表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/58

「クォンちゃん」



 一人の少女の覚悟によって、秘境の砂漠、月下の死闘は決着した。

 これにてすべては一件落着、対峙した両者は希望を胸に抱き、深き夜より歩き出す。


 そのはずだった。

 

 しかして、夜の王たるヴァンパイアの秘奥、ニコラたちを苦しめた巨獣ジェヴォーダンは、突如出現した凶悪な激流の直撃を受け、消滅。

 ヴァンパイアも共に姿を消し、灰の山だけがそこに残った。


 満身創痍のゲヘナ、支えるニコラ。

 その前に出でたのは、ありえてはいけないはずの敵だった。


 夜空に浮かび、二人を見下げながら、彼女は零す。


「悪は誅する。呪いごと滅する。今回は、必ず」

「クォンちゃんッ!?」


 彼女――クォンの変貌に、ニコラは驚愕を叫ばずにはいられなかった。


 青いチャイナドレスを身に纏った、幼姿の見知った彼女。

 その体からは、見知らぬものがそそり立つ。


 滑らかな髪の間からは、樹木の枝のような一対の角が生え。

 小さくも形の良い臀部からは、鱗の生えたしなやかな尾が踊り出る。


 その異様は、彼女が人外であると示す証。

 だが、身体の変化などどうでもいいと思うほどに、ニコラを動揺させたことは別にあった。


 それは、彼女の顔つきだ。

 喜怒哀楽が激しく、コロコロと表情を変えていた、愛らしい彼女の面。

 そこに今、見たことのない感情が宿っていたのだ。

 冷徹に過ぎる、凄腕暗殺者のような冷ややかさが。

 

 もはや変わり果てたとでもいうべき表情で、クォンは名乗る。


「クォンではない。ボクは神龍。聖なる者ヨ」


 龍。

 それは、ゲヘナと同じ呼称をした魔物のこと。

 ただし、竜――すなわちドラゴンとは違い、同じ竜族ではあるが、人間たちからの扱いはまったく異なる。


「俺たちと同じく畏怖されながら、性質は厳しくも心優しく。その神聖な力にて守り神と人間どもに尊崇された、気候を操る伝説の魔物」


 すでに絶滅しているドラゴン、それと肩を並べるほどの希少種であり、滅多と生まれない存在。

 その伝説の中でも秀でた力を持った龍、それが神龍であった。



 その力のせいか、空には暗雲が立ち込めはじめ、ぽつりぽつりと、雨粒が零れ始めた。

 

「……尊崇、ネ」


 彼女の顔に影が差したように見えるのは、夜空を雲が覆ったせいか。


 ゲヘナの力――魔物の力を得たことで、夜目がよく効くようになったニコラにも、真偽は分からなかった。

 そしてゲヘナが目を凝らそうとする頃には、クォンは口元を歪めて笑っていた。


「ふん。ただの龍ではないネ。ボクは神龍。しかも、かつて」

「殺そうとした」


 クォンの言葉をゲヘナが引き継ぎ、悔しげに肩を震わせる。

 

「かつてキサマは聖女と共に、この俺へ牙を剥いた。封印で留めおこうとした聖女と違い、殺戮を望む人間に同調したキサマは、この俺を殺そうとした……!」


 ままならぬ現実が恨めしいと、ゲヘナは強く拳を握った。


「それがどうして、このような形で……ッ!?」


 遥か昔、封印直前の一戦にて、ゲヘナを襲った神龍。

 人型の姿を晒さなかったため、ゲヘナは今の今までクォンの正体に気付かなかったのだ。



 ――いいや。幸せなままでいたいと、目を背けていただけかもしれない。


 

 世の不条理さに愕然とする彼女に対し、クォンは皮肉として満面の笑みで応える。


「雪辱を果たしたいというお前の望み、それに神様が応えてくれたんじゃないカ? おまけに聖女はこの場にいない。タイマンだったらきっとお前のが強かったから、勝利の可能性もなくはない。良かったネ? この奇跡に感謝するがいいヨ?」

「……奇跡などと、叫べるものかッ!?」


 ゲヘナは涙交じりに激昂した。

 

「馬鹿を言うなッ! 雪辱など、どうでもよいのだッ! この俺が望むのはッ! 望んだのはッ! だのに……ッ!」


 似合わぬ冷酷に染まった瞳を、歯を食いしばってただただ見上げる。

 

 遥か過去、対峙した時に感じたものより、遥かに強い感情。

 クォンより放たれる、はばかろうともしない敵意と殺意が、望む願いは、もはや叶わぬと告げていた。


 どんな言葉も届かない。

 あったかさには戻れない、と。


「う、ううぅ……」

「なに狼狽えてるネ? 俺様なお前らしくもない。現実は非情なもの。お前もよーく分かってるはずヨ?」


 涙を滲ませるゲヘナへと、クォンは冷たく言い捨てた。

 そこへ一歩進み出る者がいた。


「だ、ダメじゃない、クォンちゃん」

 

 歩み出たニコラは、焦点の合わない瞳でクォンを注意する。


「わたし、言ったよね? 危ないから待っててって。珍しく、優しいお姉さんっぽく、できてたよね?」


 元々、臆病な彼女だ。

 震える声音だけならば、いつも通りの彼女の様だと思えるだろう。

 しかし、フラフラとして立つ姿、そして光を無くしながら、狂乱せずに怯える瞳が、その動揺を如実に表していた。


「言うこと聞かないなんてひどいよ。ヴァンパイアさんはどこかに去って行ったみたいだけど、まだ危険なことが起こるかもしれないんだよ?」


 希望的観測が過ぎる自分でも信じられない言葉を、真実と信じるニコラ。

 相棒たる少女に敵対されて壊れかけの彼女の傍で、ゲヘナは悲嘆に暮れながら首を振る。


「……ニコラ、そうではないのだ。夜の王は、そのクォンの手で――」

「たしかにクォンちゃんはすごい子だよ? どれだけ身代わりにして置き去っても、絶対生き残って猛烈な折檻タイムを堪能させてくれるし。根性熱血の女の子だし。でも、それだけなんだよ? 伝説なんかとは縁のない、ただのやさしい女の子で――」

「ニコラッ!」


 現実を拒絶するニコラを、ゲヘナが勢いよく押し倒す。

 その背後で炸裂する稲光。

 振り返れば、立っていた場所には雷が落ち、地面が消し炭となっていた。


 地上に降り立ったクォンは、冷え切った声を響かせる。


「ただの女がこんなことできるカ? 知った風に語ってくれるな」

「現実を見るのだッ! アヤツは既に、見知ったスパルタ幼女ではないッ! 聖なる力を奮い、襲い掛かってくる……敵だッ!」

「……ッ!」


 悔しさの籠った怒声が、ニコラを現実に引き戻す。



 ニコラはゲヘナを守るため、臆病な性質ながら不釣り合いな死闘に挑み、そして制した。

 その思い人を害すると、眼前で叫ぶ者がいる。


 それは、紛うことなき敵対者。

 迫る凶刃を砕くため、ニコラは対峙するべきである。

 臆病である彼女だが、大切な彼女のためになら、武を奮える覚悟はできるようになったのだ。


 だが、それなのに、できなかった。

 なぜなら対峙した存在も、ニコラにとって大切な――


「クォ、クォンちゃん……」


 槍を握る手が震える。

 冷や汗が背筋をとめどなく流れる。


 立ち竦むことしかできないニコラに、当のクォンは微笑みかけてくる。


「ニコラはソイツを守りたいのよネ? なら、躊躇う必要はどこにもないヨ?」


 クォンはゲヘナを射抜き、並々ならぬ剣幕で語る。


「だけど、願いは絶対遂げさせない。邪悪なソイツは許せない。ボクのなにを払っても、絶対ここで消滅させる」

「そ、そんなことッ!?」

「イヤよネ? なにしろソイツはニコラの伴侶。しかも新婚ホヤホヤネ。やることだってやってないのに、いきなりバイバイはいやだよネ?」


 うんうんと頷くクォン。

 かと思うと、クォンは冷え切った声でニコラを誘う。


「――なら来るヨ。絶対に勝たせはしないけど。お前の本気で、殺しに来いヨッ!?」

「で、できないよッ!? だってわたしにとって、クォンちゃんは――」

「違うヨ?」


 クォンは首を横に振る。


「言ったはずネ。ボクはもう、クォンじゃないと。そんな女、どこにもいない。だって全部、暴かれたから」


 クォンは悲哀の混じった声で告げる。


「この身を襲った闇夜の欠片。絶望の想起を命ずる光に焼かれ、暴かれた。恐怖と欲望に裏切られ、蹂躙された痛みも記憶も」

「ッ!?」


 その言葉に、ニコラは竦みあがった。


 先の死闘の最期、ヴァンパイアの全力が促した、ジェヴォーダンの闇の光。

 少女の持てるすべてを束ねてぶっ放したあの光には、ヴァンパイアの特技である、闇の炎に焼かれた相手のトラウマを、心が壊れるまで脳裏に映し出し続けるという『デス・ストーカー』の能力も込められていたのだ。


 その攻撃を、ニコラはゲヘナと共に生きるため、引き裂いた。

 そして光は砂漠の一帯へと降り注ぎ――身を引こうとしていたクォンの体を焼いたのだ。


 結果、記憶と共に忘れていたトラウマを、無理矢理、具体的に引き起こされ。

 衝撃で記憶を取り戻した彼女は、今のままではいられなくなった。


 つまり、ニコラの選択が、すべてを壊したのだ。

 ゲヘナと結ばれるために奮ったことが、一人の乙女の運命を狂わせてしまったのだ。


 仔細は分からずとも、彼女の変貌が自身のせいだと気付いたニコラは、膝から崩れ落ちて震え始める。


「わ、わたしは……ッ!? そんなッ、そんなつもりじゃ……ッ!?」

「ニコラ落ち着けッ! 落ち着くのだッ!」


 泣き崩れるニコラに、ゲヘナは駆け寄り涙交じりで叫ぶ。


「キサマには万に一つも責はないッ! 保身に走る必要もないッ! 取り乱すことは俺が許さぬッ!」


 そしてゲヘナは涙しながら責を負うべき愚か者を糾弾する。


「すべてはこの俺のせいなのだッ! 愚か者のこの俺のッ! 邪竜である癖に、傲慢にも、幸せなどを望んだせいで――」

「ゲヘナちゃんは悪くないッ!」

「!」


 涙するゲヘナに、ニコラは青ざめた顔ながら、それだけは違うと、荒々しく首を振る。


「幸せに生きたいって思うのは当然のことッ! 好きな人と一緒に生きたいって思うこともッ! そのことに罪なんてあるわけないッ! あるわけないよッ!」

「……ッ!」


 励まそうとしながらも、その実、憔悴しきっていたゲヘナは、思わず咽いでしまう。

 彼女へ、ニコラは泣きながらも励ましを与える。


「ゲヘナちゃんは少しも悪くないッ! 引け目を覚えることなんて、それこそわたしは許さないッ! だから泣いちゃいやだよッ! 泣かないでよッ!?」

「ニ、ニコラ……」


 ニコラはふらつきながらも立ち上がり、涙を拭うゲヘナを守るように仁王立つ。


「……そう、誰が悪いとかじゃない。これはただの、運命の悪戯」


 きっとそのはず。

 ただ、運が悪かっただけなのだ。

 

 そう思いながらも、ニコラは正直引きずっている。

 故意ではなかった。

 だが、実際に技を蹴散らし、引き金を引いたのはこの両手だ。

 三人の関係を壊したのは、自分自身に他ならないのだ。


 だが、ここで落ち込むわけにはいかない。

 傷だらけの大好きな彼女を、自分がしっかり守らなければならないのだ。

 

 偽りの自己保身にて、どうにか心を保とうとしながら、ニコラはクォンに対峙する。


「ようやくやる気になったのカ?」


 不敵に笑う彼女。

 だが、傷つけることはできない。

 

 ゲヘナを殴り飛ばした時とは違い、ニコラは竜騎士となったばかり。

 力の配分に慣れてはおらず、加減を習得出来ていないのだ。

 

 いくら伝説の神龍とはいえ、まかり間違って、クォンの身に取り返しのつかないことを起こしたくない。


 だからニコラは、自分にできる唯一の行動を見せる。


「……なんの真似ネ」

「心の底から乞っているの」


 冷ややかな声を浴びせるクォンの前で、ニコラは地に頭を擦りつける。


「命をカ? 必要ないヨ。ボクが狙うのはアイツの命だけだから」

「違う。そうじゃない」

「? じゃあなんネ」

「平穏な日常だ」


 ニコラは頭を下げながら切実に願う。


「お願いします。クォンちゃん、戻ってきてください。喧嘩なんてしないで、仲良く平和に暮らしたいよ。今までのように、何の波乱もなく、ただただ無事に平穏に」

「……」


 クォンは、目を丸くした。

 そして思っていた。


 いやいや、お前に出会ってから、毎日は波乱万丈命がけ。

 人柱にされかけては全力で免れ、追いついては折檻し、平穏なんてどこにあったよと。

 

 だいぶ想い出補正がかかってないカ? と、クォンは思わずツッコみそうになった。

 だが、空気を読んだクォンは飛び出そうになる言葉を押しとどめ、ただ黙して耳を傾けた。


 そんな心中はさておいて、ニコラは何度も必死に土下座を繰り返す。


「お願いします、クォンちゃん戻って来てください。お願いします、お願いします」


 だが、いくら頭を垂れたところで響きはしない。

 クォンの瞳には、決して変化の色は現れない。


 それほどに、クォンの決意は固いのであって――


「ほあちゃッ!?」

 

 しかし、そこで思わぬ事態に、クォンは動揺する。

 心が激しく波立ち、瞳の色は変化し、興奮気味に血走った。

 彼女の視線は、ただ一点を凝視する。


 そこはニコラが纏う鎧と上半身の隙間。


 バスタオル姿から一転、竜騎士の鎧姿へと変じたニコラ。

 その力は人の身に過ぎた絶大さではあったのだが、しかし、土壇場での急展開であったせいであるのか。


 スレンダーに過ぎるニコラの体、そのとある部位の絶壁さは、度を超していたのだろう。

 オーダーメイド必須な箇所だが、突然の出番に不思議な力も納期に間に合わせられなかったらしく、鎧のサイズが大きかったのである。

 

 しかもクラスチェンジの際、バスタオルは吹き飛んだため、表面上はいい感じの竜を思わせる鎧姿なのではあるが、その下は生まれたままの姿。


 そんな姿で膝をついて何度も上下運動を繰り返せば、鎧が虚しくカパカパ動き、その下に恥じらうように潜伏する絶壁が、恥知らずにも誘惑をしかけてきて――

 

「魅力ゼロの絶壁が、身の程しらずのテンプテーションッ!?」

「えっ!?」

「おうっ!?」


 ビクッとするニコラたち。

 クォンは不手際に気付きすぐさま咳払いすると、なに食わぬ顔でシリアスムードに戻ろうとする。

 

「な、なんでもないネ。そんなことより、ボクは絶対戻らないネ。ううん、そもそもこれが、本来のボクの立ち位置であって――」

「そんなこと言わないでよッ!」

「ほあちゃッ!?」


 目元に涙を溜めたニコラが、駆け寄り膝立ちでクォンの腕を引く。


「お願いだよッ! お願いなんだよッ! わたしの一生のお願いッ!」


 そうして密着するニコラ。

 クォンの目線は膝立ちの彼女より高い位置にあり、つまりは覗き放題となり、とても気が気ではない。

 ニコラの裸体は露天風呂にてあますとこなく脳内へ記憶し、ベッドの中で高揚感とともに思い出せる準備は万端だったが、しかし、涙交じりの表情でのチラリズムは、下手すればそれよりも煽情的であった。


「そ、そんな篭絡しようったって無駄ヨッ!? ボクの決意は、アダマンタイトよりも硬く――」

「お願いッ! 聞いてくれたら、何でも言うこと聞くからッ!」

「おいマジカッ!?」


 途端砕けるアダマンタイト。

 代わりに心に抱くのは、モザイク全開のお花畑。

 瞬時に成人向けへとモードチェンジする耳年増な神龍は、真っ赤になって暴走モードスタンバイである。


「な、なな、なんでも……!?」

「嘘はつかない絶対にッ! だからクォンちゃん命じてよッ! 望むがままに、欲望のままにッ!」

「きゃ、きゃーっ!?」


 クォンは、背を向けて全力疾走した。

 そしてニコラたちから離れた位置にてしゃがみ込み、一人、モザイク畑をフルスロットルである。


「待って待ってホントに待ってヨッ!? これは、一世一代のチャンスなのではッ!? 一生に一度あるかないかのボーナスタイムなのではッ!?」

「お、おーい。クォンちゃん?」

「なんでもするって言ったヨ! なんでもするって言ったヨッ!? グヘヘと強気にあんなことやこんなことをするチャンスッ!? い、いやいや待つヨッ!? ボクはそんな、鬼畜なことなんて本意じゃ……。で、でも、普通なら絶対了承なんて……。ほあちゃああッ!? 天使と悪魔が駆け巡るヨ〜!?」

「だ、ダメだ。自分の世界に入っちゃってる……」


 脱力するニコラの腕を、ゲヘナがちょんちょんと引く。


「な、なあニコラ。泣いたり喚いたりした後で、とても恰好はつかぬのだが。俺の目が節穴だった気がするのは気のせいだろうか……?」

「え、えっと、たぶんその通りかも。いつも通りなこの感じ、割と簡単にモト鞘な気が……」


 おずおずと尋ねられた言葉に心の底から頷けば、途端ゲヘナは嬉しそうに微笑んだ。


「だよなッ!? うむうむッ! いけるぞッ! いけそうだぞ、ニコラッ!」

「だ、誰がイケそうネッ!? ちょっとムズムズしてるだけヨッ!?」

「クォンちゃんちょっと黙ろうかッ!? なんだかいろいろブチ壊しだよッ!?」

「ほあちゃッ!? た、確かに……」


 注意されてようやく我を取り戻すクォン。

 が、敵対するニコラに諫められたのが癪だったのだろう。

 彼女はすぐさま目を吊り上げて怒りを露わにする。


「ってッ!? 馬鹿にしてんじゃないヨッ!?」


 砕けた雰囲気になったニコラたちに、クォンは真っ赤な顔で叫びをあげる。


「クォンはッ! いや、違ったヨッ! クォンじゃなくてボクッ! 昔の一人称はそうだったネッ!」

「という設定なのだろう?」

「ち、違うネッ!」

「ゲヘナちゃん、そのツッコミ気に入ったんだね?」


 ちょっと楽しげにツッコむゲヘナに、ニコラは静かに指摘した。


「と、ともかくッ! ボクはお前たちの敵ッ! 悪を滅する神龍で――」

「違うよッ!」


 否定を叫ぶクォンに対し、それに負けないほどの大音声で、ニコラは叫んだ。

 

「そんなのじゃないッ! クォンちゃんは、クォンちゃんなんだッ!」

「ッ!」


 思い人の強い叫びに、クォンの心が揺らぐ。

 そんな内心など知らず構わず、ニコラは叫び続ける。


「誰がどう言おうとッ! クォンちゃん自身がどれだけ否定しようとッ! それは絶対変わらないッ! あなたはわたしのクォンちゃんなんだッ!」

「はうっ!?」


 名前の前に置かれた嬉しい枕詞に痺れるクォン。

 悶える彼女へ、ニコラは仕舞っていた胸の内を明らかとする。


「あの日出会った、可愛いままのッ!」

「あっ!」

「わたしが名付けた、頼もしいままのッ!」

「くぅんっ!?」

「一緒に旅をした、愛らしいままのッ!」

「……はぁ、はぁ……」


 腰砕けになりそうになるクォンが、流れるような手つきで自身の服へと手を伸ばす中、ニコラはトドメの一言を放つ。


「ずっと変わることのないッ! かけがえのないッ! わたしにとって、大切な……ッ!」

「……に、にこらぁ……。なんだか、せつなくぅ――」






「――大切な、人柱だああああッ!」






「なんてなるわきゃないネ全部ぶっ飛ベエエエエェエッ!」

「ぎゃあああああああぁッ!?」


 クォン、憤怒の一撃。

 顕現した激流が、愚かな騎士を叩き潰す。


「ニ、ニコラああああッ!?」


 激流に念入りにもみくちゃ洗いされたニコラへ、ゲヘナが悲鳴をあげて駆け寄った。

 クォンは乱しかけた服装を整えながら怒号を上げる。


「そこはもっといい表現があるだろッ!? このシリアスに相応しい表現がッ! 厳しくも優しい女の子とかッ!? 恥ずかしくて言い出せなかったけど、本当はあなたのこと、す、す、好ほあちゃああああッ!?」


 神龍が自身の言葉に耐え切れず、顔を覆ってゴロゴロと転がる姿に「シ、シリアス……?」と、邪竜は疑問符を浮かべる。


 そして、選択肢を明らかに間違え、ギャグ展開で満身創痍になるという情けなさを晒すニコラは、片腕を上げ、ぷるぷると親指を立てた。


「や、やっぱり、クォンちゃんはクォンちゃんだよ……。この魂に響くスパルタ折檻、違えるものか……がくっ」

「ああニコラッ!? しっかりするのだッ!? だが、この土壇場においても変わらぬ残念無念な矮小っぷり! 相変わらずめちゃカワッ!」

「お前も相変わらずな相変わらずさネッ!?」


 正気を取り戻しつつも、やや頬が赤いままのクォンが、ツッコみとともに竜巻を放つ。


「それはキサマもだろう?」


 迸った豪風を、ゲヘナはニコラを抱えて危なげに回避する。

 彼女を近くの岩場に横たえさせてから、ゲヘナはクォンに対峙する。


「やりとりをもってはっきりした。キサマはなにも変わらぬということが。この俺が認めたままの、キサマのままだということが」


 そしてゲヘナは、相好を崩す。


「だからこそ……なのだな?」


 優しさを湛えた瞳に、僅かな悲哀を浮かべて。


「……」


 その言葉にクォンは一瞬たじろいだように見えた。

 だが、彼女はすぐに身構える。


「光は闇を祓う。……それだけヨ」

「ふははっ。相も変わらず照れ屋なヤツめ。だが、俺だって死んではやれぬのだ。可愛い妻が泣くのでな?」


 応えた後、ゲヘナは真剣な顔つきとなる。


「さあ覚悟し、戦慄せよッ! 半端な想いでは、この邪竜を屠ること、できぬと言うことにッ!」

「……悪は、滅ぼすネッ!」


 そして、決戦の火蓋は切って落とされる。



 ***



 暗雲立ち込め、豪雨降りしきる砂漠にて、目覚めた神龍は吠え猛る。


「ほあちゃああぁッ!」


 激情を振り下ろすように、気勢を上げて宙を舞うクォンの意に従い、天が怒り、ゲヘナ目掛けて落雷が降り注ぐ。


 不浄を清めると、さながら神の怒りの如く殺到する雷。

 神龍の誅罰は止むことなく叩きつけられているのだ。


「うおおおおぉッ!」


 だが、神威に反逆すると叫ぶように、ゲヘナは傷だらけの体で砂地の上にしかと屹立、徒手を振り上げ、殺到する稲妻を喰らうように、かき消していく。

 力に任せた無茶苦茶に、クォンは思わず舌打ちする。


「ちいぃッ!? 死にぞこないが簡単にッ!? さっきのよわよわ幼女っぷりは、ニコラの気を引くための演技だったネッ!?」

「闇夜の幻と言っただろうッ! 真っ向から知らしめて、力の差にて食い殺すッ! それこそが邪竜の流儀なのだッ!」


 凶悪に笑い、雷を握り潰すゲヘナ。

 とても人間には真似できない、人外の強者だからこそできる所業である。


「……そうだったネ。その傲慢の前に、ボクは苦戦を強いられた……ッ!」


 過去を思い返し、苦渋を舐めるクォン。


 彼女に応え、召喚された大河の如き清流。

 それは雷を帯び、豪風によって勢いを増し、熱波にて煮えたぎり、邪竜を圧し潰す大波と迫っていく。


「だけど、今回は必ずッ! ボクの力でお前を砕くッ! そう、今回だけはああぁッ!」


 計り知れない想いの波が、物理的にゲヘナを呑み込んだ。

 砂地の多くを湿地帯に変えるほどの、回避不可の広範囲攻撃。

 しかし、ニコラの横たわる岩の上までは、攻撃が届くことは決してなかった。


 一方、激流に飲み込まれたかに見えたゲヘナは、吐き出した炎弾にて水を穿ち、攻撃をやり過ごしていた。


「ふははっ! この程度で邪竜に挑むかッ!? キサマの決意とやらはその程度かッ!?」

「ちっ! 炎で神威を焼き殺したカ!?」


 クォンは苦虫を噛み潰す。

 だが、すぐさま得意がる。

 完全に攻撃を防ぐことが出来ず、濡れネズミとなったゲヘナのことを嘲笑する。


「でも、お前強がってるだけネ? ほらもう、こーんなにぐしょぐしょ。びちゃびちゃで、情けないヨ……?」

「? どうしてそこで、めすのかおを――」

「そ、そんなわけないヨ!? これは嘲笑ってるだけネ!? 大技使って上気しただけヨッ!?」


 無垢な指摘に、クォンは見るからに動揺する。


「た、たしかに、考えてみれば言葉遣いはアレだったヨごめんネッ!? でも、お前なら言わなくても分かるよネッ!? そもそも全部見せるのはニコラにだけだって――」


 混乱の渦からとんでもない発言が飛び出し、クォンは慌てふためき激怒する。


「ってそんなわけもないヨッ!? お前ふっざけんじゃないネッ!?」

「いや、俺は別になにも――」

「卑劣な邪竜がッ! 人を弄んでそんなに楽しいカッ!?」

「理不尽な責任転嫁が俺を襲う……!?」


 自身の暴走をゲヘナのせいにして、ちょっと申し訳なさそうな瞳をした後、クォンは取り繕って本題に戻る。


「と、ともかく! お前やっぱり引きずってるヨッ! 以前のお前だったら、今の一撃だって対消滅させてたはずネッ!」


 赤い顔で指を差すクォン。

 その指摘は正しかった。


 竜族の中でもトップクラスの実力を持つゲヘナ。

 攻撃力、防御力もさることながら、その身に宿る自然治癒能力も破格性能。

 瀕死の重傷を受けても、しばらくすれば全快に至るのだ。


 激戦の直後であることを考慮した現在、もちろん全快には程遠い。

 だが本来ならば、もう少し破壊力のある一撃を放てているのだ。


 それを阻むのは、聖女の封印の余波。

 そして、竜殺しの力。


 ドラゴンキラーにて全身あますことなく切り刻まれたゲヘナ。

 その代償は大きく、その体は脱力し、自然治癒は万全でなく、大幅に遅れていた。

 竜への呪いにて、その身は苛まれ続けているのだ。

 宙を舞うことができないのも、裂かれた翼が回復していないせいである。


「ふははっ。やはりキサマは末恐ろしい。隠し事はできないものよな?」


 衰弱していることを知られながらも、しかしゲヘナは楽しげに笑う。


「ああ、そうだとも。この俺は今も絶体絶命。封印の後で力は弱まり、竜殺しにて衰弱している。見た目通りの幼子として、逃げ惑うのもいいかもしれぬな?」


 真っ向から聖なる力に立ち向かうのは、衰弱した身で行うべき行動ではない。

 ゲヘナもクォンも竜族であり、その攻撃は互いに特攻を持つ。

 その上、光と闇という対なる存在であるから、威力は大幅に増加する。

 ならば万全な相手に瀕死の者が真正面からあたるべきでないなど、誰だってわかる事。


「しかしな、それはできぬのだ」

「どうしてネ?」


 疑問の声に、ゲヘナは微笑んで応える。


「だって、ニコラが褒めてくれたのだ」


 そもそもの話、ゲヘナの傲慢さ、邪竜っぷりは、誉れや素材欲しさに近づく者らを不幸にしないよう、振舞いにて恐怖させ、逃げ帰らせるために身に着けたものだった。

 搦手を弄さず、真正面からぶつかるのは、力の差を歴然とさせるため。


 殺すことはせず、身の程を知らしめて逃げ帰らせる。

 自身の好む矮小な生物どもを傷つけぬために。


 しかし、続けたことで、逃げ帰った者らから邪竜の噂が広まり、人間たちから広く敵意を向けられることとなった。

 その果てが、聖女と神龍という凶悪な聖の者どもの襲来だ。


 しかし現在、自身の振舞いは愛する人に憧憬を抱かせ、嬉しさを宿らせ、想いを産んだ。

 そして、嬉しいことにその想いは重なり合ったのである。


「だから俺は立ち続けるッ! 愛する人が焦がれてくれた、傲慢な姿のままでッ!」


 だから、この傲慢さに恥じない戦いはできないと。

 逃走はなく、命乞いもなく、正面からぶち当たる。


 この想いは、なによりも強い。

 たとえなにが起きても、決して譲ることはない。


 これは先の戦いで伴侶を失い、しかして奮起したアダマンタイト・ジャイアントの夫人が語ったような、何よりも熱い真の炎というものなのだろう。


 しかしその炎は、神龍の心を憎悪に燃やす。

 クォンは、暗い声で言葉を漏らした。


「……愛する愛するって、簡単に言うけど」


 彼女は、憤怒の形相で怒りを叫ぶ。


「自覚はあるのカッ!? お前の愛は、ニコラを呪うことになるのにッ!」

「もちろん知っている。だが、ニコラは呪いよりも愛を選ぶと」

「それは本当に本当カッ!?」


 一時だったが通じ合った女の子を傷つけると知りながらも、クォンは叫ぶ。


「誤解は解けたように見えるけど、でもそれは本当ネッ!? ニコラは本当に理解しているカッ!?」


 一拍置いた後、クォンは悲しげな表情でつぶやく。




「溢れる呪力で、傍に寄る人間を、呪い殺してしまうことを……!」




 邪竜ゲヘナの呪い。

 それは、人間のみを殺す、殺戮の呪いであった。

 有無を言わさず生じる呪いの力で、近づく人間に早急な死をもたらすのだ。

 

 彼女に宿る狂気の力。

 想い出したクォンは、苦渋に染まりながらも言葉を続けずにはいられない。


「だからクォンは、かつてお前を殺そうとした。……彼らを、守りたかったから」


 後半の言葉には、なにか得も言われぬ感情が籠っている様子であった。

 指摘することがはばかられる顔つきに、ゲヘナは尋ねることができない。


「……本題ネ。ニコラがお前に好意を抱いたのは知っている。でもニコラは、保身第一なヘタレ騎士ネ。根本は簡単に変わらないと思うヨ」


 人の性格も、魔物の性質も、本来簡単には変わりはしない。

 あのアダマンタイト・ジャイアントたちのような変化は、よっぽどのことがない限り、起こりはしないのだ。


「なのに命を賭してまで、添い遂げようとするカ? それはおかしくないカ?」

「そうだな。普通ならば、ありえぬことだと思うだろうよ」

「なら……ッ!」

「だがな、普通ではいられぬのだ」


 ゲヘナは、物悲しそうな顔をしながらも、幸せそうに手を組んだ。


「俺はずっと知らなかった。知ったつもりで、知ってはいけないと蓋をしていた。好きという思い。その先にある、本当の好きを」


 瞳を閉じたゲヘナは確かめるように、大切に言葉を紡ぐ。


「それを、ニコラがこの胸に刻み込んだ。以来湧き上がり、止めようとしても止まらぬのだ。……ずっと、ずっと感じていたくて」


 覚えたことのない感覚、きっとこれこそが幸せなのだろう。

 今も駆け巡り、あたたかくなる小さな胸。

 その感覚を、ゲヘナは余すことなく伝えようとする。

 

「ふわふわして、きゅんきゅんして、切なくなって。アヤツのことで、角の先から尻尾の先までいっぱいになって。ずっとずっと、命が果てても一緒にいたくて。アヤツのことが、なにより大事で」


 閉じていた瞳を開き、ゲヘナは幸せを噛み締める。


「好きを知ってしまった者は、きっと、普通ではいられなくなる。自身の根本すら、好きの前には霞んでしまう。ずーっと消えない状態異常。これが、この気持ちなのだ」


 そんな気持ちを自身は抱けて。

 彼女も抱いてくれている。

 

 再認識したゲヘナは、なんとも言えない心地よさを覚えた。


「この思いがなによりの説得力。だから、同じくとするニコラだって、きっと俺から離れはしないと――」

「知ってるネッ!」


 クォンは涙交じりに声を上げる。


「そんなのッ! そんなの知ってるネッ! だってッ! だって、ボクだってッ!」


 一人の乙女は、彼女を想い、滴に濡れる。


「ボクだって、ニコラが好きヨッ! 心の底からなによりもッ! ニコラのためならなんでもできるッ!」


 そして彼女は曝け出す。



「だってニコラは……ニコラはボクを救ってくれたッ!」


 

 絶叫し、先に聞かせた馴れ初めを、つまびらく。



***



 彼女には、記憶がなかった。

 それまで自分が何をしていたのか、どこにいたのか、自分の名前も、呼び方すら覚えてはいなかった。

 あるのは信じていた誰かに裏切られたという喪失感、そして、計り知れない絶望。

 仄暗い感覚だけが、胸の内を支配し、体中を巡り続けていた。


 自分が瞳を開いているのか、閉じているのかも分からず、体の感覚もなく。

 広がるのはなにもない、漆黒の世界。


 時たま聞こえる、色々な誰かたちの声は、欲望塗れで怖かった。

 聞いた瞬間、心を閉じて、ただ聞こえなくなるのを待っていた。

 

 

 ――これは記憶を取り戻した後で思い出すことだが、とある理由にて絶望し、耐え切れなくなった彼女は、記憶を封じ、龍玉と呼ばれる自身の魂の宿る美しい宝石、その中に籠り切り、その宝石と同化していたのだ。

 そして、時を経ながら、様々な人の手を渡っていたのである。

 

 

 そうしてずっと過ごしていて、色々な声を聴き、総じて怖くてただ泣いていた。


 そして、どれだけ経った時だっただろう。



「あううぅ。こ、怖いよぅ。この世の地獄だよぅ、このダンジョン……」



 ふと、そんな声が聞こえた。

 今まで聞こえていた、欲望塗れのものとは違う。

 震えていて、情けなくて、とてつもなく惨めな声だった。


「確かにレベル80超え推奨なだけはあるよ。状態異常てんこ盛り、一歩間違えれば即ジエンドなダンジョンだよぅ……。パーティ、組んでくれば……」


 そこで息を呑んだ声は、途端に涙声で喚き始める。


「だ、ダメだよ! 他人なんて、腹の底じゃなに考えてるか分からないもんッ! 信用なんてできないし! モンスターの群れの真ん中で、囮に置き去りにされるかも……!?」


 その言葉には、なぜだか同意できる気がした。

 気が合うのかもしれない、なんて、興味を抱いていると、声は近づいてくる。


「高レベルダンジョンなら、目的のもの、あるかもって捜してみたけど、どこにも見当たらないし、危険なだけだし……って、おお!?」


 そこで声は歓喜に震えた。


「こんなところにいいものがッ!? なんか割とゴージャスな意匠してるしッ! これ、もしかしたら、もしかしないかなッ!?」


 そこで彼女は落胆する。


 気が合うなどとは勘違いだった。

 この声は、何度も聞いたそれと同じ。

 欲望に塗れた者の声だ。


「うんうんッ! それじゃあ、さっそく。……いや、待って。もしかしたら、ミミックかもしれないし。やっぱりここは……」


 ブツブツつぶやく声は無視する。

 いつものように心を閉ざし、彼女はただ静かになることを望み――



「撃滅必至イイィイイッ!」



「ほあちゃああああッ!?」


 瞬間、とてつもない殺気と、恐ろしい大音声に、思わず飛び上がる。

 轟音と共に光が溢れ、髪の毛一本分くらいの距離を何かが通り過ぎる。


「ななな、なんネッ!? 一体、何事ヨッ!?」


 突然の光と轟音、闇に慣れた目がまぶしかったり、恐ろしかったりで、状況が把握できず、彼女はただただ慌てふためいた。

 そうしてパニックとなった結果、彼女は無意識の内に龍玉から人型へと姿を変える。


 明滅する視界がややあって安定し、周囲の状況が目に飛び込んでくる。


「あ、あれ!? 女の子!?」


 そこには、無骨な槍を突き出し、戸惑う黒髪の少女の姿があった。

 

 そして、把握する。

 自身がなぜか身を潜めていた宝箱、それを彼女が容赦なく砕いたことを。

 それを引き起こした槍が、自身のことを掠めたことを。


 理解した瞬間、体は動く。


「な、なんてことするネエエエェッ!?」

「そしていきなり跳び膝がッ!?」


 有無を言わせず腹部にクリーンヒットさせてから、倒れ込む少女へ馬乗りになる。


「一つ間違えば串刺しヨッ!? 当たってたらどうしてくれるネッ!?」

「ご、ごめんなさいッ! だってミミックだったらいけないでしょッ!? だから用心して一撃で仕留めるつもりで宝箱ごとッ!」

「中に誰かいるとは考えなかったネッ!?」

「普通いるとは思わないよねええぇッ!?」


 そうしてしばし折檻し、少女をズタボロにする。

 少女の上でふうと息をもらし、額の汗を拭う。


「というか、これじゃあ普通、お宝だって粉々ヨ?」

「な、なによりも勝る、わたしの命の灯という財宝が守れるんだ。悔いはないよ……」

「なら初めから宝箱に触れんじゃねえヨ……」

「いや、そこは運よく壊れない可能性も考えまして……」


 呆れかえりながら立ち上がり、少女へ問いかける。


「で? お前一体何者ネ?」

「それはこっちのセリフだよ。見た感じミミックではないみたいだし。あなた、こんなところでなにをしていたの?」

「な、なにをって」


 言い淀む彼女の姿に、少女は小首を傾げた。


「ここ、推奨レベル80以上の危険なダンジョンなんだよ? そんなところの宝箱に隠れているとか、意味が分からないんだけど。見た感じ、冒険者じゃないよね?」

 

 向けられる自身の存在に対しての疑問。

 それに答える術を彼女は持っていなかった。


「……分からないネ」

「え?」


 彼女は肩を落としてつぶやく。


「なにも、分からないネ。ここにいる理由どころか、記憶も、自分の名前も、呼び方も。なにも、まったく分からないヨ……」

「あなた……」

「いや、一つだけ分かるカ。支えてくれる者も、傍にいてくれる者も、誰もいないってことは」


 自嘲するように笑う。

 胸に広がる鬱屈とした絶望感を殊更としてしまい、思わず涙がにじんできた。


 そんなとき、肌に触れる優しい感覚。


「いい子、いい子……」


 そこには自身の体を優しく抱きしめる少女がいた。

 ただ瞳を閉ざし、優しくつぶやき、慈しむように包み込んでくれる。


「……!」


 あたたかな感覚に、思わず身を委ねたくなる。

 だが、他者に身を任せるなと、忘れた過去が叫びを上げる。

 彼女は身じろぎし、抜け出そうとした。


「な、なんネッ!? 放すヨッ!? 柔肌に、好きに勝手にッ!?」


 しかし、少女は一向に解放する気配を見せず。

 どころか、彼女の髪を優しく撫で始めた。


「よしよし、よしよし……」 

「!」


 その優しい行動も、あたたかな体温も、どうしようもなく安らかで。

 仮に同情からの行為だったとしても、嬉しくて。

 彼女は、鼓動がドキドキするのが抑えられなかった。


(ダメヨ。誰も信じちゃいけないのに……。きっと、コイツだって、アイツらみたいに裏切って――)


 脳裏によぎった言葉。

 アイツらとは一体何者だろうか。

 なんだかよく分からず、疑問ばかりが広がっていく。


「大丈夫だよ? 大丈夫だから……」


 だが、温かな声に溶かされていく心が思考を放棄し、頬を染めた彼女は、平たい絶壁であることも忘れ、頑張ってその身を預けてしまう。


 そうしてしばらくされるがままに、あたたかさに甘え続け。

 安心しきってしまい、涙さえ流しそうになる彼女を、やがて少女は解放した。


「ほ、ほあちゃっ!」


 優しい肌の温もりに未練を覚え、思わず表情を残念で染めかけ、ハッとなってそっぽを向く。

 そんな彼女へ少女は優しく言ってくる。


「ちょっとは力になれたかな?」

「ふ、ふんっ! なんのことネっ!? 別に、弱ってなんてっ!?」

「うん、良かった。元気、出たみたいで」

「ッ!」


 嬉しそうに笑う姿に、彼女は限界までそっぽを向いた。

 そうして真っ赤な顔を隠そうとする彼女の事を微笑ましげに見つめた後、少女は提案する。


「ところで。わたし、あなたにお願いしたいことができたんだ」

「な、なんネ。なにを企んでるカッ!」


 気恥ずかしさに口調が強くなる彼女をみて、少女はくすくすと笑う。


「企んでなんていないよ。これは、ただのわたしの素直な気持ち」


 そして優しく笑う少女。


「あのね、良かったらなんだけどね? こんなところに一人でいないで」


 瞬間、先読みする。

 最初の姿はアレではあったが、いい子いい子とか、よしよしとかしてくれる、とてもやさしい彼女だ。

 もしかしたら、続く言葉は自分と一緒に旅をしない? なんてものかもしれない。


(でも、そんな安い女じゃないネッ! 尻軽違うヨッ! ハンッ!)


 予想し、ぷいとそっぽを向く。


「わたしと一緒に旅をして」


 ……でもまあ、どうしてもと頼み込まれれば、優しくされた恩もある。

 仕方なく。ほんとーに仕方なくではあるが、まあ、その礼をということにしてやってもいい。


(仕方なくヨ? いや、本当に仕方なくッ! 喜んでなんて、全然ないヨッ!?)


 思い浮かべた言葉とは裏腹、嬉しそうにうんうん頷く。

 そうして了承の準備をする彼女。 


 そうしてウキウキする彼女へと、少女は言う。





「ピンチの時に、人柱になってくれないかなッ!?」





「も、もぉっ! しょうがな――え?」


 弾みながら答えかけ、硬直する。

 昂ぶっていた感情が冷めていくのを感じる彼女の前で、少女は腕を組んで語り始める。


「実はわたし、とある幻の素材を捜して、危険な冒険の真っ最中なんだ。でも、他人とか怖くて信用できなくてパーティ組めなくてね? 仕方なく一人旅してたんだよ」


 語りつつ、少女は顔を青くする。


「でもさ、冒険って怖いでしょ!? モンスターって危ないでしょ!? 一人だったら、ピンチに陥ることも多いよねッ!? 実際そうだったしッ!」


 置いて行かれる彼女の前で、少女は今度は顔を輝かす。


「そんなときに身代わりになってくれる人がいたらって思ってたのッ! 人柱がいればなって思ってたのッ! そしてあなたは適材適所ッ!」


 ぐっと親指を立て、少女はいい笑顔を浮かべる。


「あなたみたいに無力でしかも記憶喪失、天涯孤独な女の子だったら、人柱役として適格でしょッ!? 身内も関係者もいないのなら、なにをしたって誰からも恨みを買わないしッ! だからお願いッ! わたしのために、尊い犠牲として生きて逝って……」

「やっかましいネエエッ!」

「ぐほえええぇッ!?」


 激昂した彼女は、怒りのままに少女に折檻を開始する。


「弱り切った無垢な幼女に、どうしてそんな鬼畜なお願いできるのカッ!? 目を輝かせてはばかることなくッ!?」

「だ、だからこそ優しさで篭絡できたと思ったのにッ! なんという見込み違いッ!?」

「黒い思惑ぜんぶ素直に聞かされて、頷くバカがいると思うカッ!?」

「いやそこは黒さの中に誠意を混ぜて、そのギャップでワンチャンあるかなと画策してですねッ!?」

「生贄にしようと叫んでおいて、誠意もクソもあるものカアアアアァッ!?」

「仰る通りいいぃッ!?」


 そして持てる限りの全力にて、愚か者に誅罰を与える。

 あの優しさは、すべて下心の内だったのか。

 彼女は見抜けなかった先の自分を叱りたくなった。

 ちょっと落ち込む彼女の前で、ボロボロになった少女は呻くように言い訳をする。


「あ、あうぅ……。だってわたし、死にたくないんだもん。絶対死にたくないんだもん。そんなところに絶好の肉壁があったから、しめしめと思いまして……」

「やっかましいネこの外道ッ! 肉壁とか言うんじゃないネッ!? そこはかとなく、え、ええ、えっちじゃないカッ!?」

「あれ糾弾するとこそこでいいのッ!?」

「う、うるっさいネエエエッ!?」

「ぎゃあああッ!? 壁が壁に壊されるううぅッ!?」


 そうして追加折檻をした後、彼女はぼろ雑巾のごとき少女を踏みつける。


「まったく。ホント見込み違いもいいとこヨ」

「あ、あうう……。幼子にズタボロにされるとか、騎士としてありえない情けなさだよぅ……」

「お前騎士だったネッ!? 嘘ッ!?」


 驚愕する彼女に、少女は視線を落として答える。


「わ、分かってるよ。騎士として最低なことくらい。騎士になったのも、誰かを守りたいとかじゃなくて、ただ両親の意向に従っただけだし」


 言った後、彼女は力強く語る。


「だけど、こんなわたしだけど、今回ばかりは成し遂げたいの……!」


 力強い言葉に、彼女はふうとため息をついた。


「それが、その素材を手にすることカ?」

「うん、こればかりは譲れないの」


 彼女は立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。

 

「迷惑かけてごめんなさい。お詫びにはならないと思うけど、とりあえず近くの町の孤児院まで、一緒に」

「お断りネ」


 彼女はぷいとそっぽを向いた。


「他人なんか信用できるカ。どうせみんな、腹の中にゲス飼ってるに違いないネ」

「あ、あはは。返す言葉もございません……」


 苦笑する少女。


 その手を、彼女は強く握った。


「あ、あの?」


 戸惑う少女に、彼女はため息をつく。


「どうせみんなゲスなのなら、隠してるよりオープンな奴のが清々しくてまだましネ」

「? それってどういう」

「迷惑のお詫びに、同行させるヨ」

「えっ!?」


 少女は驚きあがった。


 彼女は思ったのだ。

 同じ外道だとしても、この少女はまだ好感が持てる気がすると。

 いい人面して裏切られるより、最初から裏切ると宣言しているのだから、まだマシだ。


 目覚めた今、自分は一人では生きていけないと、力のない体が伝えてきている。

 どうせ誰かに頼らなければならないのなら、この珍しいゲスに頼ろうではないか。


 それに、なんだかさっきのやりとりの間は、少し楽しくて、この胸の絶望に、一筋の光が差し込んだ気がしたし。


「記憶も過去もないけれど、結構モノは知ってると思うヨ? モンスターの生態とか、弱点とか、不思議と頭に入ってるもの」

「確かに、わたしとしても、自分より歩幅の小さい生餌がいてくれれば助かるけど」

「……人の話、聞いてたカ?」

「ひ、ひいぃッ!? 聞いてましたすみませんッ! でもモンスター図鑑はほぼ暗記してるし、そこよりもあなたの肉体の方に魅力を見出したといいますか!?」

「だ、ダメヨッ!? そういうピーなのは、将来を誓い合ったものとしか……!?」

「いやあなたも話聞いてたッ!?」


 貞操の危機に体をかき抱けば、なぜか少女は目を丸くした。


「ともかく分かったよ。その提案、受けさせてもらうね。もしあなたが一物もっていたとしても、力のない幼女だし、無力化するのは騎士のわたしには簡単だろうし」

「王国騎士団が聞いてたら、任意同行ものよソレ?」

「ヒイィッ!? い、いないよねッ!?」


 キョロキョロと周囲を見回し、誰にも聞かれていないことを聞き、ほっとする彼女。

 まあ、さっきの折檻モードには、対抗できる気がしないけどねと、青い顔で付け加えた後、彼女は手を差し出した。


「わたしはニコラ。よろしくね、えっと……」

「好きに呼ぶネ。名前なんて覚えてないし……」


 虚無感にしゅんとし、思わずうつむく。





「クォンちゃん」





 そこに、澄み渡る希望が降り注ぐ。


「……え?」


 顔を上げれば、少女ニコラが明るく笑っていた。


「あなたの名前。どうかな? 勉強してるとき、何かの本で見かけたんだけどね? たしか、清らかな泉、っていう感じのどこかの言葉だったと思うんだけど」

「……清らかな、泉」

「うん。直感なんだけど、あなたにピッタリな気がするの。どうかな?」

「……!」


 彼女は、ニコラに背を向けた。


「ふん。濁り切った外道の口から、よくもまあそんな言葉が出て来たものネ」

「あ、あはは……。まあ、確かに……」


 背後でニコラは苦笑している。

 なにもなくなった自分にできた、綺麗な名前。

 そのことに、彼女は浮かぶ感情を押さえられそうになかったのだ。

 ばれないうちに、すぐさま拭うと、不敵な顔で駆け出していく。


「ちょ、ちょっと?」

「ほらッ! なにしてるネ、ニコラッ! こんな趣味の悪いダンジョンに永住する気なんて微塵もないヨッ! 早くクォンをお天道様の元へ案内するヨッ!」

「……うんっ! クォンちゃんっ!」


 そして、彼女は『クォン』になったのだ。



***



 激戦の最中、出会いの場面を想い出し、クォンの胸を怒涛の思いが駆け巡る。


 最低で、救いようのなくて、騎士とも思えない騎士。

 だが、そんな彼女のお陰で、自分自身は救われたのだと、相対する邪竜へと叫び続ける。


「ずっと闇の中にいたッ! 記憶がなくて朧気で、だのに心に空いた大穴からは、絶望と失望が溢れてきてッ! どうしようもなく怖かったッ!」


 それは、絶望の忘却を望んだ彼女が、新たに沈んだ永劫のトラウマ。

 最悪な裏切りを耐え切れなかった彼女は、トラウマと共に記憶を封じようとした。

 しかし、それは完全とはならず、出来事自体は忘れても、漠然とした不安が彼女の中に残っており、それがずっと襲いかかり続けていたのだ。


「そんなボクの前に、あのヘタレ騎士は現れた! すっごく臆病で、浅はかで、表立ってボクを人柱にするとか、ぐふぐふ笑うから、むかっ腹で折檻して。……でも、一緒に過ごすと、楽しくて」


 絶望などに沈んでいる暇は、折檻が忙しくてなくなった。

 そしてクォンの胸には、代わりに温かな思いが宿るようになった。


「自分を忘れたボクにくれた、『クォン』って名前。呼ばれる度にこの胸を、明るさと喜びと……好きが、満たしていったネ」

「……」


 真剣な面差しで耳を傾けるゲヘナ。

 彼女の前で、涙を拭いた神龍は、『クォン』として笑う。


「だけどネ? お前の方が、ニコラにはきっと相応しい。傲慢で俺様だけど、強くて、優しくて、なによりニコラを思ってくれて。……ニコラも、そうで」


 ニコラがゲヘナの身を案じ、駆け出した時、クォンは思ったのだ。

 自分は、彼女の隣にいるべきではないと。


「……もしや、キサマも」

「身を、引こうとしたヨ? お前となら、きっとニコラは誰よりも幸せになれるって思ったから。……そう、思っていたのにッ!」


 途端、クォンの全身から溢れ出る気配。

 邪を払う神聖さが、悲哀と覚悟を孕んで膨れる。


「ボクはニコラを守りたかった。守るための力は、ここにあった。そして、ニコラはきっと、離れない。お前への愛は本物だから」

「……ああ」

「こんなことは、したくなかった。……でも、こうしないと、守れないから」


 クォンは悲しげに笑った後、首元へと手を伸ばす。

 そこにあるのは一枚の鱗。


 ただし、それは他とは違い、逆向きに生えた逆さ鱗で――

 

「ッ!? キサマ、それは……ッ!?」

「アアああアあぁッ!?」


 驚愕するゲヘナの前で、途端、クォンは絶叫する。



 逆さ鱗に触れること。

 それは、竜族にとって禁忌である。

 限界を超えた力を発揮することができるが、湧き上がる負の感情に自我を失い、辺り一帯を灰燼と帰すまで止まらないのだ。

 


 さらにクォンにとってその行為は、トラウマに触れることでもあり、計り知れないおぞましさが、理性も精神も食い殺しにかかるのだ。


「アグゥッ!? グッッ!? あッ! アアあアアあァッ!?」


 断末魔の如き声を上げ、神聖さに飲み込まれそうになるクォンの姿に、ゲヘナは絶叫する。


「やめろッ! 手を放すのだッ! そのままではキサマはッ!?」

「言った、はずネ……。ボクは、ニコラのためなら、なんだって……ああぁアあアァッ!?」

「ッ! 愚か者がああぁッ!」


 舌打ちし、痛む体を押してゲヘナは走り、飛び立とうとする。


 しかし、クォンは止まらない。

 止まれない。


「なんだって……なんだってしてやるネ。嫌われたって、構わないッ! だってボクは……ッ! ボクはニコラに、死んでほしく……ないッ!」

「ッ!」


 決意の言葉に、原因たるゲヘナは足を止めずにはいられなかった。

 彼女の前で、クォンは反吐を吐きそうになりながらも、想いを柱に心を保つ。


「だからボクは戦うネッ! お前を……親友になったお前をッ! 殺すことになってもッ!」


 たとえ大切だったとしても、最愛のみを守るため、準ずるすべては消し去ると。

 闇夜に轟く決意の咆哮。

 血涙を流して力を溢れさせるクォンの姿に、ゲヘナは畏敬を抱き、頭を垂れた。


「……そうか。そうだよな。なによりも愛しい存在。息絶えると知って、看過できぬのは当然だ」


 大切な友となった少女から、殺意を向けられる。

 だが、それは仕方のないこと。

 聖を持ったあちらが正義で、呪いを振りまくこちらが悪なのは、火を見るより明らかだ。


 ゲヘナはその手を、自身の首元へと近づける。

 そして、躊躇なく、逆さ鱗に手をやった。


「ッ!? グゥウゥッ!?」


 途端、生じる邪悪な力。

 自身の身体に宿る力が、声が、邪竜としての本能が沸き立つ。


 全てを呪えと理性を潰す。

 生あるすべてに呪いあれ。

 蹂躙しろと、殺戮しろと、心を染める。



「ハグゥウッ!? ああ、アあアぁッ!?」


 そう、それこそが正しい。

 邪悪な自分は邪悪になって、正義の味方にうち滅ぼされる。

 分かりやすくていいではないか。


「……そうだ。それこそ最適解。呪いを振りまく邪竜など、絶えて滅びてしまえばいいッ!」


 聖が過ぎる神龍の力を受ければ、ジェヴォーダンがされたように、邪悪なこの身は簡単に消滅するだろう。無暗に素材を残し、不幸の種を残すこともない。

 そうして世には平和が訪れ、ハッピーエンドが咲き誇る。


 だが。


「しかし、それはできぬのだ。こんな俺を……命をかけて愛すると声を上げた、めちゃカワな愚か者が、いるのだからッ!」

「……だとしてもッ!」

「分かっているッ! それでもッ!」





「「譲れない想いがッ! ここにあるからあああぁあッ!」」





 胸に抱いた彼女への想いが、光となって闇夜を染める。

 あり得ぬ奇跡が彼女たちを包む。

 

 天さえ羨む神々しさと、地獄すら畏怖する禍々しさ。

 聖邪二つの閃光が迸り、辺り一帯の視界が奪われる。



 やがて光が止んだ時、そこにいたのは――



「……」


 一体は、聖なる殺の意。


 小さな体から迸る神威は、研ぎ澄まされて鋭さを増し。

 守るために滅すると、誓った想いに応えるよう、純白の鱗からは不退転の決意が滲み出る。

 頭部から生える角、背に生えた純白の翼、小さな臀部より伸びる尻尾、押しなべて鋭利で、殺意に震えていた。



「……」


 もう一体は、邪なる護の意。


 煌々と溢れるは、邪悪な力。

 しかしてそれは、大切な約束を護るためにと、包み込むように温かで。

 哀しくも仄かに闇夜を照らす。


 角は丸く、背に生えた翼はまるで蝶の羽。闇を湛えて、蠱惑的にはためく。

 ハートマークを描いた尻尾は、愛する少女への思いの現われ。不釣り合いでも譲れない。



 限界を超える、制御不可な神聖と邪悪。

 彼女のためにと制御を為した彼女らは、決意を叫ぶ。




「……迷わない。この力で、ボクはニコラを救うんだッ!」

「……突き進む。呪いごと、わたしを愛してくれたからッ!」




 愛する人を救うため。

 彼女たちは、命を燃やして愛を歌う。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ