分たちを屠った人間共を許せなかった。
同族である者らはともかく、劣等種ごときがよくも我らを。
殺戮という悦楽を、強者の権利である無二の享楽、耽る道を閉ざすなどと。
「その結果、お前は生まれ落ちた。一族の無念、執念、憎悪の全てを、その身体に注がれて」
「……ああ、そうだ」
ゲヘナは首肯する。
「確かに聞こえるよ。憎悪に満ちた血濡れの声が。滅ぼせと、復讐しろと、血霧の中で一匹残らず肉塊にしろと、怒号に満ちて叫んでいる。順当に考えれば、俺が人に好意を抱くのは、油断させ、呪いを達しやすくするためなのかもしれぬ」
「……」
「だが、これだけは言い切れる。仮にそうだったとして、ニコラのことを愛すると思った心は、紛れもない俺のものだ。妄念の指示だけでは、とても収まりきらないほど、これは強い本当の気持ちで――」
「ありえないけど」
クォンは割り込み、悔しげな声で予測を告げる。
「ありえないけど、たとえボクを退けられても、そこで終わりヨ。限界を超えたことで強まった力。呼応して高まった呪いの力。垂れ流す体で近づけば、ニコラの命はすぐさま潰える。血反吐に塗れて死に逝く彼女に、幸せも希望もなにもかも、抱かすことができないままで」
「ッ!」
その指摘に、ゲヘナはたじろぐ。
命を守る事よりも、彼女の想いを守るために戦う。
呪いにより削られていく彼女の命、それでも精一杯に彼女と幸せを紡いでいく。
そのために戦うと誓ったゲヘナにとって、語られた事実は何よりも痛いものであったのだ。
言葉に詰まるゲヘナに対し、しかしてクォンは容赦など見せない。
守るためにと、胸を痛めて言葉を放つ。
「お前だって、本当は気付いていたよネ? だから戦いつつも、だんだんとニコラから距離を取っていた」
「……それは」
「これはさっき気付いたことだけど。聖女はお前を封印することで、怨念を滅そうとしていたんだネ。じわじわと、長い年月をかけて。一度に滅そうとしてしまえば、絡まったお前ごと消してしまうと分かっていたから」
だが、それは叶わなかった。
遥か高みに達した力を持つ聖女にだって、解放することはできなかったのだ。
今の時代、聖女がいるかもわからない。
いたとして、再度封印を施してもらったところで、功を奏すかは分からない。
そもそも祓えたとしても、そのころには短命な人間の命など――
俯き黙すゲヘナに、クォンは本心を語る。
「お前の事、嫌いじゃなかった。親友だと本当に思えた。思ってる」
だからこそ、彼女に与える救いとも思えない、そうするしかない救いを施すのは、自分の役目と、クォンは震える手を上げる。
「報いは受けるヨ? お前をしたら、ボクもすぐ……。だから、ごめんネ?」
そして涙を零しながら、クォンは決死の一撃を親友へと叩きつける。
***
涙に濡れながら、親友が自分の命を奪いに来た。
しっちゃかめっちゃかで、でも、とてつもない力の込められた、神威まみれの全部乗せ。
雷が、激流が、颶風が、熱波が。
この呪われた生を終わらせると、迫ってくる。
このままでは、抱いた思いを果たせない。
――いいや、なにをしたとしても、想いは果たせない。
笑い合うことも、触れ合うことも、愛し合うことも。
この体では、満足にできないのだ。
大切な少女のためにと、限界を足蹴にした。
制御できぬ力を、制御した。
だが、奇跡を為したつもりが、その実、彼女といるための時間を殺戮したのだ。
そもそも。
自分には、誰かと愛し合う資格などなかったのだ。
先に彼女が彼女自身のことを示して言った、欠陥品という言葉。
あれは、自分にこそふさわしい。
愛する人の傍にいれない、寄らば死を撒く呪いを抱いて生まれた自分なんて、壊れていないでなんというのか。
どうあがいても、この願いは果たせない。
最強の聖を持つはずの聖女に救われることが出来なかった時点で、未練を捨て、即座に自害しておくべきだったのだ。
こんな自分に巻き込んでしまって、彼女にはとても申し訳なく思う。
出遭わなければ感じずに済んだ悲哀を抱き、介錯してくれる、親友となった神龍の涙には、心が張り裂けそうだ。
本当にごめんなさい。
叶うなら、生まれ変わって、今度こそ。
思っているうちに、轟音と共に、救われぬ救いが目前へ迫る。
小さな傲慢な王者の命は、ここにて潰える。
そのはずだった。
「……ラ」
だが、自然呟かれたその言葉が。
「……コ、ラ」
生の営みに膝を尽きかける直前、口から零れた、その名前が。
諦めるなと、手折れるなと、その体を奮起させる。
「ニコラっ!」
顔を上げたゲヘナ。
その瞳に、諦めはない。
「!」
生気の有り余った顔つきに、クォンが虚を突かれる前で。
ゲヘナは愛する彼女のように、拳を振りかぶり、迫る死を拒絶する。
「ニコラアアアアアアアアアァッ!」
打ち放たれた拳に宿るのは、生きたいという願い。幸せにしたいという希望。
その思いと渾身が、幽世への門を押し返す。
「はぁ……はぁ……ッ!」
ボロボロになりながら、全力の一撃を打ち崩し、荒い息をつくゲヘナ。
彼女の真意が理解できず、クォンは呆気に取られる。
「な、なぜヨ……。どうしてお前は、生きようとしているネ……?」
全力を打ち破られたことが、心に衝撃を与えたのではない。
「どうしてお前は叫べるネ……。生への希望に満ちた瞳で、幸福な未来を夢見る瞳で、殺すことしかできやしない、ニコラの名前を叫べるネッ!?」
理解してくれていると思ったのだ。
最善ではないとしても、ここで幕を引くことが、彼女にとって一番だと。
「お前はニコラを幸せにできないッ! 不幸しかもたらせないッ! なのに、どうして諦めないッ!? 諦めてくれないッ!?」
そんなことをしても、待ち受けるのは絶望だけ。
彼女たちの未来には、希望も幸せも待ち受けてはいないのに。
ここで終えれば、これ以上の痛み、負わなくていいのに。
「彼女の命と引き換えに、触れ合うことすら叶わないッ! 刹那の温もりを与える前に、呪いはニコラを喰い殺すッ! 幸せになんてできないままでッ! だからお願い諦めてヨッ!? これ以上、悲しみに染まらないでヨッ!?」
クォンは光の消えた瞳で、追い詰められたように笑う。
「そ、そうだ! ボク、まだお前に命令してなかったよネ? 一個だけならなんでも言うこと聞いてくれるって言ってたよネ? うん! じゃあお願いするネ?」
名案を思い付いたとばかりに、クォンは膝を尽き、地に額を擦りつけて土下座する。
「なんだってしてやるし、させていいネ。満足に達するまで、何度だって望むまま。一生懸命ご奉仕するヨ? 大出血な大サービスヨ?」
そして、ガバリと顔を上げる彼女。
幽鬼のような表情で、絶叫する。
「だからお願い、ここで一緒に終わってヨッ!? ボクと一緒に、地獄に落ちてヨッ!?」
それこそが、迎えるべき結末だからと。
それこそが、きっと自分たちのためなのだと。
クォンは悲痛に叫び、えづき始めた。
悲しみがこの場を支配する中。
ゲヘナは、迷うことなく宣言する。
「悪いが、それはできぬ」
「……な、なしてヨ?」
「愛されているからだ」
ゲヘナは、思いの丈を包み隠すことなく主張する。
「この怨念は、俺を幸せから遠ざける。並の幸福など、覚えることは許されないし、覚えさせることも同様だ。しかし、先も言ったように、ニコラはこんな俺を愛してくれた。呪いごと愛すと囁いてくれたのだ」
初めは誤解から始まった。
しかし、彼女は真実を知っても、自身から離れようとしなかった。
「なればこそ。たとえ刹那の時も触れ合えなくとも。その瞬間に全てを乗せる。全てを込める。限界を超えた昂ぶりの全てを、瞬時に残さず注ぎ込み、幸せの最中で幕を引かせる。アヤツの思いに応えるのならば、取るべき道はそれしかあるまい」
それこそが、遥かな時の中で、最初で最期に自分を愛してくれた、大好きな彼女へ報いるための方法だからと。
「その先に待つのが、耐えがたい喪失だとしても。罪悪に心が砕けると、分かっていても。俺はその瞬間を大事にしたい。通じ合った今なら分かるのだ。ニコラもそう望んでいると」
ゲヘナは微笑む。
その表情に曇りはない。
愛する人を殺すと理解していながら、それでも。
臆病な想い人が、命よりも愛を選んでくれたから。
だから、ゲヘナは胸を張る。
張らずにはいられないのだ。
「だから俺は絶対に引かない。ニコラに愛されたこの体で、引きたくない。引くわけにはいかない」
すべては愛する彼女のため。
一片の躊躇いもない決意の言葉。
「……そっか」
クォンの瞳に、光が戻った。
「お前の熱意は、それほどなのネ。それにニコラも、強くなって」
彼女は空を仰ぎ見、口元を綻ばす。
「……うん、本当は分かってたヨ? お前の言葉が真実だって。愛を選んだんだって。だって、お前はニコラと両想いだったから」
愛し合った者ならば、その人のことを誰よりも理解しているはずだから。
「たとえ命と引き換えてでも愛したい。そんな風に思えるようになったなんて……。初めて出会った頃からは、想像もつかないネ」
思えばニコラの変化は、ゲヘナに出会った時から始まっていたのだろう。
めちゃカワだと力説され、画策により近づいて、しかし、密かに心惹かれ始め。
そうして、愛しい人の窮地にて結実した。
なんとも感動的ではないか。
「愛は人を強くする……。青臭い言葉だけど、でも、それは本当ネ」
クォンがニコラに望んでいたこと。
大切で死んでほしくなかったから、心も体も強くなってほしいということ。
自分には成すことができなかったが、それをゲヘナが叶えてくれた。
悔しいけれど、でも、それは本当に嬉しいことだ。
「お前には本当に感謝してるヨ? ありがとネ? ニコラのこと強くしてくれて。ニコラと愛し合ってくれて」
「クォン……」
「だけど、それでもボクは認めない。死と引き換えに愛を選ぶことなんて。ボクの我儘だと、分かっていてもッ!」
その瞳に宿るは決死。
意を違えると知っていても、譲ることはできないと。
そのためなら全てを賭けられると、再び想いを強く叫ぶ。
「ボクはニコラに生きてほしいッ! 死なせるなんてそんなことッ! 絶対に許――」
「――せないよッ!」
「ほあちゃッ!?」
「むっ!?」
そこで割り込んだ絶叫に、クォンとゲヘナは視線を移す。
そこには、意識を取り戻したニコラが顔面蒼白な顔で立っていた。
「そうだよ許せないよッ! 死なせちゃだめだよッ! 命あっての物種ッ! 生命の煌きこそすべてに勝るッ! だからいざ、ヘルプミーッ!」
想い人のために愛を叫んでいた姿はどこへやら。
泣き喚く様は、いつもの今までの彼女にしか思えない。
その情けなさに心弾ませつつ、しかし困惑もしつつ、ゲヘナは声をかける。
「ニ、ニコラよ。意識を取り戻したのだな? 良かっ――」
「そんなことより説明してよゲヘナちゃんッ! わたしが死ぬとかどういう意味ッ!? 説明プリーズだよッ!?」
「うむっ!?」
急な挙動におろおろするばかりのゲヘナへ向かって、ニコラは猛然と駆けてくる。
「直前の、『ボクはニコラに生きてほしいッ!』のトコから聞きましたッ! さあ詳細を一遍残らずご教授プリーズッ!」
「ほ、ほあちゃッ!」
慌てて割って入ったクォンは、呪いにて死なせまいと力を奮う。
「止まるネエエッ!?」
「人の身で宙を舞う奇跡ッ!?」
豪快に吹き飛ばされたニコラは、高々と空を舞い、砂へと頭から突っ込んだ。
だが命欲しさから一瞬すらも硬直せず抜け出したニコラは、流す涙を増やしながらクォンを糾弾する。
「と、止まるってそういうことッ!? わたしの鼓動を止める気なのッ!?」
「いやそうじゃなくてネッ!? お前無防備すぎヨッ!?」
ぶるぶる震えるニコラへと、クォンは最重要事項を指摘する。
「今のコイツに近づけば、呪いの力で命が尽きるッ! いくら命と引き換えの愛を選んだからって、そんな無防備に近づくのは」
「い、命と引き換ええぇえッ!?」
ニコラは途端に飛び上がる。
「そ、そそそれどういうことッ!? どういうことなのッ!?」
「……ほぁっ?」
怯え震えるニコラの反応に、クォンはポカンとした。
その後、我に返ったクォンは、一転ゲヘナに詰め寄った。
「お、おいお前ッ!? これは一体どういうことネッ!? もしや説明してないカッ!?」
「いやいや、俺は確かに伝えたぞッ!? 人を害する呪いを持っているとッ!」
「いやそれだけッ!? 具体的には言ってないネッ!?」
「そのようなわけがないだろうッ!? 俺は確かに具体的に……」
そこでゲヘナは思案する。
先の場面を思い返す。
一生忘れることのない、彼女と通じ合った大切な場面。
嬉しい告白の場面を思い返し、思い返し……。
「……言って、なかった」
冷や汗ダラダラの真っ青な顔になる。
「ど、どうしよ――」
「ほあちゃあああッ!」
「手が早いッ!?」
途端、クォン怒りの掌底が、ゲヘナの腹部を打ち据える。
限界を突破した神龍の一撃に、膝をつく邪竜。
その胸倉をつかんだクォンは、怒声を上げながら体を揺さぶる。
「馬鹿カッ!? 馬鹿なのカッ!? どうしてそこを言わないネッ!? 近づけば人を死に追いやる力がオートで発動する、それがその内復活するってどうして言わないネエエェッ!?」
「謀るつもりは一切なかったのだッ!? 言ったつもりだったのだッ!? だが、ニコラが告白してくれたのが嬉しくて、やりとりが楽しくて、言い忘れていたのだッ!」
「おい誰がノロケろといったネッ!? おひとりさまの前で、誰がノロケろと命じたネエエェッ!?」
「ぐああぁッ!? 嫉妬で邪竜が殺されるッ!?」
怨嗟と羞恥に塗れるクォンの手は、脳震盪すら起こしかねない勢いでゲヘナのことを振り回す。
「ボクだって死んじゃうヨッ!? 赤っ恥で死んじゃうヨッ!? なあにが本当は知ってたネッ!? なあにが愛は人を強くするネッ!? ああもうクッソ恥ずかしいッ! 黒歴史確定まっしぐらヨ馬鹿あああぁっ!」
「お、落ち着けッ! 落ち着くのだイヤ本当にッ!? 誰にだって失敗はつきものだッ! それは人外の者であってもッ! だから落ち着けそして許してえええぇえッ!?」
「無様に泣きわめきやがって、何のつもりの当て擦りカッ!? うん知ってるヨ! ふーふは似るっていうのを見せつけて愉悦するためだよネっ♪ ざけんじゃないネ羨ましいいいぃッ!」
「これが悦に浸ってるように見えるッ!? だとしたら医者に診てもらうがいいよおおぉぉッ!?」
混沌とし、騒ぎまわる彼女たち。
そこへ、ニコラは声をかける。
「それ、本当なの……?」
呪いの真実を知ったニコラが、真剣な面持ちで尋ねてくる。
「その呪いは、わたしを殺すの……?」
「……そ、そうだ」
向き直ったゲヘナは、強烈な折檻にて戻しそうになりながらも、堪えて応える。
どうしてこのような大切なことを伝えていなかったのか。
ゲヘナは歯を食いしばって応答する。
「忘れていて、すまなかった」
「そう、なんだ……」
なんとも言えない表情をするニコラ。
対し、ゲヘナは口を開く。
今だけは、この傲慢さをずうずうしいと思いながらも、恐る恐る口にする。
「その。それで……なんだ。ニコラは、こんな俺のことを――」
「ごめんなさい」
尋ね終わる前に、ニコラは頭を下げていた。
「わたし、あなたのすべて、受け入れられない」
「……そ、そうか。そうだよな」
肩を落とす。
だがそのような態度取るのは許されないと、瞬時に引っ込め、憮然と繕う。
「ふ、ふははッ! 偉そうに語ってしまったが。やはりそうだよな? なに、許しを乞う必要などない。キサマはまったく悪くないのだからッ!」
しかし、言い切る前に、どうしても仮面は剥がれてしまう。
許されぬと分かっていても、悲しみが零れてしまう。
「誰だって、命を奪う邪竜なんかと。一緒に、なんて……」
「だから、その呪いは鏖だよ?」
「……え?」
凛とした声が、小さな王者の胸に響く。
ゲヘナは、はっとして声の主を見た。
そこにいたのは紛れもない、自分を愛してくれた少女の姿だった。
「少々ならば、受け止めるつもりでいた。でも、そんな大物、容量オーバー。わたしたちの幸せな未来に、そんな物騒、いらないよね?」
槍を携えたニコラは、殺気の籠った目で、ゲヘナに宿る怨念を睨みつける。
「……!」
そんなこと、誰も言ってくれなかった。
その覚悟の言葉が、ゲヘナはとても嬉しくて、崩れ落ちてしまいそうになる。
だが。
「……その愚かさ、まさにめちゃカワ。だが、それはできぬのだ」
ゲヘナは悲しげに笑う。
「祖先の怨念は、俺の魂に絡みついている。キサマは手にした俺の力で、それを焼くと願うのだろうが。俺の存在とないまぜになったそれは、当人である俺にさえ、狙い定めるのは不可能なのだ」
生まれ落ちた時より、ゲヘナの魂は祖先の怨念に囚われている。
人間を呪う力自体は怨念によるものであり、ゲヘナのものではない。
だが怨念はゲヘナの身体や魂と茨のように絡み合い、溶け合い、その存在はもはや同一と言っていいものになっているのだ。
だから、彼女を救い出すことは誰にもできない。
聖女にだって、神龍にだって。邪竜自身にだって。
与えられる唯一の救いは、落命させてやることのみ。
「ッ!」
だからと決意に奮われた拳を、クォンは一人握り締める。
その挙動に気付いたゲヘナは、申し訳なさを噛み締めつつ、ニコラへと微笑みかける。
「ニコラ。その気持ちだけで嬉しいよ。だが、この呪いは誰にも――」
「殺せるよ」
強い声が、諦念を阻む。
そして声は、揺ぎ無い事実を口にする。
「だってわたしは、ゲヘナちゃんの奥さんだから」
「……愛の力か。確かに目を見張るものがあった。だが、だとしても――」
「だとしてもじゃないッ!」
落とそうとした目線が、決意の声に引き戻される。
ニコラは光を宿した目で、未来を信じる目で、ゲヘナのことをまっすぐ見つめていた。
「だからこそッ! 相思相愛だからこそッ! 怨念だけを見定められるッ!」
「……どういうことだ?」
「竜騎士へのクラスチェンジ。ゲヘナちゃんから受け取った力は、純粋なゲヘナちゃんの力だけ。もし呪いまで一緒に貰っていたら、人であるわたしは生きてはいない」
邪竜の力を自在に扱えるようになったとはいえ、ニコラの身は人間のままである。
よって未だ永らえているということは、受け取ったものに余分なもの、人間を殺す怨念の力が宿っていなかったということ。
「邪竜らしく傲慢で、でもらしくなく可愛くて、なによりこんなわたしと一緒にいてくれる、とっても優しいあったかさ。大切なあなたと一つになれた。あなただけと、一緒になれた」
ニコラは胸の前で手をぎゅっと合わせ、嬉しさに頬を染める。
そうしてゲヘナを魅了した後、彼女は戦士の顔になる。
「だからッ! わたしにだけは分かるんだッ! 大好きなあなたに絡みつく、余計で邪悪で邪魔な気配がッ!」
通じ合ったニコラにだけは、確信めいて、叫べるのだ。
「その身を侵す、真の邪竜ッ! その気配、ありありと視えるッ! だから殺せるッ! ぶっ殺せるッ!」
怨念のみを見定めて、殺戮すべきと狙い定めて、それのみ目掛け、焼き消す力を奮えると。
大好きな彼女の温かさ、それを体の中でも感じているからと。
「!」
ニコラの言葉に、ゲヘナは崩れ落ちた。
それはもちろん、絶望からではない。
もしかしたら。
もしかしたら自分は、この大好きな彼女を殺すことなく。
もしかしたら自分は、この大好きな彼女から去ることなく。
もしかしたら自分は、この大好きな親友とも手を取り合って。
彼女たちと一緒に、面白おかしく生きていけるのかもしれないと。
そんな、幸せな未来が見えたから。
「……っ」
ゲヘナは、しばらく声もなく涙を流していた。
そして、顔をあげる。
その泣き腫らした目に、傲慢な王者の光はなく。
ただ明日を夢見る、小さな女の子の願いがあった。
「……幸せを、くれるの?」
「誓うよ。だってわたしは新妻だもの。幸せ以外見えないし?」
「……ありがとう」
微笑み合うニコラとゲヘナ。
その心は今、確かに通じ合っていた。
「……そんなのダメヨ」
だが、そんなことは許せないと、その間に立ちはだかる者がいる。
「……クォンちゃん」
渋い顔をしたクォンが、ニコラの前に立っていた。
「そんなこと、しちゃダメヨ。そんな危険なこと。できるかどうかも分からない。何が起こるか分からないのに」
「心配してくれるんだね。ありがとう」
その優しさを、ニコラはとても嬉しく思った。
彼女はなんやかんや言いながら、いつでもニコラの身を大切にしてくれる。
そしていつもなら、その彼女の優しさに全力でおんぶにだっこなところではある。
だが、ニコラは否定を口にする。
「それでもわたしは可能性に賭けたい。ゲヘナちゃんと生きたいから」
「……はあ」
そこでクォンは深々とため息をつく。
「ったく。とちるんじゃないネ。ちょっと落ち着くヨ」
「え?」
毒気を抜かれるニコラに、クォンは不敵な顔で指摘する。
「危険だからこそ、万全の状態で臨むべきって意味ヨ。不測の事態が起きた時、死に体トリオじゃ歯が立たないかもしれないからネ」
「! トリオって……」
喜びに顔を輝かすニコラに、クォンはうなずく。
「可能性があるのなら。ボクも……ううん、クォンもそこに賭けてみたい。ニコラほどじゃないにしても、クォンもその……す、好きだから」
「クォンちゃんッ!」
「ほあちゃッ!?」
嬉し涙を浮かべたニコラが、クォンへと飛びつき押し倒す。
「嬉しいッ! わたし嬉しいよッ! クォンちゃん大好きッ!」
「深夜の砂漠で人妻が告白ッ!? やめるネッ!? 新妻の不貞、新妻が見てるヨッ!? あ、でもこういう背徳感も……」
「ふははっ! 本命を置いて、まさかの俺に告白するかっ!? だが、まあ、お前に、ならば……」
「おいちょっと待てなに満更でない表情してるカッ!? 誤解されるからやめるがいいヨッ!?」
「?」
クォンはぎょっとして我に返った。
ただ、幸運なのか不幸なのか、色恋に鈍感なニコラには、クォンが危惧している背徳云々も、かつて伝えたかった慕情も伝わらず、ただただ疑問符を浮かべるだけに留まっていた。
そして嬉しさを伝え終えた後、離れたニコラは口を開く。
「でもね、クォンちゃん。やっぱりわたし、今がいい。今すぐゲヘナちゃんを助けたい」
「ニコラ……」
熱を帯びた言葉に、ゲヘナが瞳を潤ませる。
が、すぐに顔色を曇らせる。
同じ思いのクォンも、口調は渋い。
「だけどニコラ。それは……」
「分かってる、リスクが高くなることは。未踏の地に踏み入るんだ。万全を期すべきなのは当然だ」
だけどと、ニコラは拳を握る。
「それでもわたしは、居ても立っても居られない。大切な人を、可及的に速やかに、幸せへと引きずり込みたい。長年の不幸から、すぐに助け出してあげたいの。そして早く、いちゃいちゃしたい」
「ニコラ……」
ゲヘナは感じ入った表情になる。
臆病であり、慎重を尊ぶ彼女から、そんな言葉が出てくるなんて。
しばらくの間、クォンは考え込んでいたが、やがて深々とため息をつく。
「……まったく。本当、いい顔するようになったものネ。このバカップルども」
ぽつりとつぶやいた後、クォンは呆れきった顔で言う。
「臆病騎士サマの異例の雄姿。それを立ててやろうとしようかネ」
「ありがとう、クォンちゃん」
「ふんっ。まあアレヨ。変に時間をおいたせいで、怨念共が妙な行動に出ないとも限らないしネ」
そして微笑み合った後、ニコラたちは行動に移る。
呪いの効力を受けないように、ニコラはゲヘナから距離をとって構える。
「いいか、ニコラ。油断するんじゃないヨ?」
「うん!」
その傍らに、もしもの事態に備えてクォンが待機した。
二対一。
その構図は、折しもこの邪竜と出会った際のものに似ていた。
だがあの時と違い、ニコラの目には偽りの騎士の光も、臆病騎士の光もない。
そこにあるのは、希望の光。
未来を掴み取ると、そのために命を懸けると信じた、愛を抱いた光だった。
「絶対、助けるんだ……!」
そして、神龍の力を思い出したクォンは、彼女の願いを叶えるために、その隣に並び立っていた。
なにかがあれば、自分が彼女を守るのだと。
それこそが、彼女に救われ、そして心奪われた、自分の願いだと。
「絶対、守るネ……!」
秘めた想いを燃え立たせ、吹く夜風にチャイナドレスのスリットを揺らしながら、力を奮える準備をして立つ。
「……さて、準備はできたようだな?」
幼子姿のゲヘナが、傲岸不遜に笑う。
呪いの力を持つが故、大好きな人間共を傷つけぬため、演技から始まったその風格。
悲しみに染まりながら染み付いたそれを、愛してくれた少女がいる。
運命を左右する処置の前、いつも通りを見せるのは、もしもの時の遺言のようなものではない。彼女のことを信じているから、感謝のためにそうして見せたのだ。
「この邪竜の呪いを討ち滅ぼそうなどとは、愚かの極みもいいところッ! 命を取るより難しいというにッ! 愚にもつかないとはまさにこれッ!」
扱き下ろす様に言った後、ゲヘナは堂々と伝説たらしく不遜に評す。
「だが、その思いはとってもめちゃカワッ! だから受けて立ってやろうッ! この俺のこと、解き放てるものならば、やってみせよッ!」
吠え立て、瞳に信頼を宿す彼女へと、ニコラは折り目正しく頭を下げる。
「ゲヘナちゃんのご先祖様ッ! 初めましてニコラですッ!」
かと思えば、瞳の光を消し、槍を構えて凶悪に叫ぶ。
「邪魔するキサマらを滅殺し、その子を娶らせてもらおうかアアアアアァッ!?」
まるで魔王のようなことを言いながら、叫びを上げて槍を突き出す。
それと同時、穂先からは莫大な量の業火が噴出。
ゲヘナの体を一瞬で包み込んだ。
「あああぁあッ!?」
「!? ゲヘナちゃんッ!?」
「怯むなッ! キサマの愛は、確かに俺を救っているッ! 悶える理由は、身を焦がされたからではないッ! 執着する先祖どもの怨念にだッ!」
歯を食いしばりながら叫ぶ声。
その通り、ニコラの放った炎はゲヘナの鱗一枚すら焦がしてはいなかった。
全身、皮膚の下を得体の知れないものが這い回る感覚。
身体の内側を剣が何千回も貫くような激痛。
そんな怨念共の執念と、ゲヘナは戦っていたのだ。
必死に耐えるその姿に、苦渋に染まりながらも、ニコラは引かない。
大切な彼女のためにと耐えるニコラ。
その背を、もう一人の彼女が押す。
「ニコラッ! 邪はすごく怯んでるッ! きっといけるヨッ!」
クォンの声が示したように、ニコラにも視えるようになった影。
ゲヘナの体から溢れ出たどす黒い怨念たちは、悲鳴を上げるように激しくのた打ち回っていた。
しかし、そこでゲヘナは誓う。
「ニコラぁっ! 俺は、負けない、から……っ! 絶対に、屈しは、しない、からぁっ!」
「ッ!? ここでフラグッ!?」
強くも切ない声で宣言するゲヘナ。
その言葉に、クォンは戦慄する。
ニコラと旅をしながら、立ち寄った書店、図書館。
そこでニコラの目を盗み、なかなかアレげな物語を読んでいた彼女には分かる。
このままでは、まずい。
そういう意味での王道展開は、イロイロまずい、と。
「ニ、ニコラッ! このままじゃソイツ、幼い体のナイショを暴かれ、好き勝手におっぴろ――」
焦燥感から叫ぼうとする。
だが、それは無用だった。
「ユ、ル、セ、ナ、イイイイイィッ!」
顔を向けた先には――修羅が立っていた。
「ぴっ!?」
怨念よりもどす黒く染まり、憤怒を超えた激情に身を包んだ、ニコラがいた。
いつもと真逆、クォンに悲鳴を上げさせたニコラは、光を無くし、暗黒面すら超えた瞳で、未だ諦めない亡者たちを射殺しにかかる。
「ダい好きなゲヘナちゃんヲ好キ勝手しテッ! 即刻死出の旅ヘト逝けヨ雑種ガアアアアァッ!」
凶悪な咆哮が吐き出され、同時、槍から噴出する炎の勢いが莫大を超える。
「ぐあああぁッ!?」
炎の中で、ゲヘナは絶叫する。
正気さえ失ってしまいそうな、激しい痛み。
気を抜けば魂ごと、抵抗する怨念に道連れにされてしまいそうになる。
だが、ゲヘナは絶対に負けない。
「……そんなこと、させるものかッ!」
だって、この胸に、夢ができたのだ。
抱けなかったはずのこの胸に、希望に満ちた夢が浮かび上がったのだ。
「だってッ! だって俺は……ッ! わたしはッ!」
負けないためにと、打ち勝つためにと、ゲヘナは心の内をひけらかす。
「ニコラの赤ちゃんを、産むんだからああああッ!」
「ええええぇぇッ!?」
「ほあちゃああッ!?」
突然のカミングアウトに、動揺するニコラたち。
愛を覚えたばかりで経験のない彼女たちにとって(まあ、クォンは耳年増であったが)、純粋なゲヘナの口からそのような単語が出てきたことが衝撃だったのだ。
「も、もおぉッ! ゲヘナちゃんったらああああッ!」
その衝撃の結果、嬉しさを覚えたニコラは、光を取り戻す。
振り抜く槍から噴出する炎は、愛の力で勢いを増し、暗さから放った炎の勢いを軽く超し、油汚れの如く頑固にこびりついていた怨念を、超火力にて吹き飛ばし、剥ぎ取った。
「……あ」
解放されたゲヘナは、その場にぱったりと倒れ込みかける。
人外の脚力を発揮し瞬時に辿り着いたニコラは、彼女を優しく抱き留めた。
「……ニコラ。わたし、頑張ったよ……? ニコラの想い、形にできたよ?」
「……う、うん。ありがとう。その、えっと……」
彼女に触れても、ニコラの体に変調はない。
つまり、彼女は怨念から解き放たれたのだ。
その何よりの結果を、ニコラは喜ぶべきなのだ。
しかし、顔面に球の汗を浮かべ、疲れ果てながら、しかし得も言われぬ達成感を覚えた様子で微笑むゲヘナ。
その表情が、先の爆弾発言、それを為し、そして終えた後を彷彿とさせ、ニコラは思わず顔を背けた。
そういうことに関する知識が(クォンとは違い)ないゲヘナは、純粋な意味で叫んだのだろう。
しかし一応、年相応の知識のあるニコラとしては、申し訳ないと思いながらも頬を染めずにはいられない。
「こ、こんなの、反則だよぅ……!?」
悶える彼女を、ゲヘナは不思議そうに見つめる。
「どうして、背けるの? わたしのこと、見つめてよ……。頑張ったねって、褒めて、ください……」
きっとこれが、飾り気のない彼女の姿なのだろう。
普段の彼女もとても魅力的ではあるが、こんな彼女も素晴らしすぎる。
呪いではなく、そのギャップに心臓が止まりそうになるのを感じながら、ニコラは必死で言葉を絞り出す。
「う、うんっ! 頑張ったねっ! さすがわたしの奥さんだよっ! なでなでー」
「うんっ。ありがとぉ……。ニコラ、だいすきぃ……」
真っ赤になりながら頭を撫でると、ゲヘナは甘え切った子猫のように、絶壁に頭をもたげてくすぐったそうにした。
「め、めちゃカワあああぁ〜〜〜〜!?」
「ほ、あ、ちゃッ!!」
「あいたッ!?」
そんな姿に、ニコラが悶えていると、イライラしきったような声が頭を叩く。
だけでなく、物理的に頭が叩かれた。
「……ふんっ! ご祝儀ネっ!」
そこにはそっぽを向くクォンの姿があった。
その表情は、喜んでいるような、悲しんでいるような、なんとも言えないものである。
「どうしたのクォンちゃん?」
「ノロケるのは後にしろってことヨ。ほら、見るネ」
「!」
そうして示された先、近くの砂丘の上。
「キシャアアアアアアアアアッ!」
そこには、化け物がいた。
見た瞬間、体中に怖気が走る。
先に出でたジェヴォーダンなど比べるべくもない。
闇色を超えた闇色。
混沌を形としたらこうなるのだろうという色をしたものが、夜を闇ごと喰いつくすと言うように咆哮している。
その巨体からは、何十もの首が生え、長く太いそれは、怒りを露わとするように、牙をむいてこちらを――ゲヘナを見ていた。
「……ヤマタノオロチ。邪竜たちの怨念、その集合体ヨ」
クォンが身構えながらつぶやいた。
「あ、あんなでっかいのが、ゲヘナちゃんの小さななかに……!?」
「もしかとは思っていたけれど、やっぱり出たネ。ホント、聖女に封印されてもしぶとく生き残って……。空気くらい読んだらどうネ?」
「キシャアアアァッ!」
吐き捨てるクォンに、余計なお世話だというように、一つの首が襲い掛かる。
伸縮する大木のようなソレ。
「ふっ?」
だが、クォンは口角を上げる。
直後。
気合一閃、煌いた光が雷となり、素っ首に落雷。
一時の痙攣の後、首はクォンの前で焦げ落ちた。
「……シャアアアァッ!」
低く唸るような声をあげながら、ヤマタノオロチはクォンを見る。
対し、クォンは凶悪に笑う。
「そのままじゃ存在が不安定なんだロ? 再びアイツに憑りつこうって腹なのは丸分かりヨ? 邪魔するなって目をしてるけど、それは残念。そんな目論見、クォンが許すと思うてカッ!?」
そして彼女は、怒りの炎を瞳に宿し、はばかることなく宣言する。
「クォンは守るネ……。大好きな人たちの、幸せをッ!」
それこそが、自分の為すべき本当の守護だと。
想い人と、その想い人を守るため、神龍は、真の正義を心に抱き、拳を奮うと立ちはだかった。




