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ただいま


 闇夜の砂漠に、夜の王が出現する。


 砕け散り、川のように流れ出始めた温泉。

 もはや露天風呂などと呼べなくなった瓦礫の中、佇むゲヘナは、視線の先の少女へと言い放つ。


「はああ。せっかくの手製風呂が台無しだ。無粋の極みだぞ、キサマ」

「無粋なのはそっちでしょ? せっかく見つけたと思ったら、水の中に浸かっているんだもの。あれじゃ手を出せないじゃない!」


 少女は我儘な理屈で反論する。


「そういえば、キサマらヴァンパイアは、水を越えることができなかったな?」


 ヴァンパイア。

 夜の王とも呼ばれるモンスターである。


 その膂力は人外の極みであり、吸血した人間を同胞と変えて増えていく。

 物理攻撃だけでなく、対象の心を惑わす魔法も自在に扱う、決して侮れない相手である。


 洗い場に立つゴスロリ服の銀髪少女は、邪竜たるゲヘナを前にしても一切萎縮しない。

 それは命知らずという理由からでなく、自身の力に絶対の自信を持っているからこそだった。


「だからと言って、風呂ごと叩き割るヤツがあるか。その愚かさ、まあめちゃカワの部類に入らなくもないが……」

「え?」


 目を瞬かせる少女へ、ゲヘナは申し訳なさそうに応える。


「期待に外れて残念だろうが、この俺に靡くつもりは一切ない。許せ」

「あ、あの。一体何の話なの……?」

「動揺するのも無理からぬことよ。一世一代の愛の告白が失敗に終わったのだからな。だが、安堵せよ。わりと可愛いその容姿、性格は難アリだとしても、世は広い。物好きの一人や二人――」

「ちっがーうッ! 愛を語ったわけではないわあぁぁッ!」

「うむ?」


 意味するところを理解したヴァンパイアが、真っ赤になって否定した。


「奇襲をかけた相手に対して、どうしてそう思うのよッ!? お前ホントに邪竜なのッ!? あと性格に難アリは余計が過ぎるわぁッ!」

「おお、クォンに負けず劣らずキレッキレな指摘。キサマこそ本当にヴァンパイアか? 芸人の間違いだったりは――」

「なりたくてこうなったわけじゃないわよッ!? 誇り高いヴァンパイアのあたしに、ツッコミなんて道楽がすぎる特技習得させてくれやがってッ! ああクソッ! あのロリコン修道女があああッ!」


 食い気味にツッコむその姿勢は、まさに芸人。

 叫ぶ彼女の姿にワクワクしかけるゲヘナだったが、しかし、ちょっと気になる言葉があった。

 

「ろりこん? なんだそれは? 禁じられた魔導書かなにかか? ネクロノミコン的な?」

「ある意味それより危険なヤツらよッ! 即刻火に焚べるべきねぇッ!?」


 尋ねるゲヘナへと、ヴァンパイアは嫌悪感丸出しで言い切った。


 なんと、修道女という神聖で儚いはずの存在が、そのような強靭無比な者となっているとは。

 騎士でありながらヘタレ&狂戦士なニコラがいることといい、そんな者がいることといい、本当に今の人の世はどうなっているのだろう。

 ゲヘナは、俄然興味がわいた。


「うむうむっ! なんだかとても楽しそうだなっ! できるものなら俺も、ろりこんとやらに会ってみたいぞっ! かぶりつきでっ!」


 無邪気に宣言するゲヘナの姿に、ヴァンパイアは顔面蒼白となる。


「お、お前なに言ってるの!? 自分の容姿分かってる!? ホントにかぶりつかれるわよッ!?」

「ふははっ! 人の身で邪竜たるこの俺に食らいつくと来たかっ! ただの人間風情では、この俺に傷一つ付けることすら能わぬというにッ!」

「いやそのね!? 傷が付くというかキズモノにね!?」

「だから傷など付こうものか! 望むがまま、欲望のまま、なんだろうとしてみるがいい! どんなことをされたとて、この俺は絶対に屈さぬぞっ!」

「ねえもうやめないこの話題ッ!? というかやめようッ!? やめてくださいお願いしますッ!」


 どうしてかヴァンパイアはヒヤヒヤした顔で懇願してきた。

 誇り高いはずのヴァンパイアが、ヘタレ騎士のように頭を垂れる。

 見たことのないその絵面には、他者に強制されることを好まぬゲヘナすらをも唸らせる、得も言われぬ力が込められていた。


「むぅ!? なんだこの強制力は!? この俺ですら、抗えぬだと……!?」


 もしやこれこそが心を惑わすヴァンパイアの本領だろうか。

 強大なこの身には精神操作系の力は通用しないはず。

 だのに意のままに操る力、ゲヘナが封印されている間に身に着けたと言うのか。


 的違いな畏怖を覚えるゲヘナの心中など知らず、危険な話題が終わったことにヴァンパイアは胸を撫で下ろした。


「ああもう、なんなのコイツ……。なんでこんなに純粋なのよ……? とてもお母さまとなんて――」


 独り言ちるヴァンパイア。

 なんというか、気苦労が絶えないらしいのが感じ取れた。

 悩む彼女へ近づいたゲヘナは、肩をポンポン叩いてあげた。


「うむ。なんというか、苦労しているのだな、キサマ」

「そういうお前も新たな苦労よありがとうッ!」

「?」


 突如心臓を穿ちに来た神速の拳。

 ゲヘナは難なく回避する。


「? なにをする。この俺でなければ命がなかったやもしれぬぞ?」

「うるさいッ! そもそもあたしは、このために来たのよッ!」


 いまだ状況が呑みこめないゲヘナを、真紅の双眼で射殺そうとするヴァンパイア。


「最初に言ったでしょう!? 『それは聞けない終焉ね。お前の命、このあたしが予約済みよ?』って! お前を打ち倒し、その生き血を手にすることこそ、このあたしの目的よッ!」

「そうか、この俺の血を……」

「な、なによ!? だからそう言ってたでしょッ!?」


 突如しゅんとするゲヘナに気圧されながらも、ヴァンパイアは言う。


「あ、あとあれよ! 言っておくけど、血って言っても、え、ええ、えっちな意味じゃないからね!?」

「? どうしてそうなる? 関連性が見えぬのだが……」

「な、なんでもないわよ! ……そ、そうよね、普通はそういう反応よね」


 ヴァンパイアは、なぜだかほっとした様子を見せた。


「なるほどな。どうやら俺は、勘違いしていたらしい。命が予約済みなんて言うから、命イコール心身、予約済みイコール占有したい。よって、キサマのすべてを占有したい。つまりは、愛の告白かと」


 ゲヘナの説明に、ヴァンパイアは納得した様子だ。


「言われてみれば、キザったらしい愛の告白にとれなくもないわね……」

「うむうむっ。誇り高いヴァンパイアらしく、カッコよく決めたかったのだろうが、誤解させては意味がない。もう少し推敲を重ねるべきだったぞ? 『生の脈動を知らせる真紅。その温もりを、我がものに……ッ!』とかなっ?」

「な、なるほど……!」


 ゲヘナの例文に、ヴァンパイアはキラキラと瞳を輝かせていた。


「このあたしを唸らせるとは、流石は邪竜ね。認めざるを得ないわ……!」

「ふははっ! まあ、次に活かせばいいのだ。もっとも今回の誤解は、先に情熱的な告白を受けたが故でもあるのだが――」

「ってそうじゃないでしょなんなのよもおおおおッ!?」


 突然叫ぶヴァンパイア。

 キイキイ言いながら、彼女は怒りを露わにする。


「なんなのよ! もうホンットきまらないッ!」

「ノリツッコミというヤツがか? 案ずるな、意図していたのなら、今の叫びはキレッキレの模範的で――」

「違うわよそんなわけないでしょうがッ!? カリスマよッ! ヴァンパイアとしてのカリスマがよッ!?」


 少女は頭をかきむしる。


「ああもうッ! お前ホントに気に食わないッ! お前ホントに気に入らないッ! あのロリコンと話してるみたいでッ!」


 涙目になりながらヴァンパイアはゲヘナを睨みつける。

 その様子は、我儘が通らないと駄々をこねる幼子に見えなくもない。


  だが、一つ違うものがある。



  殺意。

 

 

 幼子が冗談で口にする言葉に、決して含まれない仄暗い感情。

 それが、小さな口から放たれる言葉に、並々と乗せられていたのだ。


「絶対殺すッ! ぶち殺すッ! 夜の王をコケにしたこと、地獄で後悔させてあげるッ!」


 そうして闇夜の温泉跡で、ようやくヴァンパイアが牙を剥く。



***



 殺意に震えたヴァンパイアは、情け容赦を捨てていた。


「ハアアッ!」


 常人には視認することのできない、神速となる彼女。

 そこから繰り出される岩を砕いた拳の一撃が、ノーガードのゲヘナの顔面にぶち当たる。


 幼姿であるゲヘナに対しても一切遠慮しない、全力の一撃。


 だが、


「なんだ? 虫でもついていたか?」


 ゲヘナは涼しい顔で、微動だにしていなかった。

 その顔には欠損どころかかすり傷一つ付いていない。


「……チッ! それならッ!」


 舌を鳴らした後、再び姿を消すヴァンパイア。


「死を招く連撃でえぇッ!」


 上から、下から、横から。


 ありったけの膂力を込めた力任せの連撃を、ゲヘナへとブチ当てる。


 一撃必殺。

 それだけの威力を放てる力が、ヴァンパイアにはある。


 しかし、相手は伝説の邪竜。

 攻撃をよけることもなく、ゲヘナはただただ棒立ちのまま受け続ける。


「ふあぁ……」


 躱す必要さえないという風にたたずむゲヘナ。

 大きくあくびをする様が、ヴァンパイアの癇に障る。


「ッ! なら、これでどうよおおぉッ!?」


 姿を現し、真正面から振りかぶった渾身の拳。


 ガードさえ見せないゲヘナの腹部へ、穿ち貫くと叩きつける。


「……ッ!?」


 目を丸くし、息を吐き出すゲヘナ。

 衝撃に足元の岩がひび割れる。


 余裕が苦悶に変わり、ヴァンパイアは口元を歪めた。


「ハンッ! 余裕ぶってるから――」


 と、その手が掴まれる。


「今のは、存外良かったぞ?」


 口角から血を垂らしたゲヘナが笑う。

 その瞳に、凶悪が宿ったかと思うと。


「どれ、褒美をくれてやろう」


 そのまま大きく振りかぶり、彼女を地面へと叩きつけた。


「ガハッ!?」


 いいや、それでは表現が甘い。

 彼女で地面を叩き割ったのだ。


 先にニコラが魔槍を介して見せたような力業。

 露天風呂を完全に破壊し、隕石の落下現場へと変遷させる、凶悪な一撃だった。


「挑発に乗るとはまだまだ若い。その愚かさ、好むところではあるがな?」


 口元の血を拭い、戯れの結果へ目を向ける。

 そこへ、バスタオル姿のニコラが息を切らせてやってきた。


「ゲヘナちゃん大丈夫ッ!? 一体何がッ!?」

「……ニコラか。心配には及ばぬ。たった今、終わったところだ」



「なにが、終わったですって……?」



 砂煙の中から聞こえる、敵意全開の唸り声。

 巨大なクレーターの中心には、ボロボロの姿になりながらも、消えぬ闘志を支えに立つ、不屈の少女の姿があった。


「見当違いも甚だしいッ! このあたしは、まだ戦える……ッ!」

「ほおう。なかなかの気概ではないか? その愚かさ、嫌いではないぞ?」


 ゲヘナは見下ろし、嘲笑う。

 だが直後、申し訳なさそうにしゅんとする。


「しかしな? どれだけアピールしようとも、この俺が靡くことは――」

「だからそうじゃないって言ったでしょうがッ!? お前馬鹿なのッ!? ああもうやっぱり気にくわないッ!」


 ヴァンパイアは地団太を踏んだ。

 彼女へと、ニコラはおずおずと言葉をかける。


「あ、あの。戦えるだなんて言ってましたけど。そんなボロボロでゲヘナちゃんに歯向かうだなんて、そんな無謀――」

「痴女は黙っていろッ!」

「ひぃッ!? すみません、痴女じゃないけど黙りますッ!」


 殺気だけで殺されそうになり、ニコラは途端に萎縮する。

 そうしているうちに到着したクォンは、状況が理解できず驚愕する。


「な、なにが起こっているネッ!?」

「襲撃だ。ヴァンパイアのな」

「ヴァ、ヴァンパイアァッ!?」


 その言葉に、ニコラがぎょっとする。


「ヴァンパイアって言えば、危険度マックスな激ヤバモンスターだよね!? まともに戦えば勝ち目皆無な夜の王ッ!?」

「へえ。痴女、お前よく知ってるじゃない?」


 ガクガク震えて解説するニコラの姿に、ヴァンパイアに喜色がのぞく。

 それこそが夜の王を前にして本来取るべき行動だと、彼女は嬉しげに鼻を鳴らした。


 だが……。


「だけど吸血相手をえり好む、ノックに応えてもらえないと家の中に入れない、対策が行き渡ってなかなか吸血できない。結果、色々絶望して自ら命を絶つ者も現れて、昨今見る影もなくなって、『夜の王? やだもう下ネター?(笑)』なんて言われちゃったりもする、残念さもマックスなマジヤバドン引きモンスターでもあったりするよね!?」

「は、はあぁ!? お前なに言ってるのッ!? 適当なこと言ってんじゃないわよッ!? 八つ裂きにするわよッ!?」


 一転真っ赤になって激怒する姿に、ニコラは怖気づき、流れるような動作でクォンの背後に身を隠す。


「ひいぃッ!? ご、ごめんなさいッ! 暗記してた図鑑の内容が口をついてッ! 謝りますッ! 土下座しますッ! 誠心誠意見せつけますッ! だから命だけは助けてくださいッ! この子は八つ裂きにしていいですからッ!」

「おい」


 短い非難の後、長い折檻に晒されることになったニコラをおいて、ヴァンパイアは愕然とする。


「う、嘘でしょ……。誇り高い夜の王が、そんな、そんな扱いだなんて……」


 彼女は膝を尽き、地を仰ぐ。


「…………もうお家帰るぅ」

「「「えっ」」」

「な、なんでもないわよ! 何も言ってないわよ!? だからその目をやめろぉッ! まんまるさんに見開くなああぁぁッ!」


 幼児退行する姿にぎょっとする三人へ、ヴァンパイアは涙目で抗議した。

 意外に愛嬌のある相手なのかもしれないが、しかし、彼女は明確な敵意を宿している。油断などしてはならない。


 息を切らしながら、ヴァンパイアは怒りを露わにした。


「ああクソッ! どいつもこいつも気に食わないッ! 誇り高いヴァンパイアを弄びやがってッ! コケにしやがってッ!」

「え、えっと。そのネ? 今のは、あなたが自滅しただけじゃ……」

「見てなさいッ! 今に後悔させてあげるッ! このあたしの本気は、こんなもんじゃないんだからッ!」

「コイツも聞いちゃいねえヨ……」


 ヴァンパイアは歯を食いしばりながらクレーターを駆けあがってくる。

 先の一撃で負傷したのか、宙を舞うことができずに地を駆けてくる姿は、高速ではあるものの、力のないクォンにさえ危うく認められそうになるほどだ。


 強大な邪竜の豪撃をモロに食らったのだ。その衰弱は無理からぬこと。

 もはや、ゲヘナが本気を出す必要もないように思えた。


 しかし、ゲヘナは楽しげに笑う。

 そうして、邪竜の顔を覗かせる。


「本気ではないのはこちらも同じ。襤褸となっても諦めぬその愚かさ。評し、俺も滾ろうではないかッ!」


 凶悪に叫ぶと同時、迸る漆黒。

 夜闇を塗りつぶす、闇色の輝き。

 その暗黒は、圧倒的力を秘めた、彼女にのみ許された輝き。


「……ッ!?」


 闇の化身であるヴァンパイアが、眼前に出でた闇に怯んだ。

 闇の底の深淵、そこから噴き出した奔流に圧倒される。

 そうして硬直したその体を、顕現した剛腕が打ち据えた。

 

「ガッ!?」


 吹き飛ばされ、全身で地面を砕くヴァンパイア。

 その前に現れた暴虐の化身。


「キサマのような愚か者、嫌いではないぞ? だが特別は、特別だからこそ特別なのだ」


 横目でニコラを見やり、ゲヘナは語る。


「な、に……?」

「なに、理解など必要ない。それよりもキサマは、早々に曝け出せ」


 ゲヘナは――封印されし邪竜としての姿に戻った彼女は、傲慢にあざ笑う。



「信念の砕けるが先か。五体が砕けるが先か。愚か者の結末をなあああッ!?」



***



 そこからは、圧倒的だった。

 

 夜の王の強大さも、伝説の前では形無しであり。

 子供をあやす様に受け止められ、容赦なく地に叩きつけられる。

 歯が立たないとは、まさにこのことであった。


「はあ、はあ、はあ……」


 悠然と佇む邪竜に対し、ヴァンパイアの少女は満身創痍。

 体中傷だらけ、呼吸は荒く、豪奢なゴスロリ服は襤褸布となりつつあった。


 闇夜を支配する存在が、その闇に押し潰されるように地べたを這いずる。

 屈辱塗れな姿となって、心すら砕かれていてもおかしくはない。

 だのに彼女の瞳には、未だ消えぬ闘志が、爛々と燃え上がっていた。


「ただの獣風情が、このあたしに盾突くか……」


 身に染みた格上を獣と扱き下ろす。

 獣風情に負けるはずはないという一種の自己暗示。

 そうして自身を騙くらかそうとしながら、彼女は鞭を打って立ち上がった。


「ほう? まだ立ち上がるか? だが、もう不要だ。キサマの愚かさ、すでに腹一杯に堪能した。食傷気味で、これ以上はいらぬのだが……?」

「黙り、なさいッ! 余裕ぶっていられるのも、今のうちだけなんだから……ッ!」


 そうして強がるも、立っているのもやっとの様子。


「……」


 邪竜の瞳で見定めた後、ゲヘナは巨翼をはためかせ、彼女目掛けて飛翔する。


「ゲ、ゲヘナちゃんッ! もう、これ以上は……!」


 保身を第一とするニコラすら、敵の身を心配する。

 それほどまでに虫の息のヴァンパイアに、しかし、ゲヘナは容赦を見せず猛然と突き進む。


 身に受ければひとたまりもない、巨体による突進。


「ちぃ!?」


 ヴァンパイアは倒れ込むようにして紙一重で攻撃を回避する。

 だが、通り過ぎ様に発生した豪風に、小さな体は浮き上がる。


 ゲヘナは宙を舞う彼女を振り仰ぐと、 鎌首をもたげ、地獄の業火と見紛う灼熱のブレスを容赦なく浴びせた。

 


「ゴアアアアアア!」


「なにっ!? きゃああああ!?」


 悲鳴を上げ、燃え尽きる流星のように、ヴァンパイアは落下した。


「あ、あんまりネ……」


 クォンは思わず口元を覆い、涙を浮かべていた。


「く、そ……。なかなかやってくれるじゃない……」


 ニコラとクォンが呆然と見つめる先で、ヴァンパイアの少女は再び立ち上がった。

 よろめきながら、怒りを燃やしてゲヘナを睨む。


「だが手心を加えたなッ!? お前の炎は望むものすべて焼き尽くすのだろうッ!? 死に体だと馬鹿にするなッ!」

「飽いたと言っただろう。夜も更けた。もう眠くて堪らなくてな。どこへなりとも去るがいい」

「キサマァッ!?」


 叫びつつも、よろめいて膝を付くヴァンパイア。

 見ていられなくなったニコラが悲鳴をあげる。


「もうやめてッ! やめてくださいッ! 勝敗は、既に決しているじゃないですかッ!?」

「黙っていろッ!」


 震えるニコラに、ヴァンパイアは絞り出すように叫ぶ。


「決してなどいるものかッ! あたしはまだ生きているッ! 抗う意思は生きているッ! 部外者が偉そうに断定するなッ!」

「お前は、どうしてそこまで……」


 涙声のクォンの問いかけに、悠然と舞い降りるゲヘナを睨みつけながらヴァンパイアは応える。


「報復したい相手がいるのだッ! 土足で心に踏み入って、はしゃいで笑って弄んでッ!そうまでしてくれたというに、自分勝手に突き放し、消えようなどとしてくれるッ! そんなのどうして許せるかッ! 許せる道理があるものかッ!」

「キサマは……。だが、それなら尚のこと……」


 決意を新たにするゲヘナの前で、ヴァンパイアは、どうにか立ち上がる。

 

 覚えた嫌な予感に、本来は温存しておこうと思っていた力。

 しかし、どうやら出し惜しみはできないと、彼女は覚悟する。


「いいわ。獣風情に必要ないと思っていたけれど……。この力を使わせたこと、地獄で後悔することね!」


 そして、宣言する。



「未だ頂と逆上せる化石、伝説とやらに見せてやるッ! 真の王者はこの我とッ! 『ジェヴォーダン』ッ!」



 瞬間、膨れ上がる気配。



「ッ!?」


 ニコラたちが身構える中で、ヴァンパイアに変化が起こる。


 その足元に浮かび上がる闇色の魔法陣。

 そこから無数の黒腕が現れ、小さな肢体へと貪るように殺到する。


 瞬く間にその身を覆い隠し、悦に入るように蠢く腕たち。


 それが、突然動きを止める。


「い、一体なにが……!?」

「誅すべき、悪獣……」


 怯えるニコラに、無意識に応えるクォン。

 視線の先、吹き飛ばされた闇の中から現れる。



「グルァアアアッ!」

 

 

 邪竜と同様、人の子など優に踏んで潰せるような、巨体を伴うオオカミに似た化け物が。



***



 満月の夜。

 砂漠の一角で、禁じられたもの同士が対峙する。


 邪竜と変じたゲヘナに対し、巨獣と変じたヴァンパイアが鋭い牙を剥く。


「ふむ。奥の手を使えるほどには一人前だったということか」

「ガアアァアッ!」


 零すゲヘナに、大地を揺らし、ジェヴォーダンが飛び掛かる。


「フンッ!」


 旋回したゲヘナは、巨木のような尻尾でジェヴォーダンの腹を打ち据えた。


「グウゥゥッ!?」


 横っ腹にぶち当たり、吹き飛ばされたジェヴォーダンだったが、宙で身をひねり、見事に着地する。


「グルゥゥゥッ……」


 芯を捉えた一撃だったが、気勢を上げ続けるジェヴォーダン。


 奥に秘めていただけのことはある。

 ジェヴォーダンとはすなわち、形を持った闇の鎧。

 内に奏者たるヴァンパイアを収めた、強力な絡繰人形のようなものだ。

 強い力を持つに至った、限られたヴァンパイアにしか扱えない秘奥である。


(ふむ。未だ本調子ではないにして、傷一つつかぬとは……)


「ゲ、ゲヘナちゃん……」

「む?」


 怯える声に振り向けば、そこには心配そうに見つめるニコラの姿があった。


 そこでゲヘナは不可解さを覚える。

 そういえば、今さらの疑問ではあるのだが、どうしてニコラはここにいるのだろう?


 息を切らして戻ってきたことから、轟音を耳にしたからだと推察できるのだが、しかし、保身こそ全てと叫ぶ彼女が取る行動としては、矛盾しているように思われるのだが。


「ニコラよ。ここは危険だ。普段のように泣き咽びつつ逃げ惑え」

「で、でも……」


 逃走を勧めるゲヘナだが、ニコラはいつになく食い下がる。

 本当に彼女らしくない。

 もっとも、愚かにも邪竜の意に反そうとするその様は、それはそれでめちゃカワなのだが。


 内心ホクホクのゲヘナに対し、彼女は意外な言葉を口にする。


「その、わたし……心配で」

「ほう?」


 他者を慮るなど、ニコラにしては意外である。

 恐らくは先にクォンの身を守った時のように、身代わりを保持しておきたいという思惑からの心配なのだろうが、だとしても、凶悪モンスターを前にしたこの状況で珍しい。


 ゲヘナは目を丸くした後、優しく説き伏せる。


「矮小な人間風情が、誰に物を言っている? この俺は伝説の存在だぞ?」

「わ、分かってるよ! 分かってるけど……!」

「それよりもキサマは保身だけを考え、遠くへ逃げよ。クォンを大切としながらな?」


 ゲヘナは胸深くの思いを悟られないよう、気をつけながら言う。


「少々厄介な相手だ。辺りに気を払う余裕がないやもしれぬ」

「……」


 ニコラは不安そうに見つめていた。

 その瞳から目を背けるように、ゲヘナはジェヴォーダンへと向き直る。


「さあ行くがいいッ! 我先にと命からがら逃げ伸びるめちゃカワさで、この俺に声援を送るのだッ!」

「……ゲヘナちゃん」

「行くヨ、ニコラ! コイツならきっと大丈夫ネッ!」


 クォンはニコラを引っ張りながら背を向ける。


「……あれだけ、強いんだから」


 なぜだか悲しそうな瞳を見せたクォンに促される形で、ニコラはようやく背を向けた。


「……ゲヘナちゃん」


 しかし、去って行きながらも、彼女は途中、何度も何度も心配そうにゲヘナのことを振り返っていた。


 まさか胸の内を悟られたなどとは思わないが、通じ合ったもの同士、第六感が働いたりするのかもしれない。


(なんだとて、心配されると言うのも存外悪くない。最後にいいものをもらったな)


 温かな気持ちと、物悲しさが入り混じり、じんとする。

 だが、入り浸るのは、後にしよう。


「グルルル……」

「待たせたな。それでは死合うとしようか? この俺の全力を矢面とするのだ。せいぜい早々に尻尾を巻くのだな?」

「! グガアァアアッ!」


 まずは、愚かな獣を躾けるのが先だろう。



***



 地を這いずる獣と、空を頂く竜がぶつかり合う。


 巨獣ジェヴォーダンと邪竜ゲヘナは、満月の下で存分にぶつかり合っていた。


「グルアアアァッ!」


 巨体を弾ませて、ジェヴォーダンが駆け迫る。

 ナイフよりも鋭い、かぎ爪の生えた巨腕を奮い、ゲヘナへと突撃する。


 対し、ゲヘナは翼をはためかせようともせず、地に座したまま待ち受ける。


「ふははっ。威勢だけはいいようだ。だが」

「ガアアアッ!」


 ゲヘナへぶち当たり、押し倒すジェヴォーダン。

 かぎ爪を奮い、真っ赤な牙を剥き、その身を裂こうとする。

 

 しかし、どれだけ力を込めても、竜の鱗には傷一つ付けることすら叶わない。


「むず痒いだけだッ!」

「ガウッ!?」


 力任せに振り払われ、吹き飛ばされるジェヴォーダン。


 身を翻し、受け身には成功する。

 

 着地するや、ジェヴォーダンは口腔に闇色の力を表出。


「ガアアアァアッ!」


 ゲヘナ目掛けて、その凶悪を撃ち放つ。


 防御姿勢も、回避する様子も見せないゲヘナ。

 されるがままに着弾した攻撃は、猛烈な爆風を引き起こした。


「……この程度か?」


 だが、それも傷を与えるには能わず。

 無傷のゲヘナは悠然とそこにいた。


 冒険者たちを絶望させるヴァンパイアの禁忌。

 それすら、邪竜の前では形無し。

 子犬にも等しいと評されてしまう。


 先から幾度となく仕掛けているジェヴォーダンであったが、その一切はゲヘナに通用していないのだ。


「いい加減、力の差が分かっただろう? 竜の鱗は無敵の鎧。多少警戒していたが、その牙ではこの俺には届かんよ」

「グルウゥゥ……」

「キサマにも譲れぬ思いがあるのだろうが……。俺に望むのは無駄だ」


 唸り声をあげるジェヴォーダンへ、ゲヘナは自嘲するように悲しげに零す。


「俺は、呪われているからな」


 そして、ゲヘナは鎌首をもたげ、口元から炎を零し始める。

 ジェヴォーダンを相手取って、初めて攻撃の意志を見せる。


「さて。そろそろキサマには、ご退場願おうか?」


 口腔にて凝縮した炎。

 絶対的な力の差を知らしめると、うち放つ。


「さあ、散るがいいッ!」

「ッ!?」



 炎弾を前にしたジェヴォーダン。

 元より、逃げ帰るつもりなど毛頭なかった。


 なかったが、仮にあったとしても。




 この、視界の全てを覆いつくす、地上の太陽と錯覚するほどの強大に過ぎる一撃から、一体どうやって逃げ出せと言うのか……!?



 そうしてジェヴォーダンは、無力感の中で野焼きとされた。



***



 ヴァンパイアの全力をもってしても、邪竜に激戦を繰り広げさせるには至らなかった。

 力を解き放ったゲヘナは、動かなくなった相手へと目を向ける。

 

 砂漠に転がる闇の巨獣。 

 瞳に灯った獰猛な光は消え失せ、全身はボロボロ。

 闇で作った肉体からは、割合ジューシーなにおいが広がっている。

 焼け落ちた肉の合間からはところどころ骨が覗いていた。


 ちなみに、ゲヘナが焼こうと望んだのは、その外郭のみ。

 よって辺りに火の手はなく、地形に変化も起きてはいなかった。


「ふむ。加減したつもりはないのだが……」


 健在とは呼べない姿ながら、ジェヴォーダンはギリギリ形を成している。

 外郭をきれいさっぱり消し飛ばすつもりだったのだが、失敗したようだ。


「封印の余波か。やはり全力には程遠い……む?」


 一人考えていたゲヘナだったが、そこで眉をひそめる。


 倒れ伏すジェヴォーダン。

 傷を負った箇所――ほぼ全身から、真紅の血液が溢れ始めていた。

 そうして血だまりとなった端から、人型が形を成し始めたのだ。


 体と同じ真紅色の得物と、防具に身を包んだ人型。

 それらは出来上がった端から、ゲヘナ目掛けて突進してくる。



 ブラッド・アーミー。



 ジェヴォーダンが流血した時に発動する特性。

 そのヴァンパイアの一族が吸血したことのある人間を、人型として再現。

 装備、能力をそのままに、敵対者を襲わせる防衛機構である。



 だが、だとしても、邪竜ゲヘナにとっては、そんなものの相手など役不足。

 大軍であったとしても、たかが人型如き、脅威にすらなりはしない。


 ゲヘナは構えることもなく悠々としていた。

 ヴァンパイアの秘奥の攻撃ですら、この身に傷をつけることができぬのだ。

 警戒など不要だろう。


 見立てた通り、殺到した人型の得物は、空しく弾かれ砕けていく。


「ふん。意志のない人型が。通用しないのが分かったのならば、疾く逃げ帰るがいい」


 そうゲヘナは憐れんだのだが。


「グッ!?」


 突然の激痛に、ゲヘナは顔をしかめた。


 加えて、急に全身から力が抜けていく。

 からっぽになっていくような感覚に、あり得ない恐怖が滲み出る。


 一体何事かと、ありえぬ痛みを伝えてくる部位へと目を向けた。

 

 ゲヘナの右前腕、爪の付け根。

 そこに迫った一体の人型が、小さなナイフらしきものを突き立てていたのだ。


 小さな刀身でありながら、竜の鱗を貫く無法を働いたそれは――




「ドラゴンキラーか……!?」




 ドラゴンキラー。

 

 その名の通り、竜殺しの特性を持った武器の総称。

 遥かな過去、竜族が健在だったころ、その力を恐れ、そして欲した人間たちの愚行の果てに生成された武器のことである。

 竜族に特攻を持ち、その鱗をやすやすと貫くことができるのである。



 過去からの凶刃に肉を裂かれ、流血する。

 そこを目掛けて、人型たちは群がる蟻のように殺到した。


「グウゥッ!?」


 竜殺しの力を受け、脱力する中、ゲヘナは力任せに腕を振り、人型を吹き飛ばす。

 そして片腕の爪で、爪楊枝のごときそれを慎重に引き抜くことに成功する。


(ぬかったッ! 脈々と続くアヤツの一族ならば、竜殺しを相手取った可能性だってあっただろうにッ!)


 慢心に気付き、歯を食いしばるゲヘナ。

 だが、それももう遅い。


「グァッ!?」


 人型の放った弓矢が、背中へ突き刺さる。

 次いで、双剣らしきものが左腕を切り裂く。

 そして、大剣が腹部に突き立った。


「ゴフッ!?」


 様々な形状をしたドラゴンキラーと、突破された箇所へ殺到する攻撃。


「グル、るル……」


 圧倒されるゲヘナの前に、立ち上がったジェヴォーダンまでもが立ち塞がる。


「ふははっ。劣勢という奴か……」


 人型たちを振り払いつつ、ゲヘナは苦笑する。


「だがな。誰かの幸せのためにも。この命、殺らせるわけにはいかぬのだッ!」


 守りたいと、存在に似合わぬ望みを抱き、邪竜は咆哮を轟かす。



***



 常に余裕に満ち溢れ、悠然さを崩さない伝説の存在。

 強大な力を持つ邪竜、ゲヘナ。

 

「……なかなか、やってくれる」


 いまだ不敵に笑う彼女だったが、現状は最悪だった。


 ドラゴンキラーによって形勢を覆され、ブラッド・アーミーにより湧き出る無数の大軍。

 そして決死の猛撃を仕掛けてくるジェヴォーダン。

 

 猛攻にさらされ、奮戦した彼女だったが、遂には地に倒れ伏した。


 竜としての姿を保つことが出来なくなるほど衰弱し、幼子となった全身はズタズタ。

 無数の傷を受け、多量の血液を流し、小さな胸を上下させるのがやっとであった。


 傷口から血液を採取しようと迫る人型たちをどうにか追い払っていたが、その力も、もはやない。

 そして、逃げ場もない。

 自慢の翼は引き裂かれ、その機能を果たせるようには思えなかった。


 だが、伝説たるゲヘナには、この窮地に陥っても逃走する気は微塵もなかった。

 死に体ながら、王者としての威厳を精一杯振りかざし、傲岸不遜をひけらかす。


「この俺をここまで好き勝手……。その愚かさ、めちゃカワだぞ」

「……ふん。減らず口を……」


 ジェヴォーダンの額に空いた大傷。

 そこから、傷だらけのヴァンパイアが顔を出した。


 彼女は肩で息をしながらゲヘナを見下す。


「勝敗は決したわ。敗者は勝者に従いなさい」

「ふははっ。満身創痍で、どの口が?」

「うるさい! お前だってそうでしょうがっ!」


 大声でツッコんだ後、ヴァンパイアはよろけた。


「うっ!?」

「傷に障るぞ? 見上げた芸人気質だと、尊敬はするが」

「誰が芸人だ誰が!?」


 ヴァンパイアはぜいぜいと息を切らした後、得意がる。


「まあいいわ。お前は負けたの。このあたしに、してやられたの」


 ふふんと胸を張った後、ヴァンパイアはゲヘナを蔑む。


「本当なら、その命ごと生き血を奪い取ってやろうと思っていたけど……。地に這いつくばる姿に、溜飲が下がったわ」


 そして、夜の王は命令する。



「土下座しなさい。そうすれば、命だけは助けてあげる」



「なに……?」

「聞こえなかったかしら? 土下座よ、土下座。無様に泣き叫びながら、命欲しさに頭を垂れるの。そうすれば、特別に慈悲をくれてやると言って――」

「いいや、聞こえてはいたし、知ってもいる。ニコラが毎日何十回もするので、予習はバッチリだ」

「そ、そう……」


 戸惑いを見せた後、ヴァンパイアは取り直す。


「と、ともかく! 早くしなさいよ! そうしたら命まではとらないから! ほら、早く!」


 真っ赤になりながらヴァンパイアは急かしてくる。


 態度こそ傲慢を見せたが、誇り高い彼女らは、嘘を嫌うはず。

 だから、頭を下げさえすれば、確実に命は助かるのだ。

 この窮地から、奇跡的に生き長らえることができるのだ。


 しかしゲヘナは、


「断るッ!」


 強い意志で、要求を拒絶した。


「は、はあ!?」


 破格の情けを蹴り飛ばされて目を丸くするヴァンパイアを、ゲヘナは鼻で笑う。


「この俺がどうして頭を垂れねばならぬのだ? 冗談も休み休み言うがいい」

「い、いや、ちょっと待ちなさい!?」


 逡巡せずに応えたゲヘナに、ヴァンパイアは戸惑いを見せる。


「ええ、わかるわよ! あたしだって誇り高い種族なわけだし、命乞いするくらいなら死んだ方がマシだって思うし! で、でもね!? それは場合によるでしょ!? 大切な人がいるのなら、なにをしてでも生き延びようって思わない!? だからさ、ほら!」

「……そのような者など、おりはせぬ」

「え?」


 悲哀に包まれる姿に、ヴァンパイアは息をのむ。


「い、いやでも。お前、あの臆病痴女のことが……」

「ああ、そうだ。遥か過去、呪いを抱いて産まれ落ちた俺は、邪竜だと怒号を浴び、畏怖された。自身の在り様ならば仕方ないと、手を伸ばしたくても伸ばせなかった」


 ゲヘナは、人間たちが大好きだった。

 しかし、彼女は邪竜だった。


 窮地に陥った彼女を、人間たちは殺せと叫んだ。


 その存在への恐怖から。

 邪竜の素材を手にし、武器として奮いたいという欲望から。


 だが、聖女の恩情により、奇跡的に封じられることでゲヘナは永らえたのだ。

 

 しかし、長きに渡る聖女の力であっても、ゲヘナを変えることはできず。

 彼女はかつてのように、呪われし邪竜のままだった。


「だのにアヤツは。ニコラは、こんな俺がいいと言ってくれた。全てを知っていると叫びながら、俺だからいいと囁いてくれた。それがどれだけ嬉しかったか……。どれだけ俺が、救われたか……」

「な、なら!」

「だが、やはりダメなのだ。この俺は、望んではならぬのだ。大切な人を、人間を、確実に害する呪いを帯びたこの俺は。一人朽ち果てねばダメなのだ」


 こんな自分と一緒にいては、やはりダメだ。

 それよりニコラにふさわしい、優しい子がいるのだ。

 彼女には、あの子の気持ちにのみ、答えてほしい。


 この一戦を終えたなら、自分は彼女の元から姿を消そう。

 涙を零しながら、ゲヘナは自嘲気味に笑った。


「心の底から愛しいと。なによりも愛らしいと感じているとも。だが、だからこそ、共にいてはならぬのだ」

「そ、そんなこと……」

「どう言い繕おうと、所詮は人と魔物。交わり合うことなど、できはせぬのだ」

「!」


 自身の気持ちに折り合いをつけるように、心にもない常識で固めようとするゲヘナ。

 しかし、何の気なしに放ったその言葉に、ヴァンパイアが震える。


「……んなこと、ないわよ」

「え?」

「そんなことないわよッ!」


 怒号と共に飛び出すヴァンパイア。

 ゲヘナの元へと一直線に落下した彼女は、馬乗りになって襟首を掴んだ。


「誰がそう決めたのよッ!? 何がそう定めたのよッ!? 常識かッ!? そんな無粋、思いの前には吹き飛ぶものでしょうッ!?」


 なぜだかムキになるヴァンパイア。

 瞳の端には、涙すら浮かんでいた。


「互いにそうありたいと思うのなら、なにも障害足りえないッ! 気持ちを曲げずにぶつかれば、無理なんてもの、ありはしないッ! 思いは絶対叶うのよッ! あたしは奇跡を信じてるッ!」


 一切の迷いのない、強い決意。

 敵対者であったとしても、偽りの思いは許せないと、少女は熱く叫ぶ。


「大切だからこそ慮る? 愛しているからこそ身を引く? 自分といても幸せは長くないから、さよならする? そんなの……そんなの傲慢なのよッ!」


 心底にある思いが、堰を切って溢れ出る。


「ふざけないでよッ! それのどこが幸せよッ!? あたしは好きだからッ! 大好きだからッ! お前がいないともうダメだからッ! どうなっても一緒にいたいって願ってるのにッ! 触れ合える距離で、時を紡いでいきたいって、思ってるのにッ!」


 脳裏に浮かぶ存在へ、少女は荒い息で叫ぶ。


「本当に……ッ! 吹けば飛ぶような分際の癖に、生意気なのよッ!」

「……キサマ。まさか、思いの相手というのは……」


 まさかの予想に至り、ゲヘナは目を丸くした。

 ヴァンパイアは顔を背けた後、スカートをたくし上げると、太ももについていたバンドから、注射器を抜き放つ。


「お前みたいな骨抜きな化石、命をとってやるまでもないッ! その血、さっさといただくとするわッ!」

「! ダ、ダメだッ! 俺はッ! その素材も、人を呪って……ッ!」


 守りたい存在を害してしまうという恐怖に、ゲヘナは涙する。

 異例の懇願を見せるゲヘナだが、それに構わず、ヴァンパイアは注射器を構えた。


「だとしても、可能性にゼロはないから……ッ! アイツの力なら、呪いに抵抗も、あるいは……」

「や、やめろッ! やめるのだッ! 俺は……わたしは、もう誰も傷つけたくないのッ! 不幸にしたくないのッ! だから、お願いだからッ!」


 子供のように泣きじゃくり暴れ始めたゲヘナだが、その身に力は残っておらず、振りほどくことは叶わない。

 彼女を全身で押さえつけながら、ヴァンパイアは注射器の針を血液が流れ出る首元へ近づける。


「……その血、あたしに捧げなさい」

「いやッ! いやッ! 助けて……ニコラあああぁ!」

 


 思わず、彼女へ叫ぶ。



 だが、応える声は、既にない。

 自分自身が、遠ざけたのだから。



 

(……そうだ。ニコラはもう、俺の元には……)






「うおおおおぉぉぉッ!」






 突如、闇を引き裂く絶叫が轟く。


「!」


 目を丸くするゲヘナたち。

 その視線の先で、ブラッド・アーミーたちが吹き飛び、切り裂かれていた。

 辺りを埋め尽くす大軍が、それを超える大軍により、力によって蹂躙されていくようである。


 だが、それを引き起こしているのは、大軍などではなく。

 槍を奮い、業火の勢いで血の軍勢を圧倒しているのは、ただの一人。

 


「ど、けえええぇええッ!」



 彼女は、手近な人型たちを消し飛ばした後、槍を振り上げたかと思うと、弾丸を射出するように投擲。

 進路上のブラッド・アーミーたちを瞬殺しながら進んだ槍が狙うのは、ヴァンパイアだった。


「くっ!?」


 一瞬の内に身に迫った槍の穂先を、ヴァンパイアはなんとか払いのける。


 だが、それも束の間。


「どけと、言ったああああぁッ!」


 拳を振りかぶった彼女が、眼前に迫っていた。


「なッ!?」


 投擲した槍に追いつくと言う人間離れの埒外に、ヴァンパイアが目を見張る。

 結果、反応が遅れ、その腹部が全力の拳で殴りつけられた。


「ぐああぁッ!?」


 吹き飛ばされ、砂漠の砂を堪能する羽目となるヴァンパイア。


「……はぁッ! はぁッ!」


 それを睨みつけ、肩で息をする彼女の姿に、ゲヘナは目を奪われる。



 もう、出会えないはずだった。

 

 なによりも大好きで、大好きで。

 本当に、心の底から、大好きで。

 

 

 だからこそ遠ざけた、遠ざけるしかなかった、その少女。

 

 

 目を離せなくなったゲヘナの前で、胸を撫で下ろしながら。


 

 彼女は――ニコラは振り返る。




「ただいま、ゲヘナちゃん」




 別れたはずの、笑顔と共に。


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