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このあたしが予約済みよ?


 露天風呂からあがり、替えの真っ青なチャイナドレスに着替えたクォンは、ニコラを捜して夜の砂漠を歩いていた。


 ゲヘナはもう少しお湯に浸かっていたいとのことだったので、残してきた。

 正直クォンは、のぼせかけていたので、それ以上のお付き合いはできなかった。


「それにしても、どこまで行ってるネ……」


 満月が照らすとは言え、夜の帳に包まれた秘境の砂漠。街灯などありはしない。

 目を皿にして辺りを見渡すも、彼女の姿はどこにもない。


 そもそも、トイ――お花を摘みに行ったにしては、少々時間がかかっている。

 いくらゲヘナの力で周囲の寒気が焼き尽くされているにしても、バスタオル一枚で長々と過ごしてしまうと、風邪を引いてしまう。


 それに考えてみれば、いくら秘境の奥地だとして、あんな艶姿で野外にだなんて。

 まかり間違って不届きな狼なんかがいたとしたら……!


「さ、させるカッ! させるものカッ! お前らなんかにありつかせてなるものかヨッ!」


 クォンは真っ青になって一人で吠える。


「確かに見た目は凛々しい少女騎士だけど、中身は残念至極なズタボロヨッ! 最近狂戦士も発掘されたネッ! 手を出そうものなら、間違いなく血祭ヨッ!」


 不届き者たちの身を心底心配しながら、クォンは砂丘を駆ける。


「ああダメヨ餓狼たちッ! それはハニーなトラップヨッ! 割と可愛い見た目に騙され、肉片変身確定ヨッ!? それでもいいと、お前らは叫べるカッ!? 叫べないネッ!? だけど、クォンは違うッ! クォンは自ら愚者への道を――」


 一人でいると存外簡単に暴走する、恋する幼女。

 興奮気味に叫びながら砂丘の一つを超えた時、その瞳に人影が映った。


 バスタオル姿で砂丘に佇む、件の少女。

 彼女を発見し、クォンは思わず言葉を失う。

 奇行と共に叫んだ思いが伝わらないか、乙女的にドキドキし、口を噤んだのではない。




「お願いしますッ! どうかッ! どうか許してくださいませえぇえッ!」




 バスタオル一枚で、路傍の石に土下座する姿に、絶句したのだ。




 見つけてしまったからには仕方がない。

 クォンはしぶしぶ歩を進める。


 表情を無くしながら。

 近づくの、嫌だなーなんて思いながら。


「何卒ッ! 何卒聞き届けてくださいッ! 矮小で愚昧な、このわたくしめのお願いをおぉぉぉッ!」


 近づく間にも、彼女は何度も何度も土下座を繰り返している。


「……はぁ」


 ため息をつきながら、クォンはできる限り長い時間をかけて、彼女の元へと辿り着いた。


「お願いですッ! お願いしますッ! どうか、奉り候ッ! ござーますッ! あ、石が徐々に光って……!? ひゃっほうッ! これでわたしも念願の――」

「……お前、とうとう無機物にも命乞い始めたネ?」

「え?」


 声をかけられ、顔を上げるニコラ。


「ひッ!? ひいいぃぃッ!?」


 彼女はクォンの顔を見るなり、悲鳴をあげて後退る。


「ほあちゃッ!?」


 バスタオル一枚でそんなことをされたため、秘密の花園が暴かれかける。

 クォンは卒倒しそうなほど真っ赤になる。


「な、なな、なにしてるネッ!? 誘ってるカ!? 誘ってるのカッ!?」

「な、なんの話?」

「温泉で惜しげもなく見せつけた後に、怯えながらの野外チラリズムで幼女の獣欲を煽ろうという禁断を!?」


 わたわたした後、クォンは指先をつんつん突き合わせる。


「……でも、無駄ヨ? 初めてはふかふかなベッドの上で、優しくリードされたいって、決めてるから……」

「いや本当に何の話ッ!?」


 妄想を爆発させるクォンの姿に、ニコラは血相変えてドン引いた。


「そんなのよりあるでしょほら!? 人の顔を見るなり怯えるとか失礼じゃないネ! とか、見せられないようなことしてたのカ!? とかさ!?」

「み、見せられないようなこと、してたのカ!?」

「……ハッ!? ソ、ソンナワケ、ナイヨー」

「そ、そんな、見せられないような、コト……。……きゅう」

「え!? クォンちゃん!? なんで急にぶっ倒れるの!?」

「……ぐへへ」

「幼女が下卑た笑みを浮かべて!? クォンちゃんしっかりして!? ほらわたし棒読みでしらばっくれてるよ!? 絶好の折檻タイムですよー!? ほら早くッ! 早く私をぶっ叩いてよッ!?」


 脳内ピンク一色となり、オーバーヒートとなった結果などとは露知らず。

 被虐性欲と断じられそうな悲鳴を上げるほど混乱したニコラの前で、クォンは幸せそうな笑顔を浮かべて失神したのだった。

 

***


 その後、失神したクォンは、ニコラの手厚い介抱により意識を取り戻す。

 そして、ニコラにお礼を言った後。


「……で? お前、一体なにしてたネ?」


 砂地に正座させたニコラを、クォンが鋭く追及する。


「なかったことには、ならないかぁ……」

「当然ネッ!」

「ああ、でもこれこそ正しき流れ……。ツッコむよりツッコまれるのが似合うわたし……」

「ほあちゃッ!? ツッコむッ!? ツッコまれるッ!?」

「ぴーッ!」

 

 再び満開ピンク色になりかけるクォンに、ニコラが指笛の真似をする。


「些細な言葉に反応しないっ。すぐピンクに走らないっ。オーケー?」

「そ、そうだったヨ。ごめんネ?」


 反省するクォン。

 その顎をクイッとあげ、ニコラは微笑む。


「本当にもう、おイタが過ぎましてよ……?」

「お、お姉さま……」

「はいダメっ! クォンちゃん不合格ーっ!」

「なっ!? い、今のはニコラが悪いネッ!?」

「ふふっ。ちょっとだけ悪戯しちゃった?」


 くすくす笑った後、ニコラは言う。


「生き物なんだもん、えっちなのは仕方ないよ。でも、所構わずは良くないよ? クォンちゃん可愛いんだし、変な虫がついたら心配だよ」

「ほ、ほあちゃ!? 今なんて……!?」

「……!」


 聞き返そうとするクォンに背を向け、ニコラは砂の上へ正座する。

 その頬には、若干朱が差しているような……?


「ほ、ほらっ! そんなことより追及してよっ! 魔女裁判を開くがいいよっ!」

「魔女裁判とは失敬ヨ……」

「だってそうでしょ!? わたしがどう弁解しても、命乞いしても! いつも暴力に訴えるじゃない!? 結果は全部黒じゃない!? 冤罪作りたいほうだいのやりたい放題ッ!」

「なーにが冤罪ネッ!? いつもいつも非戦闘員を置き去りに、逃げ足1000パーセント発揮する外道騎士がッ!? お前が白なら、どんな犯罪者も真っ白ヨッ!?」

「裁判長ッ!? 刑の確定前に、執行人が被告に刃をおお!?」

「どうせ黒に決まってるネッ! 疑わしきは罰するヨッ!」

「法治国家に、幼女が真っ向から喧嘩を売るッ!?」


 そうしてテキパキと折檻したのち、クォンは尋ねる。


「で? 今回はどんな悪事を働いたヨ?」

「あ、あうう……。告白前に清算させるとか、とんだ暴虐がまかり通る世の中……」


 ボロボロになったニコラが、何事もなかったかのように立ち上がる。

 今さらながらその回復力も、尋常でない鍛錬を積んだ結果なのだろう。


「悪事なんかじゃないんだよぅ。わたしね? クラスチェンジしようと思ったの」

「クラスチェンジ、ネ?」



 クラスチェンジ。



 それは、現在のクラスから、別のクラスへと変化すること。

 基本的には条件を満たした下級クラスのものが、適応する上級クラスへと昇格することを言う。


 ニコラのクラスは騎士。

 その上級クラスといえば、聖騎士にあたるのだが……。


「うーん……」


 クラスチェンジするには、必要最低限のレベル、必要最低限の能力値、そして素材がいる。

 それらはクラスに応じて様々であり、一般的に強力と呼ばれるクラスほど、条件は厳しくなっている。


 たしか、聖騎士へのクラスチェンジに必要なのは、こうだったはず。

 上級クラスへの昇格に共通して必要なマスターストーンというアイテム。

 騎士レベル80を超えることと、ほぼすべての能力を高水準値まで高めること。

 必要素材として、ラグナ・ジェネラルと呼ばれる強力な暗黒騎士モンスターを、一人パーティでのみ討ち果たしたときにだけドロップする、『終焉を呼ぶ魂』だったはず。

 

 レベルアップした際の能力の上り幅は、クラスによってさまざま。

 さらに、個人の資質、性格により大きく変動する。

 そういうこともあって聖騎士になることができる騎士は、ほんの一握りなのだ。


 ニコラはレベルをカンストしているという。

 そして、先のアダマンタイト・ジャイアント戦で見せた、鬼神の如き虐殺ぶり、能力値も申し分ないはずだ。

 クォンが同行している間に入手した場面は目撃していないが、それ以前に、ラグナ・ジェネラルの素材を手に入れているかもしれない。


 条件を満たしている可能性はあるのだろうが……。


 それにしてもニコラは、えらく挙動不審だ。

 ソワソワして、冷や汗を浮かべて、真黒なのは明らかである。


「どうしてそんな、コソコソしてたネ?」

「で、ですよねー」


 指摘に顔を引きつらせるニコラ。


 聖騎士へのクラスチェンジなどという祝い事、人目を忍ぶ必要はないはずだ。

 いや、保身に重きをおくニコラであるから、嫉妬を避けるために忍ぶかもしれないが、ゲヘナもクォンもそんなことはしないと分かっているはず。だから隠れる必要はない。


 そしてクラスチェンジ後は、レベルこそ一に戻るが、能力は引き継がれる。

 低レベルの頃はレベルが上がりやすくなるし、クラスチェンジしてこそ覚えられる強力な特技もありで、いいことずくめなのだ。


「というか、なぜこのタイミングで急に……」

「そ、それは……」


 冷や汗ダラダラとなるニコラ。

 そういえば彼女を見つけた時、石らしきものを拝み倒していたような。


「ほあちゃっ!」

「ああしまった!?」


 素早い身のこなしにて、ニコラの背後、置かれたままになっていたそれへ飛び掛かる。

 隠そうと伸ばされる震える手。

 それに先んじて手中に収め、クォンは確認する。


「これって……チェンジストーンネ?」



 チェンジストーン。



 クラスチェンジを助けるアイテムの一つ。

 ではあるが、それは一般的なクラスチェンジ、上級クラスへのそれを助けるものではない。

 下級クラスが、別の下級クラスへと転職する際に使用される、珍しいアイテムなのだ。


 しぶしぶと言った様子でニコラが答える。


「正確に言えば、精整されていない原石だけど……。さっきのアダマンタイト・ジャイアントを仕留めた時にドロップして……」

「それでどうしたヨ? 珍しいからって、簡単に使用できるものではないよネ?」


 使用してクラスチェンジしてしまえば、新たなチェンジストーンを見つけるまで元に戻ることは叶わない。

 そしてチェンジストーンの場合、能力値は転職先のクラスに初めて就いた場合の値に――引継ぎなしの完全な一レベルにまで引き下げられる。


「そもそも精整前の原石なら、失敗する確率もゼロじゃない。クラスそのままで、能力値だけ下がることもある、なにが起こるか分からない代物だって、ギルドの人達言ってたネ。そこまでの危険を冒して、一体お前は何を望むヨ?」

「そ、それは、その……」


 言い淀むニコラにクォンは詰め寄る。


 よく折檻ばかりしているが、クォンはニコラのことを大切に思っている。 

 彼女に出会うことが出来たから、クォンは明るくなれたのだ。

 過去を失い、苦い思いだけを覚え、苦しみの渦中から抜け出せなかった。

 そんな自分を、このろくでなしが救ってくれたのだ。


 だからこそ、彼女には危険なことをしてほしくない。

 彼女のことを守りたいと、クォンは強く思っているのだ。

 例外的に人間性を鍛えさせようと谷底に突き落とすようなこともするのだが、それも思いやるが故。



(でも、守る役目は、きっと――)



 浮かんだ考えを、今だけは振り払う。

 この瞬間、彼女の身を案じられるのは、自分だけなのだ。


「こんなところでレベル一に戻るなんて、正気の沙汰じゃないヨ? もしや、魔法使い系になろうとしたカ? アダマンタイト・ジャイアントがいたから。でも、お前ならその必要はないはずヨ? 尋常を超え、異常を超え、狂気の域に踏み入れた力を持ったお前なら」

「さ、散々な言われよう……」

「ねえ、考え直すネ。怒らないから言ってみるネ。クォン、お前のこと、心配で……」

「クォンちゃん……」


 真剣な思いの乗せられた瞳に、少女の怯えは溶かされる。


「……うん、分かった。全部話すよ」


 そして意を決し、ニコラは白状する。


「実はわたし、シーフクラスになりたかったんだ」

「シーフ……?」


 シーフとは、トリッキーなクラスである。

 素早さが高くて逃げ足も一級品。

 相手をかく乱する特技を多く覚える。

 取り分け、シーフのみが扱える『盗む』という特技でのみ入手できるモンスターの素材があるのだ。

 ただし、戦闘能力は極端に低く、前線で戦うのには向かないクラスである。


 ただシーフも、厳しい条件を満たし、クラスチェンジすることができれば、全く方向性の違う、戦闘向きのクラスになることができるのだが、争いを彼女が望むとは到底思えない。


 頭を悩ますクォンへと、ニコラは胸の内を露わにする。


「だってあのクラス、パーティには重要だったりするけど、あんまり日の目をみないでしょ? 他から注目されないでしょ? だから、嫉妬されないかなーって……」

「……」

「ど、どうしたのクォンちゃん? 急にお目目をまん丸にして?」

「よいよい、ニコラさんや?」

「こ、今度は急におばあさん口調?」


 ツッコミに反応することなく、クォンは老婆な幼女となる。


「あんたあさっき、邪竜の頼もしい言葉に感涙しとったんじゃあなかったかヨ? だから嫉妬なんて気にせんでよーなったんじゃあなかったかいネ?」

「ま、まあ、それはそれ、これはこれというやつで。ほら、危険がないに越したことはないかなーって。そもそも争いの火種を自分が作り出すこと自体、嫌だなーって思って」


 それにそれにと、ニコラは言う。


「アダマンタイト・ジャイアントの一体がさ、言ってたの! モンスターにとって、取得経験値最低クラスのシーフクラスだったら、見逃してやってたかもって! やっぱり騎士なんてクラス、なっておくのは危険かなーって。だから、素材は揃っていなかったけど、拝み倒したらどうにかならないかなーってやってみたら、石が応えかけて――」

「……」

「……えーっと。……ね☆」

「ほあっちゃああああッ!」

「ぎゃあああッ!? やっぱりこの展開いいいッ!?」


 躍りかかるクォン、悲鳴を上げるニコラ。

 そう、いつもの展開である。


「怒らないって言ったよね! 怒らないって言ったよね!? まあ前振りだと思ってはいたけど、怒らないって言ったよねッ!?」

「生き様なんて人それぞれヨッ! 勇猛に生きるも臆病に生きるもそれぞれヨッ! だけどやっぱり、お前の臆病に過ぎる様は、とっても鼻につくネエェッ!」

「個人的感情で折檻ッ!? あのね、ここはアレだよ!? 使おうか使うまいか迷っていたわたしにさ、優しーく囁いて、改心させる場面だよ!? お涙頂戴な感動パートだよ!?」

「そんなもので改心しようもんなら苦労してないネッ! 従わざらば、圧倒的武力によってねじ伏せるッ! それこそが、新たなクォンのやり方ヨッ!」

「未来ある若者が、ろくでなしによって狂王の道へッ!?」


 ニコラは真っ青になってクォンに謝る。


「ごめんなさいクォンちゃんッ! ならないッ! シーフになんてならないッ! だから戻って来て!? あなたには気の強いお嫁さんとか似合うと思うのッ! その力は、情けない伴侶を尻に敷くためにいぃぃッ!」

「……! お、お嫁、さん……」


 そこで、クォンがピタリと動きを止める。


「も、もう……。そこまで言うなら、しょうがないネ……」

「よ、良かったああぁ」


 両者とも思いとどまり、互いにとって、どうにかいい結果で終わる。

 しかし。


「でも、アレヨ」

「うん?」


 小首を傾げるニコラの前で、クォンは大きく振りかぶる。


「え、クォンちゃん? それ、チェンジストーンが――」

「ろくでなしに反応するろくでなしには、ご退場願っておく、ネッ!」

「ああああああッ!?」


 そうして悲鳴をあげるニコラの前で、豪速球と化したチェンジストーンは、砂漠の彼方へと消え去ったのだった。


「な、なにするのクォンちゃん!? もったいないことを!?」

「臆病風に吹かれて、また望まないとは限らないネ。だからお星さまコースヨ」

「で、でも……」

「それにあんな珍しい石持ってるなんて知られたら、誰かに嫉妬されるかもヨ?」

「アリガトッ! アナタ命ノ恩人ヨ!?」

「なしてお前が片言ヨ……」


 失意一転、感謝の涙を流す姿に、クォンはやれやれと息をついた。


「……だけど、これで良かったのかも」

「? なんか言ったネ?」

「ううん。ありがとう、クォンちゃん」


 ニコラはなぜか礼を言った。

 それが不気味で、クォンの体に身震いが走る。


「!? 今度は一体、何を企んでるカ!? また折檻されたいネ!?」

「ち、違うよ!? 今のは、未練を断ってくれたことに対しての心からのお礼で――」



 その時、轟音が大気を震わせた。



「ほあちゃッ!?」

「えッ!?」


 驚愕する二人。

 そして、両者ともすぐさま駆け出す。


「って、なに正反対に駆けだしてるカッ!? こっちネッ!」

「放してクォンちゃんッ! 野次馬根性なんて、百害あって一利なしだよッ! 出歯亀も以下略ぅぅぅう!」

「やっかましいネッ! なんだか嫌な予感がするのヨッ!」

「わたしだって嫌な予感だよッ! だから獅子から逃れる野兎の如く駆け出してッ!?」

「気付けヨッ! お前、あっちには!?」

「……あッ!?」


 気付いたニコラから、臆病が吹き飛ぶ。

 そして二人は、競い合うように砂丘を登る。


 

 そして、広がる光景に、目を疑った。



 視線の先、とある箇所が、大きな砂煙に包まれていたのだ。

 遠目ではよく分からないが、あそこは――



「!? 温泉のあったところヨッ!?」

「そ、そんなッ!? ゲヘナちゃんッ!」


 気付いたニコラは、クォンより先に駆け出した。



「……そうヨ。名案なんて、きっともう……」



 悲しげに笑った後、クォンもニコラに続くのだった。



***



 クォンがニコラを捜しに行った後、ゲヘナは一人、満月を共に湯浴みに興じ続けていた。

 いつもなら、鼻歌なんかでも歌いそうになったりもするのだが……。


「……いつも、か」


 ゲヘナは苦笑する。


 そのいつもは、あのヘタレ騎士とスパルタ幼女に出会ってからのことだ。

 それ以前――封印される以前にも、確かに生に興じることを楽しんではいたが、鼻歌を歌うほどの余裕が、果たしてあっただろうか。


 かつてゲヘナが生きていたのは、未だ戦禍の絶えない、不安定な時代。

 竜が生き、人と争い、続々と討ち果たされていた時代である。

 

 そんな時代の中、ゲヘナは今と変わらぬ嗜好で、人間の生き様を楽しんでいたのだが、時代は彼女を許さなかった。


「……言い訳だ。時代がどうのなど、責任の擦り付けよ。まったく、この俺らしくもない」


 零れる自嘲。


 空を見上げる。

 漆黒の夜空には、かの時代より変わらぬ美しき天体の姿。


「そう。あの月のように、この俺もまた変わらぬのだ。この呪われし、邪竜としての力も、な……」


 だからこそ、自身は封印されたのだ。

 気持ちが届かなかったとか、努力が足りなかったとかではなく。



 自身が自身だったからこその、結果。

 生まれ落ちてから定められていた、結末。


 

 本来ならば、とうにこの命、尽きていた。

 だのに未だ永らえているのは、ひとえに、とある少女の恩情によるもの。

 聖女としての笑顔を湛えることを宿命づけられた、儚き少女の情けによるもの。


「ああ、キサマには礼を言っておくよ。一時ではあったが、楽しい夢を見ることが出来た」


 こんなに心が躍ったのは、きっと初めてだ。

 臆病でありながら自身の全てを許容し、愛していると叫んだ少女。

 少女を慕いながらも素直になれず、コロコロ表情を変え、たまに暴走する愉快な幼女。


 彼女らと出会うことができ、今までにない、とても幸福な時間を過ごすことができた。


「もう、思い残すことなどなにもない」


 先に知った、幼女のこと。

 少女に救われたという、彼女のこと。


 きっと、邪竜なんて物騒なものよりも、少女が傍らにおくべきなのは――




「……ッ! だから、俺は……ッ! 一人、どこかで……ッ!」





「野垂れ死ぬ。なーんて言うんじゃないでしょうね?」





「ッ!?」


 突如響き渡る、幼い声。

 だがそれは、少女のものでも、ましてや幼女のものでもない。



 いつの間にか夜空に浮かぶ月に、人影が差していた。

 それは丁度、いつかのゲヘナを地上から俯瞰したようであり――


 途端、猛スピードで突っ込んできたそれは、温泉の洗い場へ突撃し、衝撃で温泉を海を割るが如く叩き割った。


「……キサマはッ!?」


 舞い上がる飛沫。

 ゲヘナが身構える中、佇むそれは不敵に笑う。




「それは聞けない終焉ね。お前の命、このあたしが予約済みよ?」




 夜の王者である、幼姿のヴァンパイアは。






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