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大好きなんだよ?


 牙を剥く夜の王に、一人の少女が反逆し、窮地の王者を救い出した。

 その様を、砂漠の離れた地点から一人の幼子が見つめていた。


「うん、そうヨ。お前は、アイツといるべきネ……」


 幼子は……思いを寄せる乙女は、瞳の端に涙を浮かべ、最上だからとその身を引いた。



***



 ブラッド・アーミーを圧倒し、術者であるヴァンパイアを殴り飛ばす。

 窮地のゲヘナを救い出したのは、去ったはずのニコラだった。


「ただいま、ゲヘナちゃん」


 振り返り、彼女は微笑む。


 もう向けられるはずがないと思っていた、思い人の笑顔。

 ゲヘナの胸から熱いものが溢れかける。

 思わず立場も何も忘れて、いつものように飛びつきたくなる。


 だが、ゲヘナは、思い留まった。

 彼女に聞いておくべき言葉があったからだ。


「ニコラ、どうして……」

「そのね? なんだか、胸騒ぎがして――」

「どうしてまだ湯上り気分なのだ?」

「あれそっち!?」


 槍を携えた彼女は、未だにバスタオル一枚。

 よくもまあそんな姿で大立ち回りを見せたものだ。


 バスタオルは根性を見せたのか、絶壁に必死で縋りついている。

 意志のない人型とはいえ、無数の輩に裸体をさらけ出すのは乙女の望むことではないだろうと奮闘したのだろう。


 ニコラのことが心配なゲヘナは、眉根をひそめて批判する。


「いつまでもそのような姿でいては、風邪を引いてしまうぞ? 人の身は脆弱なのだ、キサマも理解しているだろう?」

「いや、それはそうなんだけどね? さっきまで逃走に臨んでいたでしょ? そうと決めれば命優先、着のみ着のままが最上のわたしだし。この命が助かるのなら、世界中に裸体をさらすのも厭わないよ?」


 ニコラはバスタオルの奮闘を無下にするような、とても年頃の乙女とは思えない信念を口にする。


「ゲヘナちゃんのこと、やっぱり心配で戻ろうと決めたんだけど、鎧を着る間ももったいなくて……」

「それでも最低限の身だしなみというやつがあるのではないか? だのにタオル一枚なのは――」

「この痴女ッ! やってくれるじゃないッ!」


 そこに割って入るヴァンパイア。

 彼女の言葉に、ニコラは焦った様子を見せる。


「あ、あの。この流れでそのワードはやめてもらいたいと言いますか……」

「うむ? なあ、気になっていたのだが、痴女とはどういう意味なのだ?」

「そこのソイツみたいに、他者に裸体を見せつけて昂るのが大好きなヘンタイのことよ!」

「? ニコラは、ちじょなのか?」

「ち、違うよ! 違うからね!? そんな変な人たちが寄ってきそうなリスキー嗜好、持ち合わせてないからね!?」


 無垢な瞳を向けるゲヘナに慌てて答えてから、ニコラはヴァンパイアへと噛みつく。


「あなたも誤解を招くようなこと言わないでもらえませんかッ!? 迷惑なんですけどッ!?」

「うるさいッ! ならそういう恰好してんじゃないわよッ!」

「ひいぃッ!? ごもっともですみませんッ! でも急いでいたもので、衣類と鎧は置いてきてッ!? どうぞ今だけはこの痴女ルック、見逃してやってくださいませえぇッ!」

「恥も外聞もなく土下座の嵐ッ!? こ、こんなヤツから一発もらっただなんて……」


 全力の土下座を見せる姿に、ヴァンパイアはショックが隠し切れない。

 いつものニコラの姿が見られて、ゲヘナはあったかいものを覚えそうになる。


 だが、ゲヘナはすぐさま頭を振った。



 ヴァンパイアは、なにがあっても大切な者と共にいるために行動している。

 だが、やはり自分の幸せは……。



 今度は割とマトモな理由で思い留まったゲヘナは、土下座の連撃にて夜の王の心をズタズタにし続けているニコラへ近づいた。


「どうかッ! どうかこんな格好で歩き回っていたとか、言いふらさないでくださいませッ! でないと、わたしの未来が変態の炎で燃え尽きてッ!?」

「ニコラ」

「ごめんねゲヘナちゃんッ! わたし今、保身に全力を注いでてッ!?」

「俺に構わず行くがいい」

「……え?」


 命乞いを止め、耳を疑うニコラへと、ゲヘナは言う。


「救ってもらって感謝する。とっても嬉しかったぞ。だがな? ニコラは、俺といてはダメなのだ」

「! お前、まだそんなこと……ッ!」


 怒りを露わにするヴァンパイアに構わず、ゲヘナはニコラに向き直る。

 居住まいを正した彼女は、柔らかな笑顔で思いを告げる。


「ニコラ。俺はお前のことが、なにより好きだ。とっても好きだ。愛している」

「え、えぇっ!?」


 真っ赤になるニコラ。

 情けなく狼狽える彼女の体に、ゲヘナはふんわり抱きついた。


「こんな俺に愛を語ってくれて。こんな俺だからいいと叫んでくれて。本当に嬉しかった。本当に救われた。そんなキサマを、最期の時までずっと守っていきたいと思っていた」


 それは嘘偽りのない、信念の誓い。

 なにがあっても譲れない、違えない、そんな約定のはずだった。


「だが、共に時を過ごす内、泣き喚く無様さを眺める内、命乞いを重ねる様を堪能する度、俺の心は満たされ、同時、迷いが生じ始めたのだ」


 哀愁を帯びるゲヘナ。

 やり取りを見つめるヴァンパイアは、「あれ、これいい話なの……?」と小首を傾げていた。


「俺と共にいることが、本当にニコラの幸せなのかと。こんな女で足を止めず、もっとキサマのことを思ってくれる、本当に優しい者と愛を育むべきなのではないかと……」


 ニコラと一緒にいた彼女。

 その出会いを、思いを聞き、それは一層強くなった。


 だからと、ゲヘナは決意する。


「俺は、ニコラを愛している。だからこそ、思いに蓋をするべきだと思ったのだ」

「ゲヘナちゃん……」


 言葉を失うニコラ。

 ゲヘナは背を向ける。


「さあ、分かったら行くがいい。先の姿は闇夜の幻。この程度の有象無象、邪竜にとって、取るに足らぬよ」


 今度こそ、本当にお別れだ。

 別離の時は今であると、ゲヘナは痛む心を捻じ伏せる。


「あ、あのね? ひとつ、いいかな?」


 ニコラは食い下がってくる


 ゲヘナへ対し、熱い告白をしてくれた彼女だ。

 きっと諦めきれず、追いすがろうというのだろう。


 そう推測するゲヘナだったが、しかし、なんというか。


 ニコラは落ち着きがなく、顔色が悪い。

 愛しい人との別離を惜しむ恋人というよりは、悪戯がばれた幼子のように、居心地の悪そうな様子を見せているのだ。


 違和感を覚えるゲヘナへと、ニコラは口ごもりつつ言葉を紡ぐ。


「え、えーっと、その、なんといいますか……。この流れをぶった切ってしまうのは、折檻ものかもしれないんだけど。気付いた以上、流石にこれは言わないとズルいと思うから……」

「なんだろうと言ってみろ。思い残しのないようにな」


 もしかして巣に滞在していた間に、調度品や家具に傷を付けてしまったのを隠していたとか、料理をつまみ食いしていたとかだろうか。

 そうだったとして、気にする必要など一つもないのに。


 微笑ましさと哀愁を覚えるゲヘナの背中。

 ニコラは逡巡を見せつつも、意を決して口を開き、







「あ、あのね? わたし、愛なんて語ってないんだけど……」







 微笑ましい隠し事などでは到底収まりきらない。

 両者の関係を根底から覆す、超ド級の爆弾を爆発させた。




「………………ほぇ?」


 ゲヘナの口から、今までで一番情けない、声らしきものが漏れる。

「やっぱりいい話じゃなかったんじゃない……」と、ヴァンパイアは頭を抱えてしゃがみ込んだ。



「……」



 そしてゲヘナは、石になった。



 しかし、そこはさすが伝説の邪竜。

 すぐさま立ち直り、ふははと高笑いを繰り出した。


 フラフラと、よろめいては、いたのだが。


「ふ、ふははッ! この土壇場でトンデモ発言。空気を読まずの無粋な妄言、まさにめちゃカワの極みッ! さ、流石はこの俺に愛を語った愚か者よッ!」

「そ、そのね? だから、愛なんて語っていないんだよ? どうやらわたしたちの間には、とんでもない誤解が生じていたみたいで……」

「もおっ! 冗談きついぞニーコラっ☆ あの熱い告白が、愛の囁き以外であるものかっ♪ ラブなアタック以外であるものかっ♪ お姉ちゃんのいじわるぅー♪ ごろごろにゃーん☆」

「ああッ!? ゲヘナちゃんがぶっ壊れになられてッ!? でもごめん、あれ本当に違うのッ! あの時は、私欲のためだけにヤケになってて……!」


 むりくり夢見る乙女モードを起動し、負荷に耐え切れずぶっ壊れるゲヘナに、ニコラは伝えたと誤解していた真実を語る。


「さっき言ったけど、わたし、元ひきこもりで! 貴族の名家に生まれたんだけど、この臆病さを遺憾なく発揮して引きこもってて! 痺れを切らしたお母さまに、いい加減にしろって追い出されて! 泣いて縋るわたしに、どうしても引きこもりたければ、竜の逆鱗でも持って帰ってきなさい、そしたら考えてあげるからって無理難題突きつけられてッ!」


 まくし立てるニコラの顔色がどんどん青ざめていく。

 そのことが、口にした言葉に偽りはないとなによりも示している。


「旅の途中で出会ったクォンちゃんが、本に乗ってないような竜に関係する地域を知ってて、彼女の案内で旅してたの! そうして出会えたあなたに、あなたごと竜の逆鱗下さいなって頼み込んだつもりだったんだ! お母さまに、本物の逆鱗だって説明するために!」


 恐怖に震えながらも、ニコラは真実を伝え終える。

 そうして縮こまって小さくなる彼女の前で、ゲヘナは俯かざるを得なかった。


「……そうか。つまり俺は、一人馬鹿みたいに踊っていただけか……。してやられたというわけか……」

「ご、ごめんなさいッ! だけど信じてッ! 謀るつもりなんて一切なかったのッ! これだけは本当なのッ! だから――」




「人間風情が、この俺を辱めたということか……ッ!」




「ひ、ひいいぃッ!?」


 闇を濃くしたゲヘナが、ニコラへと歩み寄る。

 顔面恐怖塗れになったニコラは、限界を超えた土下座を繰り出した。


「も、申し訳ありませんッ! 本当に申し訳ございませんッ! だけどどうか、命だけはッ! 命だけは助けてくださいッ! わたし、今は本当に――」


 命乞いを見せる騎士。


 彼女へと、邪竜が情け容赦をみせることなく下したのは、






 優しい、くちづけだった。






「……!?」

「ふふっ。まったくしてやられた。本当に愚かしい人間よっ」


 頬へ触れさせた薄紅を、少し惜しみながら離す。


「あーあ。やはり、邪竜が恋だの愛だの、望むものではないかぁ。分不相応というやつかぁ」


 後ろ手を組んで、嬉しさと無念さを吐露する。

 そしてゲヘナは、ほっぺたを押さえて硬直するニコラの鼻先へ身を乗り出すと、感謝を笑顔で表した。


「だが、これはこれでだ。愚かしい人間。矮小で愚鈍で、そして、愛する人間。その粋を堪能できたと思えば、それでよし。よしとしよう。誤解していたのは、この俺もだったしな」


 ゲヘナはおかしそうに笑って、ニコラの瞳をしかと見つめた。


「ここまでこの俺を戸惑わせ、思い悩ませ、愛に狂わせ。キサマは我が生涯、最低で、最高で、最愛で。本当にめちゃカワな人間だったぞ?」

「ゲ、ゲヘナちゃんッ! 待ってッ!?」


 追いすがる声。

 取り乱すめちゃカワさを十分に堪能しながら、ゲヘナは背を向けた。


「ゲヘナちゃんッ!」


 そして、最期に手を伸ばす彼女へと、後ろ手を組んだままで振り返り。


「大好きだったよ。めちゃカワすぎる、ヘタレ騎士さん?」


 悪戯っぽく笑い、残った力を解放した。



***



 秘境の砂漠に、再び闇色のドームが現れ出でる。

 邪竜の力にて形取られたそれは、術者が解除するか、命尽きなければ消えることのない、闇の闘技場。


 最愛の人間が巻き添えをくわないように、ゲヘナは自分とヴァンパイアたちのみをドーム内へ隔離したのだ。


 ゲヘナは一つ深呼吸する。


 気持ちの切り替えは、正直できていない。

 だがそれは、最期に残った彼女の残り香を堪能するようであり。

 それもまあいいかと思えている自分がいた。


「長々と茶番に付き合わせて悪かったな。さあ、続きだ」

「あ、ああ、うん……。その、えっと」


 言葉に詰まるヴァンパイアに、ゲヘナは不敵に笑いかける。


「なんだその目は? 道化だと一笑に付すがいい」

「そ、そんなことできるわけないでしょ!? 失う痛みに、恐怖がないあたしじゃないし!?」


 声を荒げて慮った後、ヴァンパイアは気まずそうに言う。


「だから、失ったお前に言うのは、正直気が引ける。だけど、それでも言うわ。その血、おとなしく差し出しなさい」

「……それは、思い人のためなのだな?」

「……ええ」


 ここまでのやり取りにて抱いた予想に、ヴァンパイアは頷いた。

 

 かつてゲヘナは、友に聞いたことがあった。

 ヴァンパイア一族に伝わるマジックアイテム。

 その中には闇の力を増幅するものや光の力を減衰させるものがあり、素材としてドラゴンの生き血を必要とするらしいのだ。


 それこそが目的を達する手段であると、ヴァンパイアは決意を握る。


「あたしには、力が必要なの。この想いを遂げるための。呪われし聖の輪を食い千切るための。圧倒的な闇の力が!」

「! 呪われし、聖だと……!?」

「だから差し出しなさい。生の脈動を知らせる真紅、その温もりを」


 ヴァンパイアは、懇願するように命じた。

 何を投げ打ってでも救いたいという、本当に大切に思っていることの分かる、切なげな表情。

 例外的な人間なんかもいるが、自分のことのためだけに、こんな表情はできやしない。



 協力してやるのも、やぶさかではない。

 だが……。



「断固拒否する。俺の力は人間を呪う。今はまだ、封印が解けて間もないためか、それほどではないが。一時すれば力が強まり、呼応して影響が出るはずだ」



 その身が邪を抱いているから。

 誰も不幸にしたくないから。



 譲れぬ思いを譲れぬ思いで振り払う。

 ゲヘナは、邪竜らしからぬ邪竜だった。


「……そう」


 短く応えると、ヴァンパイアは跳躍し、ジェヴォーダンへと乗り込んだ。

 ボロボロの肢体が、軋みながら立ち上がる。

 溢れ出る血液で、ブラッド・アーミーたちは量産される。


 臨戦態勢を取るヴァンパイアへ、ゲヘナは言う。


「……考え直す気はないか? ドラゴンは絶滅した種族。だが、この世は広い。捜し回れば、俺のような邪竜でないものが生き残っているやも――」

「初めはそう思ったわ。でも、アイツにはもう、時間がないの……ッ!」


 ヴァンパイアは、話は終わりとばかり、その瞳に決死を宿し、叫ぶ。


「お前の生き血は必ず頂くッ! 救いを求めるアイツのためにッ!」

「……なればこそ、絶対に手渡せぬッ!」


 そうして闇の化身たちは、最期の戦いを繰り広げんとする。




 刹那、ドームが砕け散る。




「むうッ!?」

「な、なにッ!?」




 目を見開くゲヘナたち。



 




「待ってって……言ったよね?」





 驚愕の先で呟いたのは、闇色の槍を手に、バスタオル姿で息を切らしているニコラだった。


「う、嘘でしょ!? 人間が、この純度の闇を打ち砕いたの……ッ!?」


 このドームは、触れ続ければ対象を焼き尽くす特性をもっている、闇を帯びた鉄壁の檻。

 先にアダマンタイト・ジャイアントの剛腕ですら打ち破ること叶わなかったのが示すように、物理攻撃はおろか、司祭たちが束になって光魔法を撃ち込んでもヒビすら入らない強固な牢獄だと伝え聞いていたのだ。


 その非常識を引き起こしたのは、その手に握られたものが原因だった。


「……ミルクトゥース。俺の乳歯を素材とした、魔槍だ」


 魔槍ミルクトゥース。

 かつて竜の強大な力を欲し、他のモンスターと同じく素材としようと画策した人間たちにより、いくつか作られた竜族を素材とする禁忌の武器の一つである。


 かつて乳歯が抜け落ちた際、自身の呪いを自覚していなかった頃のゲヘナが、人里へ潜入した時に見聞きした人の行いを真似て、秘境の奥地の山を屋根と見立て放り投げたものが、運悪く悪辣者の手に渡り、武器と変じさせられたのである。


 その特性は防御無視――正確に言えば、ゲヘナの炎と同じく、使用者の望んだもののみを焼き尽くす特殊な攻撃性――であり、その力によって、ニコラはゲヘナの闇のドームを穿ったのである。

 

 魔槍は完全な頃のゲヘナの素材で出来ている。

 だとしても、乳歯一本には(ゲヘナからすれば)僅かな力しか宿ってはいない。


 アダマンタイト・ジャイアント戦の折、ミルクトゥースにて展開されたドームを打ち破ることにゲヘナが苦戦したのは、封印によってそれほどまでに力が弱まっていることを意味していたのだ。

 自身と同じ力を焼き尽くすと設定して攻撃しても、乳歯一本の力に押し負けるほど、ゲヘナは弱まっており、破るどころか多く身を焼くばかりだったのである。


 だが、そうだとしても、魔槍はゲヘナの歯から出来ている。

 その槍でゲヘナの術に攻撃をするということは、自身の本体へ牙を剥く行為に等しい。


 もちろん代償は小さくなく、抵抗する魔槍を無理やり従わせて攻撃し続けた結果、槍の穂先が体を掠めて痛々しい生傷が何か所もでき、赤熱する柄を持ち続けたことで、両手の平は、皮が焼けて肉が爛れていた。


 しかし痛がる様子もなにも見せず、ニコラはゲヘナだけを見ていた。

 だがその瞳に宿るのは、愛しさでも、嬉しさでもなく。


「……待ってって、言ったよねッ!?」


 息を切らして叫んだ瞳には、強い怒りが宿っていた。


 彼女にしては珍しい挙動。

 今までのままだったら、珍しい様もめちゃカワだと、ただ胸を弾ませればよかった。



 だが、彼女は自分といるべきでない人間。

 突き放すべき、大切な輩だ。



 ゲヘナは心を殺し、冷徹な視線を向ける。


「……その無粋さは可愛くないぞ。俺は別れを告げたのだが、分からなかったか?」

「分かってるよッ! でも、わたしだって、待ってって言ったのにッ! そっちこそ分からなかったのッ!?」


 邪竜の威嚇を、しかし臆病騎士は臆することなく迎え撃つ。


「勝手が過ぎるよッ! 傲慢が過ぎるよッ! わたしはまだ、言いたいことがあったんだよッ!?」

「ふん。キサマの都合など、この俺は知らぬ」

「ゲヘナちゃんッ!」


 切り捨てるゲヘナへ、ニコラは感情のままに駆けてくる。


 そうして辿り着いたニコラの腕を、ゲヘナはぶっきらぼうに鷲掴んだ。


「さえずるな。やかましい」

「!」


 そしてゲヘナはそのまま振り上げると、彼女を地面へと叩きつけた。


「なッ!?」


 悲鳴をあげるヴァンパイア。

 先に彼女がされたように、ゲヘナはニコラで地を割ったのだ。


 しかし、ヴァンパイアは凶悪な力を持つ人外。

 対してニコラは非力な人間。

 それに今は、鎧を纏わずタオル一枚だった。

 

 思わずヴァンパイアはゲヘナに叫ぶ。


「お、お前ッ!? そんな暴虐……ッ!?」

「非難などちゃんちゃらおかしい。邪竜とは人を蹂躙する者。違うか?」


 鼻で笑うゲヘナ。


 そうして冷たい瞳をする彼女だったが、拳を握り、食い込む掌から血が流れるのを、必死で悟られないようにしていた。


 対し、大きなクレーターの掘削物とされたニコラは、よろよろと立ち上がる。


「ゲ、ゲヘナ、ちゃん……」

「ほう? 息があったか? だが、骨の数十は砕けているだろう? 無理せず、そこで這いつくばっているがいい」


 大切な彼女を負傷させて痛む心を食い殺し、ゲヘナは余力を振り絞って跳ぶ。


「――今、楽にしてやろうッ!」

「お、お前ッ!?」


 ヴァンパイアが制止をかける暇もない。

 到達したゲヘナは、立ち尽くすニコラへ拳を振り上げる。


「さらばだッ!」


 痛みをこらえ、握った拳。



 だが、それは空を切る。



「ッ!?」

「このおおおおぉッ!」


 驚くゲヘナの視線の先。

 体勢を逸らして回避したニコラが、腹部目掛けて上段に拳を振り上げたのだ。


「がッ!?」


 モロにくらったゲヘナは宙を舞い、受け身を取れずに落下する。

 砂の上に仰向けに転がる彼女へ、ニコラは思いの丈をぶち当てる。


「……だからッ! 勝手が過ぎるよッ! なに一人で決めてるのッ! なに一人で終わろうとしてるのッ! 今のゲヘナちゃん、大嫌いッ!」

「……ふ、ふふ。大嫌い、か」


 思っていた相手からの、拒絶の言葉。

 すでに後腐れないと決断したはずなのに、それはいささか以上に、ゲヘナの心を苦しめた。


「この俺に意見していいのはこの俺だけ。その他など、気にもならぬはず。なのに、どうして、零れ落ちるのか……」


 滲む涙を拭いもせず、ゲヘナは言う。


 ぼやける視界に映る夜空。

 浮かぶ天体は、自身と同じく、ずっと変わることのない存在。


「嘆いたところで、どうにもならぬ。こんな俺は、どうにもならぬ。邪竜と生まれた以上、流れても、意味はないというに……ッ!」

「意味ならあるよ」





「わたしが抱きしめる口実になる」





 呟き、ニコラはゲヘナを抱きしめた。


「……!」


 跳ね上がる。


 もう覚えることができないと、そう決意したあったかさに包まれて。

 胸が弾み、覚えたことのないむず痒い波が、へそ下を起点に全身をかけ巡りそうになる。


 だが、それはダメだ。

 もう自分は、この臆病な人間を感じてはいけないのだ。


「愚か者がッ! その手を今すぐ放せッ! 食い殺されたいかッ!? 誰に許可を得て、この俺を抱きしめて……ッ!?」

「許可なんて、必要ある?」

「なにを……!?」






「だってわたし。ゲヘナちゃんが大好きなんだよ?」






「……!?」

「大好きな人と大好きな人。大好き同士がいちゃいちゃするのに許可がいる?」


 

 思考が停止する。


 

 待望していたその言葉。

 しかし、その口から聞くことなどできないと、諦念に包まれていた、その言葉。


 あり得ないはずだった。

 あり得てはいけないはずだった。


 だというに、彼女はそれを口にした。


 嬉しさが浮かび上がりそうになる。

 今すぐ抱きしめ返したくなる。


 だが、これは嘘偽り。

 そうでしかない、そうでなければならない。


 ゲヘナは口元が綻びそうになるのを必死でこらえ、ニコラを突き放す。


「ふ、ふざけるのも大概にするがいいッ! そ、そんな最低な謀り、めちゃカワでもなんでも……!?」

「ふざけてなんてないよ。謀ってなんかないよ。この胸の高鳴り、謀る事なんてできないよ」

「ッ!?」


 甘く囁き、優しく包み込むニコラ。

 ゲヘナの虚勢が、強がりが、すべて彼女で溶かされていく。


「ゲヘナちゃんは、こんな俺だなんて言ったけど。そう言いたいのはわたしのほうだよ」


 ニコラは告白する。


「臆病で、ずるくて、情けなくて。きっと世界中の誰よりも、わたしはヘタレだよ。それじゃダメだって言われて、頑張ったこともあった。家系に相応しい、お姉ちゃんのように騎士らしい人間になろうって」


 しかし、努力が実を結ぶとは限らない。

 実感と共に、彼女は結果を口にする。


「でも、どうしてもなれなかった。誇りのために、他者のために、自らを犠牲にするなんて。死を恐れないなんて、理解できなくて。命を大切としないなんて、まるで感情のない人形みたいで。立派だと、みんなはお姉ちゃんを褒めていたけれど、わたしには欠陥品にしか見えなかった。……おかしいよね?」


 秘めていた過去。

 大多数に賛同できず、少女はマイノリティとして生きることを選んだ。


「それからずっと、わたしは自分のためにだけ生きてきた。人間だって生き物だもの。生き物は保身に走り、種を保存しようとするものだもの。この生き方、間違っているとは思わない。これこそ、生き物らしいよね?」


 しかし、その生き物は、異物を排除する性質を持つ。

 人間として理性を持って生きようとも、その本能の部分は排せない。


 ニコラは悲しげに瞳を伏せる。


「だけど、受け入れてくれる人はいなかった。……当然だよね? 他の人を蹴落としてまで生きようとする、この図々しさ。いつだか言われたように、人間の暗部を如実にする見苦しさがあるもの」


 理性があるからこそ、人間は理性的に生きようとする。

 そして、本能で生きることを醜く感じる。


「本能で生きて、それを恥じない。誰でも少しばかり持っている醜さを、強調するわたし。……こんなわたしこそ、きっと、生まれながらの欠陥品」



 それが、少女の出した結論。

 生まれながらに欠けているからこそ、万全となることは叶わないと。

 自らが不適合だと自覚した結論。



 生き方は間違っていない。

 自分こそが正しいと、誇らしいと切に歌える。


 ……だが、彼女は賛同されない異物であり。

 気にしなくても、時々胸がチクリと痛む。


 だがそんなもの気のせいだと。

 痛みに気付かないふりをして……切なさに気付かない振りをして、一生を終える。




 そのはずだった。




「だけどね? こんなわたしのこと、大好きだって言ってくれる人が現れたんだ。その人は、とっても傲慢で、我儘で、でも、他人の意見なんて全然気にしない強さを持ってて。すっごくカッコよくて、可愛くて。……わたしのこと見捨てないで、一緒にいてくれた」


 ニコラは瞳を閉じ、充足感を抱きしめる。


「それがすっごく嬉しくて。ああ、わたし、このままでもいいんだなあって、救われた気がした。それが、どれだけ嬉しかったか」


 その気持ち、分かるとも。

 分からないはずがない。


 ありのままの自分を受け入れられること。

 他者の意見を気にしないとは言っても、それは格別だ。


 それは、生まれて、生きて、死ぬことを、誰かに祝福されると言うこと。


 大勢に否定されたとしても、ただの一人が賛同してくれるだけで、救われる。

 王者を気取り、傲慢に染まりながら、心のどこかでゲヘナが望んでいたこと。


 言葉に詰まるゲヘナに、ニコラは言う。


「気付いたときには、あなたのこと好きになってた。でもわたし、ヘタレだから。万が一にもフラれるのが怖くて、なかなか言い出せなかったんだ。……こんな臆病者に好かれて、困っちゃうかな?」

「そ、そのようなことなど……!」


 ぱあっと顔を輝かせるゲヘナ。

 だが、問題点は解決したわけではない。


「だが、いいのか?」

「? なにが?」

「俺は邪竜だぞ? 共にいれば、やがて本領を取り戻す呪いがキサマを……」

「の、呪いッ!? え、嘘ッ!?」


 途端、ニコラは慌て始める。

 どうやら、知らなかったらしい。


「ど、どどどうしようッ!? あばばばば!?」

「……」

「ああ!? そんな顔しないで!? だ、大丈夫ッ! そ、そんなの、愛の前には無敵だよッ!」


 若干言葉遣いが狂っているが、要は、愛の前に敵はないと言いたいらしい。


「あ、あのな? 無理はしなくていいのだぞ? キサマを困らせるのなら、俺は……」

「だ、大丈夫ッ! いや、正直大丈夫ではないけれどッ! 呪いをこの身に受けてでも、わたしはゲヘナちゃんと一緒にいたいのッ! あなたと一緒に生きていたいのッ! そっちのほうが優先されるのッ!」


 ニコラは震えながらも強く言い切った。

 その言葉に、嘘はない。


 保身を第一としながら、命乞い第一主義でありながら。

 それでも彼女は、邪竜であるゲヘナの手を取ってくれた。


「あ、あはは。なんだか、信じられないよね? わたしだってそうだよ。わたしらしくないって思うもん。でも、胸の高鳴りが教えてくれるんだ。この想いは本物だって」

「! ニコラっ!」


 だからゲヘナは、思いを乗せて、彼女へ飛びついた。

 嬉しさの全てを、零れ落ちる涙に乗せる。


「ニコラっ! ニコラああぁっ!」

「よしよし……。ゲヘナちゃん、こんなわたしの在り様を全て認めてくれてありがとう。そんなあなたの全てを、わたしだって認めたい」


 泣きじゃくるゲヘナの頭を優しく撫でながら、ニコラは告白する。


「だからお願い。わたしと一緒に老衰しよう?」

「……うんっ! うんっ!」


 ゲヘナはニコラの胸で咽び続ける。

 彼女を優しく抱きしめながら、ニコラは思いを零す。


「ありがとう。あなたに出会えて、わたしとっても幸せだよ。家、追い出されて良かった……」


 戦場の只中であるのを忘れて、二人はしばしそうしていた。

 

 その後、落ち着いたゲヘナへ、ニコラは語る。


「ゲヘナちゃん。わたしね、認められるようになって、すごく思うようになったんだ」

「うん? なにを?」

「このままじゃ、イヤだってこと」


 そして、ニコラはゲヘナを優しく引き離し、見上げる。



 佇む血の軍勢、それを従える闇の化生を。



「……ハッ!?」


 見定められたヴァンパイアが、咄嗟にいい感じのポーズを決める。

 ハンカチで目元を拭っていたように見えたのは気のせいだろうか……?


「ピンピンコロリな老衰コースを望んでいるのは変わらない。誰かを身代わりにしたいのも変わらない。でも、それだけじゃイヤだって思うんだ。……大切な人を、守りたいって」

「……ニコラ」

「だからわたし、戦うよ。あなたと一緒に平和に生きていきたいから。この狂宴を終わらせる」


 ニコラは強く宣言する。

 それはヘタレ騎士としてでも、凛々しい騎士としてでもなく。

 ただ、愛する人を守りたいという、ただの人としての宣言だった。


「うむっ! 望むところだっ!」

「ありがとう。わたしの決意、応援してて? ゲヘナちゃん」


 ニコラは槍を手に構え直す。

 そんな彼女へと、ヴァンパイアは不敵な笑みを見せる。


「クククッ! 茶番はようやく終わりかしら? 退屈過ぎて、茶々を入れる気にもならなかったけど」

「ありがとうございました。おかげで想いを伝えることができました。あとは、あなたに打ち勝てば、とりあえずのハッピーエンドです」

「打ち勝つ? クハハッ! 笑わせないでよッ! 人間風情が闇の軍勢を討滅するとッ!?」

「うむ? 先に討滅していたではないか?」

「あ、あれは不意を突かれただけよッ!? あんなのノーカンよッ! ノーカンッ!」


 純粋な疑問を、ヴァンパイアは真っ赤になって切り捨てた。


 その後、ヴァンパイアは軽く咳払いし、なんとか夜の王の威厳をひけらかすっぽいポーズをとる。


「人間風情が闇に挑むなど、身の程を知りなさい。……八つ裂きにするわよ?」

「ヒ、ヒイィッ! そ、そうですよね!? すみません、冗談が過ぎましたッ!」

「? なによ、えらくあっさり引き下がるじゃない」


 せっかく調子が戻ったところだったのに拍子抜けだと、眉をひそめるヴァンパイア。

 対し、ニコラは震える。


「わ、わたしは、あなたに攻撃しました! つまり、恨みを買いましたッ! 夜の王に、な、なんて恐れ多いことをッ!?」

「うんうん。そうよ? お前は許されざる狼藉を働いたの!」

「で、ですよね……! 絶対に、許されないですよね……!?」

「ふふんッ! 当然よッ! 人間風情が誇り高いこのあたしに盾突くなんて、許されるわけないでしょうッ!?」


 不審を抱いたヴァンパイアだったが、ニコラの恐れおののく姿にすぐさま誇り高いヴァンパイアとしての信念が燃える。



 そうして、彼女は調子に乗っていたのだが。



「……だからこそ、打ち勝つなんかじゃ、ダメなんです。そんなの、生ぬる過ぎるんです……」

「え? な、なんか、雰囲気が仄暗く……?」


 不穏さを覚え、気圧されそうになるヴァンパイア。

 彼女を――ハイライトの消えた瞳が射抜く。






「――息の根を止める。存在を消す。跡形すら残さず、完璧に……ッ!」






 そして存在抹消を高らかに謳ったニコラは、槍を手に急斜面を駆けあがり始めた!



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